ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

新町歳時記より③-牛がいた時代の農業

2018年02月27日 05時44分34秒 | Weblog
 『新町歳時記-昭和25年(1950)の思い出ー』は、加東市新町の大久保利政さんが5年がかりでまとめた過去の記録であり、貴重な民俗資料です。
 191頁から50頁にわたり、「第6章 我が家の農業」が記され、昭和20年代から機械化される以前の農業のようすを大久保家の農業を通して知ることができます。
 農具、米作り、麦作り、畦豆作り、野菜作り、牛の飼育、鶏の飼育、稲藁の処理、温床作り、堆肥作り、燻炭作り、下肥の活用、さつまいもと種生姜の保存、我家の農機具の機械化の14項から成っています。
 この章では農家が牛を飼っていた頃の暮らしが克明に記録されています。それが、小さい頃に専業農家だった母親の実家で体験したことと重なり、鮮明によみがえってきました。
 母屋とつながった牛小屋に息がかかる近さで牛がおり、エサをやりにいくとその大きな目でぎょろっと見られたこと、庭に繋いだ牛のおしりあたりについたフンをブラシをかけてとっていたら、足をぶるっとふるわせたり、尻尾をムチのように振ってぱちんとたたいていたこと、田植え前の田圃をお祖父さんが声をかけながら牛を動かしている場面や村の中の細い道を牛を連れて散歩している風景などが懐かしみを伴って浮かんできました。
 牛が耕耘機にかわり、やがてトラクターに変わりました。写真は本より転載しました。
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間近の地面にヒヨドリ-朝のオリンピア道路

2018年02月26日 04時27分23秒 | Weblog
 25日(日)の朝、加東市役所とJAみのりの本所ビルの間のオリンピア道路を歩いていると、一羽のヒヨドリがすぐ目の前の歩道の植え込みの縁石の上にいるのが目にとまりました。
 立ち止まって、すぐにカメラをポケットから取り出すと、驚きもせずじっとしています。けがでもしているのか、と一瞬思いましたが、カメラを向けても一向に気にするようすも見られません。人間が怖くないのか、それとも目に入らないのか、いろいろ思いながらシャッターを押しました。
 そのあとも、地面に降りたり、山茶花の木の枝に飛び移りながら、花を食べているようでした。
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新町歳時記より-昭和20年代の小学校生活

2018年02月25日 04時51分05秒 | Weblog
 昨日紹介した『新町歳時記-昭和25年(1950)の思い出-』から、終戦から占領下の小学校生活のようすを紹介します。
 97頁に当時のエピソードとして、木炭バスのことが語られています。筆者である大久保利政さんのお母さんがこの木炭バスに乗って社の町へ買い物に行く途中、社の赤岸の上り坂でエンジンが止まり、当時社市街地の北辺、善龍院の向かいにあった神姫バスの社営業所まで乗客がバスを降りて押していったということが書いてありました。
 大久保さんが加茂小学校(現滝野東小学校)の3年生だった昭和25年当時の学校生活のようすが詳しく描かれています。
 4月6日の入学式、始業式から始まり、遠足、めいらん取り、農繁休業日、地区水泳(加古川の新町渡し場辺り)、納涼音楽会、終業式と通信簿、夏休みや登校日、運動会、農繁休業日、冬休み、3学期終業式、卒業式の順に一年間の学校生活の節目となる行事などが記されています。
 私が社小学校3年だった昭和37年とあまり変わらないのではと思いましたが、「めいらん取り」(稲についた虫の卵取り)の経験はありません。学校行事の他に、肉弾などの遊びや加西の奥山寺、三草の昭和池への遠足、京都・奈良・大阪への修学旅行のことも記されており、「貧しかったが、みんな仲良し」だった当時の小学校生活がいきいきと描かれていました。
 写真は昭和23年に入学した大久保さんらの記念写真です(102頁掲載)。
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『新町歳時記』に記された昭和25年の暮らし①

2018年02月24日 05時13分03秒 | Weblog
 

 加東市新町の大久保利政さんから『新町歳時記-昭和25年(1950)の思い出』をいただきました。5年がかりで執筆されたものでA4判380頁の分厚い冊子になっています(写真)。
 早速読み始めると、68年前の新町の暮らしがいきいきと描かれ、自分の幼い頃や今に通じる生活と重なってきて、次々と読み進んでしまいます。
 第1章は、「新町歳時記」で、新年参拝と年賀交換会、お正月、七草粥、戎祭り、大とんど、藪入り、雛祭り、彼岸のぼた餅(おはぎ)、清潔の日、端午の節句、花まつり、めいらん取り、さなぼり、愛宕神社の夏祭り、ウナギ獲りと土用の丑、七夕祭り、お盆の墓参り、遍照寺の施餓鬼法要、地蔵盆と盆踊り、御日待(おひまち)、伊勢の獅子舞、秋祭り、「せいもん払い」と「歳の市」、餅つき、おせち料理づくり、しめ縄作り、の26の行事のことが克明に記されています。
 大久保さんの記憶をもとに当時のようすが細かいところまで記されており、そうだった、今もそうしている、などと思いながら、昭和28年生まれの私の幼少期の暮らしの記憶がよみがえってきました。今も子供の頃と同じように続けている正月やお盆の行事の一つ一つの意味を確かめることもできました。
 秋祭りの項では、新町の太鼓屋台を担いで佐保神社まで行く途中に鉢合わせした神姫バスが道を優先させてくれたことや、宮入りには、今の新町、上中、上組、下組の4台の屋台の他に、東古瀬、家原、出水の屋台が出ていたことも知りました。「せいもん払い」と「歳の市」の項では、買い物客で賑わう社の商店街や佐保座のことなども記されており、当時の社の街のようすが目に浮かんでくるようです。
 8月7日の七夕の夜、家族で夜空にかかる「天の川」を見上げながら、おりひめとひこぼしが出会う話を母親から聞いた、という下りに自分の幼かった頃の思い出を重ねて縁側の景色を思い出してしまいました。 
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今日も元気に鳴いています-庭にヒヨドリ

2018年02月23日 05時48分35秒 | Weblog
 20日(土)の昼過ぎ、庭の方からまたピーという鳴き声が聞こえました。やってきているなと、カメラを持って庭に下りました。
 鳴き声の主はヒヨドリです。電線にとまって連れを呼んでいるのか、風に羽を逆立てながらピーと大きな声で鳴いています。カメラを向けても動じません。いつも庭にやってくるやつかどうかわかりませんが、親近感が湧いています。 
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春が地上に降りてきた

2018年02月22日 05時39分38秒 | Weblog
 

 日一日と春の到来を実感する毎日ですが、明るい日の光に誘われて庭に出ると、水仙の花が開いていたり蕾が膨らんでいます。また、梅の蕾が膨らんで、白い花びらの一部が見えています。枇杷の実が千生り瓢箪のように小さな実をつけています。枯葉が積もる地面からチュウリップや黄水仙の芽が出てきました。まだまだ空気は冷たいのですが、確実に春が降りてきていることを感じます。
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ステラの夕景色

2018年02月21日 06時09分53秒 | Weblog
 

 20日(火)の6時少し前に、加東市社、市役所の南隣にある社中央公園のステラパークに立ち寄りました。
 ちょうど、西の空に日が沈もうとしている時で、ステラパークから雄大な夕景を見ることができました。ステラパークは嬉野台地の西端にあり、西側には播磨平野の地平線がどこまでも広がっています。
 ステラパークのステラは星、星座、宇宙を意味します。宇宙を地上に降ろしたような円形の芝生の周囲には、星座モニュメントが配置され、遊歩道が設けられています。手前の池は金屋谷池です。ステラの夕景はまさに地上から宇宙を感じる時間でした。
 
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佐保神社と「社」交差点-街の起点

2018年02月20日 06時22分14秒 | Weblog
 加東市社は佐保神社の門前に発達した町であり、西国巡礼の宿場として、古くから賑わってきたことで知られています。
 「社」の地名が「佐保社村」、すなわち佐保神社に由来することからも、佐保神社と深い関わりをもっていることがわかります。
 そのことを一目で見ることができるのが、加東市社の「社」交差点です。旧国道175号(県道東古瀬穂積線)と旧国道372号が交差する佐保神社門前の位置にあり、「社」の一文字が書かれた表示と神社風景を同時に見ることができます。
 この交差点を東に市街地に入ったところで参道と交差する角に西国巡礼道を示す道標が建てられており、さらにもう10メートルほど東に進んだ交差点は「三階」と呼ばれ、この地点に旧社町(現加東市立社小学校区域)の道路元標が置かれていました。現在は、すぐ近くの明治館の前庭に保存されています。
 古くから栄えた社の街のいわば起点にあたる場所といっていいでしょう。
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社警察署が銀座通りにあった頃-昭和54年空中写真

2018年02月19日 05時50分27秒 | Weblog


 昨日に続いて、昭和54年(1979)の社市街の空中写真から当時のようすを見てみます。
 社市街の銀座通りに社警察署があった頃のようすが写っています。現在はみなと銀行の社支店になっていますが、その位置に懐かしい白亜の庁舎がありました。
 この庁舎は昭和3年(1928)に完成しました。社に警察が置かれたのは明治11年(1878)のことで、明石警察署の社交番所として、旧加東郡の北部を管轄しました。翌年に分署(今の警察署のようなもの)に昇格し、明治21年には、人々の拠出金で本町筋に庁舎が建てられました。そして、明治26年には社警察署に昇格しています。
 本町に庁舎があった場所は商家、住宅になっていましたが、最近取り壊されて、集合住宅に変わろうとしています。解体工事中に頑丈な鉄格子が出てきたという話を聞きました。留置場の遺物でしょうか。
 今では、警察署は市街地を離れ、国道175号線の近くに移転し、加東警察署と名が改められました。写真は空中写真と昭和10年代に撮影された庁舎です。
  
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空から見た昭和54年の社小-木造本館や西校舎も

2018年02月18日 06時28分28秒 | Weblog
 昭和54年(1979)に社市街地を空から撮した写真の一部に社小学校とその周辺が写っていました。まだ、木造の本館や西校舎が建っており、一部が鉄筋コンクリート造に建て替えられています。
 この木造校舎は昭和10年代に建てられたもので、私たちが学んだのは昭和30年後半でしたが、1階に2年、2階に5年、6年の教室が2階にありました。この本館の床下を西から東の運動場まで抜けていくのが探検でした。動物の骨や床下から節穴を通して職員室を覗いたことも鮮明に憶えています。2階の西には図書室があり、借りて帰るのが楽しみでした。
 写真には元の木造の講堂はありません。運動場に黒い点のように見えるのは柳の木でしょう。太い数本の柳の木がありました。校門の辺りに黒く見えるのはヒマラヤ杉の木です。この木の下には二宮金次郎像がありました。今もあります。
 もうすぐ卒業の日がやってきます。子供らは今の学舎の姿を瞼に焼き付けて巣立っていくのです。
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神戸元町バル-北播磨の山田錦の日本酒で賑わう

2018年02月17日 11時25分52秒 | Weblog
 

 16日(金)、神戸市の元町6丁目商店街にある「北播磨おいしんぼ館」周辺で、「新酒で乾杯”山田錦発祥の地 北播磨”神戸元町バル」が開催されました。この催しは北播磨県民局が主催するイベントで回を重ねる度に人気が出てきています。
 今回は、日本酒発祥の地兵庫県宍粟市からも酒蔵が特別参加し、北播磨の神結酒造(加東市)をはじめ、各市の酒蔵や北播磨産の山田錦を使った日本酒、おつまみがそれぞれのコーナーに並べられ、大勢の日本酒ファンや買い物客が立ち寄り賑わいました。
 数年前に「北播磨おいしんぼ館」が開店したときには、「北播磨ってどこですのん?」と聞かれたものですが、神戸市民にも「北播磨」や「山田錦」の名が親しまれるようになたことをしみじみと感じました。
 写真は神結酒造のコーナーで皆さんと記念撮影したものですが、18日(日)には、神結酒造(加東市下滝野)で第21回の「蔵まつり」が開催されます。新酒の試飲、地酒の販売をはじめ、蔵見学や播州ラーメン、コロッケなどの販売も行われます。山田錦の本場の加東市唯一の酒蔵、神結で日本酒を楽しんで下さい。
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加東の冬景色-千鳥川から五峰山を望む

2018年02月16日 05時53分45秒 | Weblog
 兵庫県最長の河川は加古川です。加東市は、加古川の中流域にあたり、千鳥川や東条川などの支流が注ぎ込んでいます。
 千鳥川は米田地域を西に向かって流れ、木梨で三草川と合流します。この辺りは桜の名所として知られ、なかでも桜堤は枝垂れ桜の美しさで多くの人が訪れます。
 梶原、上中、家原を流れて、窪田と穂積で加古川に合流します。写真は県道東古瀬穂積線(旧国道175号)に架かる明治橋の少し下流の左岸から北西の方向を望んだものです。冬の明るい日に映えて青い空を映す千鳥川の流れと枯れ草、そしてその向こうには播磨高野と呼ばれる光明寺のある五峰山がどっしりと横たわっています。
 撮影場所は加東市民病院の北側、左手に見える建物は播磨看護専門学校の校舎です。
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八城学校新築落成式に参列した県令森岡昌純

2018年02月15日 06時12分01秒 | Weblog
 今年は明治維新150年、兵庫県政150年にあたります。初代県知事は伊藤博文。4代は陸奥宗光といった、後に明治時代を代表する政治家が知事を務めています。8代目は薩摩藩出身の森岡昌純で、明治9年9月9日に権令、同11年5月29日県令となり18年4月7日までの長い期間知事を務めています。
 『加東郡誌』によれば、明治13年5月、八城学校(社小学校の前身)の校舎新築落成式に参列したとの記述があります。また、社小学校には、この時、森岡昌純が述べた祝辞が残されていたと記憶しています。県政150年を記念する貴重な資料の一つでしょう。当時の校舎は現在の社市街地の明治館(元加東郡公会堂)のある場所でありました。
 県公館には歴代知事の肖像が掲げられています。写真はその中の森岡昌純県令です。
 
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柿の木の枝のヒヨドリ

2018年02月14日 05時51分37秒 | Weblog
 

 2月7日(水)の朝、またヒヨドリが庭にやってきて鳴いていました。毎日のようにやってくるのですが、この日は柿の木の枝にとまって朝日を浴びていました。
 ベランダから庭におりて近づいても逃げようとしません。静かにゆっくりとカメラを構えてズームにしてヒヨドリの表情を見ていると、その動きや逆立つ頭の羽、円い目に逞しさを感じます。
 しばらくして、ピーヨと鳴きながら水中を泳ぐ魚のように体を伸ばして飛んでいきました。
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山氏神社に朝日が昇る

2018年02月13日 05時42分18秒 | Weblog
 

 11日(日)、建国記念の日の朝、社の市街地を歩いて、ちょうど山氏神社の参道にさしかかったとき、参道の奧の社殿の屋根の上にまばゆい朝日が昇っていました。山氏神社は西向きに社殿が建っているので、朝日を背に受ける形になるのです。
 入口の大木の枝が大きく曲がってちょうど輪のようになっている、そのリングの中で朝日が光っていました。神々しい姿でした。
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