ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和の日奉祝「秋津百石踊り奉納」 5年ぶりの公開に多くの見学者

2024年04月30日 05時55分48秒 | Weblog
 

 

 29日(月)、加東市秋津(常田)の住吉神社で、「昭和の日奉祝秋津百石踊り奉納」が行われました。コロナ禍で、練習などに制約があった間は公開されませんでした。昨年は公開されませんでしたが、内輪で行われたとのことでした。今年は5年ぶりに踊りが公開され、待ちわびた人々が境内で踊りの開始を待ちました。
 10時から、神社拝殿内で、五穀豊穣を祈願するお祭りが、氏子地区区長さん、西戸雨乞い踊り保存会の皆さん、来賓らが参列して行われました。続いて、境内で伊勢神宮の遙拝、湯立て神事が行われ、参拝者全員で御嶽豊穣、天災災難除け、恵の天水を祈願し、笹の葉についた釜の湯を受けました。
 いよいよ踊りが始まりました。太鼓、歌にあわせて、踊り手が拝殿と舞殿の間の広場に入場し、6番まで踊りが披露されました。「さらさら降る雨・・・」の歌詞に雨乞いの踊りであることを感じながら、その独特のリズム、コミカルで躍動的な動きの踊りに引き込まれました。
 この踊りが復活され、その後、4月29日に奉納されるようになりました。コロナで公開されなかった間はさびしい思いでしたが、今日は本当に嬉しい気分でした。この踊りの由来について、以前にもこの歴史ブログで紹介してきましたが、再掲します。

 秋津百石踊は、「旱魃の時には住吉神社の神前で踊って雨乞いをせよ」という神功皇后の言葉があったと伝えられている住吉神社の神事です。パンフレットの解説によれば、実際は室町末期から桃山初期の頃に雨乞い踊りとして始まったものだろうとされ、この踊りを一度催すと、百石分の経費を必要とすることから百石踊りと云われているそうです。もとは住吉神社の氏子村が参加していたそうですが、今では秋津の西戸(さいど)地区保存会だけが伝えています。
 昭和47年に兵庫県の重要無形文化財に指定され、平成6年の日照りの年に雨乞い祈願で奉納されています。その後、東条とどろき荘で披露され、これを契機に、踊り保存継承の必要性などから、毎年日を決めて披露しようということになり、4月29日に奉納することになっています。

 中央で太鼓を叩く若者は、父親の跡を継いでいました。また、会長さんの挨拶では、以前は子供の踊り手がいたが、今は、少子化で子供がいなくなったが、新しい踊り手も入り、伝統文化の継承に努めていきたいと思いを話されました。伝統文化の維持、継承は、神社や保存会、地区だけでは限界があり、行政や住民が高い関心と協力をもって取り組んでいく必要があります。伝統文化は、人々の元気な心、絆の源泉です。今日はそうした思いをあらためて強く実感しました。
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お前も朝のウォーキングか?新池堤をカタツムリが

2024年04月29日 05時02分44秒 | Weblog
 

 28日(日)の早朝、朝のウォーキングで、佐保神社から大師殿への道を歩き、新池の堤にさしかかりました。ふと、足下の道の上にカタツムリがいるのに気づきました。
 へえーと思い、立ち止まりしゃがんで、その動きを眺めました。以前にこの道の先の持寶院大師殿への石畳をわたっているカタツムリを見たことがありました。こんな朝早く、誰も歩かない時間帯に、この道を渡っていたんですんねえ。
まさかウォーキングではないでしょうが。
 この幅、2、3メートルほどのアスファルトの道を渡るのにどれほどの時間がかかるのだろう。それにしても、池の方から堤の法面の方へと渡っているが、池の側はコンクリート塀があるだけだし、どこから来たんですか?と聞きたくなりますね。
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鮎のぼり泳ぐ闘龍灘-3日には鮎まつり、花まつり、花火大会

2024年04月28日 04時11分05秒 | Weblog

 27日(土)の午後2時頃の闘龍灘の景色です。朝方はまだ雨が残っていましたが、午後には空は晴れ渡り、まぶしい初夏の日差しに包まれました。
 加古川中流部の加東市上滝野には、奇岩で知られる景勝地の闘龍灘があります。加古川右岸の闘龍スクエアに立つと、その全景が見渡せます。「滝」には、轟音とともに白いしぶきが立って、川の流れが落ちています。この闘龍灘は、昔から鮎の伝統漁法の筧漁で知られ、最近まで全国で一番早く鮎漁が解禁されることでも有名でした。今は2番目になっていますが、5月1日には、スクエアの水神社で川開き神事が行われ、一年の川の安全と豊漁が祈願されます。そして、3日には、鮎まつりが行われ、滝野地域の新1年生が稚鮎を放流し、その成長をいのります。天然鮎の遡上は、加古川内水面漁業組合の皆さんの願いでもあります。
 雨で今日の水量は多く、流れ落ちる滝は、迫力がありました。しかし、川そのものは、ゆるやかに静かに流れていました。
 大雨になると、今立っているところまで水が上がってきますし、流れの勢いは激しくなり、奇岩にぶつかった水はぶつかり合って荒れ狂います。
 3日には、水面に映える花火が美しく、奇岩とともに幻想的な景色を楽しむことができます。また、五峰山光明寺では花まつりが行われ、新緑とともに山頂の塔頭寺院めぐりを楽しむこともできます。
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イソヒヨドリー霧の朝のステラパークで

2024年04月27日 05時08分16秒 | Weblog
 

 26日(金)の朝、社の市街から嬉野台地の方を見ると、朝霧が出ていました。ウォーキングで社中央公園へと歩くと、すっかり新緑に衣替えした公園の桜や咲き始めたヒラドツツジなどの紅白が鮮やかでした。
 ステラパークで、周囲の藤棚の下に立ち、藤の花とその向こうに円形の芝生広場を眺めました。ふと見ると、芝生の上に鳥の姿がありました。姿形は、ヒヨドリのようでした。しばらく見ていると、芝生広場の周囲の石畳のところに飛んできました。目にも鮮やかな色のイソヒヨドリでした。一枚だけカメラに収めることができました。いつも高い所に止まって、美しい声で鳴くイソヒヨドリなので、下から眺めるばかりでしたが、今日は背中から見ることができました。
 こんな素晴らしい出会いがあるので、早朝のウォーキングが楽しくなります。

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朝の新池、夕の空、クルミの木の下

2024年04月26日 05時15分41秒 | Weblog
 


 25日(木)は、久し振りに青空が広がりました。雨と太陽の光を受けて,庭の木々や草花が一気に葉を広げ、花を咲かせています。その変わり様の早さにびっくりするほどです。
 クルミの花が地面に落ちて、イモ虫が這っているように見えました。木の先には米粒より少し大きい実がついていました。去年は不作でしたが、今年は生りそうです。
 朝の新池には、社の関電タワーと木が池面に映って、夕方の空には、高い空に雲の波しぶきが浮かんでいました。今日一日の社の景色を並べて見ました。

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明治26年発行『新撰髙等小學讀本』に掲載された空海の生涯

2024年04月25日 05時14分54秒 | Weblog

 地元の旧家にあった明治時代の教科書の中に明治26年発行の『新撰髙等小學讀本巻一』を開いてみました。東京府下谷の育英舎編纂になっています。
 その第十五講は、「僧空海」でした。今年は空海生誕1250年。讀本では、漢字カナ混じり文で、空海の生誕から入定までを高野山金剛峯寺の挿絵とともに紹介してあります。
 朝のウォーキングで、加東市社の持寶院の大師殿に参拝します。日本一の木像の弘法大師坐像の前に座り、合掌し南無大師遍照金剛と唱えながら、お大師さんのお顔を見ていると心が落ち着きます。高野山の奥之院では今も祈っておられる弘法大師に食事が届けられています。
 それにしても、明治時代には、こうして讀本教科書で弘法大師の生涯を学んでいたんですね。
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明治20年刊の尋常小学校讀本に書かれた招魂社の話

2024年04月24日 05時55分16秒 | Weblog

 以前に、このブログで明治20年刊の尋常小学校讀本を紹介しましたが、その第25講には、「招魂社」の話が掲載されています。

第二十五講 招魂社
招魂社は、吾等の国を護る爲めに、いのりをおとしし人を祭れるやしろなり。故に、吾等、招魂社にまゐる時は、真実に其恩を謝すべし。つぎに、招魂祭の歌をしるす

命を捨て、ますらをが、たてし功は、あめつちの、有るべきかぎり、語りつぎ、いひつぎ行かむ、後の世に。妻子にわかれ、親をおき、君が御爲めとつくしたる、其いさをこそ、やまざくら、後の世かけて、なほかをれ。親きょうだいの名をさへに、かがやかしたるますらをハ、此世にあらぬ後もなほ、国のしづめとなりぬべし。

 招魂社は明治維新で戦死した人の慰霊をするための社として全国各地に設けられたものですが、靖国神社はその後身で、国の為に戦死した人を英霊として祀り、慰霊する神社となったものです。明治維新から20年後の尋常小学校の教科書に招魂の意義について、招魂社や招魂祭の話を通して教えていたことがわかります。国のために戦死した人を英霊として祀り慰霊することは大切なことです。私も朝のウォーキングで忠魂碑を訪れ、英霊に対して感謝を捧げ慰霊します。その中には母方の叔父2人の名も刻まれています。
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大正8年発行の『修訂 實業修身訓』ー兵庫県立農学校で使われた教科書

2024年04月23日 05時57分44秒 | Weblog
 

 昨日は、大正時代に兵庫県立農学校で使われた『實業讀本』を哨戒しましたが、今日は、同校で使用された『實業修身訓』の教科書を紹介します。
 文学博士澤柳政太郎著、東京同文館版で、明治44年(1911)発行、大正6年修訂の教科書です。地元の旧家のご先祖が使用された教科書で、書き込みがいっぱいしてあります。ノートのメモも貼り付けてあり、勉強熱心な方だったことが伝わってきます。
 修身の教科書といえば、精神論かと思ってしまいがちですが、巻頭に教育勅語と戊申詔書が掲載されています。目次を見てみると、偉人伝や精神論ではなく、心理学や道徳理論などの項目が目につきます。実際に読んでみると、精神発達論、知識、情緒、情操などについての科学的な解説が続き、傍線、書き込みで埋まっています。きっと、新鮮な思いをもって勉強されたんでしょう。
 明治維新から約半世紀が過ぎ、日清、日露の大戦争に勝った日本は一等国の仲間入りをしたとはいえ、経済力はまだ三等国のレベルにあり、世界は白人が支配し、黄色人種は劣等と見られていました。そうした時代にあって、實業人が備えておかなければならない道徳性とその役割、意義を学べるようになっている教科書だと思いました。
 目次は次の通りです。精神の発達、知の修養、情の陶冶、意の鍛錬、我を知れ、良心の作用、克己の価値、幸福と人生、人格の完成、本務の目、徳と品性、理想的生活、道徳に根本の新旧なし、運命と努力、道徳と経済、道徳と法律、時代の要求する人物、国家の富強品位、世界に於ける帝国の位置、多事多難の前途、国民道徳の特色、道徳の力。
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大正6年刊『改訂新撰實業讀本巻三』県立農学校で使われた教科書

2024年04月22日 04時16分46秒 | Weblog
 

 地元の旧家に保存されていた古い教科書の中に、大正時代の兵庫県立農学校で実際に使われた教科書『改訂新撰實業讀本巻三』(文学博士佐々政一編、明治書院、大正6年発行)がありました。教科書の余白、行間には、教科書の持ち主のご先祖の書き込みがありました。熱心に勉強しておられたことが伝わってきます。
 県立農学校は、現在の兵庫県立農業高校の前身で、明治30年に創立され、明治34年には県立農学校と改称しています。
 さて、讀本ですから、どんな読み物が取り上げられているかと目次を見てみると、明治天皇御製、如何にして国家を愛すべきか、南洲遺訓、武士道と實業、服従と独立、乃木兄弟の水盃、黄色人種の自覚といった、国家を担って立つ職業人の自覚に関するものが多く、また、歴史、文化の教養を高める読み物も多く取り上げられていました。
 「黄色人種の自覚」では、明治三十七八年戦役(※日露戦争のこと)が世界に及ぼした影響として、白人種を優等人種とし、黄色人種を劣等人種とする世界の常識を変え、人種の平等をもたらす傾向が出てきたことを述べています。国際連盟において、人種平等を訴えたのも日本でした。
 西郷南洲の「敬天愛人」の遺訓を引いて、「事大小となく正道を踏み、至誠を推し、一事の詐謀を用ふべからず」と説いています。こうした先人の遺訓を讀本を通じて学び、精神と行動を確立していったんですねえ。県農は郷土の先覚者と仰がれる指導者を多く輩出しています。行間の書き込みから、当時の校風が偲ばれます。
 

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佐保神社のアオサギと八重桜

2024年04月21日 05時31分15秒 | Weblog
 


 20日(土)の朝、佐保神社の参道の大ケヤキのうち一本は新緑の葉をつけ、営巣するアオサギの姿も隠すほどでした。高い木の天辺に止まるアオサギが朝日を受けていました。ケヤキでも他の一本はまだ葉が出たばかりで、アオサギの巣や姿がよく見えます。
 境内の八重桜も満開でした。桜の生えている場所から瑞神門の方角を眺めると、大ケヤキの樹上にまだアオサギの巣がいくつも見えました。止まっているアオサギもいました。さぞ、見晴らしがいいのでしょうね。
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クルミの木に房のような花が

2024年04月20日 04時48分57秒 | Weblog

 この一週間で、景色は一気に新緑に衣替えしています。毎年この頃になると、わが家のクルミの木が若葉をつけ、緑の房が下がります。地面に落ちると、まるで緑色のイモムシのように見えますが、実はこの房が花だと聞いています。この房が花だとはどうしても思えませんが、やがてクルミの実がなると思うと楽しみになります。毎年100個程度は生るのですが、去年は不作でした。今年の実りを期待するばかりです。
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黄砂の朝、公園でツグミ

2024年04月19日 04時52分15秒 | Weblog
 


 18日(木)の朝も黄砂に覆われ、視界が悪く、ウォーキングで眺める三草山や五峰山も霞んで見えました。
 社中央公園では、芝生に下りて歩き回るツグミを見つけました。よく見かけます。花が終わり、葉が出て衣替えを始めた桜の木に止まったり、朝食を求めて地面を歩き回る姿は見ていて飽きません。
 9時過ぎに歯科医院で治療を受けましたが、いつもなら窓からよく見える五峰山が霞んでいました。先生もこんな強い黄砂は珍しいと話しておられました。

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佐保神社境内、バスターミナル駐車場の八重桜

2024年04月18日 05時39分55秒 | Weblog
 

 17日(水)、朝のウォーキングで佐保神社に参拝すると、境内の東の八重桜が満開でした。境内西のソメイヨシノの親子桜が散ったあと、東の八重が満開です。この八重の古木は、その幹は太く、一段高い塀から、枝を境内に伸ばしています。毎年華やかに花をつけ、この花越しに拝殿、本殿を眺めるのが楽しみです。現在、本殿の修復工事が行われており、拝殿の背後の本殿を覆う工事建屋が見えます。
 9時頃、佐保神社の西、ショッピングパークBioの南の加東市バスターミナルに商工会女性部の移動総会見送りに行きました。少し早かったので駐車場の道路側にの八重桜のを診ました。白い花が満開し、朝日にまぶしく光っていました。ターミナルには、加東市のにぎわい交流施設halk(ハルク)があり、コーヒー店、うどん店が入っています。待合室も快適で、Bioでの買物のついでに、あるいは通りがけに、ちょっと寄ってみて桜を愛でながら、休憩するのもいい施設です。
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春の朝、イソヒヨドリとキンクロハジロ

2024年04月17日 04時50分14秒 | Weblog
 

 春の朝のウォーキングは鳥たちとの出会いが楽しみです。佐保神社では、アオサギ。ため池ではカモ。電線には、ヒヨドリなどです。
 15日(月)の朝、社市街地の環状線を歩いていると、どこからか、イソヒヨドリのきれいな鳴き声が聞こえてきました。この鳥は、付近を見渡せる高い所、電柱や屋根の上に止まって鳴きます。社小学校の手前まで来たとき、電柱の天辺で鳴いているのを見つけました。胸から腹の色が橙色なので直ぐに見分けがつきます。カメラを向けても動じず、しばらく鳴き続けていました。
 環状線を家原に向かって下り、赤岸交差点まで来ると、県道の西に広い家原新池が広がっています。見ると、カモらしき数羽が泳いでいました。カメラをズームしてみると、黒と白の特徴のあるキンクロハジロでした。以前にも見たことがあります。朝食タイムのようで、盛んに泳いでは頭を水中に入れたり、羽ばたいていました。池の向こう側、道路から離れた場所を選んで集団で泳いでいました。キンクロハジロの名は、金色の目、黒い頭や羽、白い羽、腹から、そう呼ばれているとのことでした。そのままですね。

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幻の山桜2世-田中の広場に咲く

2024年04月16日 05時00分16秒 | Weblog
 

 先日のやしろ歴史民俗研究会で、参加者の加東市観光ボランティアの方から30年前の新聞記事のコピーをいただきました。加東市田中の薬師堂の桜と故堀内和男先生の記事でした。堀内先生はやしろ歴民研の会長でもあられました。
 そこにあったのは、「幻の山桜」でした。薬師堂の境内に植わっていた山桜は、自然にできる数百年に一度できる希少種の枝垂れ山桜で、安土桃山時代の京の都を描いた屏風絵などに描かれている超珍しい桜だとのこと(兵庫教育大学の山田卓三教授)で、今では京都では見られないものとの記事でした。古木なので、種を採取して2世づくりに取り組むとも書いてありました。
 ちょうど、田圃の作業をしておられた同地区の古老から、お話を伺うことができました。珍しい枝垂れ山桜なので、樹医さんを招いて希少種を残そうと接ぎ木をされたそうで、20本ほど苗木を育てたうち、今は一本が育っているとのことでした。
 先週土曜日にはまだ蕾がありましたが、今日はほぼ満開で、白い大きな花が垂れた枝いっぱいについて風に揺られていました。花びらの真ん中あたりに薄い紅色がついており、何ともかれんな美しさでした。
 この木があと10年、20年、30年と育って見事な枝垂れの花を風に揺らせてくれる風景が楽しみです。
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