ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和11年-小林農林参与官歓迎会の案内状

2015年01月31日 04時56分50秒 | Weblog
 昭和11年(1936)、郷土出身の政治家、小林絹治農林参与官の帰郷を歓迎する会の開催が企画され、その案内状が当時の社町社区(現加東市社)の文書綴に綴じられています。小林絹治は戦前戦後、代議士として活躍した政治家で、当時は広田内閣で農林参与官を務めていました。


 昭和十一年六月四日
                         大橋実次
各区長殿

 小林農林参与官歓迎会開催ノ件

今般小林農林参与官帰郷相成候ニ付テハ郡内町村長等発起ノモトニ左記要項ニ依リ歓迎会相催度候ニ付貴区内賛成者御取纏メノ上来ル九日到着ノ予定ヲ以テ賛成者名簿当役場迠送付相成度此段貴意ヲ得候也

    記

一、期日  昭和十一年六月十一日午前十一時
一、場所  社町元郡公会堂
一、会費  金壱円也
一、発起人 判事 警察署長 県会議員 各町村長 小学校長会長
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昭和12年-帝国在郷軍人会の規約②

2015年01月30日 05時31分51秒 | Weblog
 昨日に続いて、昭和12年(1937)の帝国在郷軍人会社町分会社斑規約の続きを紹介します。15条に規定された分会の社斑の事業として、家族の慰問、入営や退営の歓送迎、宿営の接待などが挙げられていますが、この歴史ブログでは、こうした分会の取り組みを紹介してきました。また、文言として挙げられていませんが、忠魂碑前での招魂祭、武道大会なども行われていました。



第十一条  斑ノ会議ハ総会及役員会、評議員会トシ班長之ヲ招集ス

第十二条  総会ハ概ネ毎年一回十二月トシ役員ノ推薦班務ノ報告等ヲナスモノトス
      但シ必要アル場合臨時総会ヲ招集スルコトヲ得

第十三条  役員会ハ班ノ事業遂行上必要アル場合班長之ヲ招集ス

第十四条  評議員会ハ予算及決算ニ関シ班長ノ諮問ニ応ジ事業参画ノ為メ班長之ヲ招集ス

第十五条  本班ノ主ナル事業左ノ如シ
     イ 分会ニ於テ決定シタル班ノ事業
     ロ 現役兵及同家族ノ慰問
     ハ 入退営ノ歓送迎
     ニ 軍隊ノ行軍、宿営ノ際ニ於ル接待
     ホ 其他在郷軍人トシテ必要ナル事業

第十六条  班員及同家族死亡シタル時ハ班員全員会葬スルモノトス
     イ 班員死亡シタル時ハ花環ヲ供ス
     ロ 家族死亡シタル時ハ香料金壹圓ヲ供ス

第十七条  班長任期満了退任シタルトキハ役員会ニ諮リ紀念品ヲ贈呈ス

第十八条  班員ハ若干ノ会費ヲ負担スルモノトス
      但シ会費ノ額ハ総会ニ於テ之ヲ定ム

第十九条  本班ニ名誉班員及顧問ヲ推薦スルコトヲ得

第二十条  名誉は院ハ班員ニシテ特ニ功労アリタル者顧問ハ区長及班務遂行上特ニ関係深キ名士ヲ総会ニ於テ推薦ス

第廿一条  其ノ他細部ハ分会規約ニ依ル

第廿二条  規約改定ハ総会ニ於テ行フ 
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昭和12年-帝国在郷軍人会の規約

2015年01月29日 05時48分23秒 | Weblog
 昭和12年(1937)の帝国在郷軍人会社町分会社斑規約が当時の社町社区の文書綴に綴じられています。在郷軍人会については、この歴史ブログでその趣旨や経緯、活動などについてこれまでにも取り上げてきましたが、今日は規約を紹介します。

 昭和十二年二月十一日定

  社町分会社斑規約

帝国在郷軍人会社町分会社斑規約

第一条  本斑ハ社町社ニ居住スル在郷軍人ヲ以テ組織ス

第二条  本斑ハ社町分会ニ所属スル其ノ任務ヲ遂行ス猶又班員相互ノ親睦ヲ計リ和衷協力在郷軍人タルノ本分ヲ盡スヲ以テ目的トス

第三条  本班ニ左ノ役員ヲ置ク

     班長 一名  副班長 一名  監事 二名  会計 一名  評議員 若干名

第四条  役員ハ班長之ヲ嘱託ス

第五条  班長ハ班ヲ統括シ副班長ハ班長ヲ補佐シ班長事故アルトキハ其ノ職務ヲ代理ス

第六条  監事ハ班長ノ命ヲ受ケ会計ニ関スル監査ヲ行フ

第七条  会計ハ班長ノ命ヲ受ケ班ノ会計事務ヲ処理す

第八条  評議員ハ班長ノ諮問ニ応シ且ツ班務ヲ参画ス

第九条  班長、副班長、監事、会計ハ班員中ヨリ班員之ヲ推薦シ其ノ任期ハ三ヶ年トス

第十条  評議員ハ班長指名推薦シ(但シ下町、下中町、上中町、本町、上町、田町、東条町、西浦ノ各町ニ配分ス)其ノ任期ヲ二年トス

                                  以下次回に続く
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昭和11年-社区評議員辞職届

2015年01月28日 05時57分58秒 | Weblog
 昨日のブログで、昭和11年(1936)当時の社区の文書綴りに綴じられていた区の評議員を永年勤めた人への感謝状の文案を紹介しましたが、同じ文書綴にその人の辞職届が綴じられていましたので紹介します。文中の社中田町(やしろなかたまち)とは、社区の町内会の一つで、田町筋を西、中、東に区分したうちの中にあたるものです。今、私が住んでいる町内の先人のもので一層身近に感じます。

      辞職届

一            私儀
社区評議員ヲ各位ノ御援助ニヨリ
四十余年間相勤メ居リ候處今
般老弱ノ為メ辞職仕候間各評
議御一同ヘ宜敷御傳聲ヒ成下
此段御届申上候也

 昭和十一年三月十五日
   社中田町
     磯 貝 幸 吉

社区長神田栄太郎殿
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社区評議員への感謝状

2015年01月27日 07時13分45秒 | Weblog
 昭和11年(1936)当時の社町社区(現加東市社)の文書綴を読んでいると、地区の評議員を永年勤めてきた人への感謝状の原文案が綴じられていました。前後40余年とあったのには驚きました。また、区長さんの肩書きに「正七位」とあるのにもびっくりでした。このような多くの先人の努力が重ねられて今日のふるさとがあるんだなあとあらためてきづかされました。 


 感謝状

   磯貝幸吉殿

君者社区評議員トシテ前後四拾余年間金属セラレ克ク区政ニ精通シ誠意以テ町内ノ自治発展ニ盡瘁セラレ其功績顕著ナルモノアリ今回勇退辞任セラル詢ニ惜別ノ情堪ヘサル所アリ茲ニ評議員ニ諮リ感謝状ヲ贈呈シ謹テ犒労紀年ノ意ヲ表ス

       昭和十一年五月二十日

                      社町社区長 正七位 神田栄太郎
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加東市の指定文化財-やしろ歴史民俗研例会で

2015年01月25日 04時28分02秒 | Weblog
 24日(土)午後、社公民館でやしろ歴史民俗研究会の1月例会が開催されました。今回のテーマは「加東市の指定文化財」で、講師は加東市教育委員会の文化財担当の森下大輔氏。加東市にはどのような文化財があるのかを全体的に知る機会でもあり、会員の出席も多く、関心の高さがうかがえました。

 資料によると、国、県、市指定の文化財は国法1件、重要文化財(無形を含む)7件、兵庫県指定文化財(無形を含む)18件、市指定文化財69件、国登録文化財7件、総計101件にのぼります。それらを200枚余りのスライドで紹介してもらえるので期待がふくらみました。

 国法朝光寺から始まり、建造物、続いて石造物、彫刻と進み、43件目で90分が過ぎ、残りは次回にじっくりと解説していただくことになりました。森下氏曰く、「身近なところに文化財はいっぱいあります。あれっと思う物があれば知らせてください」というほど文化財の価値あるものが身近に存在している、とのことでした。

 私もこのブログで、文化財をはじめ、身近なところにある歴史を伝えるものを見つけては発信しています。社小学校で令旨塔の石碑が築山で裏返しに倒されて眠っていたのを発見したときには驚きました。次回が楽しみです。興味のおありの方はぜひご連絡下さい。

 写真は清水寺の銅像菩薩立像です。白鳳時代の作と見られる古い仏像で、国宝級だとおもうのですが、県指定文化財となっています。
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昭和池から嬉野台地へ-水を送ったサイフォン管

2015年01月24日 05時10分26秒 | Weblog
     

     

       

 県道西脇三田線の加東市藤田地区内を車で走っていると、道路の南側の田圃で工事が行われているのが目に入りました。重機が入り、田圃の土を動かしているように見え、何本かの管が置かれていました。車を止めてよく見ると、この工事現場の南側、すなわち嬉野台地に向かって一筋に工事の跡を見通すことができました。そして、その先には昭和池からこの千鳥川の谷をわたり嬉野台地へ水を送った幹線水路のサイフォンの吐口の構造物が望めたのです。この工事は使われなくなったサイフォンの水管を撤去する工事であることが分かりました。
 昭和池とは、大正13年(1924)の大旱魃をきっかけに農業用水の水源を確立する必要性から、県営事業として三草山の渓谷に造られた巨大な溜池で、昭和3年に工事が始まり、9年に完成、昭和池と命名されました。その巨大な土堰堤は高さ30メートル、幅(長さ)約200メートルに及び、県下最大級の土堰堤です。
 昭和池からは、幹線水路によって水が運ばれ、当時の上福田村、社町、福田村、加茂村(現在の加東市域)の水田をうるおしました。昭和池から社町への水路は、久米川(千鳥川)の流れる藤田地区の谷を渡って嬉野台地に運ばれるました。この広い谷をサイフォンで渡ったのです。今では使われなくなり、その呑口、吐口、地下の水管、水路が残っています。嬉野台地側には吐口辺りに説明板が設置されています。
 昭和56年当時、嬉野台地の開発を教材化するために調査をしましたが、昭和池から送られてくるサイフォン施設の壮大さに感動したことを今もよく憶えています。現在、兵庫県北播磨県民局が取り組んでいる東条川疎水ネットワーク博物館では、東条ダムとともに昭和池からの水路を含めて、調査や学習にが進められています。この藤田サイフォンは嬉野開発と農業用水の確保という地域の開発、産業に大きな役割を果たした施設、歴史・農業遺産として大事にしたいと思います。
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昭和12年-社土木所長の歓送迎会案内

2015年01月23日 05時11分52秒 | Weblog
 昭和12年(1937)、社土木出張所長と主任書記の異動で歓送迎会が開催されることになり、その案内状が当時の社区(現加東市社)の文書綴に綴じられています。会場は元加東郡公会堂(現加東市明治館)。発起人裁判所判事や県会議員、郡内町村長会長、社町長などの名前が連ねられています。こうした各種の歓送迎会が元郡公会堂で開かれていたことを案内状などから知ることができます。写真は当時の郡公会堂です。


拝啓
益々御清祥奉賀候
今般社土木出張所長並ニ主任書記栄転相成候条来ル本月八日社町郡公会堂ニ於テ歓送迎会開催致度候間御部内多数御勧誘出席セシメラレ度御願申上候 拝具

   記

一 会費    一人ニ付 金壱圓
一 日時    六月八日 午前十一時半
一 申込    七日午前中
一 取扱人   社町役場

   発起人

      吹澤 健吉
      蓬莱 茂雄
      川上  実
      近藤 準吉
      中川 清二
      池田 喜蔵
      立間 光義
      大橋 実次

 社区長 殿
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360年の伝統-善龍院で初庚申祭り

2015年01月22日 05時01分20秒 | Weblog
 21日(水)、加東市社にある善龍院で360年の伝統を持つ初庚申祭りが行われました。予報に反して、朝から日も差して穏やかな天気の下、寺の境内には9時前から参詣の人が次々と訪れていました。

 善龍院は、涌羅野山慈眼寺善龍院の寺号をもつ真言宗のお寺で、赤穂の浅野氏の分家である家原浅野氏の菩提所として代々の領主の位牌が納められていることや、初庚申(年始の庚申日)には多くの人々が参詣し、庚申寺として知られる由緒ある寺院です。

 毎年、この歴史ブログで紹介していますが、初庚申祭りについての説明を再掲します。

 庚申とは、「庚(かのえ)申(さる)」十干十二支の組み合わせで60日に一度めぐってきます。庚申堂の本尊の青面金剛大明王(しょうめんこんごうぞう)、すなわち庚申さまは、開運、厄除け、五穀豊穣、無病の守り本尊として昔から信じられています。

 庚申堂にお参りし、「庚申お猿」をいただきます。布でつくられた猿のお守りですが、「災難を去る(猿)」ということで、このお守りをいただき、翌年奉納すると、ご利益があり念願がかなうといわれています。お参りしたあと、よもぎ団子と昆布茶の御接待を受けます。甘さと昆布茶の味が格別です。

 昼前には大般若経が奉読され、開運厄除、七難即滅、七福即生、福寿円満、風雨順時、五穀豊穣、交通安全、家内安全が祈念されます。庚申堂の内部正面にはよく神社に祀られている鏡がありました。あれっと思いましたが、善龍院は明治維新までは佐保神社の社僧を務めていた関係ではないか、というお話を聞きました。その奧の秘仏は60年に一回の御開帳です。
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社区裁判所判事の異動歓送迎会案内状

2015年01月21日 05時09分12秒 | Weblog
  昨日は、昭和11年(1936)の社区事務所(現加東市社)の文書綴に綴じられていた社警察署長の異動の歓送迎会の案内を紹介しましたが、今日は、同年の秋の社区裁判所判事の異動歓送迎会の案内状を紹介します。写真は昭和10年代の社区裁判所です。


拝啓時下晩秋の候愈々御清適ノ条賀上候
陳者ケ般明石区裁判所ニ御栄転ニ相成候橘高判事殿及び其の後任として御着任相成候吹譯判事殿両氏ノ為メ歓送迎会を左記要項によりて多数有志諸彦の御賛同のもとに開催致し度く候ニ就テハ御繁忙の際、甚だ恐縮の至りに存候へ共御部内有志を御勧誘の上精々多数御出席下さる様特々御配慮煩し度此ノ段御依頼申上候

    記

一、日 時   十一月十三日午前十一時
一、場 所   元郡公会堂
一、会 費   金壱圓

        発起人
    県会議員    蓬莱茂雄
    社高女校長   伊藤管之助
    社警察署長   川上 實
    加東郡町村会長 近藤準吉
    社町長     大橋實次
    社区監督書記  長谷川逸次

昭和十一年十一月七日

各区長殿
  追って準備ノ都合モ有之候ニ付来ル拾壱日迠ニ賛成者御取纏メノ上社町役場ヘ御報知下度候
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昭和11年-社警察署長異動の歓送迎会

2015年01月20日 04時48分20秒 | Weblog
 昭和11年(1936)の社区事務所(現加東市社)の文書綴に社警察署長の異動に関して、署長の歓送迎会の案内が綴じられています。写真は昭和10年代の社警察署です(加東市社、今はみなと銀行社支店がある)


拝啓
時下初秋之候貴下ますます御清祥之段奉大賀候
扨而先般警察官異動ニ依リ前社署長森氏及新任川上氏ノ歓送迎会ヲ来ル八月二十二日午前十一時社町元郡公会堂ニ於テ催シ度候間御賛成御出席相煩度
此段御通知申上候
二伸
会費ハ一人宛金壱圓当日御持参願度尚準備ノ都合モ有之候条至急貴部内取纏メ二十日中ニ出席者ノ人名ヲ社町長宛御通知相煩シ度候

 昭和十一年八月十八日
           主催者  橘高金四郎
           仝    中村久太郎
           仝    蓬莱茂雄
           仝    近藤準吉
           仝    新川晴秀
           仝    合田常蔵
           仝    大橋實次
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昭和10年-社地区評議員会で道路改修費負担問題を協議

2015年01月19日 04時28分54秒 | Weblog
 昭和10年(1935)7月31日に開催された社町社区(現加東市社)の正副評議員会の記録が残っています。開会は午後8時30分、閉会は10時30分の2時間。場所は、西浦倶楽部(加東市社二区の西浦にあった)。出席者は区長、副区長、会計部長、正副評議員25名、参与員2名。東条町(とうじょうまち)は社区の東端、今の銀座通りの東方に当たる小字名で、当時、警察署、区裁判所などが置かれていました。評議員会では、道路改修費の負担を求める社町側に負担が大きいとの反対意見が出されていることが記録されています。



宮野区長ハ会長席ニ開会ノ辞ヲ述ヘ直チニ会議ニ移ル

    議事

一、東条町道路改修ニ関スル地元負担金ノ件
東条町道路改修ハ縣ニ於テ審議ノ結果愈同実行スルニ決シ之ガ第一期工事トシテ幾分改修スルコトトナリタルニ付テハ之レニ対スル地元負担金工費ノ二割約八百円ヲ要ス該負担金ハ社区ニ於テ全テノ負担ヲ願ヒ社町ヘ寄附ノ形式ヲ取リタキ旨大橋社町長ヨリ達シアリタリ
右ニ付審議ノ結果
社区ニ於テ二割全部ノ負担スルハ余リニモ重キ感アリ
聊モ女学校ノ新設社警察署ノ改築及社区裁判所等ニ付テハ夫々其当時社区ハ犠牲トナリ多額ノ負担ヲ支出シタル次第ニ付今回之レ等ニ関連スル道路ノ負担金ハ社町ニ於テモ相当ノ負担ヲ願フベキガ妥当ナリトシ大橋町長ニ該事情ヲ以テ御願シ一方社区選出町会議員井上、吉田、増田、松本、岸野、三木ノ六氏ニ右事情ニヨリ町会ニ於テ社区ノ意志ノ貫徹スル様御尽力方ヲ御願スルコトニ決シタリ

二、縣社佐保神社ニ筵寄附ニ関スル件
縣社佐保神社祭典ニ当リ神事ニ相撲アリ之レガ観覧席用筵ハ以前原氏区長時代ノ寄附ニシテ永年使用セシ為メ腐朽シ使用ニ不□ニヨリ更ニ筵百枚(代価二十円以内)寄附スルコトニ決シタリ

右之通りニ候也

 昭和十年七月三十一日
               議長  宮野太吉
           出席議員惣代  川崎小市
                   村上 勝
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東条コスミックホール図書館前庭の道標

2015年01月18日 05時15分39秒 | Weblog
 加東市天神の東条文化会館コスミックホールの図書館の入口の庭の脇に石が置いてあるのに気づきました。はじめは庭石かと思っていましたが、気になってよく見ると、どうも道標のようです。近寄ってさらによく見ると、上部が割れたかどうかして無くなった道標で字のようなものが刻まれていました。ちょうど図書館なので郷土コーナーの「東条の道標巡覧記」で調べてみると、やはり道標でした。
 同誌の記述によると、もとは東条地区貞守と少分谷界にあったものを工事などで埋没のおそれがあるため移設されたものとありました。上部と下部は欠けており、正面には、「貞守天神町」「右 少分谷清水」と刻まれているとのことでした。
 こんな所で今は図書館来場者を見守っているわけです。今日の道標との出会いは嬉しくなりました。来場者に道標と分かるように簡単な由来などの説明を記した表示があったらいいなと思いました。
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昭和4年元旦-社小学校で新年交礼会

2015年01月17日 05時42分28秒 | Weblog
 
 昭和4年(1929)の元旦、社小学校(現加東市立社小学校)で社町(旧社町、今の社小学校区)の新年交礼会が行われています。その案内状が当時の区長文書綴に綴じられています。当時は元旦、紀元節、天長節、明治節などに小学校で拝賀式などが行われていました。新年の元旦早々に交礼会も開かれていたんですね。


拝啓陳ハ来ル一月一日午前十時半社小学校ニ於テ
新年交礼会開催可仕候間御隣席被成下度此
段御案内申上候
         敬具

   昭和四年十二月廿六日

      社町長  石 井 市 太 郎

殿 
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伝統行事-藤田地区の大とんど

2015年01月15日 04時35分12秒 | Weblog
   

            

     

 14日(水)の夜、昨日のブログで紹介した加東市藤田地区のとんど大会が行われました。今年で35回目を迎える藤田地区の伝統行事です。地元の方が、元は子供会の行事だったが、当時の若い親も35年経った今は老人会。そのままパワーを発揮してとんどの準備をやっていると、笑いながら話しておられました。今年のとんどは例年にましてボリュームがあるように見えました。各家の注連飾りが組まれたとんどに付けられています。私も我が家の飾りを付けさせてもらいました。
 とんどが始まるまで、地区の皆さんによるぜんざいや焼き餅の接待も行われ、地区内外から訪れた人に振る舞われました。
 午後6時30分、区長さんの挨拶があり合図でとんどに火が付けられました。ぱちぱちと音をたてながら、明るい炎が立ち、一気に燃え上がりました。広い田圃の真ん中で巨大なとんどが炎に包まれ、火の粉が夜空高く舞い上がっていきます。見守る人々の口から歓声が上がりました。とんどは傾くことも倒れることもなく、勢いよく真っ直ぐに炎を立てながら燃えていきました。地元の方が「こないきれいに燃えたのは珍しい。35回記念にふさわしい」と誇らしげに語っておられました。
 火が落ち着き、炭がいこってくると、長い竹の先に書き初めをつけて炎にかざします。火がつくと、「そら、振って!」と声がかかり、習字は燃えながら夜空に高く上がっていきます。また、用意された「へそ餅」をいこる火にかざして焼きます。これを食べれば一年を健康で過ごせる、というものです。まだ、火が熱くて近寄れませんが、竹の先に3つ串刺しにされた餅を焼き、焦げがついたら持ち帰りました。
 いつも思うことは、こうした伝統行事を大切に守り続けていくことは、地区の人々の結び付きを強め、子供達が伝統文化を体験しながら継承していくことにつながっていくということです。準備にほぼ一日かかる、と話しておられましたが、その苦労も炎と人々の喜ぶ顔で吹き飛んでしまうことでしょう。お父さんやおじいさんが子供の手をとって書き初めを火にかざす、その姿に家族のつながりを実感します。素晴らしいとんど大会でした。
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