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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和18年-清酒配給世帯当4合

2014年07月31日 05時21分30秒 | Weblog

 昭和18年(1943)、3月分の家庭用の清酒の配給に関する通知が社町長から各区長に出されています。昨日は精肉の配給がきびしくなっている状況を紹介しましたが、清酒も1ヶ月に世帯当たり約4合となっており、戦時下とはいえ、こうした食料や物資の配給もきびしくなっていたことがうかがえます。次の通知には、各への割当表が添付されており、例えば、社地区は560戸に対し、235本の割当量おされています。区長が適当に常飲者に購入券を配布するように、とあります。

 

昭和十八年三月十三日

                     社 町 長  合 田 常 蔵

 三月分一般家庭用酒割当及購入券送附ノ件

首題ノ件二月八日町常会決定通リ割当候条前月同様貴職ニ於テ適当ニ常飲者ニ交付相成度

基本一世帯当=約四合強

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昭和18年ー精肉の配給もきびしさ増す

2014年07月30日 05時05分58秒 | Weblog

 戦時下の昭和18年(1943)、精肉の配給もきびしさが増してきていることが通知の中に表れています。当時の社町社区の配給関係文書綴に精肉の配給に関する通知が綴じられており、その中に全戸分の配給が出来ないので残りは次回に回すという一文があります。一戸当たり50匁(187,5グラム)で、包みも50匁で行われていました。1組から9組までは山本精肉店、10組から11組は中村精肉店、12組から21組は藤野精肉店が指定店になっています。現在も営業を続けているのが藤野精肉店です。それにしても少ない物資、食糧を如何に全員に、かつ公平に配分していくか、当時、その役に当たった区長さんや隣保組長さんも大変だったろうと思います。

 昭和十八年三月十六日

                  社町長 合田常蔵

各区長殿

    三月分一般家庭用精肉配給ノ件

今回地方事務所ヨリ精肉配給要項指示セラレ世帯単トシテ配給量ハ五十匁トスルモ全戸ニ配給出来ザルニ付キ残戸ハ次回配給スル事ニ相成候条一般ニ伝達相成度候猶配給方法ハ指定店ニ於テ全部五十匁包ニシアルニ付キ各取マトメ購入ノ上隣保配給相成度但シ隣保ニマトメ購入ノ場合ハ区長責任ノ購入券ヲ交付シ購入セシメラレタシ

 割当基本 二戸ニ対シ五十匁券一枚

        社区ハ十戸ニ対シ五十匁券六枚

 

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昭和18年-焼酎の配給

2014年07月29日 05時58分04秒 | Weblog

 戦時中の配給について、今日は家庭用焼酎の配給に関する通知を紹介します。昭和18年(1943)、社町長から各区長に対して出された、一般家庭用焼酎の配給に関する通知です。指定販売店の名前も欄外に書かれています。山本酒店、肥田酒店、三木商店の3店です。清酒の配給通知はこれまでにも紹介してきましたが、焼酎も同じように配給していたんですね。

 

昭和十八年二月二十二日

                              社町長  合 田 常 蔵

各区長殿

  一般家庭用焼酎割当配給ノ件通知

二月分トシテ左記割当表ノ通リ配給有之候就ハ精酒ト同様戸数ニ割当候条常飲者ニ配給相成度猶販売所ハ指定ノ所ニ於テ購入相成度購入券ハ五合券ト相成居り候

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昭和6年-社町家畜市場で牛の削蹄・調教実習

2014年07月28日 05時43分03秒 | Weblog

 小さい頃、母親の実家では牛を飼っていて、農作業に使っていました。大人が村の中の道を牛を追って歩く光景や庭に繋がれた牛が尻尾でハエを追い払っている姿を妙に鮮やかに記憶しています。また、我が家のすぐ近くに牛市場があり、毎月4のつく日だったか、はっきりしませんが牛市が開かれ、朝の早くから牛が集められその鳴き声や道に糞が落ちていたことも覚えています。

 さて、昭和6年(1931)、社町の牛市場で牛の削蹄や調教の実習が行われています。当時の社町社の区長雑書綴にその件が書かれた文書が綴じられています。調教では縄の使い方の実習が行われたようですが、まだ慣れない若い人が牛を動かそうとすると、牛は田圃の真ん中で知らん顔をしててこでも動かなかった、という話をよく聞きました。

一、牛ノ削蹄並調教実習ノ件

 左ノ日割ニ依リ広島県神石郡ノ赤木正夫氏指導ノモトニ実施指導ヲナス

 三月二十六日、二十七日、二十八日ノ三日間

   社町家畜市場ニ於テ毎日午前八時三十分ヨリ午後四時迠トシ午前中ハ削蹄午後ハ調教

   調教トハ縄ノ使方、追ヒ方、進行中ノ止方、廻シ方、姿勢ノ作り方

 

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今年も無事に御大神宮さん-佐保神社境内で

2014年07月27日 04時55分35秒 | Weblog

 25日(金)の夜、加東市社の佐保神社の境内にある小宮の一つ、御大神宮さんの祭りが行われました。毎年7月25日に加東市社の田町筋の中田町(なかたまち)町内会が御大神宮さんのお祭りを行っています。田町筋は社市街地の中央から東に延びる道筋で、かつては商店が軒を並べ、社市街で一番の賑わいをほこっていましたが、現在は商店も少なくなり、静かな住宅街に変わっています。西田町、中田町、東田町と3つの町内会があり、そのうち、中田町町内会が御大神宮さんを祀っています。

 この御大神宮さんの由来はこれまで何度もこの歴史ブログで紹介してきましたが、年に一回のお祭りですので再掲します。次の通りです。 

 この小宮について、故・服部千代子さん(中田町)はこんな言い伝えを紹介しています。
 江戸時代のはじめの頃、ある日、空から御幣がひらひらと舞い落ちてきたので、人々は「これは勿体ないことだ。おろそかにできない」と、お金を出し合って家の前に小さな祠を建てたそうです。小さいながらも玉垣で囲って立派なものだったといいます。その後、昭和のはじめになって、田町筋(県道)を清水行や三田行の定期バスが通ることになり、幅5メートルほどの道の真ん中あたりまではみ出していた祠を移転することになりました。当時の町内会長さんが佐保神社の宮司さんに相談を持ちかけたところ、佐保神社の境内に移すことになったのです。
 服部さんの手記では、「遠い昔、江戸時代の初期だったかもしれません」と書いてあり、時期ははっきりしていません。「空から御幣がひらひらと降ってきた」から思い浮かんでくるのが、お伊勢参りとの関係です。伊勢信仰は江戸時代に絶頂を迎えます。全国各地から人々はお伊勢参りの旅にでかけました。その信仰を広めるために各地にお札を配っています。元禄時代にはお札を各地に降らしたという記録もあるそうです。中田町に降ってきた御幣もそうしたものだったかもしれません。 こうして田町筋につくられた御大神宮さんの祠が佐保神社の境内に遷されたわけです。

 もう一つ、御大神宮さんについて歴史を紹介します。それは玉垣に刻まれた「加東米穀取引所」という字についてであります。
 
 加東米穀取引所とは?これは明治中頃から大正初期まで田町にあった米の取引所の名前です。当時の米の取引といえば、大阪の堂島が知られていますが、兵庫県では、神戸や姫路、そして社の取引所で行われていたのです。田町通りはこの米穀取引所に集まる人たちで賑わったそうです。電信や電話が発達していなかった頃、大阪の米の相場を旗振りで知らせたというのです。大阪から神戸、そして志方の城山などを中継して、社の田町通りに建てられた櫓から望遠鏡でのぞいて値段の上下を知り、それを小僧さんが大声で知らせてまわった、といいます。城山から社までは地図上で測ってみると、直線で約14キロほどです。本当に見えるのかを実験した方があり、結果は十分見えたそうです。

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上田の天神祭-子供達が祈祷を受ける

2014年07月26日 05時57分47秒 | Weblog

 

 加東市上田地区で天神祭りが行われました。朝から地区内を子供御輿が巡行し、夕方5時前には、子供達があらためて天満宮に集合しました。

 天満宮は加東市上田の正覚院の境内にあり、菅原道真公の自画像をお祀りするお宮さんです。石鳥居のそばに「御自画像天満宮」と刻まれた石柱が立っています。菅原道真公が九州太宰府に左遷されるときに書かれた自画像で、その後数奇な運命を辿ってこの上田の正覚院の境内に宮を建て祀られているということです。

 5時になると、子供達は拝殿に並んで坐り、お坊さんが入ってこられるのを待ちます。やがて、正覚院住職をはじめ、教王院、神咒寺(東古瀬)、善龍院(社)の僧侶5人が入場し、祈祷が始まりました。境内に大般若経の転読の大音声が響く間、子供達は神妙な面持ちで静かに坐っていました。その間約40分。

 お経が終わると、正覚院の片山住職によるお祓いを受けました。その際、住職は菅原道真公のことを話され、続けて「よく勉強して賢くなるように。しかし、賢くなるだけではだめ。友達と仲良くすること。悪いことをしてはいけません」など大事なことを教えておられました。その様子を見ながら、これが本当の道徳であり、道徳の基盤になることだと思いました。郷土の身近な神仏の居ます神聖な空間で健やかな成長を祈る行事がこうして行われ、子供達が大事に育てられる。上田地区の子供達は幸せだと感じました。

 子供達はこれから秋祭りの獅子舞の練習に入るということでした。地域で、伝統行事を継承しながら成長していく素晴らしい姿を見ることができました。

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昭和5年-陸軍宿営で安価木炭購入

2014年07月25日 05時06分07秒 | Weblog

 昭和5年(1930)の秋、陸軍が演習のために社町に宿営することになり、そのために使用する木炭の購入に関する通知が社町役場から各区長に出されています。その数は、将校92名、下士卒1463名、馬300頭とあります。

 兵隊は各家の土間などに蓆をなどを敷いて泊まるのですが、そこで木炭を使います。使用する木炭は1名1夜分に7銭が支払われます。通知文は次の通りです。

 昭和五年十月二十一日

                             社 町 役 場

社区長 殿

   木炭安価購入ノ件通知

来ル十一月二日軍隊宿営時使用セラルル木炭ヲ安価ニテ本町役場ニテ買入居リ候条萬一ニ於テ共同購入セラルル様ナレバ御使用被下サルル様此段及通知候也

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昭和16年-アルミ・アルマイト製品の配給

2014年07月24日 05時18分42秒 | Weblog

 昭和16年(1941)12月19日、12月8日の大東亜戦争開戦から10日ほど後の日付で、社町長から各区長宛てに「アルミ・アルマイド製品購入券送付」に関する通知が出されています。

  昭和十六年十二月十九日

                  加東郡社町長  合 田 常 蔵

各区長 殿

 「アルミ」「アルマイド」製品購入券送付ノ件

今回標記アルミ、アルマイド製品購入券一部到着致シ候条左記割当通リ送付候也

尚製品極ク一部ナレバ是非必要トスル家庭ヘ御配布相成度特ニ申添ヘ候

  左記割当表

寸銅鍋 一    家庭鍋 三    朝顔鍋 三    並製湯沸 二    特性湯沸 三    菜入 八    パンフライ 一    飯盒 一    卵焼 一    水筒 三    スキ焼鍋 一    コップ 八    飯蒸 一    杓子 一〇    特性弁当箱 二    羽釜 四    並製弁当箱 二    合計 五四

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昭和17年-新巻サケの配給

2014年07月22日 05時20分49秒 | Weblog

 また戦時中の配給に関する資料を紹介します。社町社区(現加東市社)の昭和15年12月から18年3月までの購入券配給関係書類綴です。その中に昭和17年(1942)の新巻サケの配給に関する通知が綴じられています。塩サケの配給割当は1戸当たり役140匁となっています。約500グラムです。

 

 昭和十七年五月四日

                 社町長   合 田 常 蔵

各区長殿

    新巻サケ購入券送付ノ件

今回本町ニ新巻サケ(塩サケ)ヲ配給相受ケ候就ハ貴ヘ別紙購入券ノ通リ割当候条各区ニ於テ一括シ購入ノ上各戸ニ適当ニ配給相成度(一戸当約百四十匁)

二伸 商店ニ於テ切売セバ代価相当高価ト相成ル由面倒ナガラ各区ニ於テ切分ケ相成度

一貫当リ金参圓三拾銭ノ割  

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明治館(旧加東郡公会堂)で播州音頭踊保存会発表会

2014年07月21日 04時50分47秒 | Weblog

 20日(日)午後1時から、加東市社の明治館で県下播州音頭踊保存会の第21回研究発表会が開催されました。この歴史ブログでは、旧加東郡公会堂時代にこの建物で開催された各種会議や催し物を紹介してきましたが、今日はいつもとちがい、明治館と改名された現代の建物で開催された伝統芸能の催しを紹介します。

 会場の明治館は、明治45年に加東郡公会堂として建築された由緒のある建物です。加東郡会議や各種会議、講演会、活動写真会(映画会)などが開かれ、加東郡の政治、経済、文化の殿堂としての役割を果たしてきました。公会堂が建築される前は、明治のはじめに八城小学校が建てられていました。

 さて、演目は次の通りです。

神崎与五郎東下りの段 社播州音頭踊り保存会

東條音頭       東條播州音頭踊り保存会

岸壁の母       吉川播州音頭保存会

佐渡情話       加西市播州音頭踊り保存会

須磨の仇波      三木吉川音頭保存会

天野屋利兵衛     小野市播州音頭踊り保存会

壷坂霊険記      社播州音頭踊り保存会

楠公父子別れの段   東條播州音頭踊り保存会

黒田武士       吉川播州音頭保存会

佐渡情話       小野市播州音頭踊り保存会

お俊伝兵衛      社播州音頭踊り保存会

 

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昭和13年-遺骨凱旋通過の出迎え

2014年07月20日 05時45分11秒 | Weblog

 昭和13年(1938)の年末、郷土出身兵が遺骨となって無言の凱旋をするため、その出迎えに関する通知が出されています。凱旋するのは隣の上福田村(今の加東市上福田地区)出身兵ですが、社町駅から社町の市街地を通過していくために、その沿道、社町三階楼(現在の加東市社南本町、佐保神社前の交差点)から柏木病院(佐保神社坂下)の県道に沿って各種団体、学校の生徒らに出迎えるよう要請したものです。

 今もこの道路は交通量が多く、車や自転車、歩行者が行き交います。三階という地名は若い人には通じないかもしれませんが、76年前にはこの地をこうして無言の凱旋をした郷土兵も少なくなかったのですね。

 昭和十三年十二月四日

                                    社 町 役 場

各区長 各官衙長 各学校長 各種団体長 殿

  遺骨凱旋ニ付出迎ニ関スル件

明五日午後一時社町通過ノ予定ヲ以テ上福田村戦死者遺骨無言ノ凱旋相成可候条貴民貴団体員貴校生徒貴職員ハ社町三階楼前ヨリ柏木病院付近迠御出迎相成様御通達申上候

 追而 各戸ニハ国旗ヲ出サシメラレ度申添ヘ候

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夏休みとともに-今年もクマゼミ羽化

2014年07月19日 05時21分57秒 | Weblog

 夏休みが始まる。合わせるかのように今年も前の庭の生垣辺りにクマゼミが羽化し始めました。夏の夕方、地中から幼虫がごそごそとはい出してきます。やがて、木やブロック塀、家の壁などによじ登り始めます。暗くなる頃には、枝の先や塀の上、軒下辺りまで登りつめ、しっかりと身体を固定します。そこから長い時間をかけて羽化を始めます。

 早朝、抜け殻のそばにまだ乾ききっていない緑の羽を伸ばしたクマゼミがじっととまっています。ここ2日ほどで、一気に羽化を始めました。まだ、あの賑やかな鳴き声は聞こえませんが、夏休みとともに夏本番を知らせてくれるクマゼミの羽化が始まりました。

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昭和11年-佐保神社で入営団兵の奉告祭

2014年07月18日 04時26分20秒 | Weblog

 先日、地元の遺族会の皆さんと話をする機会がありました。皆さんは兵役経験のある方や遺児の方々ですが、戦死の年月日や戦死の地、葬儀の記憶などをお互いに語り合っておられました。遺児の皆さんも高齢になり、そうした体験談を聞かせていただく機会も少なくなってきましたが、郷土から出征され、戦死された多くの方が居られたことを後世に伝えていかなくてはならない、との思いを持っておられます。そうした思いに応える意味も込めて、この歴史ブログでは、市内の忠魂碑や戦前の郷土兵関係の資料を多く紹介してきました。今日も昭和11年(1936)の郷土から陸軍、海軍に入営・団してく兵隊の奉告祭についての資料を紹介します。

 

 昭和十一年一月七日

                             社 町 長

町会議員

町   長     殿

各種団体長

  入営兵奉告祭ニ関スル件

来ル一月九日午前八時三十分(時間厳守)ヨリ縣社佐保神社前ニ於テ左記昭和十一年度入営団兵奉告祭ヲ挙行可致候条御多忙中且厳寒ノ折柄ニ候ヘ共御参列相成度此団御案内申上候

 追而 御部内一般ヘモ多数御参列相成様御配慮ヒ下度尚当日入営兵アルハ夫々行事モ有之ト存ゼラレ候モ前期時限迠御集合相成様取計レ度特ニ御願申上候

   記

一、社駅発時刻  九日午前九時二十三分

一、入営者氏名

イ.歩三九 九日出発

大橋初治(出水)  加古正次(社)  近藤喜男(社)京都府ヨリ入営  中西武(貝原)  石井千太郎(社)

ロ、野砲一〇 九日出発

長谷川勇(野村)

ハ、歩三九(補助看護兵)九月一日入営

吉田勲(鳥居)

一、海軍

水兵(一月十日入団) 堀内正雄 大阪ヨリ入団(田中出身)

機関兵(六月三十日入団) 藤本廣治(家原)  石原八郎(野村)

一、輜重兵特務兵

二月一日入営 井上辰治郎(山国)   十月一日 田中昌次(社)

 

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昭和18年-油揚の配給

2014年07月17日 04時54分48秒 | Weblog

 連日にわたり、戦時中の配給に関する資料を紹介していますが、今日は昭和18年(1943)の秋、油揚げの配給に関する通知が出されています。一九〇〇枚が町内の21組、計560戸に配当されています。私の住む中田町(なかたまち)は32戸で、117枚ですから、1戸あたり3.6枚ということになります。油揚げ1枚でも食糧不足の中、公平に配給していたんですね。通知文は次の通りです。

昭和十八年十一月二十日

                     社 町 役 場

社区長殿

  油揚配当ノ件

左記ノ通リ配当候条御了知相成度

  記

一、配当数量   一九〇〇枚分

二、基礎      人口

三、配給書    同封

 

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昭和18年-家庭用金物の購入券配当

2014年07月16日 03時59分52秒 | Weblog

 昭和18年(1943)の年末、家庭用の金物類の購入券の配当が行われています。この年の8月にも行われており、当時貴重だった金属製の日用品が配給となっていたことをあらためて知ることができます。新しく家庭を持ったもの、必要な順位をつけて配当するようにとの配慮も求められています。その通知文は以下の通りです。

昭和十八年十二月十四日

                           社町役場

社区長殿

    家庭用金物購入券配当ノ件

標記金物購入券別表ノ通リ配当候条左記ニヨリ配給相成度

    記

一、配給順位ハ新家庭(当方へ申請ノモノハ除ク)ヲ第一トシ次ニ最モ必要トスルヲ優先的ニ配布セラレ度

一、配布終了後ハ金物品名及氏名ヲ御報告相成度

寸胴鍋     21
段付鍋      5
標準釜      3

牛乳沸     2
特製湯沸    7
蒸釜       3
弁当箱    46
飯盒       1
水筒       2
コップ     17
杓子      18

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