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ふるさと加東の歴史再発見
少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。
出水の施薬寺-加東四国四十一番
2012年02月27日 05時31分55秒
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加東市出水の入口にお堂とお墓があります。これが施薬寺です。以前にこの歴史ブログで境内の宝筺印塔や殉国碑、石燈籠などを紹介しました。享保年間のものもあり、その古さに驚きます。
さて、このお堂には涌泉山施薬寺の額が掲げられています。加東四国八十八ヶ所の第四十一番になっており、福吉の阿弥陀堂から出水、次は沢部の観音堂へと続きます。
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出水古墳-稲荷神社も
2012年02月26日 05時31分24秒
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加東市出水地区の西、出水川のそばに稲荷神社があります。小雨の降る25日の朝、いつもなら通り過ぎるのですが、車を止めて神社にお参りしました。というのもこの神社のあるこんもりとした茂みは実は古墳だと聞いていたからです。
稲荷神社は小山の一部を削って祠が設けられているようでした。その東側は下部が石垣の小高い盛り土のようになっており、木が生えています。雨に濡れた枯れ葉を踏みながら上ってみると意外に高いことに驚きました。
『新修加東郡誌』には、高さ2.2メートル、径約30メートルの円墳で、ひょうたん型ともみられる、と記されています。近くの松尾古墳に次ぐ大きな古墳で、当時の豪族の墓ではないかと考えられているようです。
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東条-永久橋の道標
2012年02月25日 04時56分35秒
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加東市の東条地区を流れる東条川にそって県道小野藍本線が走っています。森尾から対岸の岡本へ渡る永久橋が架かっていますが、その森尾側にミニ公園があり、女性像やベンチが設置されています。赤信号で止まっていると目に入るのが、道標です。大きな自然石の道標と、背の低い小さな道標?2つ。自然石の上部が向かって左へと大きくカーブしており、これを生かしたような形で、その正面に「左 相野丹波 右 三田大阪」と刻まれています。上部には祥雲から差す光と仏像が刻まれています。側面にはこの道標の建立者の名前も刻まれていました。
橋を渡ると、体育館、とどろき荘、公民館などの施設があり、よくこの橋を渡るのですが、いつも気になっていた道標です。今日は車を止めてシャッターを押しました。
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東光寺-大日如来祭の護摩焚き
2012年02月24日 05時19分48秒
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2月11日に行われた加東市上久米の大日如来祭り、大日さんの恒例の護摩焚きの写真を掲載します。火渡りやお寺の牛の草鞋、読経の写真は紹介したのですが、肝心の護摩焚きの写真が抜けていました。今年は例年にない好天だったのですが、護摩焚きが始まる午後2時頃には風が出てきました。山伏の法螺が響き渡り、田圃の中に組まれた護摩の周囲で儀式が執り行われます。
やがて、護摩に火が漬けられると、折からの風でもうもうと煙が上がり風向きの変化で寺の方へ、あるいは田圃の方へ、人々の見守る方向へと回ります。その間、読経が響き、人々は火渡りの時を待ちました。写真は南側から寺の方に向かって護摩焚きのようすを撮ったものです。
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冬の烏
2012年02月23日 05時00分11秒
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加古川に架かる福田橋を渡り、国道372号を貝原から西垂水、そして社方面に走っていると、ちょうど西垂水の交差点で赤信号になり車を止めました。ふと五峰山の方を見ると、歩道の安全柵に一羽の烏がとまっていました。間近で見る烏は大きく黒々として、車を怖がらないその姿に何か威厳のようなものさえ感じました。思わずカメラを手に取り、シャッターを押しました。
この辺りは広々とした平地で田圃が広がっています。弥生時代には農耕集落が形成されており、遺跡も確かめられています。加古川の流れの向こうには、太平記の古戦場ともなった五峰山が聳えており、平地から見ると大きな山塊に見えます。古代以来の風景の中に一羽の烏。最近、嬉野台地でも電線に驚くほど多くの烏が集団でとまっているのを見ることがありました。その下を高校生が自転車で下向していましたが、少し怖いような不気味な雰囲気がありました。
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加東郡公会堂(明治館)-百年の歴史を伝える
2012年02月22日 04時59分58秒
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明治22年(1889)、町村制が実施され、当時の加東郡(現在の加東市、小野市域)には15の村が発足しました。そのうち、加東市域には社村をはじめ9ヶ村が発足したのですが、当時、兵庫県では神戸市と姫路市の2つの市と26の町、そして402の村ができました。それまでの村の数の約7分の1になったとされていますが、これがいわゆる明治の大合併です。
市町村には議決機関として市町村会が設けられ、議員の選挙が行われました。また、明治29年には郡制が制定され、県の下に正式な自治団体としての郡が置かれたのです。当時、すでに郡役所は置かれていました(加東郡役所は社に置かれていました)。郡制の実施にともない、郡会が設けられ、選挙された議員による郡議会がつくられたのです。明治44年12月に郡会において、加東郡公会堂を社村に建設することが決議され、大正元年に完成しました。それが現在の明治館です。
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夕日が落ちたあと-嬉野台地から
2012年02月21日 05時08分06秒
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この冬はよく冷え込んでいます。日本海側や北海道では大雪に見舞われていますが、瀬戸内季候に属する播磨の平野部では毎日晴れが続きます。かつて、島根県から派遣されてきた同僚が、冬に洗濯物を外に干せること、傘を持たずに出勤することが信じられないと言っていたのを思い出します。
嬉野台地は標高100~130メートルぐらいの台地ですが、西を望むと青野ヶ原台地が地平線となって広がっており、雄大な夕日を見ることができます。20日の夕方6時過ぎ、神戸からの帰途、台地を西に向かって走っていると、すでに夕日は落ちて、地平線にそって茜色からやがて青へと深い宇宙にそのままつながっていくような色合いが広がっていました。
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百年目の道標-やしろの森公園近くで
2012年02月20日 05時25分24秒
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加東市上久米の県立やしろの森公園のそばを通る県道西脇口吉川神戸線を走っていると、道路脇に置かれた石が目に飛び込んできた。道標だ、と思って降りて見てみるとやはり自然石の道標でした。もちろん以前からこの石の存在には気づいていましたが、あらためて刻まれた字を読んでみると、何とちょうど百年前の明治45(1912)に建立されたものでした。「明治四十五年四月 施主 西山弥三郎」と刻まれていました。表には「右 上久米大日」「左 下久め三草」と刻まれています。
百年前と同じ場所かどうかわかりませんが、百年前に建てられたことはたしかです。
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加東市の義経伝説が一枚のパネルに
2012年02月19日 05時46分26秒
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去る12日に行われた加東市の「あったか冬のまつり」で、会場に義経伝説のパネルが展示されていました。加東市内にある義経伝説の場所や内容が一目で分かるようになっていました。
この歴史ブログでも義経伝説についてはいろいろ紹介してきましたが、こんなにあったのか、とびっくりするほど多くの伝説・伝承があることがあらためてわかりました。
義経伝説は、源平合戦の一ノ谷の合戦の前哨戦だった三草山合戦にまつわるものですが、丹波から三草山、そして一ノ谷へと進軍する義経軍のコースに点在します。追われて逃げる平家の女性が飲んだという悲し池、源氏が百本の白旗を立てたという百旗立(ひゃくはったい)、義経が植えたという山氏神社のお手植えの松などに加えて、家来の弁慶にまつわる伝説も数多くあります。弁慶がなぎなたの柄で衝いたあとのある石、弁慶が馬上から投げて根付いたという弁慶の投げ桜など、興味津々の伝承が今も形として残っています。
バスツァーやウォーキングなどいろいろ計画されています。地元の人は再発見で、また、都市部の人はぜひ義経伝説満載の加東市を訪れて楽しんでいただきたいと思います。
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加東四国へんろの道標-吉井
2012年02月18日 04時55分21秒
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東条西小学校の校門から山側に向かって少し行くと、旧道に出ます。右折して新定方面へと少し行ったところ、道路脇の田圃の畦の斜面に一本の道標が立っていました。その旁らに半分ぐらいの石が添えて置いてあり、これも古い道標のように見えました。
道標には頂点に指さしの手が、その下に「加東準四国道押発願者兵・・・」「へんろみち」「出谷・・ 酒牧・・ 川上・・」「第□□一番」と刻まれています。近くに吉井の薬師堂があり、次は七十一番の小沢の大日堂なので、「第七十一番」への道を指す道標だったのかもしれません。
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河高八幡神社の厄除け祭りで銭まき
2012年02月17日 05時37分32秒
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2月11日、加東市河高の八幡神社の厄除け祭りで、神社のある山の上では恒例のお金まきが行われました。これは、地元出身の成功者や厄年の人たちがお金(硬貨)をまいて、それを子どもたちが拾うという行事です。
山頂には、大きな岩盤がむき出しになっており、その真ん中に巨大な岩が屹立し、注連縄が張られた巨石の天辺には祠が安置されています。写真のように、巨石の前には法被姿の子どもたちが群れており、そこへ袋やお盆に硬貨や菓子、餅などを持った人たちが現れ、祠にお供えをしたあと、子どもの方に向かってまきます。子どもたちは歓声をあげながらそれを拾って用意した自分の袋に入れていきます。周囲では子どもの家族や参拝の人々が微笑みながらみています。
河高八幡さんは、今から約470年前の天文4年の創立とされ、「厄除けの霊験頗る顕著」なお宮さんとして知られ、厄除けのお祭りが毎年1月19日に行われていました。この日には旧加東郡や加西、多可郡から多くの人が参詣したと聞きました。また、地区の子どもたちはこの日ばかりは学校を休んでお祭りに出たということでした。年輩の方の話では、前夜から友達と連絡を取り合い、午前3時頃から山の上に向かつたそうで、親も寝ておれなかった、ということです。戦後の一時期、女の子も参加したようですが、今は地区の男の子だけが参加できることになっています。去年までは子どもが穴を掘るなどして自分の陣地をつくっていたのですが、今年はそれはやってはならないということになっていました。
ある時期、この祭りを「奇祭」とよび、子どもがお金を拾うという行為を好ましくないなどという観点から一部の批判がありました。しかし、このお祭りは厄除けの祭り、伝統文化、地域社会などの観点から見るとそのような表面的な見方だけの批判は的はずれといわざるを得ません。子ども達は拾ったお金を特別なお金として大切に使い方を考えたと聞くきました。また、拾っている姿を見ていると、年長の者が年少の者に配慮しながら拾っている姿もありました。成功した人が地域に感謝の気持ちを示すというこうした姿勢をこの子ども達がまた継承していき、地域の維持発展につながることになると思います。
今年は、穏やかな天気で、おいしいうどん、おでんをいただき、帰りに温泉たまごまでいただいて身も心も温まったお祭りでした。
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牛馬の安全祈願-東光寺梵鐘
2012年02月16日 04時34分09秒
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東光寺(加東市上久米)の大日如来祭は牛馬の安全を守るお祭りとして盛大に行われていました。私が小さかった頃は農家にとって牛は大事な存在でした。母の実家は同じ屋根の下に牛が飼われており、餌をやりに行くと、その大きな目でぎょろりと睨まれたことを今もよく覚えています。
東光寺の梵鐘には 「牛馬安全 五穀成就 殉国英霊 増進佛果 過去精霊 追善菩提 乃至法界 平等利益」と祈願文が刻まれています。屋根にも牛の瓦がありました。
耕耘機やトラクターが普及し、田圃で牛が働くということはなくなりました。道に牛の糞が落ちていたあの頃が懐かしく思い出されます。
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東光寺に響く読経
2012年02月15日 05時03分24秒
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東光寺(加東市上久米)の大日祭り。本堂では僧侶による読経が行われ、その大音声が境内に響きわたりました。山と積まれた経を一巻ずつ手に取り、パラパラと大きく開きながら経を唱えていきます。写真はそのようすを本堂脇の少し小高い所から撮したものです。
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護摩焚きと火渡り-東光寺大日祭
2012年02月14日 05時27分45秒
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2月11日に行われた東光寺(加東市上久米)の大日祭で行われた護摩焚き、そして火渡りについて紹介します。
お寺の前の田圃の中に組まれた護摩の周囲に注連縄で結界が張られ、山伏が儀式を執り行います。四方に矢を放つと子どもたちがその矢を追って田圃の中を走っていきました。
やがて、護摩に火が漬けられると、折からの風でもうもうと煙が上がり風向きの変化で寺の方へ、あるいは田圃の方へ、人々の見守る方向へと回ります。その間、読経が響き、人々は火渡りの時を待ちます。
いよいよ燃えた護摩が崩され、火渡りの準備が始まりました。気の早い人は靴を脱ぎ、靴下を脱いで並び始めます。火渡りの道がつくられ、送風機で火をいこします。もういこさんでええやろ、という声が聞こえます。そのうち、山伏が火伏せの術を施します。不思議に炎はおさまりました。よし、これならと思っていると、また山伏の一人が送風機で火をいこしています。?と思いつつも小さな子どもも並びはじめました。
山伏から背中に不動明王を書かれて押し出されます。熱い!という不安が一瞬だけ起こりますが、一気に、そう数歩でしょうか、歩いて脱出。熱い感じはありません。ほんの一瞬の行でしたが、何かやり遂げたという達成感、充実感があります。これでまた一年風邪も引かずにがんばれます。たしかに火渡りをするようになってからいっぺんも風邪を引いて寝込むということがありません。そう話すと、地元の方が「それはアホやからや!」と一本取られました。
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東光寺大日祭で-牛の草鞋
2012年02月13日 06時02分01秒
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2月11日、建国記念の日、加東市上久米の東光寺では大日祭が行われました。午後1時過ぎに東光寺を訪れると、ちょうど本堂で僧侶による大般若経の読誦の最中でした。大音声が響き渡る中、境内では訪れた人々がその様子を見守っていました。
この大日祭は、「だいにちさん」「だいにったん」と呼ばれて人々から親しまれてきましたが、かつては大いに賑わったそうです。そのようすを「広報やしろ」第10号(昭和35年3月5日発行)では次のように紹介しています。
「郷土の探究」(8)
社町にも北播三大祭の一つとかぞえられるものに、上久米にある東光寺の恒例祭とされている「大日如来祭」がある。
昔から牛馬の守り仏として有名で毎年二月二十八日には播州一円の農家が参拝し、境内せましと思わせる。この日北播一帯の青年有志大相撲が展開されるとともに参道に列をなす植木をはじめ農機具などの多くの露店は、まさに社町のなかでの最大の祭りでもあり、北播三大祭の一つでもある。
また、寺の南辺りには、かつて役場、学校、駐在所などがあったそうで、米田村の中心でもあったということです。参道には道標や石灯籠などが立ち、往時の賑わいがしのばれます。今は露店も立ちません。毎年「昔はにぎやかやったがなあ」という会話が聞かれます。それでも、恒例の護摩焚きが始まる頃には、多くの人で寺の前の道路や田圃のまわりはいっぱいになります。
今日は、その大日祭の行われる東光寺の本堂に下げられている「牛の草鞋」を紹介します。本堂正面の屋根の下に写真のような草鞋がたくさん下げられています。この寺は牛の守り仏、大日如来仏が祀られていますので、牛の草鞋が奉納されているとのことでした。珍しいので写真におさめましたが、この草鞋を作る人はもういないのではないか、という話を聞きました。
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