不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

義士祭ムードを盛り上げる幟

2009年11月30日 05時12分11秒 | Weblog
 12月14日は赤穂義士の討ち入りの日。毎年この日が近づくと赤穂義士にちなむテレビ番組や各地の行事などが話題になります。
 ところで、赤穂の花岳寺、東京高輪の泉岳寺の四十七士の墓は全国的に有名ですが、わが加東市の観音寺にも四十七士の墓標があることを忘れてはなりません。観音寺のある加東市家原の赤岸(あかぎし)の地名は赤穂義士がなまったものとも言われています。というのもこの地は浅野家の分家である家原浅野氏の領地で、陣屋も置かれ、浅野家断絶後も明治維新まで続いた深い縁のある地なのです。観音寺は浅野家の祈願所・香華所であったとされ、討ち入りから150年後に義士を讃えて四十七士の墓標がつくられたのです。詳しいことはこの歴史ブログでも紹介していますので読んでみて下さい(2006.7.4,5投稿記事等)。
 毎年12月14日には義士祭が行われます。境内では法要が営まれるほか、早駕籠にちなんで加東市内中学校の駅伝競走大会や少年剣道大会なども行われます。この日は近在から多くの人が訪れ、四十七士の墓に線香を手向けます。地元家原の皆さんによる甘酒の接待や奉賛会の福引きもあり、これを楽しみに訪れる人も少なくありません。また、明治館(旧加東郡公会堂)では社地区地域づくり協議会が主催する「佐保亭落語会」も行われます。
 加東市社の商店街には「義士祭」の幟が取り付けられました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和14年-社小学校で防空展覧会

2009年11月29日 05時14分15秒 | Weblog
 社区事務所の「諸通達綴」に昭和14年(1939)2月に開かれた「防空展覧会」の小さなビラが綴じられていました。
 支那事変勃発から3年目を迎えるなかで、こうした軍事に関する講演会や展覧会、さらに訓練などの通知が増えています。このビラの次には「遺骨出迎ヘニ関スル件」の通知が綴じられており、当時の緊迫した空気が伝わってきます。
ビラ(写真)の内容は次の通りです。

要●国土防衛●急

一、日時 昭和十四年二月一、二日二日間
二、会場 社小学校
諸行事 映画及講演会二月一日  午後六時ヨリ 社郡公会堂
    模範燈火管制二月一日夜 社町社本町ノ一部

防空展覧会

非常時ノ秋 国民防空思想 普及徹底
愈々急ヲ告グ 御来観ヲ切望ス

  主催者  社町役場
       社警察署
  後 援  兵庫県警察部
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和14年-財政戦士の義務を!!納税報国ビラ

2009年11月28日 05時02分22秒 | Weblog
 昭和14年(1939)1月の日付、大阪税務監督局発行で、社税務署の大きな印が押された「納税報国に就て」と題したビラが社区事務所の「諸通達綴」に綴じられています。
 日の丸の赤が鮮やかに印刷されたビラには、国家非常時における国民の納税義務の遂行の重要性を強調し、税金の完納を呼びかる内容が書かれています。

納税報国に就て

 租税は国家が其の目的を達成する為に必要欠くべからざる経費を支弁する主要なる資源であると云ふ事は今更申すまでもない事であります。
 今や支那事変は皇軍将士の果敢なる進撃によつて広東及び武漢は完全に攻略せられたのでありますが、其蔭には厳寒零下幾十度の異郷の地にありて、懐かしき親に別れ妻子を捨て一身を犠牲に砲煙弾爾の間を馳駆して奮戦せられた忠勇なる皇軍将士の労苦があります実に感謝感激に堪えぬものがるのであります。
 然るに現在の戦争は国家総力戦でありまして単に軍隊と軍隊のみならず経済戦、思想戦、財政戦であります。経済戦、思想戦、財政戦の戦士は吾々銃後の国民であり特に財政上の主力戦士は所謂納税者であります。従而我々納税者の義務は重且大であり、此等第一線将兵の責任と毫も変るものではありません。 
 今こそ吾等は一億一心、心を同ふして国家の歳入の充実を図り国力の増進に貢献し、この聖戦の大目的の達成に一意専心協力すべき秋でありまして、之が実践は各位の納税奉公の赤誠に期待するところ大なるものがあります。
 本月は左記各税の納期であります挙つて財政戦士としての義務を果す為に完納あらん事を希望致します。

    記

第三種所得税
個人臨時利得税
宅地租
田租

 昭和十四年一月

          大阪税務監督局
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦線へ!!銃後の熱誠を-昭和14年の年賀状

2009年11月27日 05時07分32秒 | Weblog
 昭和13年(1938)の年末、支那事変勃発以降大陸での戦闘が続き、国内では年賀状の自粛が叫ばれていましたが、そうした状況のなか、戦地の兵士に対しては年賀状を送ろうという呼びかけが行われていました。
 今日紹介するのは、社区事務所の諸通達綴に綴じられていたビラで、社町軍事後援会が出したものです(写真)。
 内容は次の通りです。

国民精神総動員

●盡忠報国
時局柄年始ノ賀状ヲ差控ヘルコトヲ高唱サレテ居リマスガ戦線ノ勇士ニハ是非コノ機会ニ犒軍ト激励ノ言葉ヲオ送リスルノモ銃後ノ務メト存ジマス
-----------------
戦線へ!!銃後の熱誠を!!
-----------------
本会ニテ戦線勇士ヘノ賀状逓送ヲオ世話致シマスカラ来ル十二月二十日迄ニ役場ヘオ届ケ下サイ
 註{賀状ハナルベク自筆トシテ宛名ヲ判リ易ク書イテ切手ヲハラズニ出シテ下サイ、葉書(私製ハガキ)デモ手紙デモヨロシイ
●堅忍持久

社町軍事後援会
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和14年-新年の儀式に「国民奉祝の時間」

2009年11月26日 05時34分59秒 | Weblog
 昭和14年(1939)の元旦の奉祝儀式について、社町長から各区長に対して通知が発せられています。
 どの地区においても神社公民館などに全員が集まり、祝賀式を行うと共に「国民奉祝の時間」を設けて全国民が一斉に宮城(皇居)遙拝を行うことになっています。


社通一第三二七八號ノ一
 昭和十三年十二月廿三日
              社町長  大橋實次
各区長殿

  新年奉祝ニ関スル件

標記ニ件ニ関シ今般政府ニ於テ実施要綱左記ノ通リ決定相成候ニ就而ハ之レガ実施方可然御配意相成度此段及通牒候也

     記

一 趣旨
一月一日歳旦ニ当リ聖壽ノ無窮ヲ壽ギ奉ルト共ニ事変ノ新段階ニ対処シ愈々尽忠報国ノ念ヲ昂メ挙国一致堅忍持久以テ東亜新秩序ニ邁進スベキ国民ノ覚悟ヲ堅ムルハ趣旨ノ下ニ奉祝ヲ行フコト

二 実施方法
(一)ハ民ヲ成ルヘク次號ニ掲クル時刻ヲ期シ神社公会堂等適当ナル場所ニ於テ祝賀ノ方法ヲ講シ本文趣旨ノ徹底ヲ図ルコト
(二)当日午前十時ヲ期シ「国民奉祝ノ時間」ヲ設ケ前號ノ式典ニ参列シ得ザル者ハ各家庭其他ノ場所ニ於テ其レ其レ宮城遙拝ヲ行フコト
此ノ為同時刻ニハサイレン太鼓、鐘等ヲ用ヒ適当ナル周知方法ヲ講スルコト
尚 ラヂオハ同時刻ニ「国民奉祝ノ時間」ノ放送ヲ行フ

三 参考
奉祝式次第誓詞(例)
(一)式次第(例)
1 開式
2 国歌斉唱
3 宮城遙拝
4 誓詞
5 萬歳奉唱
6 閉式
(二)誓詞(例)
茲ニ昭和十四年の元旦を迎えまして
恭しく
聖壽の萬歳を壽き奉ると共に事変の新しい段階に応じ愈々堅忍持久の覚悟を固くし新東亜建設の大業を翼賛し奉ることを謹んで御誓申上げます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和13年-銃後国民の納税ビラ

2009年11月25日 04時43分43秒 | Weblog
 昭和13年(1938)の社区事務所の「諸通達綴」の中に、大阪税務監督局の納税に関するビラが綴じられています。戦前の帝国憲法下、国民の三大義務は教育、兵役、そして納税の義務でした。その納税義務を果たすことで国に尽くそうと呼びかけています。写真はそのビラです。



◎銃後国民の納税に就いて

 我等日本国民は今正に戦線も、銃後も打って一丸となり挙国一致以て尽忠報国の赤誠を現はさねばならぬ最も重大なる秋に直面して居るのであります。
 斯る時に於て平時でさへ大切な国民三大義務の一つである納税が、より一層大きな力を以て銃後の護りとなる事は申し上ぐる迄もない事であります。
 今や事変は益々複雑化し、戦局も愈々長期戦の段階に入り、政府は今議会に於て軍事費予算として四十八億五千万円の協賛を得たのであります。然してこの財源の大部分は公債に俟つこととなつたのでありますが、其の一部分は銃後国民一般に於て分に応じ租税として負担する事が適当とせられ茲に三億円の増税を決行せられたのあります。
 斯のやうな事態でありまして、皆様に於かれましても此の国家の非常時に克く思を致され納期限に遅れず完納し、納税報国の實を挙げ以て銃後国民としての義務を完全に果たされむ事を切に希望する次第であります。
                大阪税務監督局
  ---------------------

 税を納めて銃後は固し



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和13年-関東大震災15周年記念日

2009年11月24日 04時59分22秒 | Weblog
 昭和13年(1938)の8月の末に、9月1日の関東大震災記念日の取り組みについての通知が社町長から各区長へ出されています。
 大正12年(1923)9月1日、関東地方南部を襲った大地震はM7.9、死者行方不明約10万人という大きな被害をもたらしましたが、その大震災から15周年を迎えるにあたっての取り組みを依頼しています。
 「酒なし一汁一菜日」として心身の鍛練をすることなど支那事変下の戦時体制に沿ったような行事の取り組みも示されています。



昭和十三年八月二十六日
           社町長 大橋實次
各区長殿

 関東大震災十五周年記念日ニ関スル件

来ル九月一日ハ関東大震災十五周年記念日ニ相当リ候ニ就テハ大震災当時罹災地方民ガ克ク困苦欠乏ニ堪ヘ艱難ヲ克服シタル旺盛ナル意気ヲ追憶スルト共ニ事変下内外ノ現状ニ鑑ミ国家総力戦ニ対スル鞏固ナル精神ヲ振起シ他面過般ノ水禍ニ対スル復興精神ヲ作興スル為当日講演講話等ヲ行フ外心身ノ鍛錬克己日酒なし一汁一菜日実施等適切ナル行事ヲ実施シ十分実効ヲ挙グル様特ニ御依頼申上候也
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陸軍の蚊追粉

2009年11月23日 04時09分50秒 | Weblog
 写真の筒状の紙袋は何でしょうか。これもここ2,3日続けて紹介している品と一緒に旧家の蔵から出てきたものの一つです。
 袋に印刷された文字を読んでみると、「陸軍蚊追粉」と書いてあります。紙袋の中には粉が入っていたんです。印刷されている内容を紹介します。

 陸軍蚊追粉
       大阪陸軍需品支廠

一、本剤ハ除虫菊粉デ人畜ニ無害デス
二、此ノ粉ハ任意ニ多量ノ煙ヲ出シテ一時ニ蚊群ヲ撃滅スルノガ特長デス
三、粉ヲ盛リ上ゲ其ノ中腹ヘ点火シテ下サイ、煙ヲ絶ヤサヌ様上ヘ粉ヲフリカケテ行ク事
四、万一燃エ難イ時ハ何カ適当ナ燃エ易イ物(紙屑枯葉等)ト一緒ニ燃ヤシテ下サイ
五、蚊群ノ大部分ガ退散シタ後ハ渦巻蚊取線香デ蚊群ノ再来ヲ防イデ下サイ
六、此ノ粉ハ此ノ侭デ駆虫粉トシテ「ノミ」「シラミ」南京虫等ノ虫除ケニモ使ヘマス
七、本剤ハ濡ラスト効力ガ減リ燃エ難クナリマスカラ成可ク濡ラサヌ様ニ注意シテ下サイ

昭和十九年二月                (帝国除虫菊株式会社納)


以上のように、この粉は燃やして煙を出して一気に蚊などを駆除するための物だったことが分かりました。昭和19年(1944)年製ですから65年前のものということになります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛国足袋・運動靴の布型

2009年11月22日 04時43分42秒 | Weblog
 今日紹介するのは昭和16年(1941)に発行された「愛国足袋運動靴用布型」です(写真)。足袋と靴の裁縫用の布型が綴じられているものです。
 発行は昭和16年2月15日、発行所は東京栄養食糧研究所の家政経済技藝部となっています。真珠湾攻撃により大東亜戦争が勃発する約10ヶ月前のことです。
すでに大陸での戦争が長引き、物資が不足していた当時ですが、運動靴も縫っていたんですね。
 愛国運動靴の作り方の解説がありますので紹介します。

愛国運動靴作り方
(一)裁 方
この運動靴の裁縫は足袋裁縫を基礎として考案されたもので実物現図に依り布を裁断いたします。布は内側、外側を区別し間違へぬ様に裏、表、底を裁ちます。これは二重底になりますから外に一枚地下用厚地のもの又は、ゴム、縫ザシの布其他適当の布を利用下さい
(二)縫 方
最初に内側布と外側布の「ツ丶」を一分の縫代で縫ひます。次に甲合せ縫ひをいたします。之は足袋のやうに日本糸で四ツ縫ひ半返しにいたします。そして、「カ丶ト」の縫ひ合せをします。之も甲合せ縫ひの様に半返しにいたします
(三)底附調べ方
足袋は中表に調べましたがこれは外表に甲の「カ丶ト」の縫ひ目を中心の折目として底巾の「カ丶ト」の端から二分甲の折目を出して両側布を斜線に底の足巾線の縫代へ合して待針を打ちます
(四)底縫ひ
底縫ひも足袋の様に縫ひ初め二本糸でツマ先線まで甲も底も外表に縫ひツマ先線まで甲も底も外表に縫ひツマ先線内は足袋の「イセ」縫ひと同様に十二以上の「イセ」縫ひいたします。「カ丶ト」の所は深目にならぬ様に縫ひます。そして其縫ひ目を又二針目位に「マツリ」縫ひをいたします
(五)地下底附け
用意の地下底をなるべく丈夫な糸を用ひて外部に針目の出ない様に縫針を三角通し言ふ縫い方で取附けます


裁縫ができる方ならこの布型と解説を読めば愛国足袋、運動靴を縫うことができるわけですね。どなたか挑戦されませんか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トイレットペーパー

2009年11月21日 05時55分45秒 | Weblog
 昨日は「愛国婦人会」のタスキを紹介しましたが、同じ入れ物に入っていたのが写真のトイレットペーパーです。驚きました。未使用のもので、仕様には次のように書かれています。一部が破損しており、読み取れる部分は次のとおりです。

機械漉塵紙類
  五號品
トイレットペーパー
 ×巻取 長尺 250巻  55匁

 三菱製紙株式会社高砂工場

 日本でトイレットペーパーがつくられるようになったのは大正時代だったようですが、写真のものはおそらく戦前の昭和10年代のものだと思います。今のものと比べれば紙は固そうでおしりが痛いかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛国婦人会のタスキが

2009年11月20日 04時55分20秒 | Weblog
 写真は愛国婦人会のタスキです。加東市社の旧家で見つかったもので、この歴史ブログで郷土出身兵士の遺骨凱旋の話題がでていたので、ということで持ち込んでこられました。
 幅7.5㎝、長さ54㎝(半分)で、紫地に白字で愛国婦人会と抜かれています。
 愛国婦人会は、明治34年(1901)に創設された婦人団体で、昭和17年(1942)に解散されています。その目的は戦死者の遺族の救護が主なものであったようです。最盛期には約700万人の会員があり、全国的な規模の婦人団体でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和12年-郷土出身兵士への年末慰問金

2009年11月19日 04時48分33秒 | Weblog
 社区事務所の「軍事関係往復文書綴」(昭和12~14年)には、これまで紹介してきた郷土出身兵士の出征、凱旋、祈願など支那事変勃発以降の動向を示す文書が多く綴られています。
 その中に、昭和12年(1937)の年末に郷土出身兵士への慰問袋の贈呈についての通知がありました。


昭和十二年十二月三十日
      社町軍事後援会長
      社 町 長      大橋實次

社区長殿

 年末慰問金贈呈方ノ件

年末切迫シ御多端中恐縮ニ存ジ候ヘ共左記ノ通リ慰問金送付候条軍事扶助委員殿ト共ニ御手別ケ至急贈呈ヒ下度願上候

   記

一、県軍事後援会長慰問袋 二五包  仝手紙五葉(現役兵ニシテ内地勤務者ハ除キアリ)
一、愛国婦人会慰問袋 一七包  (出征軍人家族ノミ)別紙領収証ヲ□サレ度
一、愛国婦人会救護金  八包  (会ヨリ指定者ノミ)
一、町軍事後援会慰問金 一七包  (曩ニ救護ヲ除ク全部)区長ノ領収証印セラレ度
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

郷土兵士-遺骨の凱旋⑭

2009年11月18日 05時08分46秒 | Weblog
 戦死した郷土出身兵士の町葬について連続で資料を紹介していますが、今日は参列寺院について紹介します。旧社町の寺院のみならず、滝野町、福田村、中東条村の寺院も参列しています。
 写真の図は、遺家から葬場の社小学校までの地図です。山国から社へ、本町通りから田町通り、さらに学校道を通って社小学校までのルートが記されています。学校道には、小学生や各団体、一般の町民が整列して葬列を送迎する配置になっています。



参列寺院

一、導師   亀田隆圓僧正
一、副導師  善龍院、持寶院
一、古義真言宗特使  田村快賢僧正
一、特招寺院
  山国 妙仙寺   社 圓妙寺  社 法蓮寺  窪田 教福寺
  社 観音寺  タキノ 花蔵院  タキノ 多聞院  北野 東光寺
  上田 教王院  上田 正覚院  南坊 神咒寺
一、会奉行
  来住 常楽寺  中東条 東福寺  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

郷土兵士-遺骨の凱旋⑬

2009年11月17日 04時30分50秒 | Weblog
 今日は町葬執行計画案の「別紙三」に示された、葬列の順序を紹介します。


別紙三
 葬家ヨリ葬場ニ到ル葬列順序

1.銘旗
2.弔旗
3.山国区青年支部
4.山国区消防
5.山国在郷軍人
6.儀仗隊(青学)
7.花輪
8.前火(タイマツ)
9.燈籠
10.四本幡
11.花籠
12.鶴亀
13.香爐
14.□花(ハナ)
15.盛物
16.奠湯
17.奠茶
18.御膳
19.特招待寺院
20.副導師
21.導師
22.軍服
23.位牌
24.写真
25.儀仗兵 輿 儀仗兵
26.天蓋
27.杖
28.傘
29.儀仗兵
30.町長
31.町議区長各団体長代表
32.社町分会長
33.山国婦人団体
34.山国区其他一般

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

郷土兵士-遺骨の凱旋⑪

2009年11月16日 05時30分17秒 | Weblog
 戦死して遺骨で凱旋した郷土兵士の町葬はどのような式順で行われたのでしょうか。町葬執行計画(案)の別紙に示されている町葬の次第を紹介します。


別紙 一

 故 陸軍歩兵上等兵 宮野幸重君 町葬儀

    式順

一、一同着席(午後一時号砲合図)
    ラッパ(気ヲ付ケ)吹奏
    一同最敬礼
一、挙式ノ辞
一、黙祷(一同起立一分間)
一、管長回向文
一、副導師作法
一、導師作法(一同起立)
一、葬儀委員長祭文(町内一般起立)
一、参列者焼香並弔辞
一、読経(此間焼香)
一、弔歌
一、遺族謝辞
一、閉式ノ辞
   町外参列各位退場
   遺骨退場
   職衆退場
   一同退場

 ▲弔辞ヲ供セラルル方ハ受付ヘ申出ラレタシ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする