ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和30年代はじめの社保育園の光景

2024年01月31日 04時43分17秒 | Weblog

 現在の加東市立社小学校の校門を入った右側、講堂の辺りに、私が通った社町立社保育園がありました。私は昭和30年代の始めに、3年間この保育園に通いました。園庭には、砂場や滑り台、ブランコ、シーソーなどの遊具があって遊んだことやお昼寝の時間には、家から持っていった薄い掛け布団をかけて寝たことも覚えています。もう60数年前の記憶ですが、写真を見ていると、次々と記憶が蘇ってくるのが不思議です。
 この写真は、そんな社保育園での生活の一コマです。園舎の前に置かれたベンチで思い思いのポーズを写っています。右から2人目の立っているのが私です。
 
 
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梅の木の根元にスイセンの花-庭の春が一歩ずつ

2024年01月30日 05時09分54秒 | Weblog

 29日(月)の午前、頭上には青空が広がり、庭にはまばゆい日の光が差し込んでいます。先日一輪咲いた梅の木の無数の蕾がどんどん膨らんでいました。
 その梅の木の根元のスイセンの花が次々と咲き、朝の光にまぶしく光っていました。最初の一輪が咲いたのは、今月半ばのことでした。庭のあちこちのスイセンも蕾が出て膨らんでいます。この梅の木の根元の株は一足早く咲きました。
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あの月のあの地点に日本の探査機が着陸 感慨一入

2024年01月29日 05時26分20秒 | Weblog
 

 27日(土)の夜9時過ぎ、空を見上げると、肌を刺す冷たい空気の中で、欠けはじめた月が煌々と輝いていました。
 カメラでその月面を撮りました。先日、日本のJAXAの月面探査機SLIMが着陸した地点が写っているかなと思い、調べてみました。「神酒の海」が目印とありました。アメリカのNASAが探査機の撮影に成功し、その写真が新聞に掲載されていましたが、あの月面には、確かに日本の探査機が着陸しているということです。アメリカのアポロ11号が人類最初の一歩を月面に記した時の、少年の日の感動が蘇ってきます。
 神酒の海は、この写真の右上の方にあります。ピンポイント着陸成功は何か日本らしい感じがします。太陽電池に光が当たるようになることを祈るばかりです。
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庭に梅一輪

2024年01月28日 04時20分41秒 | Weblog

 寒気が少し緩んだ今日の昼、家にやって来た孫と庭に下りてみると、梅の木の蕾が膨らみ、その中の一輪が開いているのに気づきました。
 去年に続いて、蕾がたくさんついています。今、去年の梅をつけた梅酒を楽しんでいるところです。この寒気の中で先駆けて春を告げる梅の小さな花に敬意を表したいと思いました。
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兵庫教育大学附属中にソフトボール部があった頃の風景

2024年01月27日 06時16分29秒 | Weblog

 この写真は、昭和50年代はじめ頃の兵庫教育大学附属中学校のグラウンドで行われている女子ソフトボールの試合のようすです。
 昭和47年に第1期生が入学し、2年目に女子ソフトボール部が創部されました。当時は、加東郡(現加東市)内に社中、滝野中、東条中に女子ソフトボール部があり、附属が加わり4校になったわけですが、この年に東条中が廃部となり、それからは、3校でしのぎをけずり合いました。
 その当時の生徒はもう50歳を超えています。私は創部以来長い間顧問を続けました。明けても暮れてもソフトボールの日々でした。今となっては人生を豊かにしてくれた懐かしい思い出の日々となっています。当時のHマーク入りの帽子を今も愛用しています。
 附属中学校女子ソフトボール部は多い時には、30人近く部員がいました。現在、女子ソフトボールはありません。加東市内の中学校には社中1校だけになっています。当時のグラウンド風景はまだ学校創立間もないころで、植栽も育っておらず、隣の大学官舎がよく見えます。郡大会か、新人戦だったのでしょうか、ベンチ側には,応援の生徒の姿も見られます。
 
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見上げればタワーと雲

2024年01月25日 05時41分12秒 | Weblog

 冬の朝、登校見守りに立つと、すぐ近くの関電送配電のビルの屋上に聳えるタワーを見上げます。社のランドマーク、エッフェル塔と勝手に呼んできます。加古川の河岸段丘の中位面に発達した社の市街地に立つタワーは、低位面からみると、遠くからでもよく見えます。
 冬の朝、7時30分頃、見上げるとその上の空に波のように雲が並んでいました。10班ほど、登校班の子供達を身送ったあと、見上げると、もう雲は形が崩れて流れてしまっていました。雲が見せてくれる景色はいつも一瞬です。
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ここは瀬戸内気候-冬の日にロウバイの花が電飾のように光っていました

2024年01月24日 04時04分04秒 | Weblog

 23日(火)の午前10時頃、歯科医院から戻り、駐車場の南側の家の庭に、黄色の電飾のように木いっぱいに黄色いロウバイの花が輝いていました。
 北陸や北日本は大雪というのに、ここ加東市は北播磨と呼ばれる内陸の地域とはいえ、瀬戸内海に面する播磨平野の一部です。学校の地理で習った瀬戸内式気候に属し、冬は晴天が多いところです。
 今日は強い寒気が入り込んできて、空気は肌を刺すような冷たさなのですが、日の光は溢れています。学校の教室の南に面した大きな窓のあたりは、まるで温室のような暖かさだったことを思い出します。
 わが家の庭のロウバイもまだ若木ですが、花をいっぱいつけています。隣の家のロウバイはもっと大きく見事でした。
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冬の朝、柿の木の枝で鳴くヒヨドリ

2024年01月23日 05時28分51秒 | Weblog
 

 22日(月)、穏やかな冬の日の光が射す庭の柿の木の枝にヒヨドリがやってきました。
 2日ほど、雨や曇りだったので、日の光を受けて鳴くヒヨドリは嬉しそうに見えました。というより、見てる私が喜んでいたんでしょう。
 あっちをむいたり、こっちをむいて盛んに鳴いていました。相手がやってきたのか、さっと飛んでいってしまいました。
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100年前のオリンピック1924年第8回パリ大会の公式ポスター

2024年01月22日 04時19分41秒 | Weblog

 今年2024年7月26日から8月11日まで、第36回オリンピックがフランスのパリで開かれます。ちょうど100年前の1924年(大正13年)の5月に第8回オリンピックがパリで開かれました。
 その100年前のパリ大会の公式ポスターです。調べてみると、このパリ大会では、レスリングで内藤克俊選手が銅メダルを獲得しています。また、陸上競技の三段跳びで織田幹雄選手が6位に入賞していました。参加国は44、選手は約3000人だったとのことです。
 100年前のこの年の7月に甲子園球場が完成しています。
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1964年東京オリンピックの公式ポスター

2024年01月21日 04時17分09秒 | Weblog

 友人から預かった大阪万博資料の中にオリンピックのポスター集が入っていました。1964年の18回東京大会以前の1912~60年の大会のうち、10大会の公式ポスターも入っていました。
 今日紹介するポスターは公式ポスターです。聖火を持って走る躍動的な姿が印象的です。今年は早やパリオリンピックなんですね。
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社中央公園の金屋谷池堤からの展望-今昔

2024年01月20日 05時42分59秒 | Weblog
 




 加東市社の市街を見下ろす社中央公園の金屋谷池の堤からは、遠く滝野の五峰山、さらには加西市の山々まで望むことができます。加古川の河岸段丘にできた市街地面、さらにその上の嬉野台地面の西端にあるこの堤からは広々とした景色を眺めます。
 アルバムの中に昭和50年頃、金屋谷池の堤から市街地、五峰山を望んだ写真がありました。2枚の写真を合わせていました。当時は、公園はなく、池の西には田圃が段々になってありました。今は、公園の緩やかな傾斜面になっています。牛乳屋さん、事務所とたばこ・駄菓子店、町営住宅などの建物が環状線沿いにありました。今は公園、店舗などになっています。
 半世紀の歳月が流れ、子供連れやウォーキングなどをする人の憩いの場になっています。かつては、この田圃の中を流れる用水路の溝掃除や草刈り作業に汗を流したものです。
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昭和50年頃の佐保神社

2024年01月19日 05時48分07秒 | Weblog
 

 現在、佐保神社は本殿の修理工事が行われています。工事のための大きな建屋が本殿を覆っています。
 この写真は、私がまだ大学生だった昭和50年頃のものだと思います。帰省して撮ったものでしょう。何枚もの写真を切り貼りし合わせて全景が見えるようにしてアルバムに貼り付けたものです。
 本殿の檜皮葺の屋根や拝殿の屋根瓦もだいぶ傷んでいるように見えます。今、拝殿は修理され、美しい屋根瓦になっています。
 よく見ると、本殿の背後に民家が見えます。今はクスノキが茂る杜になっていますから、クスノキの樹齢もおよそ50年ぐらいなんでしょう。
 氏神様の佐保神社。小さい頃は境内で遊び、ボーイスカウトの班集会も境内でした。中学の頃は秋祭りで学校対抗相撲大会に出場しました。そういえば、小さい頃の盆踊りはこの境内で行われていました。長じてからは秋祭りで太鼓屋台を担いで練りました。恵比寿講や明神講の神事、お祭りも講員として経験してきました。家庭を持ち、子供ができてからは、毎年正月2日には家族揃って初詣を重ねてきました。孫の七八三も佐保神社です。選挙の出馬の出陣式も5回を数えました。30年ぐらい続けているウォーキングでは佐保神社へのお参りをしています。振り返ってみると、まさに氏神様に祈り、守られ、感謝し続けているんですね。 
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渇水の吞吐ダム

2024年01月18日 05時04分26秒 | Weblog
 

 17日(水)、神戸からの帰路、呑吐ダム、衝原湖が見える休憩所に車を入れて渇水のようすを見てみました。
 加東と神戸の往復の日々、車の窓から見える呑吐ダムのダム湖の衝原湖の水位がどんどん下がり、ダム湖の上流部は湖底が露わになってしまっています。ダムに近づくに連れ、普段は水面下にあって見えない湖底や急崖の地形が目に入ってきます。
 呑吐ダムの貯水率は16日現在、25%台に落ち込んでいました。各地で少雨のためにダムの貯水率が下がり、冬なのに節水が要請されています。
 駐車場に掲示してあるダムの解説板が新しくなっていました。ダムの写真には、満々と水を湛えた衝原湖とダムの空中写真がありました。目の前の渇水の景色と比べると、如何に少ないかがよく分かります。
 明日から週末にかけて雨の予報が出ているので降雨に期待です。
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令和6年1月朝の下久米住吉神社の鳥居と石段

2024年01月17日 05時21分52秒 | Weblog
 

 1月14日(日)の朝8時過ぎ、加東市下久米地区の公民館で開かれた地区初総会にご挨拶を申し上げるために訪れました。まだ時間があったので、公民館の背後の山にある住吉神社に参拝しました。
 県道西脇三田線に面した公民館の横には、住吉神社への参道の入口の石鳥居があり、県道を走っていてもよく目立ちます。鳥居をくぐり、少し進むと、今度は木の鳥居があり、「住吉太神宮」の扁額が掛かっています。
 鳥居をくぐると、石段がずうっと続き、上りきると、正面に本殿、拝殿があり、周囲の廻廊、舞殿、長床、小宮などが建ち並んでいました。
 県道、集落のすぐ近くの山なのに静寂そのもので、冷たい空気の中でお参りをしました。
 住吉神社の由緒は古く、神功皇后の時代には、この一帯(久米庄)が大阪の住吉大社の神領地だったことから祭られたと伝えられています。
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懐かしい愛車ホンダシビックシャトルが今も現役との嬉しい報せ

2024年01月16日 05時33分09秒 | Weblog
 


 帰宅して、郵便物を見ていると、届いた年賀状の写真に目が止まりました。そこには、30数年前に乗っていた懐かしい愛車、ホンダシビックシャトルの姿が印刷されていました。
 当時、勤務していた兵庫教育大学附属中学校の同僚に譲ったものですが、何とその車が車検も通り、現役で走り続けていることに驚きました。40年近く前にこのシビックに乗って、家族3人(長女がまだ2、3歳の頃だったか)で東名高速、フェリーに乗って千葉県の木更津(当時、妻の親が住んでいた)まで行ったことが懐かしく思い出されます(写真)。また、顧問をしていた女子ソフトボール部の練習試合にも部員や道具を積み込んで行っていました。
 今、その同僚は、九州にいます。あれからずっとこのシビックシャトルを大切に乗っているんだと思うと、嬉しくなりました。年賀状に印刷されたシビックシャトルと私が乗っていた頃のシャトルです。もう一枚は信州に行った時のものではないかと思います。
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