ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

名勝「闘龍灘」の冬景色-ひょうごの景観150選

2020年01月31日 06時14分23秒 | Weblog
 

 30日(木)の午後、加東市上滝野の闘龍スクエアを訪れました。冬の闘龍灘の景色を「ひょうごの景観150選」(兵庫県150周年記念)ビューポイントから眺めました。加古川中流の奇岩で知られる名勝「闘龍灘」の激流と奇岩を一望できる絶好の位置でした。
 スクエアには、加古川舟運を開いた阿江与助の銅像があり、眼下の奇岩と滝を見下ろしています。冬の闘龍灘も趣がありますが、5月1日には全国で一番早い鮎漁の解禁と3日の鮎まつり、花火、光明寺と一体となった花まつりが行われ賑わいます。夏から秋にかけては台風や大雨で恐怖を感じるほどの激流が奇岩の上を荒れ狂うこともあります。四季を通じて楽しめる闘龍灘。今日は冬景色でした。
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2月8日(土)に稲田朋美衆議院議員が加東市で講演

2020年01月30日 10時07分23秒 | Weblog
 来る2月8日(土)、稲田朋美衆議院議員(元防衛大臣・自民党幹事長代行)が加東市で講演を行うことになりました。
 この講演会は、自民党加東市支部が主催するもので、公開講演会として開催されます。稲田氏は、現在自民党幹事長代行として、全国行脚を行っています。今回の講演の演題は「伝統と創造-憲法改正に向けて」。ぜひ、多くの皆さんにご来場いただきたく存じます。

 2月8日(土):受付12:30~、講演13:00~14:00
 会場:加東市社福祉センター(2階) 入場無料
 お問い合わせ、申し込みは、下記、藤本百男事務所まで。
 電話  0795-43-8270
 FAX 0795-20-6675
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県庁に春を告げる-容真流いけばな「加東の春」

2020年01月28日 04時52分18秒 | Weblog
  

 27日(月)、兵庫県庁の1,2,3号館の各1階ロビーに春の到来を告げる生け花が飾られました。
 一年を通して、各流派の生け花がいけられていますが、今日は容真流の加東市の土肥栄子さんらが担当されました。2号館には「加東の早春」の題が。3号官県議会ロビーには、木瓜(ボケ)の花が咲き、春を告げていました。
 この日、加東市立滝野南小学校の4年生が県庁見学にも訪れ、県庁が加東デーのようになりました。
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春のような日-朝の大×印、梅の花開く

2020年01月27日 04時45分32秒 | Weblog
  

 26日(日)は、まるで春のような明るく暖かい一日でした。朝、庭に出てみると、西の空高く、大きな×印が光っていました。関西電力社営業所の建物の屋上に立っている関電タワーの上部にこの×印が光っていました。タワーが朝日を受けて交差部分だけが光っているのですが、余りに大きな×印に思わず見とれてしまいました。
 昼頃、庭の梅の木の枝に白い花が開きました。近くの蕾みも一気に膨らんで開きそうになっています。もう、庭には春がやってきたようです。
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昭和32年9月10日-社町役場の窓から見える風景

2020年01月26日 05時15分58秒 | Weblog
 先日、自宅に、近くにあった神田学園のことを知りたいと訪ねてこられました。いつも登校見守りに立っている交差点から学校側に50メートルほどのところに、昔、神田学園がありました。
 神田学園は、昭和のはじめに私立有隣家政女学校として設立され、「高等女学校や補習学校を卒業した子女に対して、良き家庭の婦人となるべき実際教育を施すことを目的とし、家事、裁縫、手芸、作法、音楽、茶道、花道などを実習する」学校でした。
 戦後、有隣農業女学校(昭和22年)、学校法人神田学園(〃25年)、有隣女学校(〃34年)と学校名が変わりましたが、昭和37年に閉鎖されました。学校道にあったので、私が小学校の頃、その前を通って学校に行っていました。
 この写真は昭和32年9月10日、父が社町役場の助役室の窓から撮したものです。田圃の手前に合羽姿で立っているのが、もうすぐ4歳になる私です。その後ろに写っている大きな建物が神田学園です。今は更地となり駐車場になっています。役場も連合区の駐車場となり、私は朝の登校見守りに立っています。62年の歳月が経ったのです。
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兵庫県立社高等学校の景色

2020年01月25日 06時11分48秒 | Weblog
 

 24日(金)、体育科の課題研究発表会が行われ、参観しました。母校は兵庫県のほぼ中央に位置する嬉野台地にあります。標高はほぼ100メートル、東西南北に大きく展望が開けており、ここに学ぶ者の心も壮大になります。
 体育館から出るとテラス回廊から望める北東の中国山地から吹き抜けてくる冷たい風に身も心も引き締まります。校門は百周年を記念して造られた県立社高等女学校時代、大正時代のレトロな赤煉瓦風のものです。校舎の姿は私が通っていた40年前と余り変わりませんが、耐震工事も行われ、現在はトイレの改修が行われています。遙か遠くからも望むことができたメタセコイヤの巨木は伐採されてなくなりましたが、校舎東側にはその巨大な切株が残されています。
 県道に面したテニスコートのフェンスには、体育、美術、生活科学などの分野での現役生徒の活躍を知らせる幕が掲げられています。その一つに阪神タイガースの近本選手のものもありました。楽天イーグルスの辰己選手とともに昨シーズンは大活躍でした。
 県道向かいの県立教育研修所は耐震改修工事がほぼ終わり、新しく生まれ変わっています。40年前の昔を思い出しながら、感慨一入でした。
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大正15年にも御大神宮さんの屋根替え-寄進帳から

2020年01月24日 06時18分21秒 | Weblog
 昨日に続いて、御大神宮さん(佐保神社境内)に関する文書を紹介します。大正15年は1926年、昭和元年でもあります。すでに紹介した明治37年の石瑞垣新築、屋根替の修繕から22年が経っています。
 寄進帳の寄附者は、田町筋の住民ら約50人の他、田町にあった社市場の名が記されており、女学校掛金奨励金も入れられ、合計85円50銭になっています。
 支払いの部を見ると、28円20銭を屋根屋(宿料2日、中食2回分を含めて)に、14円50銭を大工材料代に、その他棟上材料、棟上げ屋根屋祝い、餅、供物、神官礼、神楽、酒、あげや豆腐、大根、味噌、醤油等々、細かく記入されています。しめて85円32銭が支払われ、残りは東田町、中田町へ分配されるなどして「差引無出入」と締めくくられています。
 こうして、過去の記録を読むと、先人の懐かしい名前や棟上げを祝う人々の姿が目に浮かんできます。今、承け継いで町内会でお守りしている御大神宮さんを次の世代にしっかりと渡していくことが私たちの責任だとしみじみと思いました。
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明治時代に米取引で栄えた社の田町-御大神宮の修繕寄附帳

2020年01月23日 05時54分39秒 | Weblog
 明治37年(1904)の御大神宮さん(加東市社佐保神社境内)の屋根替、石瑞垣新築などの寄附帳はすでに紹介しましたが、その頁の筆頭には、当時、田町筋にあった加東米穀取引所の名前があり、これに続いて仲買店、住人の名が続いています。
 これらの寄附者の名前は、御大神宮さんの祠の門柱、玉垣に刻まれており、今も見ることができます。佐保神社の境内の大ケヤキの下に、日露戦争の記念碑が建てられていますが、その建立者は大阪堂島取引所有志となっており、米取引を通じて、大阪と社の町が深く結びついていたことがうかがえます。当時、大阪堂島で「播州社」の名を知らない者はなかった、といわれているほどだったと聞いています。
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伝統の祭り-社の善龍院で初庚申祭り

2020年01月22日 05時23分50秒 | Weblog
  

21日(火)、加東市社にある善龍院で360年余りの伝統を持つ初庚申祭りが行われました。9時前にお参りしましたが、9時からのお祭りの準備を檀家の役員さんらが慌ただしく行っておられました。
 善龍院は、涌羅野山慈眼寺善龍院の寺号をもつ真言宗のお寺で、赤穂の浅野氏の分家である家原浅野氏の菩提所として代々の領主の位牌が納められており、初庚申(年始の庚申日)には多くの人々が参詣する庚申寺として知られる由緒ある寺院です。今年は、お祭りの前でしたが、お参りすることができました。
 この歴史ブログでは、初庚申祭りについての説明を紹介してきましたが、今年も掲載します。

 庚申とは、「庚(かのえ)申(さる)」十干十二支の組み合わせで60日に一度めぐってきます。庚申堂の本尊の青面金剛大明王(しょうめんこんごうぞう)、すなわち庚申さまは、開運、厄除け、五穀豊穣、無病の守り本尊として昔から信じられています。
 庚申堂にお参りし、「庚申お猿」をいただきます。布でつくられた猿のお守りですが、「災難を去る(猿)」ということで、このお守りをいただき、翌年奉納すると、ご利益があり念願がかなうといわれています。お参りしたあと、よもぎ団子と昆布茶の御接待を受けます。甘さと昆布茶の味が格別です。
 昼前には大般若経が奉読され、開運厄除、七難即滅、七福即生、福寿円満、風雨順時、五穀豊穣、交通安全、家内安全が祈念されます。庚申堂の内部正面にはよく神社に祀られている鏡があります。善龍院は明治維新までは佐保神社の社僧を務めていた関係ではないか、というお話を聞きました。その奧の秘仏は60年に一回の御開帳です。
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御大神宮さんの玉垣寄附人名簿ー明治37年

2020年01月21日 05時46分46秒 | Weblog
  

 加東市社の佐保神社境内の西側に小祠が並んでいます。その真ん中辺りに玉垣に囲まれているのが御大神宮さんです。この祠は、元は社市街の田町筋にあったものですが、昭和の初期に佐保神社境内に遷されました。その関係で、今も田町筋の中田町(なかたまち)の町内会が毎年7月25日に御大神宮さんのお祭りを行っています。
 御大神宮さんの玉垣には、寄付者の加東米穀取引所をはじめ、米取引の仲買店の名前が刻まれており、米取引所があり、仲買人が米相場を張っていた往時の田町の繁栄振りがうかがえます。この玉垣は、まだ田町筋にあった頃、造られたもので、その寄附者名簿が町内会に保存されています。(写真)
 表紙には、「明治三拾七年第十月」「大神宮 石瑞垣新築 屋根替 其他修繕 寄附人名簿」「社 田町」と書かれています。明治37年と言えば、西暦1904年。今から116年前にあたり、日露戦争が起きた年です。
 写真は御大神宮さんと文書の表紙です。
 
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播磨中央公園で加東伝の助マラソン

2020年01月20日 05時40分52秒 | Weblog
  

 19日(日)、冬の加東市恒例の行事、加東伝の助マラソン大会が行われました。14回目となりましたが、こんなによく晴れた日は珍しいような気もします。
 開会式で特別参加の西脇工業高校の陸上競技部の選手が紹介されているとき、遙か空高く、気球が浮かんでいました。気球のまち加西から飛んできたのでしょうか。
 開会式で、伝の助マラソンのTシャツが紹介されました。デザインしたのは中学生。かわいい伝の助くんのまわりに、山田錦や鮎、桃、鯉のぼり、釣針など加東市の特産物が描かれています。地上でもよく冷えているのに、あの気球の高さでは相当冷たいだろうなと思いながら、気球から見える景色を想像しました。
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冬の夕日-山国熊野神社から

2020年01月19日 04時42分13秒 | Weblog
 18日(土)は、冷たい風が吹き、空はよく晴れて、まさに瀬戸内式気候の冬型そのものの天気でした。
 夕方、西の空がきれいに染まり始めていたので、これはと思い立ち、車で国道372号線から加東市山国の熊野神社へ上る坂道に入り、見晴らしのよい所に立ちました。
 この辺りは標高約75メートルですが、台地の西縁にあたり、ここから西側南から北まで180度以上のの眺望が開けています。夕日は遙か西の地平線の南の方にゆっくりと沈んでいきました。
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阪神・淡路大震災25年

2020年01月18日 06時14分31秒 | Weblog
 17日(金)、今朝も早起きしていましたが、特別の思いをもってNHKの画面を視ていました。神戸市東遊園地では、6400人余の犠牲者の冥福を祈る多くの人々の姿が映し出されていました。(写真)
 25年の歳月は人の一世代に近い長さです。震災を体験していない人が多くを占めるようになっているなか、震災を風化させず、その教訓を忘れず、伝え、災害に備えていくことは私たちの使命でもあります。亡くなられた人の時間は止まったままです。ゆえに私たちは亡くなった方々の分まで生きるという思いが強くあるのだと思います。
 県公館で行われた追悼式典では、秋篠宮皇嗣殿下同妃殿下の御臨席の下、遺族、国、県、市町、団体代表、在阪神の外交官や組織の代表等が出席して、犠牲者への祈りと決意を捧げました。
 17日の朝、25年前のことを思いだしていました。激しい揺れに耐え、家族の安否を確認したあと、外に出てみると、南東の空がうっすら明るくなっており、その方向から地の底から聞こえてくる地鳴りが、まるで衝撃波のように「どん」と体を突き抜けていきました。その瞬間に電信柱や電線が「ぶるん」と揺れました。尋常ならざる事態が起きて居るという恐怖が体の内側からわいてきたことを今も鮮明に覚えています。
 神戸の事態が分かってきたのは、だいぶ時間が経ってからでした。すでにいつものように学校に勤務していました。あの日から25年。南海トラフ巨大地震の危険はさらに高まっています。
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学校道のロウバイ、庭のロウバイ-親子

2020年01月17日 05時35分01秒 | Weblog
 

 登校見守りに立っている近所の通学路(学校道)の交差点の家に咲くロウバイがほぼ満開です。毎年、いちはやく咲き始め、見事な花をつけるロウバイの木です。毎朝、社小学校の子供達が通り過ぎていきますが、今は気にも止めていないでしょうが、毎朝見る景色は子供達の心に焼き付けられ、やがて懐かしいふるさとの景色の一つになっていくのだと思います。
 このロウバイの木の子供をこの家の方からいただき、我が家の庭に植えてようやく花がつき始めて2年目の冬。黄色い花が咲いています。やがて、庭のなくてはならない木の一本になっていくでしょう。
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山田錦の里、秋津の冬風景

2020年01月16日 05時15分08秒 | Weblog
  

 14日(火)、曇り空の下、東条川疏水の流域や山田錦の里を巡ったとき、加東市秋津で山田錦生産農家の都倉さんに出会いました。数人の方と自宅付近の田の畦で「とんど」をしておられたところでした。残りの炭で餅を焼きますが、今年は閏年なので13個の餅を竹に刺したと話しておられました。
 都倉さんは特A地区で山田錦を育て、さらに田圃に稲木を組んで天日干しをされます。田圃には、脱穀したあとの稲藁を積み上げた「つぼき」もありました。冬の田圃に「つぼき」の景色は今ではほとんど見ることがなくなりました。
 都倉さんは、毎年奈良の大神神社に注連縄の稲を献上されているとのことで、農業作業場には、その大神神社(三輪大明神)の杉玉が下げられていました。酒米の王様山田錦は蔵元に嫁いで最上の酒になります。その稲藁は日本最古の神社とされる大神神社の注連縄になっていると思うと、この冬の秋津の景色が日本の歴史と文化に深くつながる貴重な土地として輝きを放って見えました。
 
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