22日(土)の朝、佐保神社に参拝しました。先日、氏子総代さんから、瑞神門脇の大石燈籠の補修工事が完了したとの連絡をいただいていましたが、久し振りに立派な姿を見ることができました。
灯籠本体の高さが5メートル36センチあり、石垣部分を入れると地面から8メートルは超えるではないでしょうか。郷土史家の故上月輝夫先生は「日本五大石灯籠の一つ」とよく話しておられました。
神崎宮司さんによると、この石灯籠は今から140年余り前の明治16年12月(1883)に建設されたもので、灯籠の台石には、大きく「佐保講」と刻まれています。伊勢神宮参りの「おかげ灯籠」として佐保講の勧進(寄附)によって建設されたのですが、その建設費を寄附した伊勢参りの佐保講の定宿の名前が石灯籠の周囲の玉垣に刻まれていました。
『摂播歴史研究』誌第70・80合併号(令和元年8月1日発行)に掲載された神崎宮司の研究論文「『伊勢信仰の盛行』の一例証『佐保講』の成立について」)によると、『佐保講定宿取締牒』(弘化3年・佐保神社所蔵)には、北播磨から伊勢に通じる街道筋に指定された111の宿との約束事などの内容について書かれており、玉垣には、そうした街道筋の大阪、大和、伊賀、京都、伊勢、丹波などの地名と宿主の名が刻まれていました。それらの玉垣の名を読んでいると、伊勢参りまでの街道が浮かんでくるようでしたが、老朽化により、危険な状態になったために新しい玉垣に造り替えられました。貴重な歴史を刻んだものだけに新調は残念でしたが、寄附者の宿主の名前は、燈籠の脇に設置された銘板に刻まれています。
「佐保講」は幕末の弘化3年(1847)年に創設され、昭和前半まで続いた伊勢神宮へ月参することを目的とした結社のことで、講員は、加東郡(現加東市・小野市域)を中心に北播磨地域に約2千数百名を有していました。すごい歴史を持つ大石燈籠が修復され、そんな歴史とともに次の時代に遺されていくことを喜びたいと思います。