ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

井上真九郎の顕彰碑-沢部の弥谷池畔に

2016年05月31日 05時49分20秒 | Weblog
  

 30日(月)の午後、用事で加東市立福田小学校を訪れると、シルバー人材センターの人が校庭の植木の剪定作業を行っていました。
 用事を済ませ、校門を出たところで、道路の清掃活動を行っている友人を見つけ、しばらく立ち話をしていると、目の前の弥谷池の向こう岸に石碑のようなものが建っているのが視界に入りました。何度も見ている景色なのに今まで気付きませんでした。
 さっそく車で池畔の道をまわっていくと、ミニ公園があり、東屋と2本の石碑がありました。
 その一つが写真の石碑です。刻まれている字を読んでみると、地元沢部地区の先人の顕彰碑でした。その人物は井上真九郎。明治時代の郷土史を調べている頃、この名前はよく出てきましたので、うれしくなって読んでみました。
 夜、家で調べてみると、石碑上部の篆額は兵庫県知事林董(はやしただす)の題字、碑文は亀山雲平(姫路藩藩校好古堂教授の亀山雲平によるものでした。
 井上真九郎は、幕末から明治半ばにかけて、加東郡福田村の庄屋、初代加東郡選出県会議員(明治12~13年、高瀬藤次郎とともに)、小野村戸長、福田村村長などを歴任しています。そうした郷土の先人を顕彰する碑が没後2年の明治24年に建立されています。
 弥谷池の池畔から福田小学校を眺める位置、方向に建って、郷土の姿を見守っているようでした。
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昭和19年-乳幼児体力検査の通知

2016年05月30日 04時13分20秒 | Weblog
 昭和19年(1944)の8月、社町長から各区長宛てに乳幼児体力検査に関する通知が出されています。会場は社区公会堂となっており、その建物は現存していますが、現在は作業所として使用されています。添付されている一覧表には、対象となる134名の乳幼児の氏名が記されています。
 このブログでは、昭和20年の乳幼児体力検査についても紹介したことがありますが、戦争が激しくなっていた当時もこうして行われていたことがわかります。
 乳幼児一覧表の中には、今も元気でお暮らしの方の名もあり、思えば、それから70年余りが経ったのです。
 文書中の社区公会堂は社区すなわち現在の社連合区の公会堂で、社の銀座通りにあります。東条町とあるのは、この辺り公会堂や社警察署(現在のみなと銀行社支店)の町名です。通知文は次の通りです。


 昭和十九年八月四日
          社町長 合田常蔵
各区長殿

 乳幼児体力検査執行ノ件

昭和十九年度乳幼児体力検査ヲ来ル十日午前七時ヨリ社区公会堂(東条町)ニ於テ執行可致候条別紙受検者ニ各々御通知相煩度此団及通知候也

 右ノ時間ヲ励行出頭ヲ手配願上候

午後  社

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加東市花と緑のまつり-さつき盆栽展

2016年05月29日 05時05分46秒 | Weblog
          

          

 28日(土)、加東市社の市役所隣の社中央公園ステラパークで花と緑のまつり-花き盆栽展が開幕しました。29日の日曜日の2日間開催されます。
 ステラパークを取り巻くように見事なさつきの盆栽、山野草が展示され、訪れた人々は立ち止まって枝振りや花に見入っていました。
 また、9時から子供写生大会も行われ、盆栽の前で多くの子供達がさつきを描いていました。もう成人したわが家の子供達も小さい頃に参加していたことを思い出しました。
 盆栽は今や世界語になり、世界中に多くの愛好家がいると聞いています。人工的なのですが、そこに自然の雄大さや奥深さ、宇宙を感じさせるのが盆栽・ボンサイの魅力なのだそうです。丹精込めて育て咲かせたさつきを観ているとその優美な姿に見とれてしまいます。
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昭和18年-佐保神社で入隊・入団兵の奉告祭

2016年05月28日 05時30分28秒 | Weblog
 朝のウォーキングでは、佐保神社に参拝します。この頃は、境内の大ケヤキの緑が濃くなり、営巣しているアオサギの鳴き声が賑やかになっています。

 戦時中、佐保神社では、多くの郷土兵が出発の祈りを捧げ、また、帰還の報告を行いました。また、銃後の人々は皇国の戦勝、兵士の武運長久を祈りました。このブログでもそうした祭について紹介してきました。
 参拝するとき、そうした過去について思いを馳せ、今の平和な時代の礎となられた英霊の御霊への感謝を捧げます。

 昭和18年当時の地区の文書綴に、そうした奉告祭の案内通知が綴じられています。


 昭和十八年七月二十二日
                 社 町 役 場
区  長
     殿
各学校長

   入隊(団)兵奉告祭挙行ノ件

来ル七月二十九日午前八時ヨリ佐保神社前ニ於テ左記入隊(団)兵ノ奉告祭ヲ挙行可致候条御参列相成度
 尚御部内一般並ニ各種団体ヘモ御伝言被下度

      記

入隊兵  藤原晃一(社)  明野増夫(山国)   松井 清(家原)
入団兵  臼井 孝(社)  向 安幸(社)    藤井輝男(田中)

出発  七月三十被・・・・向
    八月一日・・・・・藤原、明野、松井
    八月九日・・・・・臼井、藤井

                  
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さつき満開-事務所を照らす

2016年05月27日 04時02分49秒 | Weblog
 先日、事務所に戻るとぱっと明るくなったような感じを受けました。その光源は事務所のテーブルの上に置かれた、さつきの花でした。
 事務所には後援会長さんが育てた季節の草花が届きます。今度はさつきの盆栽でした。品種は寿光。うすいオレンジ色の花が木いっぱいについています。
 緑の木とともにともすれば殺風景になりがちな事務所に明るい自然の光を放ってくれています。四季の変化のある日本に育まれた花や木を大事に育てる文化が育ち、それを鑑賞することを日本人は楽しみにする。すばらしい文化だとつくづく思う。

 28,29日と、加東市花と緑のフェスティバル-花き盆栽展-が開催されます。見事なさつきの盆栽が展示されます。また、各種団体やサークルのブースが並び、特産物や食べ物を楽しめます。加東市役所隣の社中央公園ステラパークへお越し下さい。
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久しぶりにヘビを見た

2016年05月26日 04時55分46秒 | Weblog
  

 25日(水)、昼頃、事務所から家に戻ろうと、路地に入ったところで、ブロック塀の下の溝のところにヘビがいました。

 ヘビを見たのは久しぶりでした。1メートルぐらいの長さでじいっとして私のようすをうかがっているように見えました。シマヘビだと思いますが、やっぱり「長いもの」はどうも苦手です。
 
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佐保神社の玉垣-大阪や姫路の商人の寄進

2016年05月25日 04時35分45秒 | Weblog
  

 佐保神社(加東市社)の瑞神門の脇の大ケヤキの辺りの玉垣に刻まれた寄進者の字を読んでみました。
 「大正元年九月建立」と大きく刻まれており、今から104年前に建立されたものでした。外側には「高砂 米穀取扱商 (マーク)松本亀太郎」と寄進者の名が刻まれていました。佐保神社には米穀商関係の寄進物が他にもあります。まず、境内にある日露戦役紀念塔は大阪堂島有志の建立によるものです。また、境内の小祠、御大神宮さんの玉垣門柱には加東米穀取引所の文字が刻まれています。これは、明治から大正にかけて、社の田町筋に米穀取引所が設けられ、多くの米穀商が大阪堂島の米相場の情報を得て取引を行っていたことが背景にある、と故上月輝夫先生から教えていただきました。
 その並びの玉垣にも姫路、大阪、京都、加古川などの遠方の地名、金物商などの商売、商店の印、氏名が刻まれていました。
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緑と水とバラ-メモリアルガーデン

2016年05月24日 04時50分31秒 | Weblog
  

 暑い日が続いていますが、用事で加東市の市役所を訪れました。新しい市役所庁舎の正面には緑の空間-メモリアルガーデンが広がっています。
 この公園は社町時代につくられた沈降式公園で中央に噴水があります。ヨーロッパ風のこの公園は加東市の新庁舎を訪れる人々の心をゆったりとさせてくれます。
 噴水と小川、その奧にはミニバラ園も設けられ、加東市掎鹿谷に在住の世界的なバラ育種家、浅見均さんが開発した品種のバラが寄贈され植樹されています。市内には県立播磨中央公園のバラ園もあり見事なバラの花をつけています。
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JR加古川線社町駅踏切で

2016年05月23日 05時19分57秒 | Weblog
 加東市にはJR加古川線が走っています。社町駅(加東市河高)の南側、国道372号は跨線橋になっていますが、北側の市道には踏切があります。ちょうど上り電車の通過で遮断機が下りました。
 青色の電車が目の前を通過して駅に入っていきました。今は田植え前。駅の周辺では地区の人が出て一斉に草刈りなどの作業を行っていました。秋にはコスモス畑が広がりその中を電車が走ります。もうすぐ一面に水が張られ、整然と植えられた早苗が風にゆれる田圃の中をこの電車が走ります。
 
 
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やしろ歴史民俗研究会の歩み・家原浅野家

2016年05月22日 05時25分37秒 | Weblog
 21日(土)午後、やしろ歴史民俗研究会の28年度総会と研修が行われました。

 今日の講師は、研究会の顧問であり、郷土史・文化財研究の大家である堀内和男先生でした。先生は91歳のご高齢ですが、歴史を語るお姿と声はびっくりするほどお元気でした。張りのある声、次々と広がるエピソード。興味を持って調べたことが、やがて、いろいろと繋がって「縁」ができる、それが醍醐味であり、嬉しいと話しておられました。

 さて、やしろ歴民研の歩みを振り返ってみると、平成2年に遡ることができます。第1回のテーマは「社町文化財について」で、当時文化財保護審議会会長だった堀内和男先生が講師をつとめられています。それから現在まで、27年、125回の講演と56回の移動研修が重ねられてきました。講師の中には今は亡き、吉田省三先生や上月輝夫先生のお名前があります。移動研修は近畿一円から遠くは福井、広島、徳島県にも及んでいます。

 今日の研修は、堀内和男先生が本研究会の歩みを振り返ってのお話でしたが、家原浅野家の歴史を最後の殿様であった浅野長祚(あさのながよし)を中心に史料をもとに話されました。その中で、地元の薬師堂の仏像や文書と浅野長祚とのつながりなどにもふれられ、長い間の歴史研究がひょんなところで新しい発見に繋がることもあったというお話をされました。


 
 

 
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旧県会議事堂-大正時代の代表建築

2016年05月21日 05時19分46秒 | Weblog
             

             

 以前、このブログで昭和30年(1955)版の県会手帳を紹介したことがありました。ボロボロになって破れたその手帳の表紙の裏の見開きに旧県会議事堂が描かれていました(写真)。3階建の塔のある堂々たる姿です。記録によれば、大正11年(1922)に完成し、昭和46年まで建っていたものです。

 そういえば、どこかで見たことがあるなと思っていましたが、現在の3号館県会議事堂の玄関ロビーにその模型が展示されていることを思い出しましたので紹介します(写真)。
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昭和13年-佐保神社で帰還兵奉告祭

2016年05月20日 05時36分03秒 | Weblog
 今日は、地区軍事関係文書綴に綴じられている、昭和13年(1938)の帰還兵の奉告祭の通知を紹介します。支那事変が長期化する中、郷土出身兵が帰還し、これを佐保神社(加東市社)において帰還を奉告する祭を行うため、急遽、通知が出されたものです。同じ日の午後には、米田村出身兵が遺骨で凱旋し、佐保神社前を通過しています。写真は現在の佐保神社です。


 社通号外

至急  昭和十三年三月三十一日
                社町長 大橋實次
区長殿
町会議員殿
各種団体長殿

   帰還兵奉告祭挙行ノ件

本日(三十一日)午後七時三十分社佐保神社前ニ於テ左記帰還兵ノ奉告祭ヲ挙行可致候条御参列相成度及通牒候也

追而 社駅帰着予定時刻ハ午後七時三分ニテ御多忙中恐入候ヘ共突急ノコトニ付各部内各種団体並一般ヘモ御伝言ノ上多数御参列相成様区長殿ヨリ配慮相願度特ニ御以来申上候
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昭和13年-佐保神社で応召兵奉告祭・祈願祭

2016年05月19日 05時38分09秒 | Weblog
  

 昨年は終戦70年という節目の年にあたり、この郷土史ブログに投稿してきた記事のうち、忠魂碑や戦没者の慰霊に関するものを小冊子にまとめて発刊しましたが、軍事関係の史料については、これからも継続して投稿していきたいと思っています。
 今日は昭和13年(1938)9月に応召した兵士の奉告祭・祈願祭の通知を紹介しましす。この通知は当時の地区事務所の軍事関係文書綴に綴じられているものです。前年の7月7日に北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突し支那事変が起きてから1年余りが過ぎた頃で、戦闘は拡大し、郷土から多くの兵士が戦地へと発っていきました。出発に際し、佐保神社でおうした奉告祭・祈願祭が執り行われ、多くの人が参列して見送っていました。


 昭和十三年八月二十七日

                  社 町 長

区長殿
町会議員殿
官公衙長殿
学校長殿
各種団体・会社代表殿

    奉告祭、祈願祭執行ノ件

一、応召兵奉告祭
1.日時  八月三十日 午前七時
2.場所  佐保神社社前
3.応召兵 友原三七雄(山国)  門脇喜久男(家原)  松原磯五郎(上中)

二、国威宣揚、皇軍武運長久祈願祭
1.日時  九月一日 午前七時
2.同前  大村安雄(海軍陸戦隊)(大村栄弟)応召

右ノ通り奉告祭及祈願祭執行可仕候条参列相成度御部内一般ヘモ御伝ヘノ上多数参列相願様御配慮相煩度此段及通牒候也
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フラワーセンターの空を泳ぐこいのぼり

2016年05月18日 05時16分55秒 | Weblog
           

           

           

 17日(火)、爽やかで、透明な空気に包まれ、空の青と野山の緑がまぶしいなか、加西市にある県立フラワーセンターを訪れました。
 広々とした公園には芝生広場で憩う人や遊歩道をゆっくりと散策する人など、静かでゆったりとした午の時間が流れていました。遊歩道脇に咲く花の名前を名札で確かめながら歩いていると、そこはまるでヨーロッパ大陸の公園にいるような気分になります。
 目をさざ波のたつ公園の池に目をやると、池の上に大きなこいのぼりが風をいっぱいに含んでからだをゆったりとくねらせながら泳ぐ姿が目に飛び込んできました。その光景はまさに空を泳ぐまごいにひごいの美しい姿でした。
 五月の空にはこいのぼりがよく似合う。まさに今日のフラワーセンターで出会った素晴らしい景色でした。
 
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道標・道路元標のブログを一冊に-ふるさと加東の歴史再発見

2016年05月17日 09時25分49秒 | Weblog
  

 この「ふるさと加東の歴史再発見」の郷土の歴史ブログで投稿してきた加東の道標と道路元標に関する記事を一冊にまとめました。
 ちょうど加東市が市内の道標地図を発行しましたので、いいタイミングでした。市内に数多く残っている道標を通して、ふるさとの「道」「歴史」を考える資料になればとの思いで発刊しました。
 加東市域には京街道、大阪街道、高砂街道などが縦横に走り、西国三十三番霊場や加東四国八十八番霊場などの巡礼道にもなっていました。今はそうした旧街道はまさに旧道になり、新しく高速道路や国道、県道などが市内を走り、北播磨の交通の要衝となっています。
 役目を終えた道標は、歴史を伝えるという新しい役目をもって各所に立っています。網羅したものではありませんが、旧道や寺社の門前、山中などに立っている道標を紹介しています。(112頁)
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