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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和10年-ため池の調査

2010年02月28日 05時03分24秒 | Weblog
 播磨平野は豊かな穀倉地帯ですが、その命である水を確保するために多くのため池が築かれています。昭和10年(1935)、兵庫県はため池に関する協議会を開いて、その維持管理について懇談をしています。そのことに関係する文書が社区事務所(現加東市社)の往復文書綴に綴じられています。


社通第六三二号ノ一
  昭和十年八月二十二日
       社町長  大橋實次
各区長殿

 溜池調査ニ関スル件

旱害又ハ治水上溜池ノ改良施設ハ農業経営上重大ノ意義ヲ有シ曩ニ溜池ニ関スル協議会ニ於テモ熱烈ナル要望有之県ニ於テモ未ダ完全ナル溜池台帳無キ為メ改良計画又ハ之レニ対スル補助規程ノ実施上支障有之候ニ付今回之レカ完備ヲ計リ度旨照会有之候条御繁忙中甚ダ困難ノ事項ニハ候得共別紙ニ依リ御調査ノ上本月二十七日迄ニ御回報相煩度此段及照会候也


(別紙)

 昭和十年八月  日
            区長

社町長 大橋實次 殿

   溜池調査報告ノ件

八月二十二日付御照会ニ係ル溜池調査ノ件左記ノ通リニ有之此段及報告候也

       記

溜池名 池所在字地番 水面積 堤防敷 平均深 支配反別 灌漑大字字名 使用期間及平年貯水回数 危険又ハ貯水ノ良否 慣行其他
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昭和10年-麦検査

2010年02月27日 05時16分31秒 | Weblog
 昭和10年(1935)の「麦検査日割表」が社区事務所(現加東市社)の雑書綴に綴じられています。A5判ぐらいの小さなビラに社町(現社小学校区)の地区名と検査日一覧と検査に備えた準備心得のようなことが印刷されています。
 末尾に印刷されている俚謡がなんともいいですね。

昭和拾年度麦検査日割表

●乾燥第一主義

 名   七月

山国(上) 二日  十
山国(下) 三日  七
松尾    四日  日

野村    五日  十
貝原    七日  八
鳥居    八日  日

西垂水   九日  十
窪田    十日  九
家原   十一日  日

梶原   十三日  二
喜田   十四日  十
上中   十五日  日

   六月十日決定

●受検準備
一、晴天ハ必ズ屋外検査
二、票箋ハ受検前ニ記入洩レナキ様ニ
三、重量ハ正味十六貫匁(六十キログラム)
四、古俵ハ一空ニ限リ使用ヲ許サレテイマス
五、五ヶ所共緊括デナイト再調ヲセネバナリマセン

俚 謡
●とかく御麦の嫁入衣裳
    古衣着せては家の恥
●人なみの義理人情はわきまへど
    検査の道はいたし方なし

        藤本検査員受持区
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昭和6年-国体明徴の講習会が開催される

2010年02月26日 05時09分15秒 | Weblog
 昭和6年(1931)、社町の元郡公会堂(現加東市明治館)で国体、国民思想に関する講習会が兵庫県の主催で開催されています。国体すなわち国柄のことですが、天皇を中心とする我が国の歴史伝統に基づく国家の姿について国民の思想を一層固めようとする運動の一環としてこうした講習会が開催されたのでしょう。今では「国体」といえば国民体育大会の略語となっていますが、本来は「国体」といえば国柄を意味するものでした。
 昭和6年の社区の雑書綴に綴じられている通知を紹介します。

社通第一八七六号一
 昭和六年九月二十六日   社 町 長

      殿

 国体並ニ国民思想ニ関スル講習会開催ノ件

今回本県並ニ本県教化団体聯合会ト共同主催ヲ以テ左記要項ノ通リ国体並ニ国民思想ニ関スル講習会開催相成候ニ付現今ノ思想界ニ鑑ミ講習員多数出席方依頼越候条此段及御通知候也

    記

 国体並ニ国民思想ニ関スル講習会要項

一、目的 日本思想史ヲ説キ国体ニ関スル観念ヲ明徴ニシ一層国民精神ノ作興ヲ図ラントスル

一、期日並ニ会場 十月七日  社町元郡公会堂

一、講師及演題
 演題 日本思想史
 講師 広島文理科大学教授文学博士  清原貞隆氏

一、講習員
 学校長及職員、教化団体関係者、市町村長及吏員、青年団役職員及指導者、神官仏僧、篤志者(中学校卒業以上ノ学力アルモノ)

一、講習料  無料

一、申込期日及場所
  兵庫県学務部社会教育課
  昭和六年九月三十日迄
  申込書ニハ住所、氏名、職業、関係団体名及講習会場名ヲ必ズ記載ノコト

一、主催  兵庫県  兵庫県教化団体聯合会
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昭和3年-御大典奉祝で農地愛護実行 社町農会

2010年02月25日 05時13分34秒 | Weblog
 昭和3年(1928)、御大典を奉祝して農地愛護週間が設定され、その実施要領が社町農会(現在の加東市社小学校区域)から通知されています。この奉祝活動は兵庫県農会が各農会に実行を呼びかけたもので、愛護週間を設定してさまざまな作業を一斉に共同して行うことで農業精神の作興を実現しようとするものです。以前このブログでビラを紹介しましたが、社町農会の通知がありましたので掲載します。

 
社農第一四七号ノ二
 昭和三年九月十九日
                 社町農会
各区長殿

 農地愛護週間設定ノ件

兼テ御通知申上置候本県農会ハ御大典奉祝記念事業トシテ各農会ハ協議ノ上農地愛護週間ヲ設定シ農会員ハ一斉ニ農地愛護ノ精神作興ヲ図ルコトト相成候ニツキ御協議ノ上左記事業実行方御配慮御願度此段及御依頼候也

     記

 農地愛護週間ノ実施方法ニ関スル件

一、主旨  農地愛護ハ本県農業者一斉ニ奮励シテ田園浄化ノ作業ニ従ヒ徹底的ニ愛土観念ヲ鼓吹シ農業精神ノ作興ヲ期スルヲ以テ主旨トス

二、期間 九月二十一日ヨリ二十五日迄五日間

三、作業 左記ノ通リ 但シニ於テ多少ノ自由ヲ認ム
      配当例
九月廿一日  溝サラヘ  朝七時ヨリ正午迄  共同作業
       畦畔雑草刈取(午後)  各戸
九月二十二日 田畑除草 稗引キ 螟虫被害茎切取リ
九月二十三日 記念樹植栽 宅地整理  共同作業
九月廿四日  堆肥製造  紫雲英播種  同
九月廿五日  農道改修 開墾
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昭和3年-産米の改良ビラ(県穀物検査所)

2010年02月24日 04時36分11秒 | Weblog
 社区(現加東市社)の昭和3年(1928)「雑書綴」に兵庫県穀物検査所社支所のビラが綴じられています。内容は「産米の改良」と題し、米の生産に関する各段階の要点が書いてあります。前後の文書から10月中旬に配布されたものと考えられます。
 ビラの中に酒造米「新山田穂一号」という名があるのは、酒米の王として知られる山田錦の親にあたる品種、山田穂のことです。


産米の改良   一致協力

品種の選択
 酒造米・・・新山田穂一号新山田穂二号弁慶
        瓜の蔓には茄子ならぬ
 飯米・・・・朝日
        味が良ふて収量(トリミ)あり

適期刈取
 酒造米・・・早目に刈取るが肝要
        青刈をせないこと
 飯米・・・・早刈青刈は大の禁物
        晩刈は米の艶を消す

乾燥充分
 稲架干莚・・稲架十日下敷莚へ籾五舛
        晴天二日干しませう 米の生命は乾燥にあり
 乾燥時間・・朝の九時から午後の三時迄
        温味ある籾を取り入れませう
 追干・・・・温味の籾を莚で覆ひ貯蔵する 籾の温味でまた乾く

調製叮嚀
 籾の唐箕撰・乾燥籾(ひもみ)を唐箕撰(とうみくり)
        籾の仕分けが第一よ
 籾摺・・・・一番摺と二番摺の区別
        良いと悪いを分ける基
 危惧の修理と使用
       唐箕、萬石、撰米器の修繕
       使用法の熟練
        道具を使へ使はれな

容量正確
 内容量の確実 巧者に計量らず 四斗タツプリ入れませう

俵装完全
 規定の厳守・規則通りに編上げて
        小口カガリも引締めませう
 緊括・・・・横縄五ケ所を一様に
        堅く締めて結び止め
 縦縄・・・・四方に掛けた俵こそ
        天下通用の米俵

  兵庫県穀物検査所社支所
      
         
                   
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昭和3年-銃剣術用防具購入資金を!

2010年02月23日 05時20分43秒 | Weblog
 昨日紹介した帝国在郷軍人会の社(やしろ)分会の武術練習規定に関連する文書が昭和3年(1928)の社区(現加東市社)の雑書綴の中にありました。
 分会では軍人として武術の鍛錬を行い、競技大会でも良い成績を収めているものの防具などを他の分会から借りている窮状を訴え購入費用を出してほしいというものです。昨日の武術練習規定と併せて読んでみると、在郷軍人会が銃剣術の練習に力を入れていたことがわかります。

 銃剣術用防具購入ノ資金ノ件願

国家財政緊縮ノ為メ今ヤ軍備縮小セラレ我々軍人タルモノノ責任ヤ誠ニ重大トナレルハ言ヲ俟タザルナリ軍隊ニ於テ武技ヲ重要視シ日夜鍛錬シツツアルハ一朝国家事変ニ際シ戦場ニ於ケル最後ノ勝利ハ肉弾ヲ以テ敵ニ肉迫シ敵ヲ制圧スルノ目的ナリ.在郷軍人会ニ於テモ在隊ノ間習得セシ武術ヲ等閑ニ付スル事ナリ平素其ノ技能ヲ練磨シ以テ身心ノ鍛錬ト体育ノ増進ヲ図リ一旦国家有事ノ秋ニ当リ軍人ノ本領ヲ発揮セシムル事ニ努ムルハ最モ緊要ナリ
例年本郡聯合分会ニ於テ開催シツツアル明治神宮武術競技選手予選会ニ当町分会ヨリ出場セシ選手ノ成績ハ相当優秀ナレ共最後ノ栄冠ヲ獲得セサルを洵ニ遺憾トス茲ニ一層練習ノ功ヲ積マバ永年ノ宿望ヲ達シ神宮競技選手権ヲ得ルニサマテ難事ニアラザルナリ今春来ヨリ当分会ハ分会事業最大要目トシテ盛ニ奨励シタル結果会員ノ尚武心頓ニ揚リ数度ノ競技練習会ニ於テ其ノ成績ハ予期以上ノ良結果ヲ得タリ依テ其ノ技ヲ永続セシメ益々隆盛ナラシメ其ノ目的ノ貫徹ヲ期サン事ヲ誓フ此度伊豆少将閣下ヨリ特ニ我カ分会ノ銃剣術発展ノタメ絹地ニ尚武ニ関スル文字ヲ揮毫セラレタル書幅ヲ二幅下附サル光栄ニ浴セリ
サレト必要欠クベカラザル防具ナキ為メ他村分会ヨリ其ノ都度借用シ来タリテ使用シツツアリテ痛切ニ其ノ不便ヲ感ジ武術競技遂行上甚タ敷キ支障ヲ来タシ居レル状態ナリ
茲ニ於テ町費多端ノ折カラヲモ省ミス左記ノ通リ防具購入資金ノ出資ヲ仰グ所以ナリ
我等ノ微哀ヲ御了察セラレ其ノ挙ニ御賛成下サレン事ヲ懇願ス
 左記
 防具購入予算目録
一金弐百五拾圓也    防具五組
一金参拾也       木銃拾本
一金参圓也       指袋拾組
一金七圓也       予備タンボ其他
一金拾圓也       優勝旗壱旈
合計金参百圓也
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昭和3年-社(やしろ)在郷軍人尚武練習規定

2010年02月22日 05時19分21秒 | Weblog
 昭和3年(1928)の社区(現加東市社)の雑書綴の中に社在郷軍人尚武練習規定が綴じられています。この歴史ブログでも在郷軍人会に関する資料を紹介してきましたが、忠魂碑前での祈願祭、元郡公会堂での講演会や映画会などさまざまな活動が行われています。


 社在郷軍人尚武練習規定

一 本規定ハ当分会員ヲ以テ制定ス
二 目的ハ武術ノ錬磨ト軍人精神ノ涵養、体力気力ノ養成スルニアリ
三 事務遂行上左ノ係員ヲ設ク
   審判係二名  賞品係二名  進行係三名   記録係三名   接待係四名
   設備係六名  防具保存係五名  救護係二名
四 練習場ヲ左ニ設置ス
  イ 警察道場  ロ 元郡公会堂  ハ 社小学校
五 練習日 毎月五日、十五日、二十五日ノ三回トス
     毎年寒稽古実施ス(期間三週間)
六 競技会
  イ 毎年一月十日演舞始業ヲ実施ス
  ロ 毎年春季皇霊祭ニ大会ヲ行フ事
  ハ 当分会ヲ五区割トシ一区毎ニ主催トナリ適当ノ時期ニ於テ競技会ヲ行フ事
七 賞與
  イ 優勝班ニ対シ優勝旗及賞状ヲ授与ス
    但シ優勝旗ハ優勝班ニ於テ保存シ次四大会当日返還スルモノトス
  ロ 優勝者ニ対シ閣下揮毫書幅ヲ及ビ賞状ヲ授与ス
    但シ書幅ハ次四大会当日返還スルモノトス
八 審判法及採点法ハ其ノ都度係員之ヲ制定ス
九 防具ノ保存及ビ修理ハ保存係ノ責任トス
一〇各班ノ希望ニ因リ防具ヲ貸与スル事ヲ得
  但シ保存係ノ許可ヲ要ス

                       以上    
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昭和3年-浜松方面への消防事務視察

2010年02月21日 05時41分14秒 | Weblog
 昭和3年(1928)の社町社(区事務所)の「雑書綴」に消防事務の視察に関する文書が綴られています。コースは静岡県浜松市で消防事務について視察をし、その後秋葉山の参拝をすることになっています。現在であれば、新幹線や高速道路を使ってのコースになるでしょうが、約80年前にはどのような行程だったのでしょう。


謹啓時下酷暑之候愈々御清穆之段奉賀候
陳者兼て御協議申居リ候浜松附近消防事務
視察ノ件左記日程に依り決行致し候条此段及御通
知候               敬具

    記

集合場所及日時   神戸駅三等待合所八月十一日午後十時
翌十二日午前浜松ニ於テ消防事務視察午後秋葉山参拝
連絡汽車時間表
播鉄社駅午後六時五十四分加古川着仝七時五十八分
加古川発午後八時〇八分神戸駅着仝九時二十四分
明石駅仕立神戸発午後十時三十五分浜松駅着午前八時四十分沼津駅行

昭和三年八月八日
      加東郡消防協会長
       警部  川西潤左衛門

肥田仙治殿
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東条ダム建設工事の写真

2010年02月20日 06時13分33秒 | Weblog
 地元の方から提供いただいた東条ダムの絵はがきを続けて紹介していますが、今日はダム建設工事の写真を掲載します。
 写真は東条川の支流、鴨川をせき止めて築かれたダム本体の工事現場のものです。「昭和二十五年十二月七日当時ダム工事現場の壮観」と印刷されています。ダム工事は昭和24年3月に着工され、26年11月に完成しています。25年12月のころにはコンクリート打設作業が夜も続けられたということです。
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東条湖と清水寺の図(絵はがき)

2010年02月18日 06時35分56秒 | Weblog
 もう一枚の絵はがきを紹介します。東条湖は昭和26年(1951)に完成した鴨川ダムによってできた人造湖ですが、周辺の美しい景観とともに清水寺や朝光寺などの古刹もあり、昭和32年には県立公園に指定されました。
 この絵はがきは「東条湖上より播州清水寺及丹波連峰を仰ぐ山紫水明の壮観」とキャプションが入った絵になっています。奇岩が聳える東条湖には船が一艘浮かび、遠くの山上に清水寺の堂塔が霞の中に浮かんでいます。
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東条ダム建設前の写真(絵はがき)

2010年02月17日 04時48分22秒 | Weblog
 昨日紹介した東条湖(鴨川ダム)の絵はがきに続いて、鴨川ダム(東条ダム)建設当時の写真の絵はがきを紹介します。
 加古川の支流、東条川にそそぐ鴨川が流れる加東郡東条町黒谷の土井は戸数7戸の地区でした。周囲を山に囲まれて、1ヶ所だけ山が裂けて割れ目となっており、そこを鴨川が流れていたわけです。この割れ目をふさいで築かれたのが鴨川ダムだったわけです。
 写真はその割れ目で、点線は築造予定の鴨川ダムを示しています。ダム工事は昭和24年(1949)3月に起工式が、そして、26年11月に完工貯水式が行われました。
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東条湖の絵はがき①

2010年02月16日 05時34分06秒 | Weblog
 この写真は東条湖の絵はがきです。地元の方から提供いただいた絵はがきの一枚ですが、昭和30年代前半に東条湖観光協会がつくったものだと聞きました。
 写真下には「兵庫県立自然公園 東条湖 LAKE TOJO Hyogo-Prefectural Natural Park」と印刷されています。東条ダム(鴨川ダム)は食糧増産をめざし、かんがい用水ダムとして建設された戦後第1号の国営ダムです。昭和26年(1951)秋に完成し、昭和32年には県立自然公園に指定されています。
 おそらくその頃の写真だと思われますが、湖の周囲の山もまだ開発が進んでおらず緑が美しい景観となっています。ダムができてから60年が経っていますが、完成間もない頃の珍しい写真です。
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河高の石仏

2010年02月15日 05時42分47秒 | Weblog
 以前、この歴史ブログで加東市河高の旧道沿い、集落の北の端にある旧滝野村役場跡や忠魂碑の丘を紹介しましたが、その忠魂碑の丘の下、旧道脇の岩場の下に石仏が祀られています。土地の方によれば、このお地蔵さんは昔からあって皆がお参りしているとのことでした。先日、加東歴史の会で加西の石仏について勉強したことが気になっていて、もう一度この石仏を見るために回り道をしました。
 詳しいことはこれから調べてみたいと思いますが、石仏の表面は剥がれていてはっきりしません。うっすらと仏の顔の部分のような円形の膨らみがあります。古い巡礼道の脇、忠魂碑の丘は元は古墳だったということも地元の方から聞きました。この石仏も石棺仏かもしれないなどと勝手に想像が膨らんでしまいました。
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上久米東光寺大日祭-雨の護摩焚

2010年02月13日 05時45分49秒 | Weblog
 2月11日、建国記念の日は朝から雨がぽつぽつと降り出し、午後には本格的な冷たい雨となりました。加東市上久米の東光寺では大日祭が行われ、2時過ぎには寺の前の田で護摩焚が始まりました。雨にもかかわらず多くの参拝者が護摩焚を見守りました。
 この大日祭は大日さんとよばれて昔から親しまれてきた祭ですが、かつては参道に露店がたち並び多くの人出で坂を上るのも大変だったといいます。傘をさして護摩焚を見ながらそんな昔話に花が咲いていました。

 社町の広報に掲載された大日さんの紹介文を今年も掲載します。

 「郷土の探究」(8)
 社町にも北播三大祭の一つとかぞえられるものに、上久米にある東光寺の恒例祭とされている「大日如来祭」がある。昔から牛馬の守り仏として有名で毎年二月二十八日には播州一円の農家が参拝し、境内せましと思わせる。この日北播一帯の青年有志大相撲が展開されるとともに参道に列をなす植木をはじめ農機具などの多くの露店は、まさに社町のなかでの最大の祭りでもあり、北播三大祭の一つでもある。

 護摩焚の最後は火渡りです。冷たい水が溜まった田の中に素足になって並び、山伏さんに背中に何やら指で字を書いていただいてから一気に渡ります。まだ火がところどころ出ているのですが熱くないのです。今年もこうして無事に火渡りを終えることができました。


 寺の南辺りには、かつて役場、学校、駐在所などがあったそうで、米田村(現加東市米田地区)の中心であったということです。参道には道標や石灯籠などが立ち、往時の賑わいがしのばれます。
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河高八幡神社の厄神祭

2010年02月12日 06時08分18秒 | Weblog
 2月11日、加東市河高の八幡神社で厄神祭が行われ、小雨が降る生憎の天気でしたが、多くの参拝者で賑わいました。地元の皆さんの心づくしの接待も行われ、うどん、ぜんざい、おでん、温泉卵などで冷えた体が温まりました。
 この歴史ブログでも、これまで八幡神社の厄神祭について紹介してきましたが、今年も神社の由来や祭りについて紹介します。
 河高の八幡さんは、今から約470年前の戦国時代、天文4年の創立とされ、「厄除けの霊験頗る顕著」なお宮さんとして知られ、厄除けのお祭りが毎年1月19日に行われていました。この日には旧加東郡や加西、多可郡から多くの人が参詣したと聞きました。また、地区の子どもたちはこの日ばかりは学校を休んでお祭りに出たということでした。年輩の方の話では、前夜から友達と連絡を取り合い、午前3時頃から山の上に向かつたそうで、親も寝ておれなかった、ということです。戦後の一時期、男女平等ということで、女の子も参加したようですが、今は地区の男の子だけが参加できることになっています。この祭りを「奇祭」とよび、子どもがお金を拾うという行為を好ましくないなどという観点から一部の批判があったことは確かで、毎年新聞でそのようなコメントが付けられていました。しかし、このお祭りは厄除けの祭り、伝統文化、地域社会などの観点から見るとそのような表面的な見方だけの批判は的はずれといわざるを得ません。子ども達は拾ったお金を特別なお金として大切に使い方を考えたと聞くきました。また、拾っている姿を見ていると、年長の者が年少の者に配慮しながら拾っている姿もありました。成功した人が地域に感謝の気持ちを示すというこうした姿勢をこの子ども達がまた継承していき、地域の維持発展につながることになると思います。こうした思いも実際に祭りを直に見てはじめてもつことができるものです。
 

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