ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

清水寺⑩-南朝忠臣赤松氏範-細川との戦い

2011年06月30日 05時49分22秒 | Weblog
 清水寺に立てこもった赤松氏範を攻め切れず、山名氏清が京都に軍勢を引いたあと、かわって細川頼元の三百余騎が勢いこんで攻めてきました。
 赤松勢は少数ながらこれを防ぎ、細川勢は鴨川(加東市鴨川)まで退き、赤松勢は大講堂へと引き返しました。これを口惜しがった細川頼元は今度は八百余騎をもって激しく攻め上り、とうとう山門まで攻め寄りました。これを待ちかまえていた赤松勢は大石、大木を雨あられの如く投げ落としたので、細川勢は数百の兵が押しつぶされました。さらに赤松孫五郎(氏範の子)は大石を抱えて山門の屋根にのぼり、その大石を細川勢に投げつけました。これをみた細川勢は「人間業にあらず」と怖れたのでした。
 赤松氏範は三十余騎をしたがえて細川勢に切り込み、細川頼元をめざしました。細川勢はこの赤松氏範の勢いに押され、鴨川まで退くと、孫五郎が二十騎余りを率いて山中から細川勢を襲いました。細川勢はたまらず三草山まで退き、三草山に登って陣を立て直し、追ってくる赤松勢に備えましたが、氏範は深追いせず、清水寺に引き戻って敵が再び寄せてくるのを待ちました。  つづく

    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清水寺⑨-南朝忠臣赤松氏範-清水坂の戦い

2011年06月29日 06時43分15秒 | Weblog
 しばらくぶりの投稿です。清水寺(加東市平木)の赤松氏範についての話の途中で投稿が止まっていましたが、復活します。少年の頃、「太平記」のヒーロー楠木正成の縦横無尽の活躍に心をおどらせていましたが、赤松氏範が立てこもった清水寺での戦い、清水坂合戦(きよみずさかのかっせん)の話も楠木正成の千早、赤坂の戦いのようで、身近なところでそんな合戦があったことにあらためてびっくりしています。「清水坂合戦」の話は次のとおりです。

 赤松氏範は南朝方の武将として忠義を尽くしていましたが、南朝の勢力がしだいに弱まっていくなかで、最後の一戦をという覚悟で京都に攻め入り、将軍の命をめざして夜討ちをかけて奮戦したのですが果たせず、丹波から播磨へと退きました。
 氏範は「賀茂郷なる御嶽山清水寺は観音応現の伽藍なれば、この山にて敵を引き受け、いさぎよく討死せんもの」と呼びかけ、一族郎党百四十余騎が大講堂を本陣にして足利の討手を待ちました。
 一方、京都ではこの氏範の動きに対して足利勢の武将が評議し、このままにしておいては、氏範に味方する者があちこちで兵を挙げるかもしれないということで、討手を送ることに決まり、山名氏清が名乗りを挙げました。
 清水寺では、この報せを受けた氏範は一族郎党を集めて「山名氏清なら好敵手。面白し。打ち破って、朝敵どもの目を驚かせよう」と気勢をあげて待ち受けていました。山名の勢力は千五百余騎。丹波から押し寄せ、山の麓に着くと鬨の声(ときの声)をあげて山に火をかけ、投げ松明に火をつけ、火矢を打とうとしましたが、氏範はそうしたことに備えて峯のある水を切り落として防ぎました。山の下から射る矢は生い茂った木にさえぎられましたが、山の上から射る赤松勢の矢は逆落としのように山名勢を襲いました。そのうち、坂の途中まで攻め登った山名勢と赤松勢との激しい戦いになりました。このとき、「伽藍を焼こうとした仏敵山名を許すまじ」と清水寺九十八坊の衆徒も甲冑を身につけて戦いました。こうして、小勢ながら山名が繰り出す兵を赤松勢が押し返すもどす激しい戦いが三度にわたって繰り広げられました。山名勢は赤松勢の思わぬ強さに対して急に攻めるよりじっくりと攻める方に戦法を変えなければならないと考えていたところへ、河内国で楠木、和田の一族が蜂起するという報せがとどきました。山名氏清はちょうど播磨国に入っていた細川頼元にあとを頼んで京都に引き返しました。  つづく
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清水寺⑧-南朝忠臣赤松氏範その2

2011年06月06日 06時02分53秒 | Weblog
 「清水寺誌」(昭和32年刊)に福原会下山人(ふくはらえげさんじん)による「清水史蹟赤松氏範」が掲載されています。福原会下山人は明治3年(1870)篠山町生まれの郷土史研究者。その山人が書かれたものを同誌に再録したとあります。前文には次のように書かれています。

 大正二年の夏八月二日、山火延焼して堂塔伽藍一宇をも遺さず烏有に帰した際、御嶽の東嶺霜台の尾の史蹟、南朝忠臣赤松氏範墓石の断礎に、晩鴉空しく群がるを痛嘆して、山人のものされしを、ここに再録してこれを衆人に知らしめ、忠魂慰留の助とも致したい。

 私は子どもの頃から「太平記」の少年向けの本を繰り返し読んでいました。楠木正成の赤坂千早城での奮戦にわくわくし、新田義貞の鎌倉攻めをはじめ、児島高徳、名和長年、足利尊氏、高師直、後醍醐天皇といった登場人物の名も覚えてしまっていました。何度読んでも本当におもしろい話でした。楠木正成、正行親子の別れの場面、正行の四条畷の戦いでの壮烈な最期などは挿絵も目に焼き付いています。そんな太平記に出てくる南朝の忠臣たちの一人、赤松氏範の最後の地が清水寺だと知ったときの驚き、興奮、衝撃はものすごいものでした。小学生の頃、父に連れられ清水寺に泊まり、翌朝、子坊さんの後ろを歩いて生い茂った笹をかき分けて赤松氏範、一族の墓に案内されました。読んでいた太平記には赤松氏範の名は出てきませんでしたが、ここに南朝の忠臣の墓があり、その墓石の表面が剥がれて古さを感じたことを覚えています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光明寺への道 

2011年06月04日 05時57分51秒 | Weblog
 加東市役所滝野庁舎がある五峰山の南山麓の高台には、県立播磨中央公園、滝野文化会館、滝野公民館、滝野図書館などが一ヶ所に集中し、そこに立てば、東から南にかけて、遠く六甲連山、播磨平野、加古川の流れが一望できます。図書館には郷土資料コーナーがあり蔵書も充実しています。
 その滝野庁舎から播磨中央公園を見ながらさらに西へ車を走らせると、五峰山方面への道があり、その入り口に一本の道標が立っています。「左 光明寺 善導大師 是ヨリ十三丁」と刻まれています。五峰山光明寺への参道だったのでしょう。側面には、「明治三十九年四月建之 施主村内信者中」と刻まれています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清水寺⑦-南朝忠臣赤松氏範物語その1

2011年06月02日 05時50分17秒 | Weblog
 清水寺への自動車登山道路をほぼ登りきり、山門前の駐車場に入ろうとする所に、1本の石柱が立っています。
 標柱には、「史蹟 南朝忠臣赤松氏範父子一族憤死・・・」と刻まれており、下部は土中に埋まっていて読めませんが、側面には「昭和六年九月二日建立 兵・・・」と刻まれていて、やはり下部は「兵」しか見えませんが「兵庫県」と刻まれているのではないかと思います。そんな石柱が岩がむき出しの尾根筋に立っているのです。
 南朝忠臣赤松氏範父子一族憤死の地。石柱から尾根づたいに林の中を少し歩くと、赤松氏範の墓にたどりつきます。石碑は新しく建てかえられていますので、歴史の古さを実感するというものではありませんが、今から625年前に南朝への忠義を全うし、一族とともにこの地で自害した赤松氏範の忠誠は今に伝えられています。
 赤松氏範の墓(写真)については、これまでにもこの歴史ブログで紹介してきましたが、赤松氏範と清水坂の合戦についての説明を再掲します。

 赤松氏範は14世紀南北朝時代の人で、播磨の豪族、赤松円心の子です。赤松円心は、はじめ南朝方についていましたが、のちに北朝の足利方につきます。兄弟4人のうち、氏範一人が南朝について忠義を尽くしました。
 足利義満が三代将軍となり、南朝の勢力はおとろえはじめました。氏範は1386年、最後の戦いに挑むべく、京の幕府を襲いましたが、幕府勢に押し返され、播磨の清水寺に立てこもりました。これを攻めたのは山名の軍勢でした。さらに山名勢が去ってからは細川勢が攻めました。
 氏範はよく戦いましたが、何せ味方は少数、幕府軍は大軍とあって、兵糧もなくなり、遂に覚悟を決めて、寺の北東の峯に一族郎党を集め、自刃をして果てたのです。これが、清水坂の合戦とよばれる戦いです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清水寺⑥-坂上田村麻呂と清水寺

2011年06月01日 05時41分26秒 | Weblog
 蝦夷征伐で知られる征夷大将軍の坂上田村麻呂(麿)は、平安時代、9世紀のはじめの頃の人ですが、この坂上田村麻呂が御嶽山清水寺に丹波路を毎月参詣して、蝦夷征伐や鈴鹿山の鬼退治に観世音菩薩の霊験で勝ったことに感謝して佩刀を奉納したと伝えられ、これが寺宝となっています。
 1200年も前の武将、坂上田村麻呂が京の都からこの清水寺に毎月参詣していたとはすごい話ですね。もっと驚くのは、その田村麻呂が奉納した刀が1200年の時を超えて寺に伝えられているということです。
 


 

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする