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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

松江歴史館がおもしろい

2016年02月29日 04時35分20秒 | Weblog
 松江城の東、お堀に面して昔の武家屋敷のような建物があります。これが松江歴史館です。江戸時代に特化した展示、松江城の築城から松江の街並み、歴史がこの歴史館で学ぶことができます。実は単なる歴史資料館ではなくて、庭を眺めながらお茶をいただける席もありますし、そこに坐ると、長屋門の屋根の上に松江城の天守も望めるという絶景ポイントになっています。松江の特色である和菓子づくりの店もありました。
 学芸課長の宍道さんに展示の説明をしていただきました。実に豊かな知識と松江の歴史への限りない愛に溢れた方でありました。自費出版で松江の歴史に関する本を2冊も出しておられます。写真、地図、そして平易な文章で読み易く、興味が湧いてくるように記述されています。宍道さんは市内の小学校や公民館へ出前授業にも出かけておられます。
 
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松江城の一角に洋館の興雲閣

2016年02月28日 05時11分15秒 | Weblog
  

 松江城の一角、二の丸の松江神社と並んで興雲閣という洋館が建っていました。
 明治時代に天皇が行幸されるため、宿泊所としてに建てられたものらしく、天皇の行幸は実現しませんでしたが、のちに大正天皇がお泊まりになったと聞きました。
 2階のバルコニーからの眺めは良く、また、2階には天皇が実際にご宿泊になった部屋があり、洋間と畳敷の2間になっていました。
 城と洋館。違和感なく松江の歴史を伝えていました。
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国宝松江城-石垣と天守

2016年02月27日 05時13分06秒 | Weblog
 

 国宝松江城では、国宝に指定された天守はもちろんですが、高い石垣と櫓の立派さに圧倒されました。また、積まれた石に刻まれた紋が読み取れるものもあり、その中に堀尾家の分銅紋もありました。
 馬溜から見上げた二の丸の石垣と櫓、本丸の石垣の向こうに見える天守の2枚の写真です。
 
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国宝松江城天守

2016年02月25日 12時31分54秒 | Weblog
  

 松江城の天守、最上階からは松江市街を360度見渡すことができます。昨年の7月に国宝に指定された天守は、その内部から新たに祈祷札が発見され、これにより慶長16年(1611)以前に完成したことが確かめられたことということです。
 松江城の天守は、姫路城、松本城に次ぐ規模や高さをもつ堂々たる城郭建築で、わが国に現存する12の天守のうち築城時期の古さでも5番目にあたります。城を築いたのは「松江開府の祖」と呼ばれる堀尾吉晴公。入口に築造を指揮する吉晴公の像が建てられています。
 松江城は石垣も壮大ですばらしい景観をつくっていました。また、天守の地階部分の石垣には大きな石の間に小さな石が数多く詰め込まれており、実は戦闘ではこの小さな石を抜いて敵に投げつけるのだと聞きました。実際に殺傷効果は高かったようです。
 
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出雲大社の大日章旗

2016年02月25日 05時08分45秒 | Weblog
  

 21日(日)に出雲大社に参拝しました。平成の大遷宮で、国宝の本殿の屋根の葺き替えなどの修理が行われ、美しい檜皮葺きの屋根が冬の日に輝いていました。
 出雲大社の本殿については、古代は32丈(約96メートル)、平安時代は16丈(48メートル)もある高層建築だったと伝えられており、歴史の授業でも模型などの写真でその壮大さに圧倒されてきましたが、本殿を支えていたと考えられる鎌倉時代の柱(根元)が出土しています。水分を含む土質だったために腐らずに残ったということでした。
 神楽殿では巨大な注連縄にも驚きました。そして、さらに印象に強く残ったのが、神楽殿前の広場に立っている巨大な国旗掲揚柱でした。支柱はまるで巨木のように太く、まっすぐに天に向かって立ち、その上には畳75枚分の大きさの日章旗が掲揚され、風を受けてゆっくりと、スローモーションのようにはためいていました。
 出雲大社へ向かう道からも遠望できましたが、足元から見上げるとその巨大さに再び圧倒されました。とにかく、出雲大社はデカイ、という印象を刻みつけられました。
 祝祭日には必ず国旗を掲揚していますが、出雲大社にはこのように巨大な国旗が毎日掲揚されていることを目の当たりにして心強く思いました。
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2月3日の夜明け-雲の放物線

2016年02月21日 04時40分15秒 | Weblog
 今月初めの3日の朝、東の空は雲と青空にくっきりと分かれていました。そして、その境目は、ゆるい放物線を引いたように、まるで遠くまで続く砂浜のようにも見えました。
 同じような雲は出ても二度と同じ形の雲はありません。平成28年の2月3日の午前7時15分にわが家の近くの駐車場から見た空の景色です。青空には朝日に輝く小さな雲が浮かんでいました。
 写真を整理していて、この日の夜明けの景色を残しておきたいと思い、アップしました。 
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神姫バス社営業所の朝

2016年02月20日 04時36分32秒 | Weblog
 朝のウォーキングで佐保神社に参拝するのが常となっています。参拝が終わると、そのまま境内を北へ抜けて、若宮神社へと向かいます。
 佐保神社の境内は朝の静けさに包まれていますが、西側には旧国道175(現在は県道)が走っており、出勤のマイカーやバスのエンジン音が聞こえてきます。
 神姫バス社営業所のりばでは、7時頃の三宮行きのバスに乗ろうと高校生が自転車でやってきたり、車で送ってきてもらったりしています。そんな光景を見ながら歩いていると一日の始まりを実感します。
 境内の西から見下ろした神姫バス社営業所の風景です。遙か向こうには、五峰山や加西市の山々が望めます。そろそろ日が昇る頃です。
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神戸の月

2016年02月19日 07時28分18秒 | Weblog
 18日(木)の夕方5時10分頃、神戸市の県庁近くを歩いていると、高層ビルの上に白い月が光っていました。
 ちょうど夕日がビルの壁面を照らし、空は青く澄んでいました。ふと、ビルの屋上に白い月がかかっていたのです。加東で眺める月は山の上か、民家の屋根の上ですが、神戸ともなると、こうした高層ビルにかかる月になるんですね。六甲山か高層ビルの上から眺める月もいいでしょうね。
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朝日の栄養をいっぱいに受けて

2016年02月18日 04時56分52秒 | Weblog
  

 17日(水)の朝はよく晴れて、7時15分頃には加東市社の市街地にも朝日のまぶしい光りが差しました。日の出の朝日の色は本当に濃く感じます。建物の壁や、関電のタワーが朝日に映えています。空の色も深く透明な青になっています。
 盲目の愛犬さつき(柴犬、13歳)は寒さはへいちゃらですが、朝日の温もりを体で感じているようです。
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東条川疏水ネットワーク博物館ソングー2

2016年02月17日 05時38分02秒 | Weblog
 昨日に続いて、東条川疏水ネットワークソングをもう1曲紹介します。この曲も昨日紹介した「東条川疏水の物語」の作詞者である土肥芳郎氏の作詞です。「物語」と対をなす曲で明るいポップ調の歌です。
 東条川と疏水のあるふるさとをこよなく愛する作者の気持ちが歌詞に溢れています。多くの人が口ずさむ歌になってほしいと思います。


「東条川よ ありがとう」

屋根のないミュージアムは 知っていますか
大空の光り輝く ビックな館
そこは・・ 東条リバーの疏水
LaLaLa東条 川の魅力のワンダーランド
LaLaLa東条 育む水のシンフォニー
  鴨川ダムに 曽根サイフォン
  安政池と 昭和池
  こだまの森には 船木池
  誇る六ケ井円筒分水
東条川よありがとう


当たり前過ぎていると 気が付かないね
誰だって水の力で 生きてることを
だから・・ 東条リバーの疏水
LaLaLa東条 川は命のジュエリーランド
LaLaLa東条 奏でる夢のコンチェルト
  鴨川ダムに 曽根サイフォン
  安政池と 昭和池
  こだまの森には 船木池
  誇る六ケ井円筒分水
東条川よありがとう
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東条川疏水ネットワーク博物館を讃える歌

2016年02月16日 04時34分56秒 | Weblog
 14日(日)に東条湖畔で開かれた県庁加東クラブ総会のオープニングで東条川疏水讃歌「東条川疏水の物語」が披露されました。
 この歌は、昨年11月23日に行われた東条川疏水ネットワーク博物館のオープン式典で初披露されましたが、今回は静岡県の歌謡グループ「オレンチェ」が歌いました。
 東条川疏水は全国疏水百選に選ばれており、その選定10周年を記念して、東条川疏水の起点でもある鴨川ダムの竣工した昭和26年11月23日を記念して同日を「東条川疏水の日」に制定しました。
 讃歌はネットワーク博物館の活動に参画している土肥芳郎さんの作詞によるものです。鴨川ダムや昭和池とその水路網、山田錦の里を潤す豊かな疏水を謳っています。優しい清らかなメロディの歌です。3月にはCDが完成すると聞いています。


 東条川疏水の物語(疏水ネットワーク博物館讃歌)

桜(さくら) 紫陽花(あじさい) 向日葵(ひまわり) 紅葉(もみじ)
四季を彩る(いろどる) 川端まつり
 鴨川ダムから 生まれた疏水(みず)は
 育む命 清き水
ただひたすらに たゆたゆと
流れ続ける 東条川疏水の物語

曽根(そね)のサイフォン 船木(ふなき)の池と
三草山麓(みくささんろく) 昭和の池よ
 田畑に恵みを 注いだ疏水(みず)は
 未来に向けて 語る水
山田錦(やまだにしき)は 酒となり
癒し続ける 東条川疏水の物語

六ケ井円筒(ろっかいえんとう) 分水堰(ぶんすいせき)は
今に輝く 先人叡智
 北播磨路(きたはりまじ)を 流れる疏水(みず)は
 青空屋根の ミュージアム
明日へ未来へ 感謝して
讃えて止まぬ 東条川疏水の物語 
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春の嵐のあとで-道標と十字架

2016年02月15日 05時21分17秒 | Weblog
  

 14日(日)は、低気圧の通過で朝方まで激しい雨が降りました。そのあとは、雨も上がり、時折り青空ものぞく天気となり、昼頃にはまるで3月末から4月始めの春休みのような生暖かい南風が吹きました。
 午後3時頃、会合からの帰りに加東市社の市街を歩いていると、田町通りの東の入口の法蓮寺にさしかかったところで道標と境内を一枚写真に収めました。このブログで何度も紹介している甲州の肥谷井角右衛門さんが建立した立派な道標です。
 夕方4時頃、空には北の方から黒い雲が空を覆い始めました。愛犬の散歩をしながら真っ黒な雲を背景にキリスト教会の十字架が白くくっきりと浮かび上がっていました。これも写真に収めました。この辺りは、私が小さい頃、天理教の教会があったところです。この時間帯に市街地を散歩することは滅多にないことなので、いつも見ている景色ですが、何か新しい発見のような感じもしました。
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日の出前の佐保神社

2016年02月14日 04時54分58秒 | Weblog
 

 冬の朝も次第に日の出が早くなってきました。朝のウォーキングも今は6時半頃から7時頃にかけて行っています。途中で日の出を拝むことができますが、たいがい持寶院の大師殿辺りで市街地の屋根の上にまぶしい朝日が昇ります。
 さて、忠魂碑や佐保神社あたりではちょうど日の出前の時間帯で、まさに一日がこれから明けるという神聖な雰囲気の時間帯にあたります。
 参道の大ケヤキ、瑞神門、舞殿、拝殿、本殿、境内の大ケヤキが広い境内で静かに日の出の時を待っているかのようにそれぞれが存在感をもってそこにあります。
 境内の西の石垣の下には県道が走り、神姫バスの社営業所があります。通勤、通学の人を乗せてバスが走っていきます。世の中が動き始める時間帯です。
 瑞神門前で見上げる大ケヤキ。今の時期は太い幹と肉のない毛細血管だけのような枝が伸びています。境内の西から広い境内と建物群が望めます。
 元旦に参拝したのがつい昨日のようです。もう2月。立春も過ぎて春がそこまでやってきています。
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上久米の東光寺で大日祭り(大日ったん)

2016年02月13日 06時26分33秒 | Weblog
 2月11日(木)、加東市上久米の東光寺で大日如来祭、通称大日ったんが行われました。穏やかな好天に恵まれ、境内や護摩焚が行われる寺の前の田圃の周辺には多くの参詣者があり賑わいました。
 毎年建国記念の日の午後は「大日ったん」へのお参りと護摩焚きと火渡りと決めています。平成19年から欠かさず行じてきましたが、今年は同じ時間帯に県の行事が小野市で開催されたため、お参りしたのみで、火渡りをすることが叶いませんでした。
 本堂にお参りして、ちょうど始まった山伏による護摩供養を少し拝見することができました。
 大日ったんについては、毎年ブログで詳しく紹介していますが、今年は点火前の護摩供養の様子写真と、祭りの由来についての「広報やしろ」第10号(昭和35年3月5日発行)に掲載された記事を紹介します。

 「郷土の探究」(8)
 社町にも北播三大祭の一つとかぞえられるものに、上久米にある東光寺の恒例祭とされている「大日如来祭」がある。
 昔から牛馬の守り仏として有名で毎年二月二十八日には播州一円の農家が参拝し、境内せましと思わせる。この日北播一帯の青年有志大相撲が展開されるとともに参道に列をなす植木をはじめ農機具などの多くの露店は、まさに社町のなかでの最大の祭りでもあり、北播三大祭の一つでもある。

 かつて寺の南には、米田村役場、小学校、駐在所などがあったそうで、米田村の中心でした。祭りの日には参道に露店が立ち並び、参詣の人並みが続いたといいます。老人会の方が青年団員だった頃、自転車で訪れる人が多く、自転車預かりなどもやられたそうです。
 法要の次第は次の通りです。

東光寺大日法会
一、午後一時
   大般若経転読
一、午後二時
   大護摩
一、午後三時
   餅配り

日照山東光寺 護摩供養次第
一、法螺 三声
一、山伏問答
一、法弓作法
一、法剣作法
一、法斧作法
一、願文
一、点火
一、導師作法
一、古札供養
一、火生三昧(火渡り) 以上
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河高八幡神社で厄神祭-山上で厄除け行事

2016年02月12日 05時28分09秒 | Weblog
  

 2月11日の建国記念の日、加東市河高の八幡神社では厄除けの祭りが行われました。穏やかな好天に恵まれ、多くの人出で賑わいました。毎年、お参りをして、八幡神社の背後の山上の大岩で行われる行事も見させてもらいました。

 午前9時前に八幡神社へと通じる県立播磨中央公園内の通路を車で上り、鳥居前の通路に駐車しました。鳥居をくぐり、拝殿へ。境内には河高地区の皆さんがテントを張り、うどんやおでんの接待を行っておられます。また、滝野温泉ぽかぽの湯でゆでた卵も販売され参拝者の楽しみになっています。
 本殿に参拝したあと、温かいうどんとおでんをいただきました。そのあと、山上の大岩の祠に向って、拝殿脇から整備された急坂を歩いて登りました。
 山上は、テニスコートほどの広さで、むき出しになった大きな岩盤があり、その中央に巨大な岩が天に向かって立っており、その頂点に小さな祠が安置されています。巨石には注連縄が張られ、この一画が神聖な場所であることをさらに強調しています。この山頂は加西郡(市)との境界にもあたる場所です。
 巨岩の前の広場には法被姿の子供たちが群れています。そこへ袋やお盆にお餅などを持った厄年の人たちが現れ、巨岩の上の祠にお供えし、拝んだあと、子供の方に向かって硬貨やお菓子をまきます。子供たちは歓声をあげながらそれを拾って用意した自分の袋に入れていきます。周囲では子供の親や家族がその光景を微笑みながらみています。子供もの中には3歳ぐらいの小さな子供もいます。かつては、場所取りのために夜明け前から来る子どももいたとも聞きました。地元の消防団員が硬貨の交換や山上の警備などの役割をになっていました。

さて、この歴史ブログでも、これまで八幡神社の厄神祭について紹介してきましたが、今年も神社の由来や祭りについて紹介します。

 河高の八幡さんは、今から約470年前の戦国時代、天文4年の創立とされ、「厄除けの霊験頗る顕著」なお宮さんとして知られ、厄除けのお祭りが毎年1月19日に行われていました。この日には旧加東郡や加西、多可郡から多くの人が参詣したと聞きました。また、地区の子供たちはこの日ばかりは学校を休んでお祭りに出たということでした。
 年輩の方の話では、前夜から友達と連絡を取り合い、午前3時頃から山の上に向かつたそうで、親も寝ておれなかった、ということです。戦後の一時期、男女平等ということで、女の子も参加したようですが、今は地区の男の子だけが参加できることになっています。この祭りを「奇祭」とよび、子供がお金を拾うという行為を好ましくないなどという観点から一部の批判があったことは確かで、毎年新聞でそのようなコメントが付けられていました。しかし、このお祭りは厄除けの祭り、伝統文化、地域社会などの観点から見るとそのような表面的な見方だけの批判は的はずれといわざるを得ません。子ども達は拾ったお金を特別なお金として大切に使い方を考えたと聞くきました。また、拾っている姿を見ていると、年長の者が年少の者に配慮しながら拾っている姿もありました。成功した人が地域に感謝の気持ちを示すというこうした姿勢をこの子供たちがまた継承していき、地域の維持発展につながることになると思います。こうした思いも実際に祭りを直に見てはじめてもつことができるものです。

 今年は本当によい天気に恵まれ、まるで春のような陽気でした。伝統の祭りと地区の行事を地区の皆さんがしっかりと守って継承されていることこそ、今問われている地方創生(地域創生)の原動力となる「ふるさとへの愛着と誇り」を次の世代に継承していくことなのだと確信します。
 
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