2月11日の建国記念の日、加東市河高の八幡神社では厄除けの祭りが行われました。穏やかな好天に恵まれ、多くの人出で賑わいました。毎年、お参りをして、八幡神社の背後の山上の大岩で行われる行事も見させてもらいました。
午前9時前に八幡神社へと通じる県立播磨中央公園内の通路を車で上り、鳥居前の通路に駐車しました。鳥居をくぐり、拝殿へ。境内には河高地区の皆さんがテントを張り、うどんやおでんの接待を行っておられます。また、滝野温泉ぽかぽの湯でゆでた卵も販売され参拝者の楽しみになっています。
本殿に参拝したあと、温かいうどんとおでんをいただきました。そのあと、山上の大岩の祠に向って、拝殿脇から整備された急坂を歩いて登りました。
山上は、テニスコートほどの広さで、むき出しになった大きな岩盤があり、その中央に巨大な岩が天に向かって立っており、その頂点に小さな祠が安置されています。巨石には注連縄が張られ、この一画が神聖な場所であることをさらに強調しています。この山頂は加西郡(市)との境界にもあたる場所です。
巨岩の前の広場には法被姿の子供たちが群れています。そこへ袋やお盆にお餅などを持った厄年の人たちが現れ、巨岩の上の祠にお供えし、拝んだあと、子供の方に向かって硬貨やお菓子をまきます。子供たちは歓声をあげながらそれを拾って用意した自分の袋に入れていきます。周囲では子供の親や家族がその光景を微笑みながらみています。子供もの中には3歳ぐらいの小さな子供もいます。かつては、場所取りのために夜明け前から来る子どももいたとも聞きました。地元の消防団員が硬貨の交換や山上の警備などの役割をになっていました。
さて、この歴史ブログでも、これまで八幡神社の厄神祭について紹介してきましたが、今年も神社の由来や祭りについて紹介します。
河高の八幡さんは、今から約470年前の戦国時代、天文4年の創立とされ、「厄除けの霊験頗る顕著」なお宮さんとして知られ、厄除けのお祭りが毎年1月19日に行われていました。この日には旧加東郡や加西、多可郡から多くの人が参詣したと聞きました。また、地区の子供たちはこの日ばかりは学校を休んでお祭りに出たということでした。
年輩の方の話では、前夜から友達と連絡を取り合い、午前3時頃から山の上に向かつたそうで、親も寝ておれなかった、ということです。戦後の一時期、男女平等ということで、女の子も参加したようですが、今は地区の男の子だけが参加できることになっています。この祭りを「奇祭」とよび、子供がお金を拾うという行為を好ましくないなどという観点から一部の批判があったことは確かで、毎年新聞でそのようなコメントが付けられていました。しかし、このお祭りは厄除けの祭り、伝統文化、地域社会などの観点から見るとそのような表面的な見方だけの批判は的はずれといわざるを得ません。子ども達は拾ったお金を特別なお金として大切に使い方を考えたと聞くきました。また、拾っている姿を見ていると、年長の者が年少の者に配慮しながら拾っている姿もありました。成功した人が地域に感謝の気持ちを示すというこうした姿勢をこの子供たちがまた継承していき、地域の維持発展につながることになると思います。こうした思いも実際に祭りを直に見てはじめてもつことができるものです。
今年は本当によい天気に恵まれ、まるで春のような陽気でした。伝統の祭りと地区の行事を地区の皆さんがしっかりと守って継承されていることこそ、今問われている地方創生(地域創生)の原動力となる「ふるさとへの愛着と誇り」を次の世代に継承していくことなのだと確信します。