清水寺に立てこもった赤松氏範を攻め切れず、山名氏清が京都に軍勢を引いたあと、かわって細川頼元の三百余騎が勢いこんで攻めてきました。
赤松勢は少数ながらこれを防ぎ、細川勢は鴨川(加東市鴨川)まで退き、赤松勢は大講堂へと引き返しました。これを口惜しがった細川頼元は今度は八百余騎をもって激しく攻め上り、とうとう山門まで攻め寄りました。これを待ちかまえていた赤松勢は大石、大木を雨あられの如く投げ落としたので、細川勢は数百の兵が押しつぶされました。さらに赤松孫五郎(氏範の子)は大石を抱えて山門の屋根にのぼり、その大石を細川勢に投げつけました。これをみた細川勢は「人間業にあらず」と怖れたのでした。
赤松氏範は三十余騎をしたがえて細川勢に切り込み、細川頼元をめざしました。細川勢はこの赤松氏範の勢いに押され、鴨川まで退くと、孫五郎が二十騎余りを率いて山中から細川勢を襲いました。細川勢はたまらず三草山まで退き、三草山に登って陣を立て直し、追ってくる赤松勢に備えましたが、氏範は深追いせず、清水寺に引き戻って敵が再び寄せてくるのを待ちました。 つづく
赤松勢は少数ながらこれを防ぎ、細川勢は鴨川(加東市鴨川)まで退き、赤松勢は大講堂へと引き返しました。これを口惜しがった細川頼元は今度は八百余騎をもって激しく攻め上り、とうとう山門まで攻め寄りました。これを待ちかまえていた赤松勢は大石、大木を雨あられの如く投げ落としたので、細川勢は数百の兵が押しつぶされました。さらに赤松孫五郎(氏範の子)は大石を抱えて山門の屋根にのぼり、その大石を細川勢に投げつけました。これをみた細川勢は「人間業にあらず」と怖れたのでした。
赤松氏範は三十余騎をしたがえて細川勢に切り込み、細川頼元をめざしました。細川勢はこの赤松氏範の勢いに押され、鴨川まで退くと、孫五郎が二十騎余りを率いて山中から細川勢を襲いました。細川勢はたまらず三草山まで退き、三草山に登って陣を立て直し、追ってくる赤松勢に備えましたが、氏範は深追いせず、清水寺に引き戻って敵が再び寄せてくるのを待ちました。 つづく