吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

ユニセックス傾向の本質

2006年06月26日 | Weblog
 ピアスをした若者(男性)を見かけます。アーミィルックにジーンズで500CC
のオートバイを疾走させるヘルメットから長い髪をなびかせた若い女性を見かけたりもします。ボクシングや格闘技に汗する女性も多く見かけるようになりました。女性顔負けにやさしそうにお客さんに接する男性美容師や患者さんに接する男の看護士さんに出会ったりもします。
 男性の女性化や女性の男性化が「ユニセックス」ということでもありません。男女共用化や女性にも男性にも誰にでも使いやすい(ユニバーサルデザイン)製品などを考えることをユニセックスと言っているのでもありません。性別を考えないことや単一性化ということを指して「ユニセックス」と言っています。男性も女性もこれを区分して考えず、人間として”同じ嗜好や価値観や感性”を持つものだということを先んじて考慮した価値基準や生き方を持つことを押しなべてユニセックス(単一性化)と言っています。
 20世紀に入っても長年続いた男性社会に、人々が人種や男女の不平等に覚醒したのはつい最近のことです。日本でも1972年、男女雇用機会均等法が出来、雇用機会における男女差別が禁止されました。男女平等参画社会づくりなどというプロジェクトが大騒ぎされている今日この頃なのです。ユニセックスなどということを、このような社会傾向と重ねて話す自分が少々”ズレ”ているのかもしれません。
 体力的嗜好的に”重い軽い”で、一方を男性的、反対方向を女性的と言ったり、スタイルやファッションなどから、一方をメンズといい、反対をレディスと言ったりして、男女性別”特性や嗜好”を先入観的に考えていた傾向を改めなければならない傾向が多く見られるところに「ユニセックス」という見方や考え方が出てきたのです。男女の中間や平均がユニセックスではないということです。
 ところが人間は不思議な動物で、男性女性に限らず、「相反する両面を求める感覚や価値観」(アンビバレンス)を根底に持っています。暑い夏も好きだったり、寒い冬も好きだったり、また嫌いだったり、同じ一人の人間が、静かな田舎も騒然とした都会も好きだったりします。異なった時間や機会ならわかりますが、同じ生活シーンや時空間においてさえ、相反するスタイルやコトを求めたりします。
 ユニセックスを単に、男女共用や男女兼用の商品化やマーケットと考えることを越え、人々はいつもアンビバレント(相反する)なスタイルやテイストを求めるものだということを考え、ユニセックス傾向に対処したいものです。
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