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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和7年-天理教本部団体参拝・見学②

2014年05月31日 05時02分26秒 | Weblog
 昭和7年(1932)、天理教青年会の社支会と婦人会の社委員部長名で教会本部への団体参拝、見学への参加依頼を紹介していますが、今日は、その行程を記した部分を紹介します。
 文中のボーギー車とは、台車が回転するようになっている鉄道車両のこと。また、丹波市とは現在の丹波市ではなく、天理教本部が置かれた山辺郡丹波市町のことです。
 行程を示した文書は次の通りです。

期日 三月廿六日(土曜日)午前六時-七時 播丹線各駅ヨリ定期車並ニ臨時車ニヨリ(省線ボーギー車ヲ播丹線内ヘ乗入出来ザルニ付)加古川駅集合
仝八時卅分 加古川駅始発 特別臨時列車(ボーギー車十三輛仕立)ニテ一路丹波市ヘ(着-午後一時)==天理教々教会本部参拝・天理教校(男女二〇〇〇名在学)・天理図書館・天理外国語学校・仝女子学院・天理中学校・仝夜間中学校・仝女学校・仝小学校・仝幼稚園・仝託児所・印刷所・各信徒詰所等見学==終ツテ宿所ヘ入ル

宿舎 宿舎ハ各教会ノ『信徒詰所』ニ致シマス。本部所在地ノ三嶌ニハ多クテ五〇〇〇名、少クテ数百名ヲ収容シ得ル「信徒詰所」ガ六十余ヶ所アリマス。私共ノ宿舎ハ『兵神詰所』デス。詰所ニハ室ハ勿論食堂ハ一時ニ数百名ノ食事ガ出来マス。浴場ハ男女別デ各々数十名宛入浴出来ル「タイル張り」ノ浴槽ガ設備されてイマス。食費ハ宿費等一切デ一食廿銭デス。
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昭和7年-天理教本部団体参拝・見学①

2014年05月30日 04時26分33秒 | Weblog
 昭和7年(1932)2月、天理教青年会の社支会長、同婦人会の社委員部長名で天理教教会本部への団体参拝と見学への協力願が当時の社区長文書綴に綴じられています。今日はその協力依頼文を紹介します。

粛白 旧春の砌 貴兄姉益々御勇健の御状邦家の為め大慶至極に奉存候
 扨て別記の如く兵庫県下に於て二〇〇〇〇名団体を組織し、参拝と見学を計画致し居り候 現下 皇国の多端なる折柄、一層心身の剛健と真実を要することに有之候得ば御協賛、共々右団体に御参加被成下様御願申上げ度く存じ候に就ては、貴下はじめ役員諸彦の御配慮と御援助を賜はり度く御願申上ぐる次第に御座候
 追伸 本文書に於ては日程の概要と既決の事項を申上ぐる事にて、乗車賃金、発着時刻等詳細は近々御報申上げ候へ共最低額を以つて万全を期すべく候
 団体に関する御問合せ、打合せ等は御報知被下次第直ちに係員御伺ひ申上候間御力添へ希上候、尚ほ御希望の点有之候はばお聞せ被下度候

 昭和七年二月  日   
           天理教青年会
             社 支会長  市 枝 定 雄
           天理教婦人会
             社 委員部長 市 枝 そ の

    
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昭和7年-軍艦三笠保存講演映画会

2014年05月29日 05時03分21秒 | Weblog
 昭和7年(1932)3月16日の社町区長会で、「三笠保存講演映画会」の開催について協議されています。言うまでもなく、三笠は日露戦争の日本海海戦で勝利した日本の連合艦隊の旗艦です。
 当時の雑書綴に綴じられている区長会協議事項には次のように記されています。

二、三笠保存講演映画会開催ニ関スル件
軍艦三笠保存会ハ三笠保存ノ趣旨徹底海軍思想鼓吹国民精神作興及寄付金募集ノ目的ヲ以テ本月十九日本町(一郡一ヶ所)ニ於テ映画会開催ノ筈ニ付御助力アランコトヲ望ム

 講演映画会の実施要綱は次の通りです。

場所    社町元郡公会堂(※現加東市明治館)
日時    三月十九日午后六時開会
講師    三笠保存会嘱託海軍 鹿江少将外一名
主催及講演 三笠保存会 兵庫県及各町村
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昭和6年-貧困児童へ就学奨励金

2014年05月28日 03時51分40秒 | Weblog
 NHK朝の連ドラ「花とアン」では、明治から大正時代の甲府の貧しい農家の暮らしぶりが描かれており、学校へ行けない子供や子守をしながら通う子供、弁当も持っていけない子供もいました。
 昭和初期、6年(1931)に貧困家庭の児童に就学奨励金を交付するための調査依頼が社町長から各区長に出されています。その通知を紹介します。

昭和六年四月十三日

                   社 町 長

各部落区長 殿

  就学奨励金交附ニ関スル件

家計貧困ニシテ就学セルモノニ対シ例年貧困児童奨励金ヲ交附致居候ニ付テハ昭和五年度就学児童中貴ニ於テ該当者(貧困児童)有之候ハバ交附上ノ参考ニ資シ度候条別記報告書ニ依リ御調査ノ上御回報相煩度御多用中ヲモ顧ミズ御依頼ニ及候也(報告期限 四月二十日)
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加東伝の助のエプロンでー社高女子生徒

2014年05月27日 05時22分28秒 | Weblog
 24日(土)、加東市花と緑のまつり「花卉盆栽展」が加東市社のステラパークで開催されました。会場には市内各種団体のブースが並び、見事なさつきの盆栽だけでなく、味覚も楽しめました。
 こうしたイベントに毎回顔を見せているのが、県立社高校の生活科学部・家庭クラブの女子生徒の皆さんです。お揃いの赤いエプロンを着けて三草茶入りクッキーやケーキを販売しています。
 今回も一緒に写真を撮りましたが、赤いエプロンのデザインが目に止まりました。加東市のゆるキャラの加東伝の助がエプロン姿でフライパンを持っています。伝の助は手提げ袋やバッジ、ストラップなどいろいろなグッズになっていますが、このエプロンはいいですね。
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千鳥川の少女像-加東市民病院P

2014年05月26日 03時54分34秒 | Weblog
 加東市民病院は家原地区の千鳥川沿いにありますが、県道567(旧国道175)線に架かる明治橋の下流側に病院の北駐車場があります。
 ちょうど日の出のあと、この辺りをウォーキングで歩いていると、入口に少女の躍動的なポーズの像がありました。市内には、市庁舎前のメモリアルパークやオリンピア通りなどに少女像がありますが、ここにもありました。
 台座に「風」と刻まれています。この少女はどんな風を感じているのでしょうか。
 朝日をバックにシャッターを押しました。
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ふれあい茶摘み-加東市立三草小学校

2014年05月25日 06時00分25秒 | Weblog




 5月24日(土)、加東市立三草小学校で恒例の「ふれあい茶摘み」が行われました。毎年この好季節の伝統行事とあって楽しみに参加しています。
 茶畑は、三草小学校の校舎南側の日当たりのよい斜面に広がっています。半世紀余り前、まだ当時は三草中学校でしたが、茶畑をつくり、茶の葉を摘んで茶葉を売って学校の整備に充てたということを聞いています。今よりもっと広かったそうで、当時ですから下肥えをまいた話なども聞かされました。
 現在は、児童、保護者、そして地域住民のふれあいの場として茶摘みが企画され、子供や孫と一緒にお茶の葉を摘み、昔を偲んだりして交流を深める行事になっています。茶摘みの前に手作りの名刺を交換したり、茶摘み歌を歌ったり、茶の摘み方の説明を受けます。司会進行は子供です。
 校舎と茶畑の間の桜の木の枝にはブランコが下がっています。小さな子がブランコに乗って遊んでいました。
 最近は学校の近くまでシカが出没し、草を食べているという話でした。イノシシ、アライグマ、ヌートリアも出没しているそうで、自然が豊かであるということは野生動物もいる、ということです。
 まぶしい日差しの下、柔らかい茶の葉(一しん三葉)を摘む手の感触は何ともいえない喜びです。
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昭和18年-精肉配給4戸に50匁

2014年05月24日 05時46分11秒 | Weblog
 昭和18年(1943)4月、配給制度の下、精肉の配給についての通知が当時の社町社区の文書綴りに綴じられています。社町長から各区長宛てに出された通知には、「誠に少量」「配給も困難」という文言があり、その割当量は4戸強に50匁となっています。1匁は3.75グラムで計算すると、50匁は187.5グラム。割当を社区に当てはめてみますと、当時の戸数は560戸、割当枚数は135枚です。西垂水の割当を見ると、25戸、6枚、300匁の配給となっています。
 NHK朝の連ドラ「ごちそうさん」でも戦時中の配給のようすが描かれていましたが、こうした文書を読んでいると、あらためて厳しい時代だったことが伝わってきます。通知は次の通りです。


 昭和十八年四月二十日
             社町長  合田常蔵

各区長殿

  四月分第二回精肉割当ノ件

四月分第二回配給トシテ精肉ノ割当有之候モ誠ニ少量ニシテ隣保配給モ困難カト存ジ候ヘ共従前通リ指定所ニ於テ購入ノ上隣保配給ヲ被下度割当基本四戸強ニ対シ五十匁券一枚宛ノ割合
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加東市新庁舎北駐車場入口に道標復活

2014年05月23日 05時07分01秒 | Weblog




 嬉野台地の西端近く、加東市の新庁舎が聳え、その白亜の姿が新緑や青い空にまぶしく映えています。
 その北側の傾斜地に駐車場が整備され、旧372号からも駐車場に入ることができるようになりました。その入口に4本の石柱が建てられています。車で走っていても目につきます。新しい駐車場には似つかわしくない風景ですが、うち2本は道標、2本は村境を示す標柱です。
 この歴史ブログでは、駐車場が整備される以前に市教委の埋蔵文化財室があった頃に敷地のコンクリート壁の前にひっそりと置いてある道標を紹介したことがありました(写真上平成26年1月14日投稿、写真下平成25年1月27日投稿)。その道標が新しく整備された駐車場の入口に復活設置されたわけです。
 かつての道と村境を示す石柱を埋もれさせることなく、歴史を伝える貴重な遺物として新しいまちの施設整備に合わせて設置されたことは本当に素晴らしいと思います。

 石柱は、仏座像の下に「右 老松町 大師道」「左 法華山 姫路道」、「昭和八年五月建立」と刻まれたものが2本。「從是北 木梨村」「從是東 木梨村」と刻まれた村境の標柱が各1本の合計4本です。この辺りは社村と木梨村の境になっていました。
 老松町とは加東市社の市街地の地名で、持寶院大師殿があります。大正時代に加東四国八十八ヶ所霊場巡りが復活し、大師殿はその八十八番仕上げの道場になっています。その巡礼道に立っていたのでしょう。そんな歴史を伝える解説板が設置されればいいとおもうのですが。
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5月の朝日に映える五峰山遠望

2014年05月22日 05時54分09秒 | Weblog
 5月は、一年を通して最も爽快な季節です。山々は新緑に輝き、田圃は田植えの準備で活気が戻り、ため池には満々と水が湛えられ、生命の躍動が漲っている季節です。
 そんな5月の早朝、空気が澄んだ朝には、社中央公園の金屋谷池の堤の上からは、北から西、そして南へと180度の雄大な景色が展望できます。
 写真は北西の方角を望んだものですが、どっしりと坐っているのが五峰山です。播磨高野と称され、山上には光明寺の塔頭寺院があります。中世の太平記の戦の舞台にもなった歴史もあります。空気が澄んでいると、その背後の加西市や西脇、多可郡の山々も遠望でします。
 深呼吸をしながら、しばらくこの雄大な景色を眺めてまた歩き始めます。
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社中央公園の桜の蘖に花が・・・

2014年05月21日 04時49分07秒 | Weblog
 19日(月)の早朝、ウォーキング中の社中央公園の桜の木の根元近くに蘖(ひこばえ)が生えているのに気がつきました。そのうちの1本の根元に花が2輪咲いていました。もう5月も下旬に入り、田植準備もできたこの時期に桜が咲いているとは驚きでした。
 足を止めてじっくり眺めました。いつもカメラを持ち歩いているので記念にパチリ。
このように根から生えてくる芽を「ひこばえ」と言うと思うのですが、周囲を見回すと高さ20センチぐらいに真っ直ぐに伸びた「ひこばえ」が何本も生えていました。そのうち花を付けているのはこの1本だけ。よく見つけてくれた!という声が聞こえてきそうでした。
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朝日に映える狛犬と欅-佐保神社

2014年05月20日 05時24分13秒 | Weblog
 19日(月)、今日も朝から快晴です。日の出直後に歩き始めました。だんだん日の出時刻が早くなるので早起き者にはまるで競争のようになってきます。
 だいぶ日が昇ったころに佐保神社(加東市社)に着き参拝します。参道辺りは昨日、地元の社5区の皆さんが草刈りや清掃活動を行って下さったおかげで美しくなっています。
 参拝を終え、拝殿の階段を下りると朝日に照らされて狛犬さんがぐっと瑞神門を睨んでいます。その背後には門の脇の欅の大樹と青空が見えます。この石造の狛犬は今から220年余り前の天明8年(1788)9月に建立されたもので、寄進者の米屋與右衛門、玉屋長左衛門、油屋忠右衛門の名前が刻まれています。天明年間といえば、あの「天明の大飢饉」で知られる時代で、それからずっとこうして座り続けているのですね。
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昭和16年-政府米払下げで配給

2014年05月19日 04時53分17秒 | Weblog
 昭和16年(1941)、政府米の払い下げがあり、購入希望者の取り纏めに関する通知が信用購買組合から各区長に出されています。今の豊かな食生活からは考えられない戦時下の厳しい生活を知ることができます。私達の父母はこうした時代を乗り切ってきたのだということをあらためてかみしめています。



               昭和十六年三月一日
               社信用購買販売利用組合

各区長殿

拝啓春寒料峭ノ候愈々御清祥ノ条奉賀候陳者先般政府米ノ払下ケヲ受ケ居リ候ニ付此際配合致度候ニ付テハ御手数相掛ケ甚恐縮ニ存候得共左ノ条件ニ街頭スル為ニシテ購入希望者御取纏メノ上本月六日迠ニ御申込相成度候尚配給量目ハ希望者ノ数ニヨリ増減致スベキニヨリ予メ申上兼候間其邊御伝ヘ置ヒ下度候
追テ右期日迠ニ御申込ナキ向ハ希望者無キ者トシテ処理可致ニ付御招致被下度候

  キ

一当町民ニシテ稲作ヲナサザル方
一仝上ニシテ貸田ヲ有セザル方
一家族数付記セラレタシ

社区ハ隣保組每ニ代表者ヲ定メ御取纏メ戸数人員合計サレ度願上候
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昭和16年-地下足袋の配給

2014年05月18日 05時44分00秒 | Weblog
 昭和16年(1941)の10月、日米開戦の直前の頃、配給制の下、地下足袋の配給に関する通知が出されています。社町から各区長に宛てた購入券配給に関する文書類の中に綴じられているもので、農林水産用、一般民需用、警防団用に分類されています。通知は次の通りです。



 昭和十六年十月二十一日

           加東郡社町長  合田常蔵

各部落区長殿

 第八回地下足袋配給ニ関スル件

標記ノ件昭和十六年度第八回農山漁村及一般警防団用トシテ地下足袋左記ノ通リ割当候条チケツト入手ノ上ハ可然御配給相成度此段及通知候也
尚チケツト熟知ノ上指名商店ニテ購入相成ル様申添候也

 左記割当表

名   農林水産用  一般民需用  警防団用  合計

社     八枚       四枚      二枚     十四枚
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昭和17年-家庭用菓子の配給

2014年05月17日 10時06分55秒 | Weblog
 昭和17年(1942)当時の社町社区(現在の加東市社)の配給制に関する文書の中に菓子の配給に関する通知があります。これまでにもさまざまな物資の配給についてこのブログで紹介してきましたが、NHK連ドラの「ごちそうさん」でそうした場面が放映され実際の様子が想像しやすくなりました。
 ところでキャラメルやボーロなどの菓子も配給で、年齢、個数の制限があったようです。また、当時の各の戸数もわかります。今もキャラメルは甘くて美味しい菓子の代表ですが、戦時統制下ではなかなか口に入らなくなっていたんですね。そうした時代を偲ぶ文書です。


昭和十七年十一月六日
           社町長  合田常蔵

各区長殿

  十月分家庭用菓子購入券配布ノ件

十月分家庭用菓子購入券左記ノ通リ割当送付候条指定店ニ於テ購入相成度此段送付候也

二伸
割当基本零才ヨリ四才迠「キャラメル二個」二十銭券一枚各一戸ニ対シ三十銭券一枚宛二十銭キャラメル券及三十銭券ハ相当数予備ヲ割当有之猶三十銭「ボーロ」券ハ一般不向ノ様聞及ビ割当外トシテ送附アルニ付必要家庭ニ一交付相成度

    左記

十月分家庭用菓子割当表

名 零才-四才 キャラメル二十銭券 戸数 一戸割当三十銭割  ボーロ三十銭割

社   二二八    二四四       五五七     六三四     八三
山国  六一     六七        一六〇     一八二     二四
松尾  一五     一七        三九      四五      六
出水  三一     三四        五三      六一      八
田中  一二     一四        三六      四二      六
鳥居  一〇     一一        三四      四〇      六
貝原  一五     一七        三一      三六      五
野村  二二     二四        六二      七〇      九
西垂水 一四     一六        二五      二九      四
窪田  三九     四三        九二      一〇四     一四
家原  三一     三四        七九      九〇      一二
上中  三〇     三三        六九      七八      一一
梶原  一五     一七        四〇      四六      六
喜田  一四     一六        三七      四三      六

合計  五三七    六〇〇       一三一四    一五〇〇    二〇〇
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