風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「知る」こと

2006-01-26 | 風屋日記
今日、国際支援NGOで活動している知人からメールをいただいた。
その内容をここに書く積もりはないが、
その中の一部の文章がとても印象に残った。
「NGOはそのドナーやボランティアによって支えられている。
 しかしながらそのNGOの会員数は頭打ちで毎年財政難に悩んでいる」
「ドナーやボランティアはどんなベネフィットを得ているのか」
なるほど。

もちろんメールの主旨に対する返信は改めて送る積もりだし、
本記事とは直接関係ないので、その部分は割愛するが、
今はちょっと上記の部分だけ考えてみよう。

基本的に、誤解を恐れずに書くと、
「無償の奉仕、喜捨はあり得ない」と思うのだ。
誰しもそのボランティアアクトや寄付などに見返りを求める。
それは相手の笑顔だったり、自分の満足感だったり
宗教的な喜捨に関して言えば、心の安寧だったり
ということも含めての話だが。

例えば私が彼のNGO活動から得たベネフィットは
「知る」ということだ。
途上国の(特に下層の)現状や実体。
そういう人々に対する先進各国の姿勢。
そしてどのようにNGOの方々が活動しているのか。
そこにはノンガバメントとしてどんな哲学があるのか。
彼らの活動を通し、そしてその後得た情報により、
私は初めてそれらを「知る」ことができた。

「知る」ということも重要な見返りだと思う。
そして「知る」ことの次に「しっかり見据える」ことができるかどうかだ。
そこに「会員数の頭打ち」に対する大きな答が隠れていると思う。
「知らない」あるいは「知っているが見て見ぬ振りをする」
(という表現はともかく( ;^^)ヘ..)
そのことの解決なしにはその問題の答は出ない。

ちょうど昨日の朝日新聞に、
同じことを主題とする映画の批評が載っていた。
映画の題名は「ホテル・ルワンダ」。
ルワンダのフツ族によるツチ族大量殺戮を描いた映画だ。
映画のコンセプトを批評は
「世界中に『知ること』と『目を背けない』ことを求めている」
と述べていた。
「これらは単なる民族同士の殺し合いではなく、
 何もしない世界中の我々も間接的に加担している加害者だ」と。

映画のセリフだと思うが
「世界の人々はルワンダの悲劇を知って『大変なことだ』
 と言って、ディナーを食べる」
という言葉が重い。
「先進国で余った武器を国連の飛行機で堂々と密輸」し、
武器の大量消費地として見て見ぬ振りをする先進国と呼ばれる国々。
「40万人ものツチ族犠牲者が投げ込まれた湖で捕れる魚を食材として輸入」
している日本の無知。

「知る」ことや「しっかり見据える」ことの大切さを
私達はメディアや色んな情報からの他
NGOの活動を通して知ることもできるのだ。
NGOにはそういうことを伝えるという大切な使命もあると考える。



・・・ということで、改めて返事を送ります。>rwwaさん。
コメント (11)
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