風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

カッコワルイ

2007-03-31 | 風屋日記
「靖国神社が戦犯合祀を考え、
 その求めに応じて当時の厚生省が資料を提供しただけ」
というのがアベちゃんの記者会見での答弁。
もう一度、今回公表された「厚生省の資料」を読んでみたけど
どんなに穴が空くほど読み込んでもそうは読めない。
私の日本語の理解力がないのだろうか。
それともアベちゃんは他の人には見えない字も見えるのだろうか。
単なる屁理屈の言い訳ならば・・・カッコワルイ。

高校の日本史の教科書から
沖縄戦における住民の集団自決が「軍の強制による」との言葉が
一斉に削られることになったとの報道を見た。
単純なギモンだけど、一般住民たちが自決に使った手榴弾は
一体どこから手に入れたものなんだろうね。
皇軍兵士が陛下かお預かりした大切な武器を
一般の市民に、しかも自決のために好意で渡すとは思えないし
(第一そんなことをしたら即軍法会議にかけられるはず)
「自決しろ」と渡したとしか思えないんだけどなぁ。
それが旧軍の行為を庇うための検定結果であるならば
それも・・・カッコワルイ

「大正から昭和初期にかけての日本は理念もしっかりしていて
 世界中の国々から信頼と信望を集めていた。
 その頃の強い日本こそ『美しい国』の理想の姿」
というのがアベちゃんの言いたいことらしいけれど、
その当時の日本人にとって最も大切な行動規範として
「謙虚さ」と「世間体」がある。
自分の行為・行動を鑑み、自分を律して語らずというのが謙虚さ。
決して自ら「美しい国」などという歯の浮くような言葉は
謙虚さがある人から見れば・・・カッコワルイ
また、周囲の人達の気持や感情、立場を推し量り
それらをスポイルしないよう自らを鑑みるのが世間体。
それを意識することができれば靖国問題はもちろん、
南京虐殺だって「殺した人数」なんてバカバカしいことは
決して言い出せないはずだ。
何人殺そうが、殺したことには違いない。
「それは俺らだけじゃないだろう」という反論は
どんな言い訳より一番・・・カッコワルイ

    ◇      ◇      ◇

さて、今日で3月も終わり。
早くも今年の1/4が過ぎ去ったことになる。
明日からはたくさんの新しいスタートの季節、4月。
私も新しいスタートを切ろうと思う。

今年に入ってから相当量の勉強しなければならなくなった。
これまでサボっていたツケが回ってきたようなものだが、
まったく不得意分野だったことを、それもかなり深く専門的に。
せっかく勉強するなら後まで残る形にしようかと、
通信制の大学入学も検討中。
次男が野球を引退するこの夏までには決めて
もしその気になったら(お金もできたら 笑)秋にはチャレンジ。
息子達とともに大学生になろうかな(笑)

そしてそれとともに担当する仕事にも大きな変化が。
毎日更新を自らに義務づけてきた風屋日記だが
4月からは恐らく毎日は無理。ランダムな更新となるかな。
毎日アクセスして下さる150人前後の方々には申し訳ないけど
ここが私の人生の分岐点なのかも知れない。

でもね、仕事onlyな生活になるってのは
風屋的にはカッコワルイことなのです(笑)
ブログやめたり、閉じたりってことではないので
今後ともよろしくお願いします。
コメント (5)
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