ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和12年-応召兵の歓送

2012年10月29日 04時26分43秒 | Weblog
 昭和12年(1937)7月、北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国軍が衝突し、支那事変が始まりました。郷土からも多くの応召兵が出発していきましたが、その奉告祭、出発の見送りが佐保神社や社駅で行われました。これを知らせる社町長からの通知を紹介します。


昭和十二年十月十二日
              社 町 長

各区長殿
各町会議員殿
各学校長殿
各種団体長殿

  応召兵奉告祭並ニ歓送ニ関スル件

今次下令ノ動員ニ依リ応召セラルル各勇士ノ奉告祭並ニ出発ヲ左記ノ通リ決定仕リ候条御部内各位ニ伝言ノ上多数参列相成様御配慮相煩度此段及通牒候也

   記

一、十月十四日 午前五時 奉告祭  佐保神社前
        午前六時四十四分発列車(社駅)出発
  田中 勲(山国)  中井栄一(社)

一、十月十七日 午前六時 奉告祭(祈願祭ヲ同時ニ行フ)同右
        午前七時 自動車(佐保神社前)出発
  藤本義男夫(社)

一、十月十八日 午前五時 奉告祭  同右
        午前六時四十四分発列車(社駅)出発
  中西儀一(貝原)  大橋精一(出水)
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父の創作ブックより⑪ 夏祭りの夜

2012年10月28日 05時43分00秒 | Weblog
 昭和3年(1928)、19歳の青年だった父が、市場に住み込みで働きながら創作を続けていました。その3冊目の創作ブックの中から「夏祭り」と題した詩を紹介します。


夏祭りの夜

通る人々はみな

美しい着物で
露店を見て通る

うす暗いカンテラの光に
四十の坂を越えた
どす黒い 顏を照らし乍ら
戸板にのせた品物を
買つて呉れと叫んでゐる
父の顏を見て

暗い細合で
泣きたい位淋しかつた。
一九二八・八・一壹
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昭和13年-佐保神社で戦傷平癒祈願

2012年10月27日 05時33分35秒 | Weblog
 昭和13年(1938)の初頭、社町長から各区長宛てに「戦傷平癒祈願祭」の通知が出されています(社区事務所 軍事関係往復文書綴 自昭和12年7月至昭和十四年二月」。
 前年に勃発した支那事変により郷土出身兵が大陸へ出征していたなか、負傷した兵の平癒祈願を行うというものです。戦前の戦時の佐保神社では入営や戦勝祈願など今の平和な時代にはない祈願の祭りが行われていたことをあらためて知る資料です。



 昭和十三年一月二十二日
              社 町 長  大橋實次

各区長殿

 戦傷平癒祈願祭挙行ノ件

本町出身服部勲君本月十一日名誉ノ重傷ノ公報ニ接シ候条明二十三日午前八時ヨリ佐保神社前ニ於テ戦傷ノ平癒祈願祭ヲ挙行致シ度ニ付
此段及通牒候也
 追而 各部洛内団体及一般ニ御通知ノ上多数参列相願御配慮相煩度願上候
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大正14年-講会取締規則(社警察署)

2012年10月25日 04時43分45秒 | Weblog
 「大正拾四年四月 雑書綴 社町社区長」に社警察署・社町役場からの「講會取締規則」が出されています。講會(たのもし・頼母子講とも)に関して発布された県令の規則を周知するビラです。赤と黒の2色刷りで、文字も大きく読みやすくなっています。

 講會取締規則

一、規則ハ    大正十四年九月十日付兵庫県令第四十号ヲ以テ発布セラレタ

一、施行日ハ   大正十四年九月十日

一、其ノ内容ハ  講會ヲ組織セントスルモノハ届出ヲスル事、其他詳細ナ事ガ定メラレタ

一、現存ノ講會ハ 大正十四年十月十四日迄ニ届出セネハナラヌ

一、聴ケ     詳細ハ最最寄駐在所デ


        社 警 察 署
        社町役場
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大正14年-青野ヶ原で騎兵隊の実弾射撃訓練

2012年10月24日 05時13分52秒 | Weblog
 今から87年前の大正14年(1925)の夏、青野ヶ原(加古川中流域の西部、加東市・加西市・小野市にまたがって広がる台地)で陸軍の実弾射撃訓練が行われるので、住民へ注意を呼びかけるようにとの通知が発せられています。現在、青野原には陸上自衛隊青野原駐屯地がありますが、戦前は陸軍の演習が行われていました。
 社町役場から区長宛に発せられた通知が「大正拾四年四月 雑書綴 社町社区長」に綴じられています。

社通第一四八七号ノ一
大正十四年八月二十八日
                   社町役場

区長殿

 実弾射撃実施ニ関スル移牒

来ル八月三十日三十一日九月一日二日ノ四日間騎兵第四聯隊ニ於テ青野ヶ原ニテ実弾戦闘射撃実施サルルヘキ通牒ニ接シ候条危険ニ付一般ニ注意相成度此段及移牒候也

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大正14年-北但大震災救援の区長会

2012年10月23日 05時27分56秒 | Weblog
 今から87年前、大正14年(1925)5月23日、兵庫県の但馬地方北部で地震が発生し、豊岡や城崎などで大きな被害が出ました。北但大震災とよばれていますが、発生間もない5月27日、社町社(現在の加東市社)では、区長会が開かれ、救援のことが協議されています。その記録が「社町社 雑書綴」に綴じられているので紹介します。


 区長会協議事項

      大正拾四年五月廿七日

一、北但地方震災地救援ノ件
 城崎郡豊岡城崎両町ヲ中心トシタル震災ハ家屋ノ破壊倒潰消失人畜ノ死傷夥シク惨状見ルニ忍ヒサルモノニシテ本県ニ於テハ広ク県下ニ寄付金品ヲ募リ救援ノ事ニ当タラルノコトトナリタレバ此際本町ニ於テモ右ノ趣旨ニ基キ寄付金ヲ募集セントス依テ充分ノ御尽力アランコトヲ望ム

         記

一、義援金ハ一戸ニ付三十銭以上トシ平均一戸ニ付五十銭以上ナラシムルコト

一、義援金ハ戸主会、青年団、婦人会、消防組ヲ一団トシテ取扱フコト

一、寄付金品ノ処分方法ハ救援団ニ一任セラレタキコト

一、金品受領証ハ新聞広告ヲ以テナスコト
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石田貫之助顕彰碑

2012年10月20日 04時40分13秒 | Weblog
 先日、三木市吉川町渡瀬にある兵庫県立吉川高校前の坂道を車で走っていると、真新しい石碑が立っているのに気づきました。「石田」という文字がちらっと目に入り、もしや、石田貫之助?と思い、帰りに確かめてみようと思いました。
 もう数年この道を走っているのですがこれまで気づかなかった石碑。やっぱりそうでした。石田貫之助顕彰碑と刻まれていました。その脇には石田貫之助の肖像と事績が書かれたプレートも置かれていました。
 石田貫之助は美嚢郡を代表する明治時代の政治家で、県会議員、国会議員として活躍した人物です。当時加東郡には高瀬藤次郎があり、同時期にやはり県会、国会議員となって活躍しました。石田も高瀬も県会議員時代には大隈重信の率いる改進党派として自由民権運動を牽引し、やがて国会開設前には板垣退助の自由派として播磨自由主義者のリーダーとして大いに活躍した人物です。二人は第一回衆議院議員選挙で選ばれて初代国会議員となりました。
 郷土の先駆者、偉人として石田貫之助を顕彰する碑が建立されていることに感動しました。
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加東市社の東の空に富士山浮かぶ

2012年10月18日 17時52分59秒 | Weblog
 18日(木)の夕方、一日中空を覆っていた雨雲が切れて、西の空は真っ赤な夕焼けになった。一方東の空を見ると、なんと、家並みの向こうに、富士山の山頂が浮かんでいるではないか。一瞬目を疑った。高さといい、形といい、そして雪をいただいた山頂そのものだった。
 それがこの一枚です。あっと言う間に幻の富士山頂は消えてしまいました。
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昭和13年-兵庫県一斉に燈火管制音響管制

2012年10月18日 05時02分32秒 | Weblog
 昭和13年(1938)、前年の7月の盧溝橋事件によって勃発した支那事変から2年目に入った夏、社町長から各区長宛てに燈火管制及び音響管制の通知が出されています。兵庫県全域で行われたようですが、光も音も漏れないようにという訓練です。防空訓練なども行われ緊迫しつつある当時の様子がうかがわれます。

(防空)社通機第八十二号ノ一
 昭和十三年八月二日

                 社町長 大橋實次

区長殿

 燈火管制規則第四条ニ依ル燈火管制及音響管制ニ関スル件

時局緊迫諸般ノ状勢ニ鑑ミ本月二日燈火管制規則第四条ノ規定ニ依リ左記ノ通リ屋外燈火ヲ指定シ日没ヨリ日ノ出迠ノ間警式管制程度ニ其ノ光ヲ秘匿セシムルト共ニ音響管制ヲ実施スルコトニ決定告示セラレタルニ付一般ニ之等徹底ヲ図リ実施ニ万遺漏ナキヲ期セラレ度及通牒候也

   左 記

一、燈火管制
イ、昭和十三年八月二日 日没ヨリ別ニ指示スル迠
ロ、兵庫県全般
ハ、燈火ノ種類
   別紙ノ通リ

二、音響管制
イ、昭和十三年八月二日 日没ヨリ別ニ指示スル迠
ロ、防空警報類似音響取締規則ノ規定ニヨリ実施ス
  但シ 正午ノ時報用サイレン(汽笛)ニヨル空襲警報解除ノ音響ヲ除ク
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200年の伝統-佐保神社明神講秋祭り

2012年10月17日 04時38分32秒 | Weblog
 16日(火)、加東市社の佐保神社で明神講の秋の祭りが行われました。まさに雲一つない秋晴れの下、11時前には拝殿前に講員が参集し、その後、拝殿において宮司さん先導で祝詞をあげ佐保大明神をお祭りしました。
 今年は瑞神門の修復が成り、今月6、7日には記念の秋祭りも盛大に行われました。社務所での直会ではそうした話題も出て話が弾みました。

 『佐保神社誌』によれば、明神講は佐保神社附属の講社で、明神を祭る敬神結社のことだとあります。昔は正月・5月・9月の年3回開講されていたようですが、今のように春と秋の年2回の開講となったのは明治以降のようです。
 その創設時期を示す文書はないようですが、文化(1800年初頭)の頃には連名帳に講員の名が記されているということですから、およそ200年前には明神講が組織されていたということになります。講員の数は30人前後で増減してきたようです。しかし、講員の減少、高齢化が進んでいるのも確かです。
 文化年間の頃の講員の連名帳の屋号を見ると、地名、職業、商売などを表しており、中には現在も使われている屋号があり、その歴史の古さを感じます。

 東実屋  廣野屋  わた屋  たばこ屋  ならや  三木屋  たまや  表具屋  きく屋  富士屋  かわら屋  いずみ屋  うをや  信濃屋  こめや  家原屋  かどや  おけや  吉田屋  福田屋  大工  八百屋 

などです。
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昭和3年-区長会の協議事項

2012年10月16日 04時49分48秒 | Weblog
 昭和3年(1928)、今から84年前のことになりますが、加東郡社町(旧社町すなわち、現在の社小学校区域)の区長会についての記録があります。(「昭和弐年四月 雑書綴 社町社」)
 2月11日午前10時から社町役場に於いて開催されています。その記録は次の通りです。

 区長会協議事項
          昭和三年二月十一日

一、納税組合設置并ニ納税奨励ニ関スル件
 本町納税ノ成績稍不良ニシテ其原因種々アルベシト雖モ之レヲ挽回セントスルニハ奨励方法ヲ用フルヲ以テ最善ノ方策ナリト信シ既ニ町会ニ於テ別紙規定ヲ制定セリ依ツテ各位ハ該規定ノ運用ニ付テ配慮アランコトヲ望ム

一、小学校備品費寄付ニ関スル件
 本件ハ前回ノ区長会ニ於テ承認ヲ経タルヲ以テ既ニ各位ハ御配慮中ナラン又此際至急進行セシメ本目的ヲ達セラレンコトヲ望ム

一、二本赤十字社員募集ニ関スル件
 本町ニ於ケル正社員ノ数ハ年々漸減ノ状勢ニシテ縷々本県支部ヨリ募集方ニ付テ依嘱サレタルモ種々ナル事情ニヨリ其ノ運ヒニ至ラサリシガ本年ハ御即位ノ大礼ヲ行ハセラルル年ニ当リ且ツ兵庫県支部ニ於テモ社員総会ヲ開設サルヘキ予定ニ付此際各位ノ深厚ナルご援助ニヨリ新社員ヲ募集セントス

   募集予定数 一〇〇人

社 三六  山国 一〇  松尾 三  出水 五   田中 五
鳥居 三  貝原 二   野村 五  西垂水 五  窪田 三
家原 八  上中 八   梶原 二  喜田 五
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国宝朝光寺で保存修理工事の完成落慶法要

2012年10月15日 05時09分37秒 | Weblog
 14日(日)、加東市畑の朝光寺で、国宝の本堂保存修理工事の完成を祝う法要が営まれました。約2年にわたり、本堂の屋根の葺き替え工事が行われ、その様子はこの歴史ブログでも紹介してきました。
 今日の落慶法要では、9時から境内で稚児行列、本堂では本尊である「千手観音立像」の御開帳、大般若経転読法要が行われました。僧侶の大音声とともに転読が行われるなか、稚児行列に参加した檀家の人々、参拝の人々が秘仏の前で手を合わせました。
 境内で加東市の観光ボランティアの皆さんと出会いましたが、これからますます朝光寺を訪れる人が増えて忙しくなりそうだと笑顔で話しておられました。
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昭和58年-兵教大附属中運動場

2012年10月13日 05時06分29秒 | Weblog
 昭和57年(1982)、嬉野台地に新しい学校が生まれました。兵庫教育大学附属中学校です。創立はその前年ですが、57年4月に開校し新入生を迎え入れました。
 この写真は翌昭和58年のもので、今から29年前になります。まだ校舎があるだけで植栽もありません。広い運動場でサッカーをする生徒。この生徒達ももう40歳を越えています。
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父の創作ブックから⑩-都に學ぶ友え

2012年10月12日 04時42分08秒 | Weblog
 父の創作ブックからまた詩を紹介します。「都に学ぶ友え」と題したこの一篇の詩。貧しかった父は進学せず、市場の二階に住み込みで働いていました。働きながら文学を通して創作に打ち込んでいたのです。生前(といっても私が高一で父は死去)父はそうしたことは語らなかったので、この創作ブックや当時の日記を読むようになって知ったことですが。変な話ですが、「父にも青春時代があったんだ」と思いました。父が19歳の昭和3年(1928)の作です。


都に學ぶ友え

都の學園に學ぶ友よ

思ひ出さないかい。
ままごとの樣な(今見ると)
机の前で
お前と俺が揃つて
唄唄つて中途で赤い顏して
座つたことをー。

小學生の音樂會場で小さい子の
唄ふ唄を聞いて
思ひ出すよ。

七・二五・
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池面の朝雲-社の新池

2012年10月11日 05時35分02秒 | Weblog
 加東市社の市街地は加古川の河岸段丘の上に広がっていますが、市街地の西端に新池があります。その堰堤は朝のウォーキングコースで、佐保神社から若宮神社、そして池の堤を通って持寶院大師堂へ通じます。ちょうど午前6時20分過ぎの日の出の直前の頃、この堤を歩いていると池面に朝日に輝く朝雲が光っています。池面には関西電力社営業所のタワーが天地を貫く軸のように映っています。
 この新池では、昔舟を浮かべて楽しんだということを聞いています。私の祖父の小さな家が池の側にあったということです。この写真と反対の西を望むと、黄金色の田圃が広がっています。日に日に秋が深まっていくのを感じます。
 
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