ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和12年-納税精神の強調

2013年08月31日 05時06分01秒 | Weblog
 昭和12年(1937)、国民精神総動員の下、納税精神の強調について、ビラ配布の依頼が社町長から各区長宛てに出されています。納税の完全なる実施の重要性を認識させるための措置と記されています。当時の社区事務所(今の加東市社)の諸通達綴に閉じられているのですが、「ビラ」が閉じられていないのは残念です。 

 社通ニ第一一四九号ノ二
    昭和十二年十一月十七日
            社町長  大橋實次

各区長殿

  納税精神強調ニ関スル件

国民精神総動員ニ際シ国民納税ノ完璧ヲ強調スルハ重要ナル国民負担ノ義務ヲ覚醒理解セシムルニ最モ適切ナル措置ト認メ今般之ガ注意ニ関スル「ビラ」ヲ配布シ以テ之ガ普及徹底ヲ期シ度ニ付印刷物及送付候条各戸ニ配布方御取計相成度此段及御依頼候也
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昭和18年-年末年始の行事等簡素化に関する通知

2013年08月30日 05時08分41秒 | Weblog
 昭和18年(1943)の年末、社町役場から各区長に宛てて、年末年始の行事等の簡素化に関する通知が出されています。戦局が厳しくなり、物資等の不足などから門松、乄飾りなども簡素なものとするよう通知されています。紙製の門松や乄飾りも18年には製造ができない状況にあったこともわかります。通知は次の通りです。




 昭和十八年十二月二十二日
                 社町役場
各区長殿

 年末年始対策ニ於ケル門松等ニ関スル件

年末年始ニ於ケル対策ノ中門松乄飾ノ如キ正月行事ハ皇国伝来ノ美風ニシテ神事トノ密接ナル関係アリテ此ノ点大東亜戦争ノ急迫セル資材□□輸送事情ヲ秀慮シ能フル限リ簡素ニシテ実質本位ノモノトナス様、其ノ筋ヨリ通牒ノ次第ニ有之候ニ付キ乍御手数左記ノ如ク徹底セシメル様御配慮相煩度此ノ段乃御依頼候也

       記

一、門松ハ凡テ小枝程度ノモノトスルコト

二、乄飾ハ稲穂ヲ用ヒズ簡素ナルモノトスルコト

三、銀行、会社、料理店、旅館等ノ大仕掛ノモノハ此際一切廃止ノコト
 追テ昨年迠□施致シシ紙製門松乄飾代用品ノ資材関係上本年ノ製造出来難ク候ニ付左様御了承被下度申添候也
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昭和19年 桐の増殖を

2013年08月29日 05時21分57秒 | Weblog
 昭和19年(1944)、戦局が厳しさを増す中、軍の要請によって桐材の増殖が行われました。このブログでも当時のビラを紹介しましたが、19年4月には桐材の不足からさらに増殖が求める通知が出されています。桐材は木製飛行機の材料になっていました。


昭和十九年四月二十一日
            社 町 長
各区長 殿

  桐増殖ニ関スル件

桐材ハ昨年十月農林省ヨリ物資動員計画ニ基ク生産割当命令ヲ発セラレ本県ニ於テモ之レガ完遂ニ鋭意努力致シ居候然シ過去ニ於ケル乱伐ノ結果立木モ僅少ト相成リ此ノ儘推移スレバ前途甚ダ憂慮ニ堪ヘサルモニ有之今回兵庫県桐材統制組合ヨリ該運動ニ関シ通牒ノ次第モ有之候ニ付貴部内一般ニ桐材増殖方奨励相成度
 追テ希望ノ向有之候得バ取纏メ御申込相成度申添候
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昭和19年-嬉野錬成場の負担

2013年08月28日 05時34分36秒 | Weblog
 社区(今の加東市社)の社町役場よりの書類綴(昭和十七年以降)の中に、昭和19年(1944)2月に社町長から区長宛てに協議費及錬成場の特別負担督促状が綴じられています。
 社町史によると、昭和16年に、県下の青少年学徒に国防訓練や航空技術の訓練をするために、県立嬉野学徒錬成場がつくられることになり、社高等女学校や青年学校の生徒が整地作業に出たそうです。18年に竣工し、八紘寮もつくられました。これが、後の県立嬉野台公民研修所、今の生涯教育センターの前身であるわけです。錬成場の建設にあたっては地元が汗も資金も負担したということです。
 写真は生涯教育センターに保管展示されている当時の嬉野のグライダー滑空訓練場のものです。

 
昭和十九年二月十八日
            社町長  合田常蔵
社区長殿

 協議費及錬成場特別負担督促ノ件

左記ノ金額支給御納付相成度此段督促候也

     記

一、嬉野開発寄付金  二七〇円三〇

二、嬉野開発特別負担金 三二八五円七四

三、銃剣道振興会費   一五三〇円〇〇

 計 金 五〇八六円〇四

 追書 他ニ未納モ有之候ヘドモ前記負担ハ支払上又ハ事業遂行上急ヲ要スルモノニ付御含ミ願タシ

 
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昭和19年-社の忠魂碑前で春季招魂祭

2013年08月27日 04時54分48秒 | Weblog
 昭和19年(1944)の春、社町(今の加東市立社小学校区域)の忠魂碑の前で招魂祭が行われています。加東市社の市街地南端の明治館(元加東郡公会堂)の庭にある忠魂碑についてはこれまで何度もこの歴史ブログで紹介してきましたが、69年前の春、在郷軍人会の主催で招魂祭、入魂式が行われていました。紹介するのはその案内です。写真は現在(今夏)の忠魂碑です。


謹啓 春寒料峭ノ候御高堂愈々御清栄奉賀上候
 陳者来ル三月二十一日春季皇霊祭ノ当日ヲ卜シテ第二十六回春季招魂祭及殉国勇士(左記記入)ノ入魂式ヲ左記ニ依り挙行致スベク候間御多繁ノ御事トハ存候モ御繰合セ御参列相成度
此段御案内申上候  敬具
 
 昭和十九年三月十七日
           帝国在郷軍人会社町分会長  菅井良吉
           社町軍友会長        神崎福麿

       殿

   左記
一、日時   三月二十一日 午前八時三十分
一、場所   社町忠魂碑前(郡公会堂庭)
一、入魂勇士名
    故 陸軍兵長  岸本次男
    故 陸軍一等兵 石井鴻太郎
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昭和12年-軍艦「長鯨」乗艦の案内

2013年08月26日 05時21分47秒 | Weblog
 昭和12年(1937)、社区事務所(今の加東市社)の諸通達綴の中に軍艦便乗及観覧に関する通知が綴じられています。軍艦は呉鎮守府の潜水艦母艦「長鯨」で、乗艦希望者を募っています。淡路の福良港と高砂港、高砂港と飾磨港間での乗艦だったようです。

社通第一,三一五号ノ一
 昭和十二年五月十八日
               社町長代理 助役  山本重治

各区長
      殿
各種団体長

  軍艦便乗及観覧ニ関スル件

軍艦長鯨ニ於テ執行ノ本年度呉鎮守府艦上簡閲点呼執行ノ際便乗又ハ観覧許可相成ニ付左記事項御了知ノ上周知方御取計相成度此段及通牒候也

    記

一、便乗ニ関スル件
1、便乗許可範囲
 官公吏、帝国議会県会及市町村会議員、帝国在郷軍人会々員、新聞雑誌記者、軍事功労者、軍人扶助団体、後援団体、学校教職員及高等小学校以上ノ学生生徒

2、便乗日時及区域
 自六月五日午后一時    福良発ーーー→ 高砂着
 至 同日午后五時
 自六月六日午后三時三十分 高砂発ーーー→ 飾磨着
 至六月六日午後四時三十分

3、便乗希望者ハ役場兵事係迠申出ラレ度(個人別ノ願書ハ受理セザル由ニ付御了知相成度)

4、員数ニ制限アルニ付許可セラレザルコトアリ
5、乗退艦ニ要スル艀船賃ハ徴収ス
6、天候其ノ他ノ都合ニヨリ軍艦ノ行動ニ変更アルコオアリ承知セラレ度
7、其ノ他ハ役場ニテ御説明申上ベクニ付省略ス

二、観覧ニ関スル件
1、観覧範囲
2、日時及艀船乗艦場所
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雷雨に負けず踊りの輪-新町、吉馬

2013年08月24日 06時11分42秒 | Weblog
 23日(金)、夕方から加東市内は雷雨に見舞われました。久しぶりの雨でまさに恵みの雨と喜ぶ一方、今日盆踊りを予定していた地区ではせっかくの準備が台無しになってしまいかねず気が気ではないだろうと思いつつ、車を走らせてみました。
 加古川の左岸、舟運の河港として栄えた新町の交流館前の広場には櫓が設けられ、踊りの準備が出来上がっていました。一旦止んだ雨が踊り出してすぐに降りだしましたが、加東よしよし音頭を踊ることができました。稲光で光る夜空と雨の下での盆踊り。これも忘れられない思い出となることでしょう。
 新町から東へ車を走らせ、加東市吉馬に向かいました。阿弥陀堂の前の広場で盆踊りが行われているはず。午後8時を回っていましたが、雨も上がり、これから踊りが始まる時に間に合いました。さっそく地区の女性部や役員さんの輪に入り、踊りました。
 この阿弥陀堂は加東四国八十八ヶ所の第七番霊場で、吉馬開発の祖、高瀬吉兵衛翁の記念碑があります。境内には北向き地蔵が祀られており、毎月21日には地区の人がお参りします。9月の彼岸には念仏講の高齢者と子供たちによる大数珠繰りが行われています。現在の区長の高瀬俊介氏は高瀬吉兵衛翁から数えて11代目。途中で雨も降り出しましたが、自ら先頭に立って「どうせ濡れるんだ」と踊っておられました。
 新しく購入したかき氷器でつくったかき氷を2杯もいただきました。地域の歴史、信仰、心の拠り所となっている阿弥陀堂の前で今年も賑やかに祭りができることが素晴らしい夜でした。

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昭和9年-近畿防空演習のお礼

2013年08月23日 04時26分56秒 | Weblog
 昭和9年(1934)の夏、近畿防空演習が行われました。その内容については、この歴史ブログで紹介してきましたが、防空委員に対して当時の社町長だった大橋実次氏から感謝の手紙が出されています。

拝啓
酷暑の折柄御尊堂益々御清祥慶賀の至りに御座候
却説戦犯の防空演習に際し公私御多用の中殊に炎熱厳しき折柄にも不抅連日御指導御援助を賜り御陰様にて良好なる成績を以て完了し所期の目的を達成致し候段寔に感謝に不堪厚く御礼申上候
實は親しく拝眉重々御礼申上度き本志に御座候へ共不取敢以書中御申上度如斯御座候
 尚兵庫県知事より左記の通達有之候条御伝へ申上候

 聖旨伝達ニ関スル件
今回近畿防空演習実施ニ当リ本日
侍従武官町尻砲兵大差ヲ特ニ本県下ニ
御差遣被為在優渥ナル聖旨ヲ拝受ス
右謹デ伝達候也
       以上
  八月二日
                大橋實次

防空委員殿
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昭和18年-12月社町隣組お知らせ ②

2013年08月22日 05時01分43秒 | Weblog
 昭和18年(1943)、社町(現加東市の社地域)の12月常会徹底事項のあとに綴じられている「隣組オ知ラセ」のつづきを掲載します。
お年寄りから薪を厚めに山に行ったという話はよく聞きました。また、木炭バスが走って、坂道にさしかかると乗客が降りてバスを押したという話も聞きました。このブログでも「報国薪」供出に関する資料を掲載したこともあります。しかし、木炭増産隊や薪増産隊という名称は初めて見ました。

三、木炭ヤ薪ノ増産ニ努メマセウ
冬ヲ切リ抜ケルタメニ一俵デモ多ク木炭ヤ薪ヲ生産シナケレバナリマセン。今度全国ノ生産地ニ木炭増産隊、薪増産隊ガツクラレマシタ。コレ等ノ隊員ニナラレタ人ハオ互ニ励マシ合ツテ割当量ハ必ズ生産スルヨウニシマセウ
消費者ハコノ生産者ノ御苦労ニ感謝シ極力節約ニ努メマセウ。

四、火ノ元ニ注意シマセウ
十二月一日ハ全国一斉ノ防火日デス。十二月ハ火災ノ多イ季節デスガ一寸シタ不注意カラコノ決戦下貴重ナ人命ヲ失フコトハ断ジテ許サレマセン火事ヲ出スコトハ敵ニ味方スルノト同ジコトデス此際オ互ニ一層火ノ元ニ注意シ火気ヲ取扱フ場所ヲ整頓シ残リ火ノ始末ヲ完全ニシマタ寝ル前ニ必ズ火ノ元ノ見廻リヲシマセウ。
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昭和18年-12月社町隣組お知らせ ①

2013年08月21日 08時59分07秒 | Weblog
 昭和18年(1943)、社町(現加東市の社地域)の常会協議事項綴の中に12月の徹底事項が綴じられており、そのあとに「隣組オ知ラセ」が綴じられていました。4項目ありますが、2回に分けて紹介します。



 隣組オ知ラセ

一、神宮大麻ハ天照大神ノ大御霊デス。国民各自ガ朝夕神宮ニ対シ奉リ崇敬ノ誠ヲ盡ス家庭ノ神祭リノ中心デス。コレハ伊勢ノ神宮ヨリ神職又ハ隣保長ヲ経テ各戸ニ頒布サレマスカラ漏レナクコレヲ拝受シ日々ノ決戦生活ニ輝ク神威ヲ仰ギマセウ

二、船員ニ感謝シ慰問激励ニ努メマセウ
 敵ノ執拗ナ反攻ヲ排シテ日夜海上輸送ニ挺身シテイラレル船員達ノ御苦労ハ前線ノ皇軍勇士ニ少シモ変リアリマセン町内会、部落会ヤ隣組デ、ソノ出身ノ船員ニ慰問文ヤ慰問品ヲ送リ心カラ感謝シマタ遺家族ノ慰問ヲモ怠ラヌヤウ致シマセウコノ外船員カ出動サレル場合ヤ帰還サレル場合ハ応召軍人ト同ジヤウニ行ヲ□□□□慰問ニ手落ノナイヤウニシマセウ

                                                    つづく
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今年も山国観音堂で初盆供養の盆踊り

2013年08月20日 05時05分23秒 | Weblog
 18日(日)夜、加東市山国の観音堂の前の広場でで盆踊り、花火大会が行われました。
 毎年8月18日に行われる山国地区の初盆供養の伝統行事で、今年も盛大に開催されました。近年は、近隣からも踊りと花火を楽しみに来られる人も多くなり、地区役員をはじめ、老人会、女性会、子ども会、消防団など地区の各団体で構成される実行委員会の皆さんが総出で、進行、警備、踊り、おでん、フライドポテト、かき氷などの接待に汗をかいておられました。特におでんは実においしくいただきました。
 山国地区は標高100メートル余りの高台にあり、打ち上げられる花火は社の市街地からもよく見えます。提灯の明かりが消され、観音堂の背後の夜空に開く花火は壮観です。
 踊りのはじめは「山国ふれあい音頭」。山国地区の自然や歴史、産業、そして人々の願いが表現されています。やぐらの上で太鼓をたたくのは地区子ども会の子ども達。青年の指導で次々とやぐらにのぼって、練習した腕前を披露しました。山国地区の将来を担う子ども達は、成長してももこの踊りのことを忘れることはないでしょう。地区住民手作りの盆踊りでした。

毎年紹介していますが、「山国ふれあい音頭」を紹介します。踊りでは、作詞者の石井さんも生で歌われました。

山国ふれあい音頭
  作詞 石井貴代子  作曲 岸本眞知子  歌手 友原幹雄・宮野浩子

ア、ソレ

一、水の恵みは 王子ケ池に
  昇る朝日を 水面にうつし
  山田錦の穂はそだつ
 ア、ヨイショ
  ふれあい音頭で よい よい よいよ
 ア、ソレ
  山国よいとこ よい よい よいよ

二、信州諏訪の 蔵元と
  まごころこめて さなえうえ
  実りゆたかな 山国の
 ア、ヨイショ
  ふれあい音頭で よい よい よいよ
 ア、ソレ
  山国よいとこ よい よい よいよ

三、無病息災 願いをこめて
  観音さんに 手を合わせ
  老いもわかきも 輪になれば
 ア、ヨイショ
  ふれあい音頭で よい よい よいよ
 ア、ソレ
  山国よいとこ よい よい よいよ

四、緑ゆたかな 権現さんに
  今年も豊作 願いつつ
  力あわせて のぼりたて
 ア、ヨイショ
  ふれあい音頭で よい よい よいよ
 ア、ソレ
  山国よいとこ よい よい よいよ
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昭和6年-佐保神社で12名の現役兵入営式

2013年08月19日 06時13分22秒 | Weblog
 昭和6年(1931)、社町長から社区長に宛てて、現役兵入営の奉告祭と入営式の案内が出されています。社町(今の加東市の社地域、社小学校区域)から12名の兵が入営しています。

 昭和六年一月二日
                      社 町 長
社区長 殿

   現役兵入営ニ付キ奉告祭及び入営式挙行ノ件

来ル一月五日午前八字社佐保神社ニ於テ本年度入営スベキ左記拾弐名ニ入営奉告祭執行引続キ入営式挙行致スベク候条貴部内有志多数参列相成候様御伝達相成度此段及通知候也

   左記

松尾、藤本桂、 山国、井上熊夫、宮野幸重、田中勲、 社、近藤之祐、末広泰治、 貝原、中西薫、 出水、大橋三二、  喜田、石井致一、大村栄、 田中、堀内留治、  梶原、岸本哲夫
   
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昭和6年-先生の歓送迎会の案内

2013年08月18日 06時55分45秒 | Weblog
 昭和6年(1931)の社町社(現在の加東市社)の区長雑書綴に社小学校の先生の歓送迎会開催の案内が綴じられています。主唱者の石井一太郎氏は当時の社町長です。

拝啓陽春ノ候益々御健勝ノ段慶賀ノ至リニ奉存候
陳ハ前社小学校長田中正一氏前社農業補習学校助教諭小林忠太郎氏神田ムラ氏、新任社小学校長大西俊一氏ノ為メニ左記要項ニヨリ送迎会開催可仕候間万障御繰合セノ上御出席被下成度此段御案内申上候 敬具
 追テ準備ノ都合有之候間貴部内有志多数出席候様御勧誘ノ上出席者ノ氏名来ル十六日迠ニ社町役場ヘ御通知被下度候

 四月十三日

    主唱者   石井一太郎
          三浦松太郎
          岸本定八
          増田政次

各区長 殿

     記

一、日時  四月十八日午前十一字
一、場所  社町公会堂
一、会費  金壱萬円(当日御持参ノコト)  
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伝統の柱祭り-黒谷の夜空を焦がすヤマの炎

2013年08月17日 05時23分32秒 | Weblog
 16日(金)の夜、加東市の旧東条町の黒谷地区の若宮八幡神社の境内で夏祭りが開かれました。地区の老若男女はもちろん、他地区からの踊り手さんや今年で11年目となる交流で大阪の若者らも参加して、踊りや余興のビンゴゲームが行われました。地区の方によれば20年ほど前から夏祭りの賑わいを取り戻そうといと取り組みを積み重ねてきた結果、こうして賑やかに開催されるようになったということでした。  
ところで、この黒谷地区では、8月16日に「柱まつり」が行われ、「ヤマ」とよばれる松の木を軸にしてつくられた大きな木の柱を燃やす伝統行事が行われてきました。夏祭りはその柱祭りの前に行われているものです。

10時過ぎ、盆踊りも終わり、いよいよ柱祭りが始まりました。神主さんと黒谷地区の役員さんらが若宮八幡宮の本殿で神事を行い、松明に火がつけられました。その火を先頭に神主さん、役員さん、そして地区住民の皆さんが八幡神社を少し東に下ったところにある民家の庭の前につくられた「ヤマ」まで歩いて運びます。
 「ヤマ」は8月7日に当番の組(黒谷地区には上、下の2組がある)の人々が伐り出して今日16日まで乾燥させておいたものを組んてつくったものです。高さは家の屋根ほどあり、山に見立てたものだと言われています。軸となる松の木のてっぺんには御幣がつけられています。雨が降っても風が吹いても7日に伐りだし、16日に組むということが決まっているということです。近頃は適当な松が少なくなり木を選ぶのに苦労しているということでした。
 役員の手によって「ヤマ」の根本の部分に点火され、しばらくすると炎が上がりはじめました。ここ数日続いている猛暑のため木はよく乾燥しており、炎は一気に「ヤマ」を立ちのぼり、夜空に火の粉を舞い上げます。
あっという間に「ヤマ」は炎に包まれ、近くにいることができないほど熱くなります。そして、ついに御幣に火がつき、夜空に火の玉のように舞い上がっていきました。
「柱祭り」は、今年3月に加東市教育委員会によって市の無形民俗文化財に指定されました。この珍しい祭りについては、これまでにもこの歴史ブログで紹介してきましたが、地元の方から教えていただいたことを再掲します。

この「柱まつり」について、地元の方からいろいろ教えていただきました。全国に黒谷という名の村が四ヶ所ほどあり、このような火まつりをしているということです。京都の大文字の送り火に関わりのある地域に黒谷というところがあるらしく、東条の黒谷も鴨川の清水寺に近く、西門(さいもん)という字名があるように清水寺に関係も深く、16日の火まつりという共通点がある、といった話でした。この「柱まつり」の歴史的な由緒などはよく分からないということでしたが、お盆の精霊送りの行事の一つだろうということです。また、「柱松」とよばれる行事が各地にあるらしく、お盆の精霊送り、豊作祈願、疫病退散など人々の願いが込められた伝統行事であることに間違いがないでしょう。「小さい頃からこのヤマの火を見て育ってきたんや」というお年寄りの言葉にあるように地域の伝統行事を大切に継承していこうという熱い思いが伝わってきました。








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68回目の終戦の日-社の忠魂碑

2013年08月16日 05時19分35秒 | Weblog
 8月15日(木)早朝、いつものようにウォーキングで社の市街地を歩いて、明治館の広場にある忠魂碑に参りました。
 昨日のブログで60年前の昭和28年(1953)3月の写真を紹介しましたが、60年後の今の忠魂碑が今日アップしている写真です。松の幹の太さが60年の歳月が過ぎたことを物語っています。背後の風景も今は樹木が繁っていますが、60年前は木が写っていません。
 講和条約が結ばれ、独立を回復した翌年に忠魂碑は英霊の尊名を刻んだ新たな碑を建てて整備されたものです。昨日の写真と見比べてみて下さい。
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