ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和18年-精肉の配給券

2013年07月29日 04時31分39秒 | Weblog
 昭和18年(1945)には、さまざまな生活物資が配給になっていましたが、精肉も配給でした。その配給券が当時の区長の文書綴に綴じられていました。たて13センチ、よこ8センチの小さな紙です。この配給券には通知が添付されており、追加割当分だと書かれています。

配給券(写真)

 第  号
     配 給 券

種類名 牛肉  型式第サ 五〇匁包  数量 120包  配給価格  配給期限 七月九日

右ハ 藤野精肉店 ニテ本券引換(現金ヲ添へ)ニ現品ヲ受領セラルベシ

 昭和壱八年七月七日
             社町長  合田常蔵

通知

 昭和十八年七月九日
                社町役場

各区長 殿
 昨日精肉購入券送付致候処本日追加割当有之同封送付致候条本日中ニ購入相成度通知候也


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昭和18年-社の戸数と人口

2013年07月28日 05時02分21秒 | Weblog
 昭和18年(1943)当時の社区(現加東市社)の配給物資関係の文書綴に戸数、人口に関する書類が綴じられていました。配給などの基準になるため、毎月異動の報告がなされていたようです。



 昭和十八年七月十六日

         社 町 役 場

社区長 殿

 戸数及人口ニ関スル件

六月十日現在調査ニヨル人口及戸数左記ノ通リニ付爾後各種配給、配当ノ基準ト為スニ付御了知相成度
 追而 異動ハ毎月末ニ必ズ御報告相成度

   記

 戸数   五五八戸
 人口 二、三六二名

   爾後ノ異動報告 
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昭和18年-豆腐の配給

2013年07月27日 05時58分04秒 | Weblog
 昭和18年(1943)の5月頃には豆腐も配給になりました。そのことについては、この歴史ブログですでに紹介してきたところですが、だいたい、月に一戸あたり1~2丁の割当がありました。配給された切符を持って指定の店に買いに行かなければ券は無効になるのです。今はスーパーに行けばいつでもどんな種類でも買うことができますが。
 ここにその6月分の配当に関する役場から区長への通知があります。

 昭和十八年六月十五日

             社町役場

社区長 殿

   六月分第二回豆腐配当ノ件

六月分第二回豆腐左記ノ通リ配当シタルニ付配分相成度

    記

一、豆腐壱丁券
   九七五 枚
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昭和20年-食糧配給量の改訂

2013年07月25日 04時39分56秒 | Weblog
 昭和20年(1945)の3月、主要食糧配給量の改訂に関する通知が出されています。これは当時の社町社区長の往復文書綴に綴じられていたものですが、一層厳しさを増す戦局下、食糧事情もきびしくなっていくなかで、配給量が改訂されたものです。年齢別に細かく決められています。



  主要食糧配給量改訂ニ関スル件

主要食糧配給量ニ関シテハ年齢職種又ハ職場ニ対シ区別ナク之ガ実施シ来リタルモ本年度ノ食糧事情ハ相当緊迫セル事情ニ鑑ミ今回左記ノ通リ改訂セラレタルヲ以テ部内一般ニ周知方御配慮相成タシ

     記

一、配給量ノ改訂及配給通帳切替時期
 昭和二十年五月一日(但シ五月一日以降配給日ヨリ実施ス)

二、家庭ニ対スル配給量
(イ)二号地(一般)
  年齢別     労働種別   一人一日当リ配給量     摘要
一  -  二   ナ  シ    一二〇瓦(約八勺)
三  -  五   ナ  シ    一七〇〃(〃一合二勺)
六  - 一〇   ナ  シ    二五〇〃(〃一合八勺)
一一 - 一五   ナ  シ    三六〇〃(〃二合五勺)
一六 - 六〇   一  般    三三〇〃(〃二合三勺)
一六 - 六〇   重労男子    四〇〇〃(〃二合八勺)
六一才以上     ナ  シ    三〇〇〃(〃二合一勺)

(ロ)二号地在住農家(還元配給ヲ受クル者)
  年齢別     労働種別   一人一日当リ配給量     摘要
一  -  三   ナ  シ    一二〇瓦(約八勺)
四  -  五   ナ  シ    一五三〃(〃一合〇七)
六     才   ナ  シ    二三三〃(〃一合六勺)
七  - 一〇   ナ  シ    二五〇〃(〃一合八勺)
一一 - 一五   ナ  シ    三六〇〃(〃二合五勺)
一六 - 六〇   一  般    三三〇〃(〃二合三勺)
一六 - 六〇   重労男子    四〇〇〃(〃二合八勺) 農繁期ノミ摘要ス
六一才以上     ナ  シ    三〇〇〃(〃二合一勺)
 ◎註 農繁期トハ 自五月二十六日  至六月二十五日
          自十一月一日   至十一月三十日

三、配給量改訂ニ関スル説明
 従来各家庭ニ対スル主要食糧配給ニ関シテハ配給基準量ハ幼児青少年特配ヲ除キ配給サレツツアリタルモ爾今基準
量ト特配量ヲ含メ改訂サルル事トナリ尚一般的ニ農家ニ対シテハ麦藷雑穀其ノ他ノ生産保有事情ヲ勘案サレ実態ニ即応セル措置ヲ採ラルル事トナリ
 右ニヨリ
(イ)学童給食ハ之ヲ廃止
(ロ)幼児青少年ニ対スル特配ハ廃止
(ハ)重労男子トハ従前ノ甲、乙種労務者ノ謂ニシテ丙、丁種労務者ニ付テハ増加配給をナサズ
(二)農トハ還元配給ヲ受クルニ至リタル農家ニシテ三才-六才ヲ除ク外ハ一般ト同量ナルモ農繁期間春秋二ヶ月間ハ一六才-六〇才ノ男子農業従事者ハ重労男子ト同量トス         
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今年もハスの大輪が

2013年07月24日 05時16分42秒 | Weblog
 3年前に加東市が平池公園のために育てているハスの一部が市民にも配られましたが、その折りに数種類のハスの根を貰って庭の鉢で育てています。貰ったその年は葉は出ましたが、花芽は出ず、翌年にやっと白い花が咲きました。今年は葉の勢い、大きさも増し、花芽も高く伸びていましたが、22日に少し開き、23日に大きく咲きました。白い花びら、八重のように多くの花びらがついています。去年と同じ種類です。
 もう一本花芽が伸びつつあります。ただ、もう一つ別の鉢にも葉はたくさん出るのですが、花芽が出ません。今年は平池公園の大賀ハスがザリガニにやられてしまいました。そんな中、わが家の庭ではこうして無事開花したのでよかった、とほっとしています。
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クマゼミ無事に羽化

2013年07月23日 05時12分59秒 | Weblog
 22日(月)の朝6時頃、玄関脇の生垣のマサキの枝の先に羽化真っ最中のクマゼミを見つけました。
 普通は夕方地中から出てきて木などをよじ登り、暗くなってから羽化を始めて、深夜にはまだ乾ききっていない羽を伸ばしてじっと朝を待つ、という感じですが、出勤するような時間帯に羽化を始めているのを見るのは珍しいことでした。
 さらにその枝の下にはもう一匹羽化を始めたばかりのクマゼミがおり、素早く体を震動させながら殻から頭部を抜け出そうとしていました。まさに神秘的な羽化の場面なのですが、道路に面しているため出勤する人や自動車も通ります。こんな時間帯にうまく羽化できるのか心配になってきました。羽化途中で死んでしまった抜け殻も少なくなく、蜂の攻撃を受けているのを見たこともあります。
 7時過ぎにもう一度見に行くと、無事抜け出して羽をピンと張って乾かしていました。まだ緑色です。昼に家に戻ったときに見てみると、もう抜け殻だけが残っていました。無事に羽化して飛び立ったのでしょう。7,8年も地中にいて、ようやく出てきて蝉になるわけですから、羽化に立ち会うと、その無事を願わずにはおれません。
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加東市の「播磨風土記」展

2013年07月22日 05時33分37秒 | Weblog
 21日(日)、加東市下滝野にある加古川流域滝野歴史民俗資料館で開催されている「加東市内にみる風土記の世界」展に行ってきました。同資料館は、県立播磨中央公園に隣接し、加東市の滝野庁舎、文化会館、図書館、公民館などが集中しているゾーンにあり、加古川舟運の資料を中心に民俗資料が展示されている施設です。
 今回の風土記展は播磨風土記編纂1300年に合わせて行われたものですが、加東市内には風土記に記された、穂積里(ほづみのさと)、起勢里(こせのさと)、端鹿里(はしかのさと)、そして雲潤里(うるみのさと)の4つの地域があります。それぞれ今も地名として穂積、掎鹿、古瀬が残っています。さらに野村地区には小部野(おべの)という地名が残っていますが、これは穂積里を巡幸した品太天皇が詠まれた歌に由来する地名です。
 展示はそれぞれの里と比定される地域の遺跡や遺物が展示、解説されており、古代から栄えていた加東市の歴史の古さをあらためて知ることができました。中には日本の一つ、あるいは最も古い、といった遺物もあり感動物でした。
 また、雲潤里は今の加西市宇仁(うに)地区あたりと思っていましたが、油谷川流域(旧滝野町)ととらえてあり、認識を新たにしました。風土記の内容の解釈については、決して定まっているものではなく、こうした考古学の成果、すなわち地域の実際などとあわせながら推定していくことが大事だということが分かりました。記述、伝承だけでは分からない、見えてこない部分が見えてくるような気がしました。
 主催者の加東市教委文化財室の森下氏が一つひとつ丁寧に解説して下さったので理解はぐんと深まりました。それにしても加東市の歴史の古さに圧倒されるとともに感動しました。夏休みの間展示(無料)されていますので、ぜひ親子で訪れてみて下さい。
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昭和20年-菓子配給のために乳幼児数調査

2013年07月21日 04時50分16秒 | Weblog
 昭和20年(1945)4月、社町から区長、組長宛てに乳幼児数の調査についての通知が当時の社町社区長の文書綴に綴じられています。
 内容は、菓子配給の適正を期するために、1歳から7歳までの乳幼児の数を報告するようというものです。都市部での空襲が激しくなるに伴い、転入者の数が増加したためでしょう。終戦4ヶ月前のことです。


 昭和二十年四月十二日
                    社 町 長
区 長
    殿
組 長 

  乳幼児数調査方ノ件

今般空襲災害等ニ依リ相当ノ転入者モ有之之ガ菓子配給ノ適正ヲ期スル為メ貴部内一才ヨリ七才迠ノ幼児ヲ四月十日現在ニ依リ来ル四月十六日迠ニ御報告相成度此段及照会候也
右期日迠ニ報告ナキ向ハ該当ナキモノトシテ処理相成ベクニ付為念申添候

      記

一才  二才  三才  四才  五才  六才  七才  計
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夏本番ーわが家の蝉の羽化ラッシュ

2013年07月20日 05時16分11秒 | Weblog
 ここ3日ほど、わが家の生垣のマサキの枝を中心にクマゼミの羽化ラッシュが始まりました。午前中にはあの騒々しい鳴き声も聞こえてくるようになり、夏休みととともに夏本番がやってきたなと感じています。
 昨日も夕方から玄関横の生垣をよく見てみると、地中から這い上がってきたクマゼミの幼虫が枝の先や、壁、塀などにしっかりとしがみついているのを発見しました。暗くなってからもう一度出てみると、あちこちに透明な羽を広げた羽化したばかりのクマゼミを見ることができました。写真のようにまだ羽が伸びきっていないものもいました。
 子どもが小さい頃は観察をするというので、みんなでわいわいといいながら羽化のようすを見たものです。当時はデジカメがなかったので、写真を撮ってもうまく獲れているかどうか分かりませんでした。
 ただ、今年はいきなりクマゼミの登場となりましたが、昔はまずチーチーが鳴いて夏がきたのかなと思っていたように思います。チーチーゼミはどこへいってしまったのか。
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上鴨川の道標-「左ほつけ」の文字が

2013年07月19日 04時49分14秒 | Weblog
 国道372号の上鴨川の交差点を過ぎて大きくカーブしながら上っていくと、集落の端、旧道との交差点があり、その交差点の民家の前に、門柱のように一本の立派な道標が立っています。このブログでもすでに紹介しましたが、3面に「左京いせ」「右きよ水」「左ほつけ」と太く深く刻まれています。
その道標に道路をはさんで反対側に石塔が並んでいます。そのうち一本は上部に仏像が彫ってあり、その下に文字が刻まれています。表面が剥がれてはっきり見えませんが、左側には「左ほつけ」と刻まれています。道標です。
 今は国道をとトラックや乗用車がひっきりなしに走り抜けていますが、昔は山道で寂しいところだったのでしょう。
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昭和20年-社町5月常会徹底事項③

2013年07月18日 04時27分19秒 | Weblog
 昨日に続いて、昭和20年5月の社町常会徹底事項のつづきを掲載します。飛行機の潤滑油に使うために「ひま」の栽培を徹底しています。「ひまし油」がそうなんですね。その他に、嬉野や鶉野への出役に関する項目もありました。終戦の3ヶ月前のことでした。


四、「蓖麻子緊急増産」ニ就テ
 決戦下航空機ノ増産ニ伴ヒ液体燃料タル潤滑油ノ需要ハ急激ニ増加スルニ鑑ミ之ガ原料タル蓖麻子ノ供給確保ヲ図ルハ刻下緊要ノ要務デアル
 イ.栽培割当基準 一、農家一戸当平均四十本以上(収穫目標四升以上)トス
          二、農家以外ノ家庭ハ一戸平均六本以上(収穫目標六合以上)トス
 ロ、栽培地、栽培スベキ土地ハ宅地、休閑地、荒蕪地、山林除地、道路敷、堤塘敷、鉄道敷、官衙、軍用地、学校、工場、事業場等ノ空敷地其ノ他之ニ準ズル土地ノ全面的活用ヲ行フモノトス

五、国家貯蓄割当ニ関スル件(別紙)
六、煙突掃除及取附筒所点検依頼ニ関スル件(警防団ニテ調査)
七、米穀配給基準数量ノ変更ニ関スル件(別紙)
八、松根割当供出ニ関スル件(別紙)
九、嬉野→(第二海軍療品廠社分工場)月日、氏名
  鶉野出役報告
十、救援物資並ニ物資ノ件
十一、供出薪 一八七〇〇束(二十年度)-一戸ニツキ約十二束ノ割
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昭和20年-社町5月常会徹底事項②

2013年07月17日 04時54分37秒 | Weblog
 昨日に続いて、昭和20年(1945)5月の社町常会の徹底事項を紹介します。甘藷の増産、物資の戦力化についての事項が挙げられています。掲載写真は、綴りに綴じられていた金属回収についてのビラです。


昨日につづいて、

二、「甘藷ト麦ノ増産ニ」就テ
 航空機、戦車ノ液体燃料ト戦時食糧ノ確保ノタメ今年ハ甘藷ニ大増産ヲ是ガ非デモヤリ遂ゲネバナラヌ甘藷ノ増産ニハ良イ苗ヲ適期(大体大麦ノ成熟前十日位)ヲンガサズ植付ケルコトガ絶対ノ要件ダ又麦ノ病害虫ヲ徹底的ニ防除シテ麦増産ニ最後ノ頑張リヲ発揮ショウ

三、「隠退蔵物資戦力化」ニ就テ
 国内ノ物資ハ今コソアゲテ戦力化スヘキ秋ダ今ヲ措イテ何時オ国ノ役ニ立テルノダ隠退蔵サレテイル物資ハナイカ鉄鋼、合金鉄、非鉄金属、軽金属、電線、雲母、石綿、皮革、油脂、化学工業品、燃料、機械、器具、繊維、医薬品、医療器具等全テ国家ノタメニ今直グ出ソウ。

                                    つづく
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昭和20年-社町5月常会徹底事項①

2013年07月16日 04時50分58秒 | Weblog
 昭和20年(1945)の5月。社町常会では本土決戦、特攻など厳しい戦局にあって徹底事項が確認されています。


五月ノ常会徹底事項

一、「職域敢闘」ニ就テ
 今コソ国運ヲ決スヘキ本土県千ノ秋ダ。前線特攻ノ成果ヲ持続シ戦勝ノ扉ヲ開ク力ハ今日此ノ一瞬職域敢闘ニアル。食糧ヲ作ラウ。兵器ヲ造ラウ。我々ノ力ヲ最高度ニ発揮ショウ。モウ一度隣組全体ヲ見廻シテ皆ガ皆全力ヲ尽シテ御国ノタメニ働ケルヤウニシヤウデハナイカ

                                   つづく
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今夏我が家の初蝉

2013年07月15日 04時44分21秒 | Weblog
 一昨日、我が家の庭で今年初めての蝉の抜け殻を発見しました。早朝に玄関に出て生垣にしているマサキの枝に触れたとき、蝉が勢いよく飛んでいきました。クマゼミです。そのあとを見ると抜け殻がありました。地上には穴が一つ開いています。ここから出て、マサキをよじ登り、地上1メートルほどの枝の先で羽化したものだ。年々少なくなっているとはいえ、毎年一夏で4,50匹は抜け殻を見つける。そ殻は薬になるというのでいつも集めているが、今年の第一号だ。
 そして、今朝、2つの抜け殻を発見。まだ、飛び立つ前のクマゼミがそばにいた。私達が小さい頃は「しゃぶ」と呼んでいた。数は少なかったのでしゃぶを捕まえると喜んだものだ。当時は「がら」と呼んでいたアブラゼミが主流だったが、今は逆転している。裏庭と隣の役場跡の駐車場の桜の木でこれからしゃぶが鳴く。
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昭和20年-社町3月常会徹底事項②

2013年07月14日 04時48分28秒 | Weblog
 昨日に続き、敗戦の年昭和20年の3月の社町常会徹底事項を紹介します。
 銀の供出は、金属類の供出で知っていましたが、古繊維等も特別に回収を行っていたとは知りませんでした。軍需工場の機械を拭く布の確保のためだったんですね。

 昨日からつづいて



五、「銀の徹底的供出」に就て
 貴重なる戦力物資である銀の供出は現在でも受附て居るので一片の銀でも死蔵する事のない様に洩れなく総ざらへをして供出させる様指導する事

六、「古繊維特別回収」ニ関スル件
 戦局ノ長期化且次第に緊迫せる情勢に鑑み航空機、兵器製造工場等軍需工場ノ機械拭布等の資材確保のため古繊維特別回収を行ひ軍の要請に応ずるため左記の要綱に依り之が回収運動を急速に実施被致る事と相成之が目的達成のため供出運動を町村が主体となり部落会、隣組、大政翼賛会、翼賛壮年段、婦人会等ノ協力に依り之を実施す

七、回収実施期間
   昭和二十年三月一日より三月二十日迠の二十日間
  回収物件
   古繊維、綿ボロ、毛ボロ、絹ボロ、スフ人絹ボロ等但油付ボロヲ除ク
  回収ノ対象  一般家庭
  回収方法
   部落会、社区にありては各組に於て取纏め供出数量を明記して指定集荷所に持ち込む事
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