ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

上田の大芋神社の石鳥居

2007年02月28日 06時18分58秒 | Weblog
加東市上田の東の道路を車で走っていると、集落の真ん中に鎮守の杜が見えてきます。スピードを落としてよく見ると、大芋神社に続く参道があり、その一画にどっしりとした石鳥居が立っています。

 この石鳥居は社町指定文化財(昭和44年指定)に、さらに昭和47年に県重要有形文化財に指定された貴重な石造鳥居です。建立は寛永2年(1625)と刻まれていますが、実際はもっと古いのではないかといわれているそうです。それにしても、380年ほど前のことで、三代将軍徳川家光の頃にあたります。

鳥居は神社のいわば門。400年近くもの年月を経て、今こうして神域への入口を示す門として立ち続けていること、そのこと自体に思わず頭が下がります。


  
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東実の道標

2007年02月26日 20時09分13秒 | Weblog
木の陰にひっそりと

 加東市松尾から東実に通じる旧道を走り、壷沢池を左手に見ながら出水川に架かる出水橋を渡り終え、東実に入ったすぐの左手、林の中に一本の道標が立っています。
 車で走っていると、見逃してしまうでしょう。うっそうとした竹林の入口あたりは、昼間でも薄暗く北側にあるため日も当たりません。そのせいか、道標の表面は湿った緑色になっています。
 道標には「右 小野 北在家 高砂」、「左 屋度村」と刻まれています。建立年は天保4年(1833)ですから、今から約170年前のものです。
 実は、この道標のことが以前から気になっていたのです。というのは、郷土史家、故・上月輝夫先生から、この道標に刻まれた地名についてのエピソードを聞いていたからです。こんな話だったと思います。
 この道標には「北在家」という地名が刻まれています。その理由は、この道を通って、北在家(加古川市)に行く人が多かったからです。なぜ「北在家」なのかというと高名な灸の先生がおられ、多くの人が遠方から通ったそうです。上月先生も小さい頃に北在家の先生宅に行かれたということでした。丹波から北在家を目指す人も多かったことから、「北在家」の地名が刻まれたそうです。
 写真を撮っていると、ウォーキング中の年輩の方が通りがかられ、いろいろ教えていただきました。ここは、福田村の屋度村への分かれ道で、今は出水川に沿ってほんの少しかつての道の痕跡が残っている、と。なるほど、道のようなものが見えます。
松尾、東実、南坊へと通じるこの道はかつての幹線道路。やがて幹線道路は西へ西へと移動しながら、今では国道175号線(4車線)が走っています。この道標もまた役目を終えて今は竹藪の中でひっそりと通学生の姿を見守っているようです。
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道標

2007年02月25日 07時50分51秒 | Weblog

 加東市上久米と新定を結ぶ県道沿いの分かれ道に2本の道標が立っていました。表面に刻まれた字は読み取りづらくなっており、「右 神谷山」、「右 上久米」の文字がかろうじて読めます。
 広い台地を通る一本の道。昔は松林だったのか、荒野だったのか。この道標が道行く人にとっては大切な目印だったことでしょう。今はその役目を終えて静かにたたずんでいるようです。
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佐保神社宮前の道標

2007年02月24日 06時31分03秒 | Weblog

 加東市社、佐保神社の参道脇に1本の道標が立っています。国道372号線から三階交差点を経て環状道路に抜ける道路と参道が交差する所なので、狭い道を車がひっきりなしに通っています。
 この道標の建立年は寛政9年(1797)ですから、今からおよそ200年前に建てられた古い道標です。「右 きよみず」「左 ほっけさん」と刻まれています。社は高砂街道と京街道の交わる宿場町でもありました。多くの道標に清水寺と法華山一乗寺(加西市)の二つの寺の名が刻まれていることからも、当時の人々にとっての大きな目印になっていたがわかります。
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道標

2007年02月23日 06時35分30秒 | Weblog

 加東市上久米から新定に通じる県道を走っていると、何本かの道標が立っていることに気づきます。そのうちの1本がこの道標です(写真)。
 自然石の正面に「右 依ふじ」「左 大さか」と刻まれているのがかろうじて読みとれます。米田の谷から上がってきて、依藤野へと向かう道と東条へ抜けて大阪に通じる道との分かれ道に立っていたのでしょう。建立年は不明です。
 今は、この県道沿いには米田小学校、やしろの森公園、ゴルフ場があり、車が走り抜けています。しかし、昔はこの道標をたよりに方向を定めて山を越えて行ったのでしょうね。
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山国の道標2

2007年02月22日 05時59分27秒 | Weblog
 加東市山国の東の境、社と東条を結ぶ道路沿いに一本のどっしりとした道標が立っています(写真)。
 この道標には「右 大深山」「左 大さか」「右 やしろ」「左 山くに」と刻まれています。建立年は嘉永7年と読めます。ちょうどペリーの黒船がやってきて幕府を驚かせた頃です。
 「大深山」は中東条(現在の加東市松沢)の東福寺のこと、「大さか」(大阪)とあるのは、この道が東条を経て大阪へ通じる街道だったことを示しています。
 一方、東条、大学方面(兵庫教育大学)から西へ向かってくると、ここが山国と社への分かれ道だったのでしょう。
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鴨川小学校の前で

2007年02月21日 06時59分22秒 | Weblog

 加東市立鴨川小学校の前で車を止めて休憩をしました。ふと、小さな道標が目にとまり写真におさめました(写真)。
 「へんろみち」、「加東四国」の文字が読みとれます。加東四国八十八ヶ所巡りの道標なのでしょう。今は役目を終えて、学校に通う子ども達の元気な姿を見守っているようでした。
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弁慶のなぎなた石

2007年02月20日 06時44分15秒 | Weblog
ここにも弁慶伝説が・・・

加東市馬瀬の国道372号線脇の山中に弁慶のなぎなた石があります。
三草山の麓を走る国道が大きくカーブする地点に、三草山合戦のモニュメントがあります。その近くの山の中にこの石があります(写真)。
石の右の下に丸い穴があり、これは弁慶がなぎなたの柄を突き刺した跡だと言い伝えられているそうです。弁慶の強さを伝える伝説、遺物は各地に残っていますが、この石もその一つです。車で走っていると気がつきませんが、モニュメントのある場所には車一台ぐらいの駐車スペースがあるので車を止めて少し北に歩くと右側の山の中にあります。元はこの場所ではなかったと聞いています。
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この写真は?

2007年02月19日 06時37分31秒 | Weblog
ここに1枚の写真があります。
花自動車と思われる飾りの前に役員さんとおぼしおき方々と踊り子さんが整列して記念撮影をしているように見えます。
写っている人物などから、昭和30年代はじめの写真で、当時4月に行われていた社の花祭りではないかという説があります。しかし、定かではありません。
どなたか教えていただけないでしょうか。
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稲尾の道標

2007年02月18日 05時47分09秒 | Weblog
分かれ道 今昔

 加東市稲尾の分かれ道に道標が立っています。「右 志んまち」「左 きたの」と刻まれています。その横にカーブミラーが立っています。かつて、道を往来した旅人にとってこの道標は安全に目的地へ向かうために大切な役割をはたしてきたはず。今はカーブミラーが自動車の安全な通行に役立っています。
 
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山国の道標

2007年02月17日 04時52分51秒 | Weblog

 加東市山国、集落を東に抜けたところに一本の道標が立っています。高さは1メートルほどで遠くからもよく目立ちます。
 「左 大深山」「右 小田、脇川」と刻まれています。建立は大正15年とあるので、比較的新しい道標です。
 大深山は加東市松沢の東福寺のことで、この道標は中東条村松沢への道と下東条村小田へ通じる道のわかれ道にあたったのでしょう。
 
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孝女ふさの碑

2007年02月16日 07時23分51秒 | Weblog
修身教科書に取り上げられた「ふさ」

 加東市の下三草から上三草へと、旧京街道を歩いていると、上三草に入ったところ左手に大きな石碑の立つ一画があります。
 石碑は「孝女ふさ」の彰徳碑で、大正11年(1922)に建立されたものです(写真)。その碑文は徳富猪一郎の筆になるものです。徳富猪一郎は蘇峰の名の方が有名でしょう。国民新聞、近世日本国民史などで知られる戦前の大評論家、ジャーナリストです。
 「孝女ふさ」は戦前の修身教科書に「孝行」の模範として取り上げられていました(小学校修身書巻四の第八孝行)。さて、どういった文だったのでしょう。

「昔、播磨におふさという孝行な女がありました。家が貧しいため、八歳の時から、子もりなどにやとわれて、暮らしをたすけました。又父がざうりやわらぢをつくるそばで、わらを打って手つだひました。十一歳の時から、ほうこうにでましたが、主人からいただいた物は父母におくりました。又ひまがあれば主人のゆるしを受けて家にかへり、ねんごろに両親に仕へました」

 以上は『新修加東郡誌』に紹介されている文です。よく働いて親に孝行をつくすふさの生き方を紹介したものです。
 ふさは18世紀半ばに社村に生まれ、6歳のときに上三草村に養女に行きました。貧しい家だったので、子守りをしたり、奉公に出て一生懸命働きました。また、奉公のひまを見ては両親の世話をしていたのです。親への孝行ぶり、仕えた家への忠節に人々が感心し、庄屋さんを通じて殿様の耳にまで届きました。
 
 孝行、忠節という言葉を今は聞くことがほとんどありませんが、親を敬い、家族を大切にするというのは人としての基本だと思います。

 
 
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木梨の道標

2007年02月14日 07時01分06秒 | Weblog

 三草川と久米川(地図には千鳥川と表記してある)が合流する加東市木梨の落合橋の西のたもとに一本の道標が立っています(写真)。
 高さは約150㎝で、建立年は弘化3年(1848)と刻まれています。天保の改革、そして外国船の来航と、すぐに幕末が迫っていた時代のことです。
 道標には「右 ほっけさん」「左 浄土寺 小田(北西)」「左 きよみず寺」と刻まれています。京街道を往来する人々にとって、法華山一乗寺(加西市)や清水寺(加東市平木)、そして浄土寺(小野市)などの寺が目標となっていたことことが分かります。
 二つの川が落ち合うこの地点ですが、地元の方の話では改修されて昔の姿と違っているとのことでした。堤に植えられた桜が満開となる春が楽しみですね。
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下久米の道標

2007年02月13日 07時05分40秒 | Weblog
 加東市下久米、県道西脇三田線脇に一本の道標が立っています。いつも気になっていたのですが、今日はようやく車を止めて道標に「ご挨拶」をしました。
 建立年は亨和2年と刻まれています。1802年ですから217年も前に建てられたのですね。その2年後にヨーロッパではナポレオンが皇帝になっています。昨日紹介した加東市野村のお堂の道標とほぼ同じ頃に建立されたものだということもわかりました。
 道標には「南無観世音」「左 きよ水 右 大阪」と刻まれています。山陰から大阪へと通じる大阪街道筋にあったものでしょう。道標の真ん中あたりにセメントで修理をしたあとがありました。人間で言えば手術あと。200余年の風雪に耐えて、今も県道脇でしっかりと立っているその姿にあらためて敬意を表したくなりました。
 
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野村お堂の道標

2007年02月12日 06時47分42秒 | Weblog
 加東市野村のお堂の横に一本の道標が立っています。「左 きよみず 右 ほっけ山」と刻まれています。
 建立年は寛政9年と刻まれていますので、1797年、今から200年余り前のことです。寛政といえば、松平定信による寛政の改革が浮かんできますが、ヨーロッパではフランス革命が起きたころの話です。そんな時代に建てられ、今日まで立ち続けているのですね。
 時を経たもの。これを歴史とよびます。この道標はこれからも立ちつづけるのでしょうね。
 
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