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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

兵庫県150周年

2016年09月30日 08時07分39秒 | Weblog
 平成30年(2018)、兵庫県は150周年を迎えます。県では150周年の事業が企画されています。県議会でも議員からこの機会に「県民の日」を制定してはどうか、といった提案も出されています。
 ところで、兵庫県の歴史を遡ると、そのはじめ兵庫県が設置されたのは、明治元年(1868)の5月23日というところになります。
 但し、この時点で兵庫県となったのは兵庫裁判所(外国人居留地の事務を処理する役所、兵庫鎮台が改められもの)の管轄する旧幕府領地で、今の県内に点在していました。加東市域の旧幕府領、すなわち兵庫裁判所の管轄地が裁判所の廃止、兵庫県の設置で兵庫県の管轄となったわけです。
 この兵庫県が第一次兵庫県とよばれているものです。初代県知事には伊藤俊介(博文)が任命されました。
 明治4年7月に廃藩置県が行われ、今の県域にあった32藩はそれぞれ県になりました。三草県、小野県、姫路県、鶴舞県、古河県などがそうです。そして、同年11月にはこれまでの県をすべて廃止して、兵庫県、姫路県、豊岡県、名東県(淡路)に分割しました。姫路藩はすぐに飾磨県へと名前が変わりました。社は飾磨県になり、12年には出張所が置かれています。その後、明治9年8月21日にさらに統合されて今の兵庫県が誕生しました。この時点から数えると、今年は140年にあたるわけです。
 
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昭和18年-削節と鶏卵の配給通知

2016年09月29日 06時00分46秒 | Weblog
 再び戦時中の配給に関する資料を紹介します。
 昭和18年(1943)、社町役場から区長に対して、削節と鶏卵の配給券の送付に関する通知が出されています。
 削節は戸数割を基本としつつ、人員数により配布するよう、また、鶏卵については、家で鶏を飼っていない家に適宜配布するよう注意書きが添えられています。
 通知とともに社区(現加東市社)内の21組每に削節と鶏卵の配布数量が記入された一覧表が綴じられています。私の住まいしている町内会は当時の八組でしたが、31戸に対し、削節は20袋、鶏卵は740匁と記入されています。当時、鶏卵の配給割当は加東地方事務所から一戸当たり約30匁とする通知が出ていました。約2個分にあたります。
 削節も卵も日々の料理には欠かせないものですが、戦時中はこうした食材も配給制の下、手に入れることが困難になっていたことが伝わってきます。

 昭和十八年五月十二日
             社 町 役 場
社区長 殿

  削節
      配給券送付ノ件
  鶏卵

 左記ノ通リ割当シタルニ付及通牒候也

    記

一、割宛量  削節 三六三袋
       鶏卵 一三貫五〇〇匁

二、割宛上ノ注意
1.削節  戸数比ニ割宛タルニ各戸每ニ人員割等ニ依ル等適当ニ配分セラレ度
2.鶏卵  各区毎ニ産卵鶏無キ家庭ニ付適宜配分セラレ度
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秋の宝石-イガ栗でお出迎え

2016年09月28日 05時29分35秒 | Weblog


 昨日、このブログで秋の宝石のようなイガ栗が届けられたことを紹介しましたが、その後、同じ方から「県庁に持っていくなら」と新しいイガ栗が届きました。最初のものからするとひとまわり大きな光沢のよいイガ栗です。ヒノキの葉の緑とイガ栗の茶色。まさに秋の宝石です。
 持ってきて下さったのは、加東市馬瀬地区の方で、源平合戦の三草合戦でしられる三草山の麓、国道372号沿いの集落に住まいされています。このイガ栗もそうした古い歴史の山麓でとれたものだと思うと一層趣きがあります。
 県庁の副議長室の入口のテーブルに飾り、秋色で来訪される方をお出迎えすることにしました。
 
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秋の宝石-イガ栗が届きました

2016年09月27日 04時51分20秒 | Weblog
 

 26日(月)、事務所に寄ると、栗が届いていました。市内のよく知った方がわざわざ持ってきてくださったものです。
 イガ栗はさっそく事務所の受付棚に飾りました。割れたイガの中に詰まっているのは大きな栗。それはまるで秋の宝石のようです。今年はできがよくなかったということでしたが、見事な栗に秋の到来を実感しました。
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山田錦の里の秋

2016年09月26日 04時45分19秒 | Weblog
 

 25日(日)、山田錦の里、特A地区の東条で「山田錦の里探訪ウォーク」が開催されました。今年も230余名の方が参加し、東条から安政池、嬉野から社への約11キロのコースを歩きました。
 その出発地の東条川沿いの東条温泉とどろき荘。周辺の田圃には色づき頭を垂れた山田錦が実っています。そして畦には真っ赤な彼岸花が咲き誇っていました。
 その彼岸花を撮ろうと溝をまたいだ時、ふと目に飛び込んできたのが溝の中の栗でした。割れた「いが」の中に茶色の大きな栗が顔を出しています。「栗や!」と思わず声を出してしまいました。溝の上流の方を見ると、大きな栗の木がありました。きっと木から落ちて溝を流れてきたんですね。深い溝だったので、地面にはいつくばって手を伸ばして拾いあげました。
 
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昭和18年-一般家庭用豆腐の配給一戸に2個の割

2016年09月25日 04時51分31秒 | Weblog
 昭和18年(1943)4月、加東地方事務所は今後一般家庭用の豆腐の販売を配給制にするとの指示をしています。この通知は以前、このブログで紹介しましたが、その後5月に、5月分の配給通知が出されています。一戸につき約2個の割当になっていました。配給の購入券を持って指定の販売店に行くのですが、指定日時限り有効との但し書きがあります。通知には各の戸数、割当個数、販売店の一覧が付けられています。


 昭和十八年五月八日
                 社町長 合田常蔵
 各区長 殿

    一般家庭用豆腐配給ノ件

標記ノ件左記ノ通リ割当候条販売所並販売指定日時ニ購入スル様指示相成度万一日時ニ購入セザル時ハ無効ニ付了知セシメラレ度
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久しぶりの夕日と落ちた胡桃

2016年09月24日 05時08分53秒 | Weblog
 

             

 23日(金)、朝、ウォーキングに出ようと玄関に出ると、脇の地面に胡桃が落ちていました。先日の台風16号のあとで4個拾いましたが、昨日また落ちたのでしょう。木を見上げると、空になって割れた実が見えました。

 夕方、用事のために自転車で社の市街地を走っていると、加東市商工会館の壁面が夕日に照らされていました。ペダルを踏んで路地を抜け、新池の堤へと走りました。ここは加古川の河岸段丘の上にある市街地の西の端にあたり、西の展望が開けていて、遠く青野原の台地が地平線となって広がっているのを一望できます。
 ちょうどその地平線に真っ赤な夕日が沈みかけているところでした。シャッターを押しながら大きな夕日が隠れてしまうまで眺めていました。
 台風や秋雨前線のために長い間太陽を見なかったような気がします。朝の胡桃、そして雄大な夕日。秋を感じました。
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昭和18年-豆腐、澱粉、塩の配給通知

2016年09月23日 04時31分37秒 | Weblog
 昭和18年(1943)の11月、社町役場から区長に対して、豆腐、澱粉、塩の配給に関する通知が出されています。これは当時の社町社区(現加東市社)の配給関係書類綴に綴じられているものです。
 この通知と一緒に社区内の21の組への配給数一覧表が添付されています。豆腐や澱粉粉、塩も配給だったんですね。


 昭和十八年十一月二日
              社 町 役 場

社区長 殿

 左記ノ通リ配当シタルニ付配給相成度此段及通知候也

一、豆腐
1.配当数 一〇八〇枚
2.基 礎 人口

二、澱粉粉
1.配当数量 五六〇本
2.基 礎  人口
3.一戸一本以内出来得レバ人口ニヨリ配当セラレ度

三、家庭用加算塩
 味噌用   九四瓩(※キログラム)
 醤油用   一七瓩
 漬物用 一五九五瓩
 家畜用  一一二瓩
  計  一八一八瓩

 基礎 味噌用 農家人口
    醤油用 醤油醸造石数
    漬物用 人口
    家畜用 頭数
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昭和19年-絹縫糸やタイヤチューブの配給

2016年09月22日 05時54分40秒 | Weblog
 昭和19年(1944)、長引く戦時下の生活では物資不足のためにさまざまな物資や食料が配給になっていました。
 今日は当時の社町社区(加東市社)の配給書類綴に綴じられている絹縫糸とタイヤチューブの配給に関する通知を紹介します。
 通知には同年4月1日に各組への配給一覧表が添付されています。一覧表には「タイヤ中袋」と書いてあり、中袋とはチューブの当て字でしょうか。


 昭和十九年三月二十七日
                  社 町 役 場

 絹縫絲及補充用タイヤチューブ配当ノ件

標記ノ件左記ノ通リ配当候条此段及通知候也

       記

タイヤチューブ割当
 基礎  自転車台数
 割当  タイヤ     二.六吋 二本
             二.八吋 二本
     チューブ    二.八吋 一本

縫絲割当
 基礎  戸数
 割当  五八三枚

配給上ノ注意 絹絲ヲ必要トスル家庭ニ配布ノコト
購入券ハ全部使用シ残品ヲセヌ様将来ノ割当減ヲ思料サレタシ衣料切符ハ普通点数ノミ

一、先般割当致シ候産組扱地下足袋入荷候条購入券送附候也
一、昭和十九年度衣料切符ハ昭和十七年度衣料切符ト引替ナルニ付昭和十七年度衣料切符各家庭ニ取揃ヘ準備相成様御伝言下サレ度  
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米田中学校跡地の碑

2016年09月21日 05時35分15秒 | Weblog
 先日行われた加東市立米田小学校での地区運動会に出席した折り、校門を入ったところの築山の中に一本の石碑が立っているのが目に入りました。
 近寄ってみると、「社町立米田中学校跡」と刻まれていました。背面には米田中学校の歴史が次のように刻まれていました。

 「昭和二十九年三月地元米田村民の協力により着工同年十月吉日米田村立米田中学校として開校翌年町村合併により社町立米田中学校と改名昭和四十六年三月社中学校と統合閉校す」

 この石碑は閉校した昭和46年3月に建立されたものです。来賓テントで同席した安田市長、安田市議会議長の二人は米田小学校、米田中学校の出身。当時の校舎の位置やグラウンド、植物園などのことを懐かしそうに語ってくれました。
 社中学校との統合は私が社中学校を卒業したあとのことでした。新制中学校として生まれた米田中学校は、米田村立、社町立、そして統合で閉校という歴史を歩みました。
 この歴史ブログでは、「社中学校跡」の石碑を紹介したことがありました。多くの卒業生の思い出の地であったことを今も伝える貴重な碑です。
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鴨川の堤に咲く彼岸花

2016年09月20日 04時41分00秒 | Weblog
 19日(月)、加東市立鴨川小学校からの帰り道、下鴨川地区で、雨で増水した鴨川にそって県道を走っていると、真っ赤な彼岸花が堤に咲いているのが目に止まりました。

 車を止めてシャッターを押しました。周囲を羽黒トンボが飛びまわっていましたがシャッターのタイミングが合いませんでした。場所は神事舞で知られる上鴨川住吉神社に近いところです。県道沿いの田圃には色づきはじめた稲の穂が頭を垂れて、刈り取りの時期が近いことを感じさせてくれます。
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昭和18年-生魚(鯖、鯵)の配給

2016年09月19日 05時16分10秒 | Weblog
 今日は昭和18年(1943)5月に行われた、生魚の配給について紹介します。
 当時の社町社区(現加東市社)の配給関係書類綴にはさまざまな物資、食料などの配給に関する通知、書類が綴じられていますが、生魚の配給通知はあまり見当たりません。社町が播磨の内陸に位置していたためでしょうか。
 生魚、鯖と鯵の配給が行われるという通知です。「至急」「本日中直チニ」と書かれています。



 昭和十八年五月二十七日
                     社 町 役 場
社区長 殿

   生魚配給ニ関スル件

左記生魚配給券送付候条至急(本日直チニ)購入相成度此度及通牒候也

   記

一、鯖  五〇貫九〇〇匁

一、鯵  三四貫〇〇〇匁

   販売所ハ西配給所(郵便局北隣)

一、夏蜜柑 三〇五貫ーーー匁

   販売所北配給所(三木健商店)
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昭和19年-家庭用食料油の配給

2016年09月18日 04時48分37秒 | Weblog
 今日は、昭和19年(1944)1月の家庭用食料油の配給通知を紹介します。この通知は、先日紹介した褌(ふんどし)の引換券を印刷した紙の裏を使ってありました。
 油も紙も貴重な物資だったことが伝わってきます。



 昭和十九年一月二十五日
                   社 町 役 場
社 区長殿

  家庭用食料油割当ノ件

標記ノ件左記ノ通リ配当候条及通知候也

  記

一、配当量   一五九、六合  
                一合券  三一六枚
                二合券  一六〇枚
                三合券  三二〇枚

一、基礎    人口

一、胡麻油   
        一合 二十四銭
        二合 四十九銭
        三合 七十三銭
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昭和17年-家庭用応急米の特配(未成年や妊産婦家庭に)

2016年09月17日 05時42分04秒 | Weblog
 今日は、昭和17年(1942)、米の特配に関する通知を紹介します。以前にも同年6月に行われた応急米の特配通知を紹介しましたが、9月にも社町長から各区長宛てに通知が出されています。
 社町に8石5斗の特配があり、それを6才以上20才未満の子ども3人以上がいる家庭と妊産婦に配分となっています。9月分に増配するとあり、米通牒と印鑑持参と書かれています。また、この増配分は内地米であることも記されています。
 通知には、組、対象世帯の世帯主名、配給量を記した一覧表が添付されています。写真は通知文です。


 昭和十七年九月四日

            社町長 合 田 常 蔵

各区長 殿

  家庭用応急米特配ニ関スル件

今回特ニ社町ニ対シ八石五斗ノ家庭用応急米ノ特配相成候就ハ先般御調査ヲ煩ハセシ六才以上二十才以下の家族三名以上及妊産婦ニ対シ別紙ノ通リ本月分増配スルニ付キ別記ノ者ニ対シ米通牒並ニ印判持参シ購入スル様御通知相成度

二伸
今回ノ増配分ハ内地米ニ付申添ヘ候
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加東に秋の色-状が池の朝日と彼岸花

2016年09月16日 04時56分03秒 | Weblog
  

  

 15日(木)、朝のウォーキングで社の市街地から東へ、百旗墓地、社こども園、市役所、状が池公園、社中央公園ステラパーク辺りを歩きました。
 ちょうど朝日が昇る頃で、東の空に浮かぶ低い雲が朱色から黄金色に輝く一瞬を見ることができました。写真は市役所のガラスに映える朝日、状が池公園から望む東の空、社中央公園の金屋谷池の堤から見た日の出直前の空です。
 夕方、加東市木梨の三草川に近い竹薮の中の道端に彼岸花が咲いていました。地元の方が「火事花が咲いてますね」と。そうそう、その赤い炎のような色と姿から「火事花」と呼ばれていたんだと思いました。そろそろ秋の色を見るようになりました。
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