この度、佐保神社(加東市社)の神崎壽福(かんざきながとみ)宮司から、『摂播歴史研究』誌第70・80合併号(令和元年8月1日発行)をいただきました。同誌の巻頭に神崎宮司が研究論文「『伊勢信仰の盛行』の一例証『佐保講』の成立について」を投稿されていました。
「佐保講」は幕末の弘化3年(1847)年に創設され、昭和前半まで続いた伊勢神宮へ月参することを目的とした結社のことで、講員は、加東郡(現加東市・小野市域)を中心に北播磨地域に約2千数百名を有していました。
佐保神社の瑞神門の脇に見上げるほど高く大きな石灯籠があります。灯籠本体の高さが5メートル36センチあり、石垣部分を入れると8メートルぐらいになるのでしょうか。郷土史家の故上月輝夫先生は「日本五大石灯籠の一つ」と話しておられたことを思い出します。
この石灯籠は明治16年12月(1883)に建設されたもので、灯籠の台石に大きく「佐保講」と刻まれています。伊勢神宮参りの「おかげ灯籠」として佐保講の勧進によって建設されたのですが、その建設費を寄附した伊勢参りの佐保講の定宿の名前が石灯籠の周囲の玉垣に刻まれています。論文には『佐保講定宿取締牒』(弘化3年・佐保神社所蔵)に記された北播磨から伊勢に通じる街道筋に指定された111の宿との約束事などの内容について書かれていますが、玉垣には、大阪、大和、伊賀、京都、伊勢、丹波などの宿主の名が刻まれています。それらの玉垣の名を読んでいると、伊勢参りまでの街道が浮かんでくるようです。
神崎宮司の論文で、佐保講と石灯籠の由来について詳しく知ることができました。