風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

県民性?

2006-01-06 | 風屋日記
昨日帰ったら、家族が「県民性」がどーたらいうTV番組を見ていた。
私自身は最後の方しか見なかったけれど、
まず???だったのが「節約」に関する部分。

47都道府県の中で香川県が一番「節約」する県民性とのこと。
実験では幼稚園でのオムライスの給食。
1本は新品、もう1本は使いかけのケチャップ2本を用意し、
子ども達がどちらを使うかの統計をとったものだった。
その結果、ほとんどの子ども達が使いかけの方を手にし、
その理由を聞いてみると「もったいないから」とのこたえ。
やはり子ども達にまで「節約」が浸透しているとの結論だった。

申し訳ないが、私に言わせるとそれは「当たり前」のこと。
まだ残っているものがあるのに、どうして新品に手を出せようか。
まず使いかけのものを使い切ってから新品を開けるだろう。
それが普通だと思うのだが、会場の反応は「へぇ~」。
その反応の方がびっくりだった。
もちろんわが家の家族みんな私と同じ気持ちだ。

その後で、もっとも「お人好し」の県民なのが岩手県とのこと。
その結論に家族全員大爆笑だったのだが、
その実験としてとられた方法が2つ。
まずは迷ったおばあさんが通行人に声をかけて道を尋ねるというもの。
声をかける前に「どうしました?」と尋ねる人や
「時間があるから案内しますよ」と一緒に歩きだそうとする人など
盛岡では最も「都会」(笑)の映画館通りで
「岩手県民のお人好し」は「証明」されたこととなった。
いやいや、普通はちゃんと教えてあげるだろ。
他県で実験しても同じだと思うよ。
次の実験である、20個のリンゴを通りにぶちまけてしまった場合も同様。
普通はみんなで拾ってあげるだろ。
これは県民性の問題ではないような気がするのだが・・・。

ふと思った。
もしかしたら「節約」にせよ「お人好し」にせよ、
首都圏だけが特殊なんじゃないかと。
ゲスト達や会場の反応を見ているとそう感じざるを得ない。
TV番組を笑いながら見、数年前のことを思い出した。

あれは祖母が亡くなって、葬儀のために親戚が集まった時のこと。
久しぶりに花巻へやってきた首都圏育ちのいとこをはじめ、
数人の親戚を車に乗せてドライブがてら食事に行くこととなった。
その前に物を取りにわが家へ立ち寄ったのだが、
近所の農家のおじいさんとすれ違った際に、
私はいつものように「こんにちは」と声をかけておじぎをした。
するとおじいさんも「いつものように」、
農作業の手を休め、帽子を取っておじぎを返してくれた。
それを見た3つ歳下のいとこが大興奮。
「作業の手を止めておじぎを返してくれましたよ!!」
「しかもちゃんと帽子を取っておじぎしてたっ!!」
目的地に着くまで彼の興奮は納まらず、とにかく大感激していた。
「こんなこと、うちのあたりじゃ考えられない」

こんなこと、ごく普通のことだ。
そしてたぶんそれは花巻やこの地域に限ったことじゃない。
全国どこへ行っても同じような挨拶が交わされている。
私にしてみれば驚く彼の方が驚きだった。

首都圏における価値観が、
いわば「日本のグローバルスタンダード」として扱われつつある今、
それ以外の日本の大多数の地域の価値観は忘れ去られてきている。
昨夜のTVを見た人達は「なんかヘン」と思いながらも、
ゲストや観客の「へぇ~」を見ながら、
自分でもそう感じなければならないと無意識に感じているのではないか?
首都圏発情報の一方通行によって
日本人の価値観そのものが変わってしまうことの恐ろしさを感じる。

ところで、解説に登場した学者が
「岩手県民は過酷な自然環境の中で生活しているうちに
 我慢強さや粘り強さが形成されてお人好しになった」
と言っていたが、それじゃ「人助け」は「我慢」なのか?(笑)
私に言わせれば
「過酷な自然環境の中で生活するからこそ
 お互いに助け合わなければ生きていけない」と思うのだが。
近所総出の雪かきがいい例だよね(笑)
コメント (6)
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