清水寺は日本最初の観音霊場として開かれ、歴代天皇によって堂宇が建立されてたことを紹介してきました「清水寺誌」(昭和32年刊)。推古天皇、聖武天皇、そして行基など歴史の教科書に出てくる天皇や人物の名が連なっています。今日は、さらに平清盛や源頼朝らの名も出てくる大塔やお堂の建立について紹介します。
平清盛の母、祇園女御は清盛を出産するとき、清盛の武運長久を祈って、御嶽山の山頂に日本唯一の大宝塔を建立した、とされています。今は大塔を見ることはできませんが、私は小学生の頃、塔にのぼって遙か瀬戸内海に浮かぶ小さな船影を見たことがあります。この大塔は根来寺大塔、高野山金剛峯寺大塔と並ぶ日本三大大塔だといわれています。
その他に御白河法皇が常行堂を、池の二位殿は薬師堂を、源頼朝が阿弥陀堂を建立したと伝えられています。こうしてみると、いかに清水寺が観音信仰の霊場としてあがめられていたかがわかります。写真は昭和10年代の根本中堂と大塔の姿です。
平清盛の母、祇園女御は清盛を出産するとき、清盛の武運長久を祈って、御嶽山の山頂に日本唯一の大宝塔を建立した、とされています。今は大塔を見ることはできませんが、私は小学生の頃、塔にのぼって遙か瀬戸内海に浮かぶ小さな船影を見たことがあります。この大塔は根来寺大塔、高野山金剛峯寺大塔と並ぶ日本三大大塔だといわれています。
その他に御白河法皇が常行堂を、池の二位殿は薬師堂を、源頼朝が阿弥陀堂を建立したと伝えられています。こうしてみると、いかに清水寺が観音信仰の霊場としてあがめられていたかがわかります。写真は昭和10年代の根本中堂と大塔の姿です。