29日(月)、加東市秋津(常田)の住吉神社で、「昭和の日奉祝秋津百石踊り奉納」が行われました。コロナ禍で、練習などに制約があった間は公開されませんでした。昨年は公開されませんでしたが、内輪で行われたとのことでした。今年は5年ぶりに踊りが公開され、待ちわびた人々が境内で踊りの開始を待ちました。
10時から、神社拝殿内で、五穀豊穣を祈願するお祭りが、氏子地区区長さん、西戸雨乞い踊り保存会の皆さん、来賓らが参列して行われました。続いて、境内で伊勢神宮の遙拝、湯立て神事が行われ、参拝者全員で御嶽豊穣、天災災難除け、恵の天水を祈願し、笹の葉についた釜の湯を受けました。
いよいよ踊りが始まりました。太鼓、歌にあわせて、踊り手が拝殿と舞殿の間の広場に入場し、6番まで踊りが披露されました。「さらさら降る雨・・・」の歌詞に雨乞いの踊りであることを感じながら、その独特のリズム、コミカルで躍動的な動きの踊りに引き込まれました。
この踊りが復活され、その後、4月29日に奉納されるようになりました。コロナで公開されなかった間はさびしい思いでしたが、今日は本当に嬉しい気分でした。この踊りの由来について、以前にもこの歴史ブログで紹介してきましたが、再掲します。
秋津百石踊は、「旱魃の時には住吉神社の神前で踊って雨乞いをせよ」という神功皇后の言葉があったと伝えられている住吉神社の神事です。パンフレットの解説によれば、実際は室町末期から桃山初期の頃に雨乞い踊りとして始まったものだろうとされ、この踊りを一度催すと、百石分の経費を必要とすることから百石踊りと云われているそうです。もとは住吉神社の氏子村が参加していたそうですが、今では秋津の西戸(さいど)地区保存会だけが伝えています。
昭和47年に兵庫県の重要無形文化財に指定され、平成6年の日照りの年に雨乞い祈願で奉納されています。その後、東条とどろき荘で披露され、これを契機に、踊り保存継承の必要性などから、毎年日を決めて披露しようということになり、4月29日に奉納することになっています。
昭和47年に兵庫県の重要無形文化財に指定され、平成6年の日照りの年に雨乞い祈願で奉納されています。その後、東条とどろき荘で披露され、これを契機に、踊り保存継承の必要性などから、毎年日を決めて披露しようということになり、4月29日に奉納することになっています。
中央で太鼓を叩く若者は、父親の跡を継いでいました。また、会長さんの挨拶では、以前は子供の踊り手がいたが、今は、少子化で子供がいなくなったが、新しい踊り手も入り、伝統文化の継承に努めていきたいと思いを話されました。伝統文化の維持、継承は、神社や保存会、地区だけでは限界があり、行政や住民が高い関心と協力をもって取り組んでいく必要があります。伝統文化は、人々の元気な心、絆の源泉です。今日はそうした思いをあらためて強く実感しました。