ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

加東四国霊場第八十二番-東古瀬の神咒寺

2017年05月31日 05時18分33秒 | Weblog
             

             

             

 加東四国八十八ヶ所霊場の第八十二番は東古瀬の神咒寺(じんしゅうじ)です。寺号は東實山神咒寺。福田小学校の東、加東警察署の福田駐在所の交差点に位置しています。高台にあり、南側には平池はじめ、福田地区の豊かな田園が開けています。
 加東郡誌、新修加東郡誌によれば、創建の由緒は古く、行基菩薩が勅令により霊地をひらかんと各地を巡っているとき、この地方で稲虫による不作で農民が苦しんでいるのを知り、阿伽水を求めて神呪の力をもってまじないをするとたちまちに虫は去り、稲が順調に生育したということで、これぞ仏の加護であると寺院を建立し、稲の実山神咒寺と号したと伝えられています。東實山、加東郡誌には稲實山とありました。
 階段を上り、山門をくぐって境内に入ると、爽やかな心地よい風が吹き抜け、その眺望に心が自然と開けていきました。ご本尊は阿弥陀如来。御詠歌は「摩訶般若南無秘密神咒諸人の 祈るまにまに効しあらなん」(まかはんにゃなむひみつじんしゅもろびとの いのるまにまにしるしあらなん)です。
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加東四国霊場第三十八番-上田の教王院

2017年05月30日 05時39分22秒 | Weblog
 

 加東四国八十八ヶ所霊場の第三十八番は上田の教王院です。上田地区の公民館からにしへ少し行ったところにあります。
 法道仙人の開基と伝えられ、大日如来を御本尊として、大いに栄えたようですが、天正年間(安土・桃山時代)に兵火にあい、堂宇、古文書はことごとく灰燼となった、と加東郡誌に記されています。その後、17世紀のはじめに再建され、現在に至っています。
 入口には「歓喜山教王院」と刻まれた石柱と「第三十八番霊場」と刻まれた石柱の2本が門柱のように立っています。境内に入ると、本堂、大師堂、北面観音菩薩像などの建物が並び、そして、その奧に2本の門柱のような石柱と大きな石碑が建てられていました。
 門柱の脇の石碑には、「木戸孝允(桂小五郎)碑」と刻まれており、奧の石碑には、「内閣顧問前参議木戸公碑」と刻まれています。この碑は教王院の住職だった松本宥愉と旧識のために来遊した木戸孝允を偲んで、大門村の蓬莱元堂らが明治16年に建立したものです。『社町史こぼれ話』(吉田省三著)によれば、家原の観音寺に赤穂義士の墓碑を建立した山口県出身の僧明範との関係があったのでは、としています。
 御詠歌は「教王や院のとなえの尊さに また立戻りして伏し拝むかな」です。
 
 
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加東四国霊場第八十一番-屋度の薬師堂

2017年05月29日 05時02分09秒 | Weblog
 

 加東四国八十八ヶ所霊場の第八十一番は屋度の薬師堂です。以前にこの歴史ブログで紹介したことがありますが、堂の前には屋度地区の戦没兵士の名を刻んだ英霊碑があり、また、入口には「加東四国第八十一番霊場 右八十番 左八十二番」と刻まれた道標型の石柱が立っています。
 また、入口のところにやしろ歴史民俗研究会の研修会で取り上げられた「筆子墓」「門弟墓」があり、また、じっくり調べてみたいと思いました。
 御詠歌は「雨降らば此の木の本を宿とせん 濡るも法の恵みと思えば」です。この日の薬師堂は初夏のまぶしい日の光と緑の中にありました。
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加東四国霊場第七十三番-栄枝の禅瀧寺

2017年05月28日 05時39分15秒 | Weblog
 

 加東四国八十八ヶ所霊場の七十三番は栄枝の神谷山禅瀧寺(こうだにざんぜんりゅうじ)です。同じ栄枝にある七十二番薬師堂からこの禅瀧寺への巡拝路となります。
 禅瀧寺は法道仙人の開基と伝えられる古刹で、本尊の薬師如来は行基の作と伝えられています。かつて寺が栄えた頃には50を超える塔頭寺院があったそうですが、仁王門から本堂までの参道に金蔵院、持明院があります。
 本堂は元和6年(1620)の再建ですが、密教寺院の古い形式を伝えているようです。市指定文化財の解説板があります。
 石段を上り、振り返ると、両側の山に囲まれ、その谷の真ん中をまっすぐ延びてくる道が見渡せます。境内は広く正面に本堂、向かって左手に不動堂があります。かつては鐘楼もあったそうです。
 高く伸びた杉の蔭に立つと、五月の心地よい風が吹いてきました。御詠歌は「参るべき重き四恩に報うべき 効だに立たば何か祈らん」(まいるべきおもきしおんにむくうべき こうだにたたばなにかいのらん)です。
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加東四国霊場第八十四番-山国の妙仙寺

2017年05月27日 04時48分34秒 | Weblog
 

 加東四国八十八ヶ所霊場の第八十四番は山国の妙仙寺です。県道神戸加東線が山国の集落を抜けて大きくカーブしながら坂を下る途中に寺への階段があります。
 写真の石柱はその階段のところに建てられており、「本尊 聖観世音 加東郡第八十四番霊場 □□□ 妙仙禅」と刻まれています。
 落ち葉で埋まった階段を上ると、寺の塀が見え、門へとまわり込みます。妙仙寺は三草藩丹羽家の菩提寺でした。境内にはお堂などの建物があり、歴史を感じます。寺の東側には隣接して椿山保育園が営まれ、子供達の声が聞こえてきます。
 御詠歌は「花も香も八千代に匂う椿山 国の栄えを祈る他なき」です。
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加東四国霊場二十二番番外霊地-廻渕の阿弥陀堂

2017年05月26日 05時13分49秒 | Weblog
 

 加東市廻渕の朝光寺へ向かう道と東条湖おもちゃ王国へ向かう道と分かれ道の北側の山の中腹にお堂があります。以前にこのお堂の前の道標を紹介したことがありますが、このお堂は地元の人が「お大師さん」と呼んでいる阿弥陀堂です。平成23年の秋に今の場所に新築移転されたとのことです。
 お堂には阿弥陀如来とお大師様が祀られ、加東四国八十八ヶ所霊場の番外の霊場になっています。第二十二番の掎鹿寺から廻渕の阿弥陀堂、畑の大師堂を経て、二十三番朝光寺へと巡る途中の霊場になっているのです。
 写真の石は、阿弥陀堂への坂道にあり、「加東霊場 大峰山出張所」と刻まれています。御詠歌は「法の道踏みなば安し幾廻り 淵瀬にかかる浮世なりとも」です。
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加東四国霊場第二十七番-木梨北山の地蔵庵

2017年05月25日 05時11分59秒 | Weblog
 

 加東四国八十八ヶ所霊場の第二十七番は、加東市木梨の地蔵庵です。木梨の集落の北西、山側にあり、すぐ北側を中国自動車道が通っています。南側はと田圃が広がり、集落を見通すことができます。
 以前に三草ふれあい広場のワクワク探検で訪れたことがありました。墓地や祠もあり、この地が霊地であることが感じられます。お堂には、「昭和六十三年八月改修、木梨老人会」と刻まれた板と、「享保十七年 念佛講」と刻まれた板が吊されていました。
 お堂正面には、薄くなって読みにくくなっていますが、加東郡霊場第二十七番 本尊地蔵菩薩と書かれた板が掲げられていました。
 藤田の小山庵から喜田の阿弥陀堂への巡拝路の間にこの地蔵庵があります。御詠歌は「朝つとめなすや木魚の音すなり 東もしらむ北山の菴(いお)」です。
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加東四国霊場第十番-馬瀬の安養寺庵

2017年05月24日 08時49分30秒 | Weblog
           

           

 加東四国八十八ヶ所霊場の第十番は、加東市馬瀬にある安養寺庵です。下三草の薬師堂から下鴨川の中之坊への巡拝路にあたります。
 国道372号を鴨川方面に向けて走ると、ゆるやかな坂を上がったところに馬瀬地区の公民館がありますが、その手前の坂の右手の山の斜面に階段があります。このブログでも紹介したことがある桜橋の手前です。
 公民館に車を止めて、国道を歩き、階段を上るとそこにはコンクリート造りのお堂がありました。そう広くない堂前はきれいに草が刈られていました。ここが安養寺庵だなと思いながら手を合わせました。
 ご本尊は阿弥陀如来。御詠歌は「鳥歌い花咲き紫雲たなびけり ここ安養の浄土そのまま」です。
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加東四国霊場第七十二番-栄枝の薬師堂

2017年05月23日 05時12分54秒 | Weblog
 加東四国八十八ヶ所霊場の第72番霊場は栄枝の薬師堂です。小沢の大日堂から県道を渡り、栄枝地区の小高い所にある広杉神社の境内に本殿と並んで薬師堂があります。県道脇には道標(へんろみち)も立っています。
 堂の正面には板の額が掲げられていますが、墨が薄くなって読み取れません。写真に撮って解像すると、加東四国霊場七十二番や薬師の文字がうっすらと読み取れました。
 栄枝は明治6年に旧国依村(くにより)と神谷村(こうだに)が合併して生まれた村です。
 「東条の道標巡覧記」によれば、広杉神社の祭神である武太神、すなわち牛頭天皇の本地仏として薬師如来を祀る薬師堂が境内に建てられたのであろう、ということでした。
 御詠歌は「あやかりて里は萬代栄えなん 吉祥草の奇しき由縁に」(あやかりて さとはよろずよ さかえなん きちじょうくさの くしきゆえんに)です。
 境内から南には広々とした田園風景が広がり、心も和らぎました。 
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加東四国霊場第二十四番-下久米の浄泉寺

2017年05月22日 04時45分46秒 | Weblog
 

 加東市下久米の県道、下久米交差点の近くに浄泉寺の看板があります。細い道を入ると、正面に石垣、白壁、石段が見える駐車場。ここが白國山浄泉寺です。
 階段の脇に道標が立っていました。上部に仏像が刻まれ、その下に「加東四国 第廿四番札所」と刻まれています。道標の側面には大正八年十二月建立と刻まれています。
 階段を上り、門をくぐると境内の古木の向こうに朱と白壁の本堂が見えました。
 本尊は阿弥陀如来。御詠歌は「きよらかに泉湧くなり南無大師 いざ詣できて汲めや世の人」です。
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茶畑と木陰のブランコのある三草小学校

2017年05月21日 05時28分59秒 | Weblog
            

            

 20日(土)、加東市立三草小学校で恒例の茶摘みが行われました。校舎の南側斜面に茶畑があり、児童、保護者、地域の皆さんが茶摘みを行う行事です。毎年この行事に参加していますが、やわらかいお茶の葉の先(一しん三葉)を摘む作業は結構楽しいものです。
 茶畑がある学校、そして、桜の古木にはロープでブランコがぶら下げられています。地域の高齢者の皆さんは中学生の頃(元は三草中学校)の懐かしい思い出話をして下さいます。その頃の中学生がお祖父さんになって、孫を抱きながら茶摘み、そして、ブランコで遊ばせておられる姿に心が和みます。
 
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加東四国霊場第二十九番-上中の阿弥陀堂

2017年05月20日 05時52分53秒 | Weblog
 加東市上中にある加東消防署の東に隣接してお堂が建っています。このお堂は阿弥陀堂。加東四国八十八ヶ所霊場の第二十九番霊場です。第二十八番、喜田の阿弥陀堂からこの上中の阿弥陀堂、そして、三十番の穂積の阿弥陀堂へと巡拝します。
 目印は加東消防署、そして、天を衝くような巨木です。樹齢は分かりませんが、社町時代に保護木に指定されています。きっと霊場巡拝の人々にとっては、道標とこうした巨木が目印になったのではないでしょうか。
 御詠歌は「四方より路もしげけく開けたり 参るにやすし中村の堂」です。上中は中村と呼ばれ、昔から主要道が通過するこの地方の中心として栄えてきた地域です。
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加東四国霊場第二十番-森の観音堂

2017年05月19日 05時38分53秒 | Weblog
         

 加東市森の中国自動車道を南北に抜けるボックスの南、ゆるやかなカーブの東側にお堂があります。公民館の向かいで消防団の詰所の隣です。
 このお堂が加東四国八十八ヶ所霊場の第二十番、森の観音堂です。お堂の横には水路があり水が流れていました。お堂の前はきれいに草が刈られ、涼しげな木陰に心が安まるようでした。
 御詠歌は「思う哉誰しも慈悲のみめぐみと森の下かげ雨やどりしつ」です。
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加東四国第十五番霊場-少分谷の延寿庵

2017年05月17日 04時19分30秒 | Weblog
 

 加東市少分谷の集落に入った辺り、東条花園の向かいにお堂があります。ここが加東四国八十八ヶ所霊場の第十五番、少分谷の延寿庵です。
 入口には立派な石柱が建てられ、「加東四国八十八所第十五番 大日如来 平松山 延寿庵」と刻まれています。石碑には御詠歌も刻まれていました。
 「本尊は大日如来名は延寿 誰か言ひ初めて少分谷とは」
 庵は白壁の美しい建物で、境内は広くないものの美しく保たれていました。そして、なによりも西方に向かって東条川の谷筋の田園と集落が広々と見渡せる景色が素晴らしく感じました。十四番の今寺(西戸)から十六番の貞守の薬師堂への巡拝路にあります。
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加東四国霊場第十一番-下鴨川中之坊薬師堂

2017年05月16日 04時54分17秒 | Weblog
 

 加東四国八十八ヶ所霊場の第十一番は下鴨川の薬師堂です。県道から加東市下鴨川の集落を通る旧道へ入り、しばらく行くと、川がゆるやかに曲がる辺りに薬師堂があります。道から少し細い道を歩いていくと、薬師堂と墓地の一角がありました。
 正面の柱に「中之坊 薬師堂」の金文字が刻まれた額と、御詠歌が書かれた板が掲げられています。
 「かたよらず かたよらずして なかのぼう たいらかによをみそなはすらん」
 お堂の背後には山がせまっており、静寂そのものでした。ウグイスがきれいに鳴いてみせてくれました。十番馬瀬の安養寺からこの中之坊、そして十二番の平木の清水寺への巡拝路になっています。
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