吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

「自分」を語ることからの出発

2006年06月21日 | Weblog
 昨日、何年かぶりに上野「鈴本」演芸場のアフターファイブになった。高等学校の後輩の落語を目当てに、同じ郷里の高校出の友人二人と行った。柳家さん弥さんだ。最近の自分は、月に一度ぐらいだが、お江戸日本橋亭や国立演芸場などに行くが、大抵の場合、名の通った真打や師匠クラスの演芸ではない。おおむね二つ目クラスの若手の落語や演芸を楽しむことが多い。前座のかたもいろいろだが、若い方の一所懸命さや、この前よりよかった点などが、汗して”語る”なかに窺えて、自分が励まされるからだ。
 そして今日、昼近くに少々時間がとれたので、南青山の「ステンレス・アート・ワーク」サロンに松岡友さんを訪ねた。「再結晶」なる自作展を多摩美大の学生の彼女がやっていると聞いたからだ。時々、アルバイトで私の仕事の手伝いをお願いしている”やる気”のある学生アーチィストだ。私は全くのアート音痴で、松岡さんの作品についても、テーマとの関わりについても、何も語れる知識や資格がないのだが、不思議に”ざっとみている”うちになんとなく「解った気」になるのだ。”何かを伝えたいんだ”という心意気が、こんな私にも伝わってくるのだ。先の若手落語家の柳家さん弥さんも同じだ。
 芸人さんもアーチストさんも、あるいは私たちのようなふつうの人においても、大切なのはまず、「自分」を語ることではないかと思うのです。伝えるとかコミュニケーションというと何かスキルとか技術というようなものを介在させてと思いますが、いまの自分や自分のことや、あるいは自分が思っていることを、ただ話せばいいということが「自分を語る」ことと考えると結構気楽にコミュニケーションできます。理解してもらおう、解ってもらおうと考えるより、そのままの自分を語ればスタートすると考えることの方が、話し合いや議論が進むのではないでしょうか。自分を語るということは、自分の思考過程を開示するということです。なかなか進まない会社やグループの会議や会議に多い”水掛論”を回避する上手な方法はお互いが、好き嫌いを繰り返すのではなく「自分の思考過程」をお互いに開示するということだと思います。
コメント (1)
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