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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

菓子の配給券-昭和18年5月

2007年01月31日 05時36分52秒 | Weblog
キャラメル、ボーロなど

 戦時中には菓子も配給になり、割当が決まっていました。
 昭和18年5月19日付で社町役場から各区長宛てに出された「五月分菓子配給」に関する通知によれば、22銭券(キャラメル)は3歳から10歳までの子供3人につき2枚強、また30銭券は1戸につき1枚強、という割当になっています。ボーロ券については、各区毎に目方により配給することになっているので、戸数、人口で配給されたし、という通知になっています。写真は、そのボーロの配給券です。
 ちなみに社区の配給量をみると、3歳から10歳までの子どもは475人で、22銭券は351枚、戸数が561戸で30銭券が620枚、ボーロ券50400枚となっています。これを21組で配分していたのです。
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昭和18年7月-ビールも配給に

2007年01月30日 05時57分23秒 | Weblog
購入時に署名捺印

 昭和18年(1943)7月、社町役場から区長宛てに、家庭用ビールの配給に関する通知があります。

 これによると、それまで業者によって自治的に配給が行われていたが、家庭用ビールの配給については、7月以降、清酒と同様に統制配給を実施せざるを得なくなった、というものです。

 配給の量は、清酒同様に戸数に対して行い、月毎の配給基準や量はその都度通知する、とされています。
・購入券は、家庭用1本、特別用(冠婚葬祭、入退営等)5本。
・価格は1本89銭(ビン携行)
・購入に際しては空瓶(王冠付)を持参すること
・購入者欄に必ず住所氏名捺印を忘れないようにすること
・7月分のビール購入券(1本券)は279枚(1戸当約半本弱)

以上の通りですが、279枚は社区(今の連合区)の配給量です。
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褌も配給-昭和18年

2007年01月29日 06時31分09秒 | Weblog
褌(ふんどし)の購入券と飛行機献納領収証-裏紙利用

 戦時中、諸物資が配給制になりましたが、褌(ふんどし)も配給になっていました。社区の「購入券配給書類」(昭和18年4月~19年3月)に綴じられた書類の裏に購入券を印刷したものがありました。4×4㎝ほどの大きさに区切られ、次の通り書かれています。

 期日 昭和十八年十二月二十一日限り
             (農林用)
              発行者印
 越中褌購入券

 一、価格    三十七銭
 一、衣料切符    五点
 一、販売店  三木徳次店

 裏紙を利用して「丸干割当」に関する配給の通知が出されています。その前の通知も裏紙が利用されていて、受領書が印刷されています。

 受領証

 一金
  但飛行機献納金トシテ
 右受領候也

  昭和十八年 月 日

    取扱者 加東郡社町長  合田常蔵

      殿


 戦時中には国民の献金によって飛行機を増産したようです。その献金領収証です。越中褌は戦前の日本人の男の下着でしたが、この下着まで配給制のもとに購入券で手に入れていたんですね。
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昭和18年-豆腐も配給に

2007年01月27日 07時06分59秒 | Weblog
月に一戸当たり約1~2個

 ここに「一般家庭用豆腐配給ノ件」と題した昭和18年(1943)4月31日付の社町長から各区長宛の通知があります。

 通知の内容は、加東地方事務所の指示により、今後、豆腐販売は切符配給制を実施することになったので、販売所、販売指定日時に購入するよう、また、万一その日時に購入しない場合は、無効になることを周知するように、というものです。そして、割当の基本が示されています。
 社区  一ヶ月 一戸当り約二個
 各 一ヶ月 一戸当り約一個

 4月分の豆腐配給割当が大字、戸数、割当数、購入店で示してあります。

大字 戸数   割当   購入店
社  560  979  社
山国 159  160  山国
松尾  39   39  社
出水  53   53  出水
田中  36   36  社9、出水27
鳥居  35   35  社
貝原  31   31  社
野村  61   61  社
西垂水 25   25  家原
窪田  94   94  家原
家原  78   78  家原
上中  69   69  社
梶原  41   41  家原3、社38
喜田  38   38  社

計 1319 1739
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上東條村の道路元標

2007年01月26日 05時23分11秒 | Weblog
今もひっそりと 

 加東市天神には、今も往時のにぎわいを伝える古い街並みが残っています。天神市街の南を東西に走る中国縦貫道、これにそって走る県道17号線の天神北交差点から100メートルほど北に向かって市街に入ったところに、西に上がる坂道(
倉谷坂)の分かれ道があります。ここに上東條村の道路元標があります(写真)。
 道路元標は、大正8年の「道路法施行令」で、国道や府県道の起点・終点の基準として設置されたものです。
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昭和12年1月25日-社区評議員会

2007年01月23日 06時30分28秒 | Weblog
社区評議員会の議事録を読む

 西浦倶楽部(社の西浦にあった)で、午後7時開会、11時閉会。出席者は区長、副区長、評議員15人、計17人。
 評議員会では、どのようなことが話し合われたのでしょうか。議事録を読んでみましょう。


一、区長会に於ける報告
一、小学校児童雨傘購入に関する件
一、千鳥川沿岸障害木払下に付処分の方法

区長会長席に就き開会を宣し去る19日区長会に於いて協議ありたる諸般の事項に付、先ず第一に予め御謀りして居ります税務署の西脇町へ奪取せんとして運動をなして居る事実明白となりたるに依り、之れが阻止対策として署長官舎の新築税務署の改築等を必要とする所以を町長より提示され、区長会は之れに同意を与えたる旨を述べ、事秘密に属するを以て可成ひそかに行動する必要なる意味を強調して了解を求め、次に小学校校舎は非常に破損し、茲に三四年も継続して放任する事の不可能なるに依り、改築のやむを得ざる時期に迫り居るに依り、之れを町債に依り改築する事に同意したる旨を報告し、尚融和会に関する主旨及び北部耕地整理組合を普通水利組合に変更するの意義等を説明し、区長会に於ける諸般の意味を説明並びに報告して了解並びに承認を求めたり。
小学校児童用雨傘購入に付いては児童の家庭より児童一人当拾銭以上を寄付的に出金せしめ評議員に於て取纏め本月中に区長澤に持ち寄る事とし不足額は協議費中より支出し児童二人に付壱本の割合□□様購入する事に決定す。
千鳥川沿岸障害木払下所置に就ては区長副区長土木掛りに委任し適宜の所置をなす事に決定し閉会す時に午後11時。

 以上の通りですが、税務署の移転について、西脇町の動きに対抗して社町が官舎新築や庁舎改築策を講じて対処しようとしていたことなど興味深い内容もありました。また、小学校児童用の雨傘の寄付なども話し合われています。最近は、傘の他に警報ブザーを新入生にプレゼントしているのではないでしょうか。当時の人が知ったら何というでしょう。
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昭和19年4月-社町常会

2007年01月22日 07時20分47秒 | Weblog
戦いぬく生活へ

 昭和19年(1944)4月の「社町常会徹底事項」をみると、長引く戦争、きびしくなる戦況下の生活のようすが伝わってきます。

戦いぬく生活へ
 決戦非常措置が決せられました。一億国民は今こそ生活の一切を挙げて戦力増強に邁進し一丸となって仇敵米英撃滅に邁進せねばなりません。私達は今までの生活に一層の反省を加へて戦ひぬく生活を力強く打建てましょう。

イ、一人残らず増産に挺身すること
 今こそ一億のすべてが全生命を打ち込んで増産戦に戦ひぬかねばならぬ時です。一人のなまけ者があってもありません。女子も此の際一段と奮起して、まだ挺身隊に入らぬ者は一刻も早く加入して進んで重要な軍需工場などで働きませう。

ロ、空襲への不断の準備を整へること
 不意の空襲に対して常に万全を備へを怠ってはなりませぬ。又、都市から疎開しても来る人に対しては住居や職業の斡旋など温かな思いやりでお世話をしませう。

ハ、私事の旅行は一切やめること
 鉄道肇輸送機関はすべて戦力の為の重要な物資や生活必需品の大増送をせねばなりません。此の為旅客れっさっはぐっと減り□□□不明□□□通学者など本当にやむを得ない旅行以外は乗車が困難になります。遊覧や買い出しなどはもちろん、訪問や面会などの私事旅行は此の際絶対に止めねばなりません。

ニ、空地は一寸も余さず増産に役立てること
 あらゆる空地を利用してあますことのなき様に致しませう。今年も航空機になくてはならん潤滑油を作るためヒマを大に栽培せねばなりません。種子は各家庭に配給されますから空地利用の食糧増産とにらみ合わせて適当な場所を選んで昨年の倍以上に是非とも栽培致しませう。

ホ、生活を徹底的に簡素にすること
 私たちの日常生活を真に質素本意の簡素なものとしてこそ力強く明るい戦い抜く生活が生まれます。先ず従来の食生活の習慣にとらはれず食糧を完全に活用する工夫をいましょう。また、衣類や家具などは手持ちのものを構成し不要なものは出来るだけお互いに融通し□□物の死滅をなくしませう。

 以上です。今の平和で豊かな日本の生活と比べると本当にきびしい状況だったんだなあと思います。このような史料を読むにつけ、先人のたどった苦労のあとを知っておくことは大切なことだと思います。
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昭和18年-必勝を期して③

2007年01月17日 06時26分38秒 | Weblog
必勝宣言

 以下は、昭和18年1月30日に開催された加東郡部落会長町内会長懇談会で出された宣言です。宣言の文言一つひとつから、大東亜戦争の必勝完遂を期して、国民生活や精神を統制していこうとする当時の雰囲気が伝わってきます。
 しかし、裏返せば厳しくなる戦時下の生活に不平や不満もたまっていたということでしょうか。近頃、60年余り前に大東亜戦争があったことさえ知らないという若者が増えたと聞きますが、当時の生活を体験されたお年寄りが元気でおられる間にぜひ直接体験談を聞かせていただきたいと思います。


大東亜戦争決戦ノ新年ニ祭シ我等ノ断乎タル決意ヲ茲ニ宣言ス

一、一億国民!熱火ノ総進軍開始!!宿敵米英ヲ撃滅シ宸襟ヲ安ジ奉ルベキ時今来レリ 皇国民ノ限リナキ戦力ヲ発揮セントス

一、前線皇軍ノ勇戦力闘ニ応ヘテ アクマデ生産増強シ勝ツテ勝チ抜イテ敵ヲ完伏セシメントス

一、国内即チ戦場ナリ 総テガ戦争生活ダ 「ゼイタク」ハ敵ダ 不平不満ハ国賊ダ 勝チ切ル為 総ユル困苦欠乏ニ耐ヘ生活切下ヲ断行セントス

 右宣言ス

  昭和十八寝ん一月三十日
     
     加東郡部落会町内会長一同
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昭和18年-必勝を期して②

2007年01月16日 06時22分07秒 | Weblog
必勝決議-ゼイタクは止めだ!

 昭和18年1月30に開かれた加東郡部落会長町内会長必勝態勢確立合同懇談会の決議を紹介しましょう。

加東郡部落会長町内会長必勝態勢確立合同懇談会決議

我等ハ昭和十八年一月三十日ヲ大東亜戦争決戦生活ノ再出発日トシ銃後即戦場ナリノ信念ニ徹シ前線神兵ノ勇戦敢闘ニ応ヘテ左ノ眼目ノ徹底実行ヲ期ス

一 敵モ必死ダ 我等モ必死ダ 勝ツテ勝ツテ勝チ抜ク為ニ我等ノ持テル総テヲ征戦貫徹ノ要請ニ捧ケ以テ一億総進軍ノ実ヲ挙ケ皇国民一億奉公ノ重責ヲ完遂ス

一 増産ダ 皆働ダ 今コソ我等カ精魂ヲ発揮シ力ノ限リ職域奉公ニ挺進シ 以テ臣道実践ノ重責ヲ完遂ス

一 「ゼイタク」ハ止メダ 不平不満ハ言ハヌ 勝チ切ル為ニ総ユル困苦欠亡ニ耐ヘ 生活程度ノ切下ヲ断行シ勤倹力行戦費調達重責ヲ完遂ス

一切合財理屈抜ニ実践ダ 理屈ハ米英ノ産物ダ 我等ハ奉公ノ実践ダ断乎コノ眼目ヲ敢行シ挙郡一丸不倶戴天ノ宿敵米英撃滅ニ挺進垂範スルコトヲ茲ニ厳粛ニ決議ス

     昭和十八年一月三十日

         加東郡町内会長一同

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昭和18年-必勝を期して

2007年01月15日 06時36分16秒 | Weblog
加東郡部落会長・町内会長が合同懇談会

 大東亜戦争開戦2年目の1月30日、社町社区公会堂において加東郡部落会長・町内会長が合同懇談会が開催されています。
 懇談会では町内会の活動、常会の運営などについて情報交換、懇談を行ったのち、戦時における町内会の目的が確認されています。

 そこで掲げられた目的は以下の通りです。

1.隣保団結の精神に基き市町村内住民を組織結合し万民翼賛の本旨に則り地方共同の任務に遂行せしむること
2.国民の道徳的錬成と精神的団結を図るの基礎組織たらしむること
3.国策を汎く国民に透徹せしめ国勢万般の円滑なる運用に資せしむること
4.国民経済生活・地域的統制単位として統制経済の運用と国民生活の安定上必要なる機能を発揮すること

  
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スパイの警戒

2007年01月14日 06時29分40秒 | Weblog
昭和19年-通信防諜の回覧から

 昭和19年の後半のものとみられる「隣組回覧」ビラがあります。大阪通信局と近畿地方各府県名で出されたもので、「通信防諜」に関する内容になっています。

 「もしお互がこんな通信をすれば」、敵国に通じたスパイがそれらを収集して宣伝、謀略活動に使われ、わが国の不利になるの、という注意が書かれています。
 「通信してはいけない事柄」として、次のような事例が掲げられています。

●召集、入営の状況
(例文)
 太郎も10月25日中部大234部隊(戦車隊)の役2千名に及ぶ召集者の一員に入り・・・

 この文面では、「戦車隊」と「2千名」が書いてはならないこととされています。

●軍事産業の内容
(例文)
 私の長幼された山川工場は従業員60人で戦車を製作しています・・・

 この文面では、60人、戦車がダメです。

●軍事施設の状況
(例文)
 今度大和村の飛行場ができることになりました。兵隊が沢山来ています。格納庫も建築中です。

 この文面では、飛行場、格納庫がダメとなっています。

●流言蜚語
(例文)
 なんでも親子5人暮らしの人が食糧に困って隣家へ忍び入り米一升盗ったのを巡査に調べられて親子心中をしたそうです。

 この文は全面ダメとなっています。

●防空警報発令日時、地域等
●船舶航空機の動静など

 今の日本にはスパイ防止法のようなものがないので、スパイ天国と言われています。戦争当時の日本と平時の今と単純に比較はできませんが、60余年前には、こうした「防諜」があったということをあらためて知る資料です。
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銀の大動員-昭和19年

2007年01月13日 07時18分00秒 | Weblog
戦争に勝ち抜くために

 昭和19年(1944)になると、アメリカ軍機による日本本土空襲が激しくなるなか、国民生活も物資不足で苦しくなっていました。
 このような状況のなかで、兵器生産のために金属の供出が行われました。ここに「銀の大動員」を呼び掛ける回覧用のビラがあります(写真)。

 ビラの発行者は大蔵省、内務省、軍需省、兵庫県、社団法人中央物資活用協会となっています。ビラの内容は次の通りです。

銀の大動員 - 今や勝敗の鍵は懸つて航空決戦に在ります
 皆さん 銀を出しませう、銀を!

 敵は我が表玄関に迫りつつあります。最早一瞬の躊躇をもゆるしません。私共は断乎これを撃砕すべく邁進の一途あるのみです。刻下の急務は航空機等の生産に必要な大量の銀を供出し一刻も早く前線へ一機でも多くの新鋭機をどしどし送り込むことです。就ては左記事項を篤と御覧願つて、この際全国各家庭の隅々からたとへ一匁の銀でも余す所なく之をお国の御用に立てますやう十二分の御協力を願います。

◇回収物件
 銀製品の室内装飾品、化粧用品、装身具、食器、菓子皿、喫煙用具、文房具、外国銀貨、古銭其の他銀であれば何でも結構です。

◇買上方法
 政府の買上代行機関たる社団法人中央物資活用協会の買上班が出張して買上ます。

◇買上値段
 政府で定めた価格
  銀製品  純銀量一匁ニ付     三十五銭
  銀地金    〃          十七銭五厘五毛
  金    純金量一匁ニ付  十四円四十三銭七厘五毛

◇代金支払
 現品を持参して頂けば其の場で鑑定秤量の上即時現金で支払ひます。

 以上のような内容です。
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昭和20年1月の常会

2007年01月12日 06時34分21秒 | Weblog
大東亜戦争最後の年のはじめに-

 1月には、各集落で初総会が開催されています。役員人事をはじめ、行事計画や予算など重要なことがらが協議されます。

 今から60年余り前、昭和20年(1945)の1月、社区でも常会が開催されています。この年の8月には大東亜戦争が終結するのですが、その年の始めの常会ではどんなことが協議されたのでしょうか。

 昭和二十年一月八日 常会

一、年頭挨拶
二、徹底事項
三、予科練軍隊ニ供出ノ鶏肉代ノ件(農会ヨリ供出)
四、公会堂借用申出ノ件
  健民修練道場ノ件
  栗栖部隊幹部候補生兵舎ノ件
五、生姜代 不足金一四六円余 補償奨励金トシテ支出
六、海軍省ヨリ区民宛感謝状ノ件
七、第十六回戦時貯蓄債券(七円五十銭)
   富籤当番号  一〇一三四二号ノ件
八、綿代 銀代 ドラム缶運ビ人夫
九、
一〇、松根掘ノ件
  各組ニ月割当スルコトニ決定
一一、鶉野出役ノ件
  免除者ノ説明ヲナシ 適当者ヲ報告スルコト 明後日中ニ報告スルコト

 以上の次第で開かれています。年頭の挨拶以外は、戦時の国民生活のようすが伝わってくる内容ばかりです。一月の徹底事項の内容を見てみると、

『聖戦第四年目です。一億の体当で突進しよう』というスローガンが掲げられています。そして、麦の手入れと藁工品の増産、アルミ貨、銀の供出等が挙げられています。

 
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