ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

梅雨明け前の虹-山田錦の里で

2020年07月31日 05時41分12秒 | Weblog
 

 30日(木)の午後6時30分頃、県道神戸河東線を走っての帰路、三木市と加東市の市境、桃坂に近い辺りで虹を見ました。車を止めてしばらく眺めました。緑一色の田圃が広がり、農道を中学生が自転車に乗って帰っていきます。もう一カ所では、杉の古木と山田錦の幟、そしてすぐ近くの丘陵の手前から立ちのぼる虹を見ました。長梅雨で日照も少ない日々が続く中、梅雨明けも間近と知らせる虹なのか、などと思いながら空に架かる美しい色の橋を眺めました。
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長梅雨の庭ー雨をしのぐアブラゼミと竿先で休むトンボ

2020年07月30日 05時46分28秒 | Weblog
 

 長梅雨で、庭はまさに湿気100%の密林状態になっています。今日も昼すぎに雨が降りました。朝、耳が痛くなるほど鳴いていたセミは、どこに避難したのだろうと思って見てみると、ナンキンハゼの幹に茶色のアブラゼミ、通称ガラが止まっていました。雨が止み、一瞬の晴れ間に今度はトンボが飛んできて、庭に突き刺した細い竹の先に止まりました。黒と黄色のトラ模様のトンボでした。何を急いているのか、ゆっくりも休まず庭の木を飛び越えて西の駐車場の方へ飛んで行きました。梅雨はいつ明けるのでしょう。
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門柱から生け垣から-セミは抜け出る

2020年07月29日 05時52分49秒 | Weblog
 

 梅雨が一向に明けません。いつもなら夏休みで朝からラジオ体操なのに子供達はマスクや日傘をさして学校に行っています。そんな今年もセミは地中から這い出し、木や壁をよじ登り、羽化していきます。毎年門柱で羽化するセミがいるのですが、今年も見つけました。ただし、いつもの門柱とは反対側の門柱でした。そして、何十年も同じ生け垣から羽化するセミもいます。7年も8年も地中で過ごし、誰に教えて貰う訳でもなく、地中から這い出て羽化する。実に不思議です。この抜け殻を見つけては、なぜかほっとしています。
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庭に来て休むトンボ

2020年07月28日 05時53分23秒 | Weblog
 梅雨が明けません。毎日雨が降ったり、曇ってばかりの日が続いています。そんな日の午後、ふと庭に目をやると、トンボが茎に止まっていました。黒地に黄色の模様が入ったオニヤンマの小型のようなトンボでしたが、しばらく眺めていました。雨の日はどこでどうしているのかなどと思いながら、1本の茎にすがるように止まっている姿に何かひかれるものがありました。
 
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新滝見橋が開通-未来への架け橋

2020年07月20日 06時01分27秒 | Weblog
     

 19日(日)、加東市新町と上滝野に架かる滝見橋の新旧交代が行われました。加古川中流域の緊急治水対策として、橋脚が5本もあり加古川の増水時には流れを妨げることになる老朽化した滝見橋を撤去し、新しい滝見橋をつくる事業がついに完成し、竣工式、渡り初めが行われました。新橋は、旧橋の下流側につくられ、高さも2メートル余り高く、また両側に歩道がつき、何よりも橋脚は2本に減らされ、増水時にも流れを妨げない構造になっています。
 夏空が広がる好天の下、上滝野側で開通式のテープカットが行われ、出席者や地区住民のみなさんで渡り初めが行われました。また、橋の真ん中あたりで祝いの鏡開き、ドローンによる記念撮影も行われました。コロナ対策の制約の中ではありました、喜びに包まれた開通セレモニーでした。
 高くなった橋の上からは、上流に闘龍灘、下流に姫滝の岩場やすぐ眼下に加古川舟運の川港跡の岩場、さらに西には播磨高野の五峰山光明寺の山塊を望むことができ、まさに新しい滝野の絶景ポイントが誕生しました。90年余の長い間、両岸をつないで人々の往来を支えてきた旧橋はその役目を終え、午後3時に通行が終わりました。滝野東小の児童らの感謝の幕が張られその労をねぎらいました。両橋には、新橋の渡り初めと旧橋の渡り止めをする人々の姿が続きました。見下ろすと加古川の清流が夏の日にきらきらと輝いていました。
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戦地から愛娘に送られた絵はがき-「一日歴史博物館」(兵教大附属中昭和62年)

2020年07月19日 04時59分59秒 | Weblog
 

 昨日に続いて、兵庫教育大学附属中学校の第5回友嬉祭(文化祭・1987年)で2年1組の学級展示「一日歴史博物館」の展示品を紹介します。
 「戦争コーナー」には、出征兵士の幟や水筒、弾丸、階級章、軍服や外套、軍隊手帳、帽子、軍隊鞄、避難袋、勲章など家や親戚などにあった貴重な品物が展示されました。その一つに「戦地からの葉書」がありました。この葉書を出展した女子生徒が書いた解説には次のように綴られていました。
「祖父は母が生まれて間もなく昭和十八年に出征しました。祖父は陸軍で中国(その頃はシナ)へ渡りました。戦地より家族を想って写真や手紙を送ってきました。その中に幼い母への絵はがきがありました。それから二年後の昭和二十年八月十五日日本からの終戦の報告も知らずに戦死しました」
 私は当時、作成した「出展目録」のはしがきに次のように書きました。「自分の命につながる物ははかりがたい値打ちがあるといえる。展示物の中に戦地から愛娘(生徒の母親)に送られた一枚の絵葉書がある。その葉書につづられた一言一言に祖父のやさしい心づかいを感じ取った女子生徒がいた。私はその解説を読んだ時、この一事だけでも「一日歴史博物館」を企画した甲斐があったと想った。父祖の歩んだ道を物を通して息づかいや手のぬくもりを感じながら偲ぶ時、自分の命の重さを思わずにはおれないであろう。またいずれ自分も歴史の一瞬となることを自ずと学んでいくことだろう。そこにこそ、本当の意味で歴史との出会いが実現するのであると思う。」と。
 今も同じ思いをもってこの歴史ブログを書いています。
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『一日歴史博物館』出展目録から①趣味・娯楽コーナー

2020年07月18日 04時48分58秒 | Weblog
 昨日紹介した兵庫教育大学附属中学校第5回友嬉祭の2年1組学級展示(昭和62年11月)の約100点の出展物の目録のうち、【娯楽・趣味コーナー】展示品を紹介します。
【娯楽・趣味コーナー】
1.蓄音機・電気蓄音機
2.レコード(猛犬聯隊のらくろ軍曹・万才捨丸小原節・軍事物語荒鷲慕いて・流行歌大島追分・夕霧ぶし・児童劇のらくろ小隊長・端唄・クラシック田園他3枚・愛染かつら1~8巻と完結編・黒百合の歌・花のいのちは・月よりの使者他)
3.ハーモニカ楽譜(バグダッドの酋長・ベニス船唄・舌出三番)
4.グローブ(KOBE コドモヤ製)
5.本 茶道「浦のとまや」
6.本 華道「御大典記念 千代之栄」
7.絵葉書「皇軍軍歌集、道は六百八十里」「海軍特別大演習大観艦式」「日本航空」
8.雑誌(アサヒグラフ1959皇太子御結婚記念画報・毎日グラフ・週間朝日1960)

 写真は蓄音機。出展した生徒が書いた解説は次の通りです。
「この蓄音機は、父が子供のころよく聞いていたという品で倉の中の奥で眠っていたのを引き出してきた物です。横についているハンドルは取りつけたり取りはずしたりすることができます。それとこれは電気を使ってないのにけっこう大きな音がでるのにはびっくりしました。」
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一日歴史博物館-昭和62年の兵庫教育大学附属中文化祭で

2020年07月17日 06時09分37秒 | Weblog
 

 昭和62年(1987)の秋、兵庫教育大学附属中学校の文化祭-第5回友嬉祭(ゆうきさいー嬉野台地に学ぶ友と創りあげるという意味で生徒会が命名)で、2年1組は「一日歴史博物館」を開き、身近な歴史物を展示する企画を実行しました。あれから33年。当時14歳だった生徒は、47歳になっています。各自が家や身近にある品物を持ち寄り、その由来などを解説し展示しました。展示場所の図書室は分野ごとに展示され、生徒や保護者で賑わいました。蓄音機やハーモニカの実演も行われ、一日だけでしたが、普段は眠っていた品物がよみがえりました。一日ではもったいない企画だったと今も当時を振り返りながら思います。
 今日はその展示物の一部を紹介します。祖父の持っていた楽譜(昭和初期)で物置のタンスの中に眠っていたものです。当日、生徒はハーモニカで演奏を披露しました。文集には、こんな形で祖父の持っていた楽譜を演奏でしたのは嬉しい、と記していました。
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明治時代の社市街の地図に尋常小学校の名が-今は明治館と広場

2020年07月16日 05時42分18秒 | Weblog
 資料の整理をしていると、ファイルに明治時代前半の社村(現加東市社)の町の地図のコピーがありました。これは、十数年前に町の先輩から貰ったものでした。
 地図には、中央少し右のところに、「尋常小学校」と書き込まれています。現在は、明治館となっているところで、元は、社町公民館、元は加東郡公会堂の建物でしたが、この郡公会堂が建てられたのは明治末年のことでした。それ以前の明治時代の中頃まで尋常小学校があったのです。
 その後、学校は社小学校が建っている現在地に移転しましたが、それまで、近隣の子供達がこの場所にあった学校に通って学んでいたのです。朝のウォーキングで歩く、広場へ上る石段が通学路だったという話を「社小学校百年史」で読んだことがあります。石段を登りきると、忠魂碑がありますが、この碑が建てられたのは大正時代の末年です。明治から、大正、そして、昭和、平成、令和と時代を重ねてきた歴史的場所だったことをこの地図が再認識させてくれました。
 
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農道から畦へ、ハクセキレイが動き回る

2020年07月15日 05時10分26秒 | Weblog
 

 14日(火)の夕方、帰りに田圃を見に行きました。車を降りて、田圃を眺めていると、視界に動くものが飛び込んできました。ハクセキレイです。農道のアスファルトに降り立つと、すぐに畦の方に動き、一時としてじっとしていません。カメラを向けても焦点を合わす間もなく、畦から溝の中に飛び降りたかと思うとすぐに隣の田圃へ。雨が止んで餌の虫をさがしているのでしょうか。そういえば、田植え前に水を入れた時にもハクセキレイが飛んできたことを思い出しました。
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泥をつけたまま出てきました-今年もセミの声が

2020年07月14日 05時37分55秒 | Weblog
 

 梅雨の晴れ間となった12日の日曜日、妻がセミの抜け殻を見つけたというので見てみると、去年の抜け殻だと思いました。いくつもの抜け殻が家の壁や木の枝にしがみついたままになっいるので、これもその一つと思ったのです。しかし、よくよく見てみると、水道の蛇口につけたゴムホースの根元近くに去年から居たのなら見ていたはずと思いなおし、もう一度見てみました。体中に土をいっぱいつけて、それでも目だけはきれいでした。連日の雨で土は濡れています。そんな中、雨が止んだのを見計らって土中から出てきたんでしょう。昼間、私も鳴き声を聞きました。少し遠いところからでしたが、このセミかなと思いました。
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あじさいの葉にハグロトンボ-梅雨の晴れ間に

2020年07月13日 05時27分28秒 | Weblog
 長く続く今年の梅雨の雨ですが、12日(日)は晴れました。太陽の日射しと風は久しぶりでした。緑が濃くなった庭を見ていると、ハグロトンボが飛んでいるのが目に止まりました。さっそくカメラを取ってきて、戻ってみると、ちょうど紫陽花の葉に止まっていました。ときどき羽を広げて背伸びをしているように見えました。そのタイミングでシャッターを押したのがこの写真です。
 ハグロトンボは音も立てず、ひらひらというかふらふらというか、静かに静かに飛んでいきます。止まっているハグロトンボを見ていると、見ているこちらも心が安まります。
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地区子供会の樽神輿-昔は子供も多かった

2020年07月12日 05時26分00秒 | Weblog
 

 加東市社の3区。昔は加東郡社町社3区。佐保神社秋祭りの宵宮の午後、子供会が神輿を担いで町内を回っていました。3時過ぎからは上組の太鼓屋台が倉を出て町内を巡行します。
 わが家の子供達、今はみんな大人になって子供もいる世代ですが、小学生だった頃には子供会も賑やかでした。町内の喫茶店のマスターや建具屋のおじさん達が製作した樽神輿を子供会役員が毎年倉庫から出して組み立て、子供達を集めて伊勢音頭を流しながら回ったものです。集まった花は子供会の活動に活用させてもらっていました。佐保神社宮司さんに巡行の安全を祈願していただき、みんなで担いで回りました。
 今では子供会も解散し、樽神輿を入れていた農業倉庫もありません。神輿の部材はどこかに保存してあるとは思いますが。マスターも建具屋さんもすでに故人となりました。
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雨の田圃のカラス3羽

2020年07月11日 05時37分52秒 | Weblog
 10日(金)の夕方、激しい雨の降る中、帰りに田圃のようすを見に行きました。水はもちろんたっぷりと入っていますし、今日は強い風も吹いて、緑が激しく揺れて波のようでした。
 周囲の田圃は大豆が植えられ、緑の芽が濡れた土に点々と並んでいます。そんな中、畦に黒いものが。カラスでした。雨風をしのぐように身をくるめ、じっと耐えているようでした。そのようすをしばらく見ていました。
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梅雨の朝の登校ー学校道に傘の列

2020年07月10日 05時28分42秒 | Weblog
 各地で豪雨が発生し、毎日雨の日が続いています。今朝も雨が降り、子供達は傘を差して一列に並んで登校していきました。ちょうど午前7時40分頃には、社小学校に向かってまっすぐに延びる通称学校道の交差点で見守りに立っています。子供達はコロナウイルス対策で通学班も普段から一列になって登校していますが、雨の日は傘の長い列が学校まで続きます。傘が前後の間隔をとるのにちょうどなのかもしれません。
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