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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和20年-終戦直後の組長会

2017年02月28日 05時02分38秒 | Weblog
 昭和20年(1945)、終戦直後の11月の末、社町社(現加東市社)では組長会が開催されています。当時の社区の「参考綴」に通知が綴じられており、全部で当時あった20組の組長の確認の印が押されています。
 敗戦後間もないこの時期、敗戦の前と変わることなく組制度が維持されていたことが分かります。


 昭和二十年十一月三十日
              社区長 

  組長会開催ノ件

本日午後六時神崎壽景宅ニ於テ臨時組長會開催仕候間御出席願度此段御通知申上候也

 各組長 殿 
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昭和17年-精肉の配給通知

2017年02月27日 05時43分37秒 | Weblog
  

 昭和17年(1942)の11月分の精肉配給に関する資料を紹介します。当時の社町社区(現加東市社)の配給関係資料綴に綴じられているもので、社町長から各区長宛ての精肉購入券配布に関する通知です。
 この通知とともに各組への購入券配給枚数一覧表が綴じられています。世帯構成が六人以上と五人以下に分けられ、六人以上は百匁、五人以下は五十匁とされ、肉は一等、二等、三等の別に購入券が配られています。


 昭和十七年十一月四日
             社町長 合田常蔵
各区長殿

 精肉購入券送附ノ件

十一月分家庭用精肉配給有之候就ハ従前ト同様割当候条各ニ適合スル様配給相成度配給所ハ前回ト同様ニ付御了知相成度

(手書き)備考 精肉販売(社区ノ分)三十六貫百匁内山本精肉店ニ於テ其ノ六割五分藤野精肉店ニ於テ三割五分ノ販売割当ニ付キ各組ニ割当ノ場合右ヲ考慮ノ上割当セラレ度ク 上月 印
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昭和17年-社区の各組家族・年齢別調査表

2017年02月26日 05時38分45秒 | Weblog
 社町社区(現加東市社)の昭和15年12月から18年3月までの「購入券配給書類」第壹号には、さまざまな物資の配給に関する通知、配給表などの書類が綴じられています。その中に社区の各組毎の家族人員別調査表・年令別調査表が綴じられています。
 これらの調査は配給の基礎となる戸数、人口、年齢別人数などを調査したもので、当時の各組の構成を知ることができます。
 社区には20組がありました。そのうち、「八組」は現在の田町筋の中田町町内会ですが、戸数は34戸、150人になっています。現在はその半分以下に減っています。家族人数別に見ると、1人(2戸)、2人(4戸)、3人(7戸)、4人(6戸)、5人(3戸)、6人(7戸)、7人(3戸)、8人(1戸)、9人(1戸)になっています。また、年齢別調査表を見ると、0才~4才まで12名、5才~12才(28人)、14才以上(110人)、計150人となっています。多人数の家族、子供も多かったことがわかります。
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昭和17年-公平な配給を行う為の世帯、人口調査

2017年02月25日 05時56分19秒 | Weblog
 戦時中の配給に関する資料を紹介します。昭和17年(1942)、社町長から各区長に宛てて、精肉配給の公平を期すべく販売業者からの要請で各隣保の世帯、人口などを提出するよう通知が出されています。配給は、その基礎を人口や戸数などに置いていたため、数が正確でなければ公平な配分を行うことはできません。異動がある場合は届けが出されていました。購入券は各組長を通して配分されていました。


 昭和十七年二月十三日
             社 町 長
各区長殿

 精肉配給ニ関スル件

今般精肉ノ配給ヲ円滑ニ且又公平ニ行フ為メ各隣保ヲ通ヂ配給スル様販売業者ヨリ申出有之候就ハ誠ニ面倒ニハ存じ候ヘ共モ別紙用紙ニ隣保長氏名世帯戸数及人口ヲ記入ノ上来ル十六日区長会(森林組合協議会)出席ノ折御持参相煩シ度候
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昭和5年-衛生健康週間講演会の通知、浪花節や漫才も

2017年02月24日 06時16分37秒 | Weblog


 昭和5年(1930)、衛生健康週間講演会の参加促進の通知が社町長から社区長に対して出されています。すでに「宣伝ビラ」が配布されていたようですが、念のために当日に各戸1名ずつ責任出席をふれて回るよう依頼しています。
 浪花節や漫才の余興もつけて人寄せをしていたんですね。


 昭和五年十一月七日
               社 町 長
社区長殿

  衛生健康週間講演会通知方依頼

首題ノ件ニ関シ先般各戸ニ配布セシ「宣伝ビラ」ニモ記載シ置キ候ヘ共モ念ノ為メ「歩行」ニ今晩ノ講演及余興ニ浪花節万才ノ在ル事知レ通方相成度
 追記
是候共モ各戸一名ヅ丶出席セラル丶様特ニ御配意相煩シ度シ

   記

講師 家原博士及小牧技師
浪花節 万才ハ縣ヨリ出張ノコト
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昭和18年-生魚の配給

2017年02月22日 05時48分38秒 | Weblog
 昭和18年(1943)5月、生魚の配給に関する通知が社町役場から社区長に対して出されています。内陸にある社町(旧社町、現加東市)では海でとれた生魚の配給・販売は時間を置く訳にはいかなかったのでしょう。通知には「至急(本日直チニ)」とあります。


 昭和十八年五月二十七日
             社 町 役 場
社区長殿

 生魚配給ニ関スル件

左記生業配給権送付候条至急(本日直チニ)購入相成度此段及通牒候也

     記

一、鯖 五〇貫九〇〇匁
一、鯵 三四貫〇〇〇匁
     販売所ハ西配給所(郵便局北隣)
一、夏蜜柑  三〇五貫
     販売所 北配給所(三木健商店)
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加東四国八十八ヶ所霊場巡りの納め札ー昭和10年代

2017年02月21日 06時04分20秒 | Weblog
 写真の2枚の札は、加東四国八十八ヶ所の納め札です。

 加東四国霊場とは、四国八十八か所霊場を加東郡内(旧加東郡、現在の加東市と小野市域)に写したもので、大正7年(1918)につくられました。もとは、江戸時代に行われていたようですが、明治維新の頃に消滅し、新たにつくられたものです。
 第一番は光明寺(加東市・五峰山)で、加東郡内の真言宗の寺院を中心に121か所(番外を含めて)が結ばれ、仕上げは八十八番持寶院の大師堂(加東市社)となっており、全行程は140キロメートルにもおよんでいます。
 納め札は、昭和十年、昭和十三年のもので、それぞれ、揖保郡網干町、川辺郡六瀬村槻並の人の名が印刷、書かれています。今の姫路市や猪名川町の人が霊場巡りのために用意したものだったのでしょう。大きさはタテ15、16㎝、ヨコ5㎝です。
 
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昭和18年-11月分の牛肉配給

2017年02月20日 05時58分04秒 | Weblog
 昨日に続き、戦時中の配給に関する資料を紹介します。昭和18年(1943)の11月分の牛肉配給に関する役場から区長への通知です。
 精肉は人口割で各組に割当られています。社区(現加東市社)には21組があり、人口によって数量が記入されました。例えば、八組(現在の中田町町内会)は148人で、割当量は650匁となっています。100匁が375グラムですから、割当量は24375グラム。1人当たり約16.5グラムということになります。12月分も同じ数量の割当がなされていました。


 昭和十八年十一月十二日

            社 町 役 場

社区長 殿

 食肉配当ノ件

十一月分食肉(牛肉)左記ノ通リ配当ス

   記

一、配当量  拾貫八百匁

二、基礎   人口ニヨル

三、配給所  藤野肉店

四、期日   明十一月十三日午前九時ヨリ午后五時迠
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昭和18年-家庭用石鹸、乳幼児用石鹸の配当について

2017年02月19日 10時49分56秒 | Weblog
 久しぶりに戦時下の配給に関する資料を紹介します。昭和18年(1943)の9月、家庭用の石鹸の配給に関する通知が社町役場から各区長に出されています。
 石鹸は浴用と洗濯用を人口を基礎に配給。また、乳児用の浴用石鹸、洗濯石鹸の特別配給実施に関する調査依頼も出ています。
 何もかもの物資が不足していた戦時下の生活のようすがうかがわれます。

 昭和十八年九月四日
                社 町 役 場
各区長 殿

 一、昭和十八年第二回家庭用石鹸配当ノ件

標記ノ件左記ノ通リ配当シタルニ付及通牒候也

    記

一、社区配当分 浴用石鹸 六九九個
        洗濯 〃 七八六個
一、基礎ハ 人口

 二、乳幼児用石鹸配当基礎ノ件

今回ヨリ乳幼児ニ対シ毎月浴用石鹸半個、洗濯石鹸ヲ一個特別配当セラルル由ニ付之ガ資料トシテ左記事項至急御調査ノ上報告相成度
 記「乳幼児トハ生後一ヶ年ノモノナリ 昭和十七年九月生レ以後ノモノ」
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昭和6年-社町の忠魂碑前で春季招魂祭

2017年02月18日 05時58分07秒 | Weblog
 もう春がそこまで来ています。昭和6年(1931)の春、社町の忠魂碑前に於いて執り行われる春季招魂祭の案内が当時の区長雑書綴に綴じられています。主催は社町老兵会、在郷軍人会で、春季皇霊祭(現在の春分の日)に行われていました。
 忠魂碑は元加東郡公会堂前(現加東市明治館)の広場に大正年間に建立されています。社町(旧社町、今の加東市立社小学校区にあたる)の戦没兵士の御霊が祀られ、古くは西南の役、日清日露戦争などに郷土から出征し戦死された英霊を顕彰していました。案内文は次の通りです。

拝啓陽春ノ候益々御清祥ノ段奉賀候
陳者来ル三月二十一日正午前拾時ヨリ忠魂碑霊前ニ於テ春季招魂祭挙行致シ候条萬障御繰合セ御隣席被下度此段御案内申上候

 昭和六年三月十八日
       社町老兵會長 光眞杢太郎
       社町分会長  菅井良吉
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夜明け、梅の花、夕焼け

2017年02月17日 05時04分05秒 | Weblog
           

           

           

 16日(木)、一日よい天気で、日中は明るい春の光に包まれて暖かくなりました。

 朝7時前にやしろ中央公園の金屋谷池の堤に立つと、南東の空が赤みを帯びていました。
 昼間、庭の梅が青空をバックに真っ白に光っていました。
 そして、夕方、家に帰ろうと外へ出ると、西の空にたなびく雲がすでに沈んだ太陽に照らされ真っ赤に染まっていました。社のランドマークの関電タワーがくっきりと浮かび上がって見えました。
 春が近づいています。
 
 
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大正14年-兵庫県主催の竹林改良講演会

2017年02月16日 06時18分46秒 | Weblog
 大正14年(1925)の9月はじめ、社町の元加東郡公会堂(現在の加東市明治館、写真)に於いて、兵庫県主催の竹林改良講演会が開催されることになり、その通知が社町長から区長へ出されています。講師は京都府の実践家で、講演のあと、社の持寶院の西の竹林や学校敷地の竹林で現地指導も予定されています。
 これらの場所には今も竹林が残っているところがあります。当時から竹林の管理は課題になっていたんですね。通知は次の通りです。


大正十四年九月三日
                 社町長
区長殿

    竹林改良後援会開催ノ件

竹林改良奨励ノ目的ヲ以テ京都府実地家小山貫一郎氏ヲ将兵シ元郡公会堂ニ於テ九月六日午前九時ヨリ兵庫県主催竹林改良講演会ヲ開催、午後一時ヨリ左記ノ場所ニ於テ説明指導ヲ為サントスルベキ計画シ有之候二付テハ御部内一般ニ周知方御取計ノ上多数聴講候様御配意相成度此団御通知候

    左記

一、社町社 持寶院ノ西 竹林 涌羅卯一郎氏所有地

一、社町家原学校敷地  竹林 松本兼蔵氏所有地
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大正13年-区長会で軍隊宿営の件を協議

2017年02月15日 05時45分00秒 | Weblog
 今から90年あまり前の大正13年(1924)の晩秋、社町(旧社町、現加東市立社小学校区域)の区長会で陸軍の宿営に関することが協議されています。陸軍が機動演習を実施するため、この地方に宿営することになり、その調査や準備を協議したものです。区長会は社町役場で午前9時から開かれ、その協議事項は次の通りです。
 軍隊が演習のために宿営することになると、宿舎の割当や井戸などの目印、湯茶の接待などについて事前に決めておくことが多かったようです。


 区長会協議事項(大正十三年十一月一日)

一、軍隊宿営ニ関スル件
従来軍隊宿営ニ関シテハ夫々御尽力相與ヘラレツ丶アル事ハ感謝スル處ナルモ殊ニ本年ハ当地ニ滞在スル状況ニ有之事ニ付之レカ遺憾ナキヲ期スル為メ細部ニ付協議セントス

二、宿営力協定ニ関スル件
別紙宿営力調査ニ依リ豫メ舎主ニ了解セシメ当時宿舎割当ニ付テハ異義の申出ナキ事ヲ期セントス

三、寝具調査ノ件(口頭説明)

四、給養ニ関スル件(同 上)

五、軍隊通過ノ沿道ニ於ケル湯茶補給ノ件(口頭説明)
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庭へ来るヒヨドリ

2017年02月14日 04時45分31秒 | Weblog
 

 13日(月)、庭のカリンの木の枝に大きなヒヨドリが飛んできてとまりました。さらに別の木に飛び移って周囲をキョロキョロしています。そっと窓に近づいてみると、地面にもう一羽がいました。きっとえさをさがすメスの安全をオスが木の上から見張っているんだと思いました。ほんの数メートルの距離だったのでヒヨドリの体温まで伝わってきそうな感じでした。朝早くにも一度つがいがやってきていましたが、同じつがいではないでしょうか。ちらっとこちらの方を向いたとき、目が合ったような気もしました。
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河高八幡神社厄除け祭-山頂では伝統行事

2017年02月13日 04時46分31秒 | Weblog
 

 2月11日(土)の建国記念の日、大雪の日本海側には申し訳ないような好天の下、加東市河高の八幡神社では厄除け祭りが行われました。
 県立播磨中央公園の中にあるこの八幡さんへの通路には早くから消防団員が出て駐車場整理をおこなっていました。毎年、この日に参拝していますが、今年も紹介します。

 河高八幡神社(写真)は、今から約470年前の天文4年の創立とされており、「厄除けの霊験頗る顕著」なお宮さんとして知られています。厄除けのお祭りが毎年1月19日に行われ、この日には旧加東郡や加西、多可郡から多くの人が参詣し賑わってきましたが、近年は2月11日に行われています。

 この厄除祭では、地元出身の成功者や厄年の人たちが神社のある山の頂の祠のある大岩の前でお金(硬貨)や菓子、餅などをまき、それを子供たちが拾うという行事が行われることでも知られています。
 神社本殿から山頂へと整備された道をのぼると、巨岩の前の広場には法被姿の子どもたちが群れています。そこへ袋やお盆にお餅などを持った人たちが現れ、巨岩の上の祠にそれをお供え、拝んだあと、子供の方に向かって硬貨やお菓子をまきます。子供たちは歓声をあげながらそれを拾って、用意した自分の袋に入れていきます。周囲では子どもの親や家族が微笑みながら眺めています。

 戦後の一時期、女の子も参加したようですが、今は地区の男の子だけが参加できることになっています。かつて、この祭りを「奇祭」とよび、子どもがお金を拾うという行為を好ましくないなどという観点から新聞など一部の批判がありました。しかし、このお祭りは厄除けの祭り、伝統文化、地域社会などの観点から見るとそのような表面的な見方だけの批判は的はずれといわざるを得ません。子供達は拾ったお金を特別なお金として大切に使い方を考えたと聞くきました。また、拾っている姿を見ていると、年長の者が年少の者に配慮しながら拾っている姿もありました。成功した人が地域に感謝の気持ちを示すというこうした姿勢をこの子供達がまた継承していき、地域の維持発展につながることになると思います。

 地元河高地区の皆さんがつくるおししいうどんを食べ、「ぽかぽの湯」の温泉たまごを買って帰りました。毎年同じですが、今年も皆さんの笑顔が境内にありました。 
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