吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

言葉の人柄パーソナリティ

2006年06月03日 | Weblog
 きょう6月3日(土)、家内の希望もあり、さいたま市の大宮ソニックホールで
開かれた柳田邦男さんの講演「いのちを支える言葉」を聞きに行った。(社)日本社会福祉士会と社会福祉学会のオープン講座だった。
 文章や言語を専らとして文章や評論を書いたりすることで広く活躍されている方だけに、「ことば」についてたくさんのポケットを持っておられる印象をうけたが、講演そのものは”私にはためになった”が、彼が書いたりしているモノに触れるほどの感動は感じなかった。講演自身の目的や性格からそうなるのでしょうが、「いのちを支えたり」「生きる勇気になったり」する言葉を、いろいろなトピックスや事例や経験から紹介し、ひとつの言葉の影響や大切さを繰り返し語る調子になっていた。
 ただ、言葉を言語といって、言語の記号論や意味論を難しく論じたりせず、ふだんの日常生活における「ことば」にフォーカスをあて、ふだん何気なく使われている言葉が、他人や人との関係社会において大変重要な役割を果たしていることを分かりやすく話されたその人柄に敬服した。
 ちょっとした”ひと言”が人を傷つけたりすることもあれば、「ありがとう」や「ごめんね」と言ったひと言が、人に感動や勇気を与えたりすることを、ホスピスやケアホームで働く人を介し、ふだんの生活のなかでの「言葉」の持つ大切さというかたちで講演された。
 時を同じくして、朝日新聞が「言葉のチカラ」のテレビ広告キャンペーンを展開されていますが、言葉は単なるチカラを越え、その人の感性や人柄に加え、その人の識見や人物力のようなものまで表すような気がします。文明論や記号論にして言語を語っている方々に、もっともっとふだんの生活のなかに入って、言葉の意味や感情と発言されない言葉(沈黙)まで含めたことの議論や探求をしてくれるよう望みます。
 言葉を介して人々の生活や考えおよび希望などを調査したり、マーケティングリサーチなどをされている同朋の人たちには特に、言葉のひとつひとつを考えて扱ってほしいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勧善懲悪劇場とマスコミの責任

2006年06月03日 | Weblog
 自由のなかでも、言論の自由や報道の自由は、健全な社会や国をつくり守る上で大変重要なことだと思っています。国家の品格やマスコミの品格が危うく見えるのは、このところの政治やマスコミの広報や報道の”仕方”に起因していると思われます。
 ホリエモンや小泉チルドレンの登場、ライブドア事件や村上ファンド動向事件などの報道をみるに、すべて政府もマスコミも「劇場型」だ。世論操作型とはいわないが、世論づくりのオピニオン・リード風だ。日本人の国民性や一人一人の性格を知りつくしているせいか、勧善懲悪の正義感よろしく演出し報道するのだ。
 テレビや新聞というビッグ・メディアは、自分たちの考えや言うことは、すべて正しく、自分たちこそが国や社会を(正しく)リードしているのだと自負しているのかもしれません。「疑うなら、メディア・リテラシーを勉強しろ」的なマスコミの”おこがましさ”に、あまり何かを論理的に考えたり批判したりする知識を持っていない私たちマジョリティは辟易しています。
 力の弱い幼子や小学生のこのところの不幸な事件と社会保険のスキャンダル事件も村上氏の事件(?)も同レベルに「劇場型」に報道されています。国民や世論が劇場型やイメージ戦略に”よわい”ということを知っているマスコミ・メディアこそ、いわゆる劇場型世論作りや勧善懲悪イメージづくりを目論む政治や検察に対峙し、健全な自由民主の国や社会の姿を追求してほしいと思います。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする