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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和7年-チブスの予防注射

2013年09月30日 04時59分44秒 | Weblog
 昨日のチブス予防ポスターの貼付依頼に続き、チブス予防注射の実施に関する通知を紹介します。関係者は進んで注射を受けるように、との注意も書かれています。



 昭和七年七月十八日
                   社 町 長
 区長及衛生部長 殿

    チブス予防注射施行期日ノ通知

先般通知致シ置キ候チブス予防注射ヲ明日(十九日)午後一時ヨリ社町公会堂ニ於テ兵庫県防疫官出張施行スル様其ノ筋ヨリ通知有之候条時節柄最モ必要ノ事故関係諸士ハ其ノ筋ノ注意ヲ受ケザル様各自進デ実行セラルル様念ノ為メ申添ヘ置キ候
要注射人員ハ左記ノ通リニ候条戸主ニ伝達相成度又注射ヲ受クベキ者ハ前日ニ入浴シ置キ注射後ハ多少発熱スルヤモ知レザルニ付キ安静ニシ居サレル様特ニ御注意相煩シ度候

    左記

※田中、西垂水の戸主名17名の氏名が書かれています。また、社の本町、西田町、東田町~上、西浦、下~二部については全部に施行とも書かれています。
注意として、9歳以下は施行しないとの注意書きが添えられています。
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昭和7年-伝染病予防ポスター配布

2013年09月29日 05時12分02秒 | Weblog
 昭和7年(1932)の社町社区長雑書綴に「伝染病予防ポスター」の配布に関する通知が綴じられています。昔は夏になるとチブスなどの伝染病が発生していました。私の小学生時代の記憶にも夏に川の上流の地域でチブスが発生しその夏の水泳は禁止になったことが残っています。戦前の昭和7年にも腸チブスの発生が多発し、このようなポスター配布となったようです。なお、通知文には「ポースタ」と書いてあります。二度出てきますから間違いではないと思われます。




 昭和七年七月十四日
        社 町 長
区長殿

 伝染病予防ノ為ポースタ配布ノ件(※ポースタは原文のママ)

炎暑ノ候ト相成各地ニ伝染病モ続々発生シツツ有之候本町内ニ於テモ本年度例年ニ見ザル多数ノ患者発生シ誠ニ遺憾ニ存ジ候付テハ別紙宣伝ポースタ(ママ)ヲ送付致シ候間各戸ニ配布シ適当ノ位置ニ貼付シ注意ヲ喚起相煩シ度候
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昭和7年-満州出動軍人の満期退営

2013年09月28日 04時47分34秒 | Weblog
 昨日は昭和8年(1933)の入営入団者の奉告祭を紹介しましたが、今日は満期退営者の出迎えに関する通知を紹介します。

昭和七年五月六日

             社 町 長

 区長様

    満州出動軍人満期退営ノ件通知

社町家原利山市雄氏今般満州ニ於テ武勲ヲ立テ今日満期退営遊サルル事ニ相成候就而ハ御多忙中ニハ候ヘ共モ氏ノ凱旋ヲ祝スル為メ多数出迎相成度此段御依頼申上候也

      記

社駅着時刻  五月七日(明日)午後二時五十分着
       加古川駅着 午後二時ノ予定
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昭和8年-佐保神社で入団入営者奉告祭

2013年09月27日 04時06分37秒 | Weblog
 昭和8年(1933)の社町社区長の雑書綴に陸海軍へ郷土から入営入団する兵士の奉告祭執行の通知が綴じられていました。その中には同じ町内の方の名もありました。今から80年前にはこうして多くの人が郷土から軍へ、そして戦地へと発って行ったのですね。写真は昭和10年代の佐保神社です。


 昭和八年一月四日
           社町長 石井市太郎
 区長殿

   入営入団者奉告祭ノ件

昭和八年度入営入団者ノ奉告祭ヲ来ル一月八日海軍兵トシテ入団スベキ左記ノ者ノ時ニ全員ノ奉告祭ヲ施行致ス可ク候条貴部内一般ニ伝達相成度此段通知候也

   記

一月八日午前九時佐保神社施行同十時三十分駅行自動車ニテ出発
一、海軍兵 喜田 岸本勇、大村茂雄 一月八日出発
二、朝鮮工兵 窪田 太田正雄    一月十四日出発
三、姫路部隊 社 川崎伍一、山国 藤本一二、西垂水 吉田英治、上中 依藤巻太郎、  貝原 吉田 弘、外ニ六日入営者二名(朝鮮部隊)
    
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昭和8年-社警察署演武始式礼状

2013年09月26日 05時00分45秒 | Weblog
 昭和7年(1932)の社町社区長の雑書綴の中に区長宛ての一枚のはがきが綴じてあります。内容は演武始式の礼状でした。
 今も新年に社警察署では術科始式が行われ、柔道、剣道、逮捕術などの演武が披露されます。当時は社市街地に警察署がありました(現在のみなと銀行やしろ支店)。さぞ盛大に行われたのでしょう。写真は昭和10年代の社警察署庁舎です。


拝啓厳寒の候尊堂愈御清穆大慶至極奉存候
陳者戦犯当署演武始式挙行候処多大の御同情と御後援
を賜り御陰を以て近年稀に見る盛会に終了仕候は偏に
貴下の賜と存じ感激に堪へざる次第に有之早速拝趨御
礼申述べき筈の処乍略儀取不敢御礼御挨拶申上度如斯
に御座候
 尚将来一層の御指導と御援助の程懇願仕候

 昭和八年一月十七日

   社警察署長  妻 鹿 信 吉
          署 員 一 同
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昭和7年-佐保神社秋祭案内

2013年09月25日 04時48分18秒 | Weblog
 彼岸も過ぎ、田圃では稲穂が豊かな実りに色づいてきました。彼岸花、コスモスが青い空の下でまぶしく光っています。秋到来。いよいよ祭りの季節です。加東市佐保神社の秋祭りは今年は10月12日、13日ですが、以前は15,16日と決まっていました。昭和7年(1932)の当時の社町社の区長雑書綴にその案内状が綴じられていますので紹介します。


拝啓時下秋冷之節 益々御清福奉賀候陳ハ
当神社例祭典来十月十五日、十六日ノ両日間如例
執行仕候間御一同賑々敷御産経被遊候様御
村内皆々様へ宜敷御鶴声被下度 且ツ 
 祭礼人足別紙切符之通リ御差シ向ケ方伏テ御依頼申上候
 尚ホ又
右十月十六日ノ例祭儀式ハ午前九時三十分
執行仕候ニ付何卒是非御参列被成下
度御案内申上候
 追伸 当日参列員ノ集合所ハ郡公
会堂ニ御座候

  昭和七年十月八日
    加東郡社町
      県社佐保神社
        社 務 所

社町社区長殿   
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昭和7年-国民更正運動の講演会が社町元公会堂で

2013年09月24日 04時17分45秒 | Weblog
 昭和7年(1932)当時の社町社区長の雑書綴に、国民更正運動の講演会に関する通知が綴じられています。当時、国民自身が自力更生をもって精神運動、生活改善、生産運動に立ち上がり国力の増強に立ち上がろう、といった国民更正運動が始まり、その趣旨徹底のための講演会が開催されたのでしょう。
 社町元公会堂とは加東郡公会堂のことで、現在は加東市明治館となっています。


 昭和七年九月三十日
           社 町 長

 各区長 殿

  国民更正ニ関スル講演会開催ノ件

国民更正運動ノ趣旨徹底ヲ期センカ為メ来ル十月二日午後一時県並ニ加東郡町村長会主催ヲ以テ標記講演会ヲ社町元郡公会堂ニ於テ開催相成候条万障御繰合セ御出席相成度猶貴分内有志可成多数御勧誘聴講候様御取計ヒ相成度此段及通知候也

当日ノ実施計画
1.午後一時開会(時間励行) 2.午後一時ヨリ三時迠講演
3.午後三時ヨリ仝四時三十分 座談会
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昭和7年-社町公会堂で軍人の講演

2013年09月23日 04時35分36秒 | Weblog
 戦前は帝国在郷軍人会の社町分会による行事がいろいろ行われていたようです。昨日も忠魂碑での招魂祭を紹介しましたが、今日は昭和7年(1932)に開催された講演会の案内通知を紹介します。
 会場の社町公会堂は、元加東郡公会堂すなわち今の加東市明治館です。講師は元満州派遣軍第八旅団長の村井少将となっています。今の私達にはこの肩書がピンときませんが、当時の人々にとっては偉い軍人ということだったのでしょう。写真は昭和10年代の公会堂です。


 昭和七年十月六日
             社町分会会長  石井梅太郎

区長殿

  講演会開催ノ件通知

来ル九日社町公会堂ニ於テ前満州派遣第八旅団長村井少将閣下ノ講演会開催相成ル事ニ候条別紙宣伝ビラ配布方及多数出席相成様御以来候也
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昭和7年-忠魂碑前で招魂祭

2013年09月21日 19時27分03秒 | Weblog
 今から81年前の昭和7年(1932)9月21日、忠魂碑(現加東市明治館前)の前で招魂祭が行われています。案内通知には「英霊を慰むる意味」とあり、西南の役以来、郷土から出征して戦地で戦死、病没された英霊の慰霊を行っています。
 今では当時に加えて大東亜戦争で戦死された英霊の御尊名も刻まれています。写真は今の忠魂碑です。


 昭和七年九月二十一日
         社町分会長   石井梅太郎
         社町老兵会長  光眞杢太郎

      殿

  戦病没者招魂祭施行ノ件通知

例年ノ通リ本年モ来ル二十四日午前七時右ノ二団体共同ニテ忠魂碑前ニ於テ招魂祭(神式)ヲ以テ施行致ス可ク候間御多要中ニハ候ヘ共モ英霊ヲ慰ムル意味ヲ以テ御参列ノ栄ヲ得度此段及御案内候也
追記
猶当月ハ加東郡聯合分会武術大会ヲ午前六時ヨリ社町公会堂ニ於テ実施セラルルニ付キ正午前七時ヨリ祭典ヲ行フニ付キ念ノ為メ
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大門の大歳神社-寛政の水盥

2013年09月20日 04時09分35秒 | Weblog
 昨日は加東市大門の大門橋東詰にある大歳神社の石灯籠を紹介しましたが、今日は石鳥居をくぐった境内の左手にある水盥石を紹介します。
 いかにも古そうな水盥石で、石盤の側面には「寛政四子年」と刻まれていました。西暦1792年のことですから約220年ほど前になります。
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大門の大歳神社-元禄の石灯籠

2013年09月19日 06時14分26秒 | Weblog
 加古川に架かる大門橋の東詰に大歳神社があります。大門はかつて加古川の舟運で、播州鉄道で賑わった町場です。大歳神社の境内、本殿前に一対の石灯籠があります。その建立年を見てみると、なんと元禄13年です。西暦1700年。今から310年余り前の古いものでした。翌元禄14年には浅野内匠頭が江戸城松の廊下で刃傷事件を起こし、15年には赤穂義士が吉良邸に討ち入りました。何とその頃の石灯籠が今も静かにさりげなく境内に立っている。驚きました。
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昭和7年-社小の校舎競売

2013年09月18日 04時49分44秒 | Weblog
 昭和7年(1932)、社小学校(現加東市立社小学校)の旧校舎の競売が実施されています。町長から区長宛ての通知と公告が当時の区長雑書綴に綴じられていますので紹介します。

①通知

 昭和七年五月十一日
         社町長 石井市太郎

各区長殿

  校舎競売通知ノ件

別紙ノ通リ社小学校旧校舎壱棟競売可致候ニ付テハ御部内希望者御勧誘ノ上入札セシムベキ様御取計被下度及御依頼候也


②競売公告

  競売公告
     昭和七年五月十一日
           社 町 長

加東郡社町社

一、社小学校西側校舎壱棟  建坪三十坪五合

右建物ヲ左記要領ニヨリ競売ス望ノ者ハ現建物熟覧ノ上入札書ヲ差出スヘシ

  記

一、入札期日     昭和七年五月十六日午後三時(即時開札)
一、入札場所     社町役場
一、入札保証金    入札価格十分ノ一
一、建物引取期日   昭和七年六月十日
一、競売代金支払期日 建物取潰ノ前日

                    以上
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昭和18年-廃電球、真空管回収について

2013年09月17日 04時29分58秒 | Weblog
 昭和18年(1943)、社町常会では毎月の徹底事項を決めていました。その9月常会徹底事項の中に、廃電球と真空管の回収に関する項目があります。(常会徹底事項はこの歴史ブログの2008.3.18付を参照してください)。


一、廃電球及廃真空管回収ニ関スル件
 過ル八月一碑ヨリ廃電球及廃真空管ノ回収スルコトニナリマシタ
 新球ヲ求メル場合ハ必ズ廃電球又ハ廃真空管ヲ持参セネバナリマセン
 但シ東南、紛失、若シクハ其ノ他ノ事故又ハ電球ヲ新ニ増設シタタメ新規ニ必要ナ者ニツイテハ書簡警察署長、町内会長又ハ部落会長ノ事実証明書ヲ附ケテ申込マネバナリマセン

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昭和15年-入営兵への通知

2013年09月15日 04時56分57秒 | Weblog
 昭和15年(1940)、軍人の入営の送迎に関する通知が社町長から各区長、入営兵に出されています。テレビや映画などで出征兵士の見送り場面をよく見ます。年代によって微妙に方法に制限があったりして違っていたようです。そうしたことをこのような文書を通じて知ることができます。


 昭和十五年十一月十八日
                社 町 役 場

入営兵殿

  入営出発ニ関スル件

曩ニ現役兵証書伝達式ノ際申置候モ尚左記御留意ノ上入営ニ関スル準備ニ万遺漏ナキヲ期セラレ度為念通牒候也

  記

一、入営ニ際シ一際ノ旗幟ハ廃止スルコト(若シ贈呈ヲ受クルモ門外ニ樹立シ得ズ)
一、入営兵ノ附添ハ本人疾病ニヨリ止ムヲ得ザル場合ノ外ハ廃止スルコト
一、入営兵ハ入営時ノ被服還送用ノ包紙ヲ準備シ置クコト
一、入営前ノ餞ケノ饗応ハ一切廃止スルコト
一、入営後国旗ヲ竹竿高ク掲ゲル風習アルモ防諜上廃止ノコト
  但シ軒先ニ掲グルハ妨ゲズ
一、入営日ハ(出発日ヲ含ム)国旗ヲ掲ゲ前途ヲ祝福スルコト
                           以上

二伸
 左記御承知被下度
一、入営日前一週間頃ニ入営旅費、及運賃割引証ヲ受領シタ上印鑑携行役場ニ出頭セラレ度
一、入営出発時刻ハ入営者ノ便宜ヲ計ルタメ同日出発者相談ノ上兵事係ト連繋ヲ取ラレ度
一、入営前夜ノ宿舎ハ其ノ都度通牒ス

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昭和17年-社部落常会協議事項

2013年09月14日 05時23分33秒 | Weblog
 大東亜戦争開戦間もない昭和17年(1942)1月、社部落常会(現加東市社)の協議事項が当時の文書綴に綴じられています。
 祈願祭や兵士の入営、歓送迎、生活改善などが協議されています。

 昭和十七年一月六日
           社部落常会協議事項

一、興亜奉公日毎月一日ノ祈願祭ヲ毎月八日、大詔奉戴日改メ前月同様祈願祭執行ノコト
二、入営応召(帰還)者ノ歓送(迎)等ニ関スル件
三、生活改善ノ事項ヲ再強化ヲ計ル件
四、生活実行ニ関シテハ翼賛会推進員之ニ当ルコト
五、時局柄物資不足ニ付集会ニ飲食セザルコト
六、企業許可令ニ関シ商工業者ノ届出ニ関シ援助方依頼ノ件
七、本年二月中ニ実施セラルル金属類回収ニ関シ援助方依頼ノ件
八、婦人消防団
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