ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

佐保神社の神紋 三階菱

2024年06月30日 05時56分07秒 | Weblog
 

 

 梅雨空の朝、佐保神社に参拝しました。佐保神社のご神紋は三階菱です。『佐保神社誌』によれば、佐保神社には、三種の紋があり、三座の御祭神、東殿の天照大神(あまてらすおおみかみ)、中殿の天兒屋根命(あめのこやねのみこと)、西殿の大己貴命(おおなむちのみこと)にそれぞれ、五三の桐、山階菱、左三つ巴が配されていると書いてありました。
 三階菱は、中殿の天兒屋根命の紋です。境内で見回してみると、三階菱の神紋が賽銭箱、瓦などに描かれています。秋祭りの上組の太鼓屋台保存会の法被などにもこの三階菱が描かれていますし、社町の町章や社小学校の校章も三階菱を模したデザインになっていて、普段から三階菱の紋、デザインは見馴れていました。
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雨の日の通学路風景ー60年前と今、同じ場所に立つ私

2024年06月29日 06時12分46秒 | Weblog
 

 28日(金)の朝は、強い雨が降っていました。合羽を着けて登校見守りに立ちました。子供達は傘をさし、天気とはうらはらに何か元気そうに登校していきました。
 この交差点は、かつて社町役場があった場所です。私もこの交差点を通って、社小学校に通っていました。今から60年以上前のことですが、当時は、まだこの辺りにも田圃がありました。
 古い写真は、役場の窓から父親が私を撮ったものです。同じ雨の日に合羽を着て裁っているのが私です。向こうに見えるのは神田学園の建物です。和裁などを教えていました。
 それから60数年の歳月が流れ、今は役場はなくなり、駐車場と消防会館・消防団詰所が建っています。交差点付近の田圃は宅地に変わり、神田学園の建物もありません。同じなのは、私という一人の人間です。そう思うと、何か、人生を考えてしまう一瞬でした。
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梅雨空の社中央公園ステラパーク

2024年06月28日 06時24分56秒 | Weblog
  

 梅雨の頃は、朝のウォーキングで歩く社中央公園、ステラパークから見える景色も湿気に包まれています。
 ステラパークの金屋谷池を見下ろす円形公園の縁から見える五峰山や青野原台地、加西の山々も白く煙っています。
 播磨平野は瀬戸内気候で降水量が少ない地方ですが、このステラパークのある嬉野台地は、その中でも少なく、全国的にみても少雨地帯といえます。
 そうした気候条件にあっても、先人は米をつくるために土地を開き、池を造り、水路を築いてきたのです。この金屋谷池にも鴨川ダムから送られてきた水が入っています。東条川疏水のため池なのです。
 そんなことに思いをめぐらせながら、梅雨には、なくてはならない梅雨の景色を眺めました。
 
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大きく育つクルミの実

2024年06月27日 05時45分43秒 | Weblog
 

 今年は、わが家のクルミの木に実がたくさんついて、順調に大きくなっています。去年はなぜかほとんど実がつかなかったのですが、この調子だと今年は豊作になるでしょう。多い年で百個以上穫れたこともあります。
 近所の保育園に通う男の子がクルミの実を指して、リンゴと言っていました。そう、小さい青リンゴのようにも見えます。少し前ですが、実がまだ小さい頃にいくつか地面に落ちていることがありました。きっと鳥が来ていたんだと思います。とても固くて歯が立たなかったんでしょう。
 縄文人の貴重な食糧だったクルミ。大きくなっていく実を見ながら、楽しみにしていたんでしょうね。
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メタバースで文化財の紹介や教育への活用図る

2024年06月26日 05時00分27秒 | Weblog
 

 先日、加東市消友会の親睦会で、上田地区在住の黒田正憲さんと話す機会がありました。
 黒田さんは、市内でホープサンジャパンという名のデザイン事務所を経営しており、さまざまなデザインの仕事をしています。佐保神社の秋祭りのポスターも黒田さんの作品で、毎年お世話になっています。上田地区の夏まつりの企画・運営や伝統の獅子舞でもリーダーとして活躍しています。
 とにかく熱心で、以前から加東市の歴史や文化を題材とした3D動画の作成、紹介などにも取り組まれ、この歴史ブログで紹介してきた加東市社の持寶院の大師殿の弘法大師像の3D映像も作成されています。この弘法大師像は日本最大級の木像大師として知られていますが、この大師像がなんと、消友会の親睦会場にあったらという設定の画面をスマホで見せてもらいました。実際には、大きすぎてこの会場には入り切りませんが、こんな感じになるという例として特別に見せてもらうことができました。
 黒田さんは、これを教育に活用できればと考えています。教室に大師像を再現し、その姿や大きさ、前から後ろから、上からもその姿の映像を各自が持つタブレット端末で見ることができれば、子供の学習意欲や探究にも役立つのではと話していました。
 また、メタバースでアバターが寺院の建物の中に入り、歩きまわって仏像や内部の構造を見たりすることができる映像も見せてもらいました。なるほど、これなら、教育や観光に活用できるなと思いました。インターネットで世界のどこからでもアクセスできるので、世界に向けた発信ができます。
 私はアナログ人間なので、その仕組みはよく分かりませんが、こうした技術が教育や観光振興に新しい窓を開いてくれると思うと、さらに詳しく知りたくなりました。
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消防団詰所の赤色外灯巣作り続報 ツバメの下見から約1ケ月

2024年06月25日 05時12分37秒 | Weblog
 

 

 24日(月)、登校見守りに立ちました。子供達がやってくる前にやることは、通学路の交差点に面している消防団詰所の赤色外灯の付根のツバメの巣を見ることです。
 巣にいるツバメの姿を確認しました。まずは、一安心です。この場所にツバメの巣作りが始まったのは、ほぼ1ヶ月前の5月20日過ぎでした。ペアの2羽が飛び周り、詰所の正面の道路の上の電線に止まって、環境を調べているようでした。その後、以前の巣とは別に、泥を口にくわえてきては、まるで丸いレンガを積むようにして巣を作っていきました。約10日ほどで巣はほぼ完成しました。やがて、巣から頭だけ出しているツバメの姿を見かけるようになりました。時には、2羽の姿が見えず、巣作り、子作りを止めてしまったのか、と心配にもなりました。ですから、巣にツバメの姿を確かめるのが日課のようになっていきました。
 今朝も確認しました。卵は産んだのかどうか、ずっと1羽がいれば、温めていると思うのですが、2羽とも姿がない時もあります。これは、生まれてみないと確かめようがありません。楽しみと心配が入り交じり、複雑な心境です。

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学生時代の手作り唱歌集

2024年06月24日 05時45分03秒 | Weblog
 

 本棚を整理していると、和紙の絞り染めを表紙にした冊子がありました。
 「唱歌」と筆書きされたこの冊子は唱歌集で、大学生時代にサークルの合宿でもらったものです。
 開いてみると、26頁にわたり、78曲の唱歌の歌詞が書かれています。季節、人物に分類され、春から冬の四季を歌ったり、二宮金次郎や櫻井のわかれ、など偉人の歌がありました。活字ではなく、ガリ版刷りの手書きの印刷で、美しい文字でした。
 合宿の中で、参加者と一緒に歌ったことが思い出されました。その一つ、日露戦争の203高地の激戦のあと、乃木将軍とステッセル将軍が会見した水師営の会見を歌った「水師営の会見」も懐かしく、中学校の社会科の教師時代には、歴史の授業で「旅順開城約成りて・・・」と歌って聴かせたこともありました。
 この歌集を手にみんなで歌ったあの時から、約50年の歳月が流れたんですねえ。
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22日(土)の朝の空と大地の間で

2024年06月23日 05時40分16秒 | Weblog
 

 22日(土)、朝の6時過ぎからウォーキングに出ました。近畿地方もようやく梅雨入り宣言が発表されましたが、今朝の空はよく晴れていました。
 今日のコースは、市街地から社中央公園、市役所、百旗墓地の2キロ余りのコースで高低差が30メートルほどでしょうか。
 加古川の河岸段丘の中位面に発達した市街地から東へもう一段上がった面に市役所や中学校、高校などがあり、その西端部にめざす社中央公園があります。
 公園は、金屋谷池の堤を利用した傾斜のある緑の芝生と、池の東にある円形のステラパークから構成されています。歩くもよし、運動するもよし、寛ぐもよし、そして何よりも池の堤、ステラパークの外縁からの見晴らしは抜群で、空も大地もどこまでも広がっています。これも河岸段丘の恩恵です。
 ステラパークは円形の芝生広場になっており、各種イベントなどの会場としても利用されます。
 嬉野台地の西端部にあり、その上空の空の広さは宇宙にまでつながっています。また、眺望は、遠く青野原台地の地平線、五峰山光明寺の山並み、さらにその向こうには、加西市、西脇市・多可郡の中国山地の山々も望めます。空と台地の間で、心も体も大きく広がります。
 ステラパークには12星座を象った石造彫刻が配置されています。それぞれ、特徴がありますが、このブログでも紹介してきた牡牛座の彫刻は、両手を天に向かって衝き上げているように見える角が特徴で、何か元気が湧いてきます。ウォーキングでは、この彫刻の前で、ウォーを叫びたくなります。
 朝はこんなに晴れていたのに、午後遅くから雨となりました。貴重な晴れの時間だったんですな。 
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大甕にメダカの赤ちゃんが

2024年06月22日 05時26分04秒 | Weblog
 
 
 21日(金)、前庭の大甕を覗くと、メダカの赤ちゃんが2匹泳いでいました。見ていると、ほんに小さなメダカです。他にいないかと見回すと、もう一匹がいました。今年も生まれたんですね。
 これで何代目になるでしょうか。この大甕で小さな命を繋いでいます。
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続報:消防団詰所赤色外灯のツバメの巣

2024年06月21日 05時50分32秒 | Weblog
 

 20日(木)の朝、登校見守りに立ちました。早朝6時前から操法の練習で社分団の団員が集まり、ポンプ車で練習場に出かけていきますが、7時30分には見守りの時間です。
 詰所の赤色外灯につくられた巣には、ツバメの姿が見えません、まだ卵を産んでないのかなと心配になったりしますが、登校していく子供達を見送っている間に、巣に戻ってきたのか、一羽の頭や尾が見えました。そして、もう一羽が詰所の前の道路の上に張られた電線に止まっている姿がありました。
 道をはさんだ家の屋根には大きなカラスが、そして,隣の空き店舗の屋上には6羽の鳩が見えます。鳩はここに巣があるようです。先日はツバメが近寄ってきたスズメを追い払っているようすを見ました。ツバメの子育ても大変です。ヘビも卵やこどもを狙っています。毎朝、ツバメの巣を見上げながら心配する私たちです。

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榊の花が積もった御大神宮さんの屋根

2024年06月20日 05時20分09秒 | Weblog
 

 朝のウォーキングで佐保神社にお参りしました。拝殿での参拝をすませ、境内の西に並んでいる小宮さんのうち、私の住まいする社の田町筋の中田町町内会がお祀りしている御大神宮さんに参拝します。
 その屋根には祠を覆うように枝を伸ばしている榊の木の花がいっぱい落ちて積もっていました。榊の木には、まだ小さな花がいっぱいついていました。普段は、こんなにじっくりと榊の花を見ることはありませんが、祠の屋根、玉垣の内側、そして地面に落ちている花を見ました。この日見た花びらは白くなくなっていましたが、こうして毎年咲いていたのかと思うと、余り気に止めたことがなく、すまないという思いがしました。
 昭和のはじめまで田町筋にあった御大神宮さんの祠ですが、バス道になるというので、佐保神社の境内に遷されたものです。そもそもの由来は、江戸時代の終わり頃に、空から御大神宮さんのお札が舞い落ちてきたことをありがたく思った人々が祠を建て、お祀りしたものだと伝承されています。
 毎年7月25日には、町内会でお祭りをします。朝から、草引きや掃除、お供えの準備、夕方には幟を立て、お供え物をしてお参りします。町内会の老若男女が集まる年に一回のお祭りです。
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昭和10年代はじめの社小学校奉安殿の前で記念撮影

2024年06月19日 05時45分49秒 | Weblog
 

 古い写真の中に、社小学校にあった奉安殿の前で撮影した一枚がありました。写っている生徒や先生等の中に誰か知っている顔はないかと舐めるように見ました。すると、私が小学生だった昭和40年頃の校長先生の顔を見つけました。岸本格先生です。この写真は、昭和10年代はじめの頃のものですから、岸本先生は20歳代だったんでしょうか。
 奉安殿の前に植わっている松の木は立派な枝ぶりです。そして、背後に見える校舎の屋根は、本館が建てられる前にあった校舎で、私が在校した頃には、この場所には2階建ての本館があり、当時は一番北にあった古い平屋の校舎で、1年生の教室になっていた建物だと思います。本館が竣工したのは昭和13年ですから、この写真は、奉安殿か建てられた昭和10年から、本館が建てられた13年までの間の写真であると考えられます。
 以前にこの歴史ブログで紹介した昭和10年に社小学校で開催された展覧会の案内の中にあった展覧会会場図を見ると、門を入って正面に奉安殿があり、その北側に校舎があります。その校舎が写っているということです。
 ずいぶん昔の写真のように思ってしまいますが、わずか90年ほど前の社小学校の風景です。確かにこの場所で、この時があり、人々が居た、と思うと感慨深いものがあります。
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朝光寺多宝塔、約60年前と令和6年5月の風景

2024年06月18日 06時48分00秒 | Weblog
 

 机の中の紙箱の中に、小さい頃の写真がありました。見ると、朝光寺(加東市畑)の多宝塔です。その前に小学校3、4年生頃の私と弟が写っています。正確にはわかりませんが、およそ60年ほど前のものです。
 もう一枚は、今年5月5日のこどもの日の鬼まつりの時に、本堂から多宝塔を撮ったものです。60年前には、多宝塔の背後の林もまばらに生えています。
 朝光寺の長い歴史に比べると、人の一生、60年などは短いものです。それでも、60年ほど前に、父に連れられて、弟と一緒に朝光寺に行ったことは、断片的ですが、記憶の中にあります。確かにあった「その時」に思いをはせてしまいます。
 これからも鬼まつりの日には朝光寺で、伝統の鬼踊りを見続けたいと思っています。
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梅雨入り前のヤマボウシ 

2024年06月17日 05時32分22秒 | Weblog
 

 そろそろ梅雨入りかなと思いますが、もう真夏のような強い日差しと暑さが続いています。
 以前に紹介した庭のヤマボウシが満開というのでしょうか、いっそう白くまぶしく咲いています。花も一回り大きくなったように見えました。花ではないとのことですが、緑の葉を凌駕しています。
 ヤマボウシの名の由来が僧兵ということですが、白い頭巾を着けた比叡山の僧兵が、薙刀を持って山から下ってくる、そんな場面をイメージしてしまいます。毎年咲いていますが、今年は特に目立ちます。 
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「抜刀隊」の演奏、観閲行進に心躍る-青野原駐屯地

2024年06月16日 05時52分56秒 | Weblog

 先月の5月26日(日)、小野市桜台にある陸上自衛隊青野原駐屯地の創設48周年記念行事が行われました。この日は、栗田司令による観閲、車輌部隊の観閲行進、音楽隊の演奏、挌闘演技、訓練展示などが行われました。人気があるのは訓練展示です。青野原に侵入した敵をドローンによる偵察、地対空誘導弾部隊、化学防護車、機動戦闘車、榴弾砲等が出動し、掃討する作戦です。榴弾砲や戦闘車の射撃では、発射音が轟き、その空気振動で全身が圧倒されました。
 今年も、陸自の第3音楽隊が素晴らしい演奏を披露しました。特に観閲行進での演奏は、昭和18年(1943)10月21日、神宮外苑で行われた学徒出陣壮行会の行進曲、「抜刀隊」で始まりました。
 「我は官軍我わが敵は 天地容いれざる朝󠄁敵ぞ 敵の大將たる者󠄁は 古今無雙󠄁の英雄で これに從ふつはものは 共に慓悍決死の士 ・・・」の歌詞を口ずさんでしまうほど、好きな曲です。この歌詞は、西南の役をの時のもので、古今無双の英雄とは西郷隆盛のことをいい、これに立ち向かっていく官軍において選抜され組織された抜刀隊を鼓舞する内容です。私は西郷さんが大好きですが、その西郷さんを大将とする薩軍の強さも歌っています。
 作詞は外山正一、作曲はフランス人のルルーです。陸軍の行進曲として演奏され、陸上自衛隊でも演奏されています。1番から6番までありますが、この1番を学生時代からよく歌い、そして、学徒出陣壮行会で雨中を行進する学徒の 映像を観る度に歌ってきました。
 
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