風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

労働組合 考

2007-03-08 | 風屋日記
今日はちょっとビミョーな話題。

岩手県内では労働組合数も組合員も減ってきているという
NHK地方ニュースを今朝見た。
それは岩手県ばかりの現象ではないと思うんだけど、
そのことについて連合岩手(だったと思うけど)の見解として
「非正雇用が増えていることが原因のひとつ」と言っていた。
どうだろう。
それが最も大きなな理由だろうか。
あえて「格差社会」を浮き彫りにするべく
意図的なニュースになってはいないかい?

ひとこと断っておくけど
私は昔から労組にはある意味シンパシーを持っている。
その上でこれからちょっと苦言を呈したい。

今の労働組合には、
あえて組合員になろうという程の魅力はあるだろうか。
マンネリの主張、マンネリの運営、
言いたいことはわかるけど旧態依然としたその表現。
体制側の言い分には何でも反対を唱えるばかりで
現実味のまったくない要求。
そして大きな組織ほど年功序列の役員人事で
幹部級になればなるほど尊大な態度となり、
(組合幹部の知人は意見を言う私に
 「お前に何がわかる」とかつて言い放った)
委員長まで勤めると論功行賞的に地方議員へ。
そういう組織を支えるだけのコマになるために
誰が好んで組合員になろうか。

今の労組は農協と似てる感じがするんだよね。
本来は個々の農家が集まり、
用具や肥料の共同購入や農産物の共同出荷を担う、
あくまでその地域の農業の事務局的存在だったはずの農協が
今じゃ農家相手に金を貸し、高価な機械や車を買わせ、
保険に入れ、農産物は買い叩く。
それでいながら個々の農家の上に君臨しているのだ。
(私の地域の運動会には農協幹部が来賓に招かれる)
本末転倒な存在となってしまっている。
労組も組合員の連帯組織であるはずなのに
組合員からの組合費を集めては運動資金としながら
組織と金を持っていることで尊大な存在になってないか?
個々の組合員を縛り、金だ、選挙だ、オルグの動員だと
ただのコマとして扱っていないか?

野党の政党も労組に乗っかりおんぶに抱っこ、
票もお金もあまりに頼り過ぎたために、
社民党などはいつの間にか組合出身者ばかりになってしまった。
こうなってしまえばもう「市民政党」じゃない。
その衰退は自ら播いた種だと思うよ。

労組も社民党も原点に戻って
もっと組織を解放しなければ未来はないと思う。
でないと更に一般市民から乖離していくばかりだよ。
・・・と思うんだけど。
コメント (10)
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