(続)神戸又新日報
昨日に引き続き、蔵の中から出てきた新聞について紹介します。
大正13年(1924)7月9日付の神戸又新日報が出てきました。この年は兵庫県は大干ばつに見舞われ、6月中旬から9月上旬まで約80日間も雨が降らなかったという記録があります。
六面には県下各地の干ばつのようすが報じられています。小見出しを挙げてみると、「稲の根元へ土瓶で注水」「宍粟郡では兇変を惧る」(雨ごいを通り越して、天変地異を心配)「雨の神へ祈願する農民の誠」(飾磨郡)など、干ばつに苦しむ農民のようすが伝わってきます。
写真は、七面に掲載された記事の一部ですが、涼を求めて多くの人出となった海水浴場の写真と記事です。記事では気温は95度(華氏)を越えたとありますから、摂氏では35度程度でしょうか。「苦熱」という表現もみられます。
昨日に引き続き、蔵の中から出てきた新聞について紹介します。
大正13年(1924)7月9日付の神戸又新日報が出てきました。この年は兵庫県は大干ばつに見舞われ、6月中旬から9月上旬まで約80日間も雨が降らなかったという記録があります。
六面には県下各地の干ばつのようすが報じられています。小見出しを挙げてみると、「稲の根元へ土瓶で注水」「宍粟郡では兇変を惧る」(雨ごいを通り越して、天変地異を心配)「雨の神へ祈願する農民の誠」(飾磨郡)など、干ばつに苦しむ農民のようすが伝わってきます。
写真は、七面に掲載された記事の一部ですが、涼を求めて多くの人出となった海水浴場の写真と記事です。記事では気温は95度(華氏)を越えたとありますから、摂氏では35度程度でしょうか。「苦熱」という表現もみられます。