ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

終戦直前-鶉野などへの勤労奉仕割当通知

2018年08月31日 06時29分27秒 | Weblog
 昭和20年(1945)8月15日の終戦の日の直前の7月末に、社町長から社区長宛てに出された勤労奉仕等の割当に関する通知が、当時の社区の「参考綴」の中に綴じられています。
 海軍の鶉野飛行場(現加西市)への勤労作業には、社区の各組から毎日数人ずつが出役として割り当てられています。現在、鶉野飛行場跡は加西市が整備を行いつつありますが、73年前には、本土決戦に備え、特攻部隊が訓練し、国民が勤労作業に出ていたことが伝わってきます。割当表には社区八組(現在の中田町町内会)の割当が書かれており、八月八日橘部隊六名、七月三十一日鏑部隊七名、勝札一〇枚一〇〇円となっています。組長欄には、父の藤本豊治の名前と押印がありました。また、通知の欄外には「女でもよい」と朱書きされていました。
 こうした記録は戦争末期の地方部の状況を知る貴重な資料だといえます。通知文は次の通りです。写真はその割当一覧表です。


 昭和二十年七月二十七日
                 社 町 長
社 区 長 殿

 出役割当ノ件通知

人出不足の今日各方面ニ勤労御協力を御願ひ申上げ殊に今回は草採中とて定めし御困りのことととは万々察し上候へ共御高承の通り愈々本土決戦を控へ該工事の竣成は全く寸時を争ふ緊急工事に有之候ニ付何卒戦局の推移御賢察の上、万障御繰合せ速に活動、一段の御協力相煩し度懇願願申上候
 尚ほ蚊帳、勝札をも併せて割当候条宜敷御願申上候也

       記

橘部隊 壱一〇人 七月三十一日ヨリ八月十日迄 午後七時従前通り法華口下車指定場所に集合

鏑部隊 三九人  七月三十一日  午前七時集合 高岡廠舎ノ裏門前
    三九人  八月一日
    三四人  八月二日

蚊帳  八月一日迠ニ御都合被下度御願申上候
勝札  一、九一〇円  勝札は後日農業会経済部ヨリ持参致スヘク候ニ付宜敷御依頼申上候

◎大阪被服廠支庁滝野工場行は後日に致し候ニ付御了承被下度申添候
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オリンピア市交換留学生の報告会

2018年08月30日 05時39分58秒 | Weblog


 この夏、加東市と姉妹都市のアメリカ合衆国ワシントン州のオリンピア市を交換留学で訪問した市内の中高生が帰国報告会を行いました。
 私も同じ頃、兵庫県とワシントン州の友好提携55周年の記念式典に出席するため、県議会訪問団の一員として訪米し、州議会議事堂のあるオリンピア市で留学生と一緒になった縁で報告会に出席しました。
 12名の生徒がそれぞれのテーマをもって留学し、体験から学んだことを映像などを使って報告しました。ホストファミリーでの生活体験を通して、家の造りや食文化の違いについて発表したり、レーニア山への登山、ボート遊び、道路事情の違いなどさまざまなレポートが報告されました。感性豊かな中高生の頃に外国を訪れ、ホームステイを通しての異文化体験やホストファミリーとの交流は、人生の貴重な体験となると思います。
 私もオリンピア市での記念式典で州知事が鯉のぼりに感激してツイッターで写真と一緒に紹介したこと、知事公邸でのレセプションでの出来事などを紹介しました。兵庫県とワシントン州は55周年。加東市とオリンピア市との姉妹都市友好は社町時代から数えて37年にもなります。こうした友好関係を今後も継続していくことが日米の絆の基盤となっていくと信じます。
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緑のカーテンの裏に黄色くなったゴーヤ

2018年08月29日 05時01分56秒 | Weblog
 28日(火)の朝、外に出てみると、緑のカーテンの高い所n黄色くなったゴーヤが一つ生っているのが目に飛び込んできました。つい戦時、カーテンの外側に生った緑のゴーヤを採って炒めたばかりだったので、裏側のこのゴーヤに気がつかなかったのです。そのままにしておくか、と採らずに見ることにしました。なんとなく夏の終わりを感じます。
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昭和20年6月-空襲罹災者に草履や梅干を慰問

2018年08月28日 06時20分32秒 | Weblog
 手元にある「参考綴 社区」の中に、昭和20年6月14日付の社町長(旧社町、今の加東市立社小学校区域)から各区長、婦人会支部長宛の通知が綴じられてています。
 通知には、各戸当たり、草履一足と梅干2,3個を遅れることなく出してくれるよう書かれていました。
 今から73年前の昭和20年、兵庫県下で米軍機による空襲のために罹災した人に慰問品として草履や梅干を送るということです。終戦2ヶ月前、空襲が激しさを増すなか、当時の社町では田植えの農繁期だったでしょうが、物資不足の中であっても、こうした慰問活動が行われていたことを改めて知ることができました。通知文は次の通りです。


 昭和二十年六月十四日
            社町長  合田常蔵
各区長 殿
各婦人会支部長 殿

     罹災者慰問品送付ニ関スル件

農繁期御多忙中ニハ候へ共今回県下ニ於テ空襲ノタメ罹災者トナリタル者ニ対シ今般左記慰問品送付致シ度候条至急婦人会ト連絡ヲナシ当役場ヘ御持参相成度及此段願上候也

     記

一、品目  草履一足、梅干 二乃至三個(各戸宛)
二、期日  六月二十日正午迠、遅滞ナク
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古代の人もこの夕景を眺めたか

2018年08月27日 06時04分40秒 | Weblog
 26日(日)の夕方、国道372号の加東市松尾から山国へと向かう辺りから夕景を見ました。
 この辺りは一段高くなっており、西への眺望が広がっています。この高台には弥生時代の集落跡もあったと思います。今はきれいに整備された田圃が広がり、まっすぐに延びた農道には、緑の稲が心地よい風に揺れるなか、田を見て回る人の軽トラや犬の散歩をする人、ウォーキングの人々の姿がありました。西には青野原の地平線が、北西には、加西の山々や五峰山が見渡せます。
 雄大な夕景色。古代の人々もこの景色を眺めたことでしょう。
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加東の夏のおわりに-ステラパークで踊りとフェス

2018年08月26日 06時26分00秒 | Weblog
 

 

 25日(土)、加東市社の中央公園ステラパークを会場にして、社地域づくり協議会が主催する「夏のフェスティバルinやしろ」、加東市夏のおどり実行委員会が主催する「加東夏のおどり」の催しが行われ、加東の夏のおわりを告げる催しに多くの人が参加し楽しみました。
 午後5時から始まったフェスティバルでは、社中が校ブラスバンドの懐かしの加山雄三シリーズを演奏。また、フラダンスやキッズダンス、加東伝の助おどりなどが披露された。呼び物のビンゴゲームは大盛況。ビンゴ!の声が響き、豪華な賞品を次々とゲットし笑顔が広がりました。
 7時からは、加東夏のおどりが始まり、中央に設けられたやぐらを中心に幾重もの踊りの輪ができました。加東よしよし音頭、炭鉱節、これから音頭などを各地区、団体はじめ飛び入りの皆さんが一つになって踊りました。7時45分から恒例の花火が始まり、市街地の真ん中で規制の多いなか、よく工夫された花火が夜空を彩りました。その後も河内音頭や馬鹿音頭などの踊りが続き、パークの周囲の夜店も若い人や家族連れで賑わいました。
 9月1日には加東市内の夏の踊りを締めくくる天神の八朔祭りが行われますが、吹く風に秋の到来を感じた夜でした。
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下滝野地蔵公園で盆踊り

2018年08月25日 06時09分47秒 | Weblog
 

 24日(金)、台風一過で晴れたものの強い風が吹き、蒸し暑い一日となりました。夜、加東市下滝野の公民館西の地蔵公園には櫓が設けられ、周囲は各組の桟敷が、そして、公民館側には中学生が担当する焼きそばや焼き鳥の店が並び、地区住民が参加して恒例の盆踊りが行われました。
 他地区からも踊り手が参加し、二重三重に輪ができ、汗びっしょりになりながら加東よしよし音頭や炭鉱節などを軽快に踊りました。午後8時頃から伝統の馬鹿音頭が始まりました。かつては広く行われていた馬鹿音頭ですが、上、下滝野地区では今も伝えられています。
 夕方には雨もぱらつきましたが、踊りが佳境を迎える頃には空に白く光る月がかかっていました。
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台風の前の大レインボー

2018年08月24日 06時04分57秒 | Weblog
 

 23日(木)の夕方、午後6時40分を過ぎた頃、東の空に大きな虹が出始めました。空は南東方面から雨雲が掛かり始め、小さな雨粒が落ちていたのですが、西の空は明るく、日の光がこの虹をつくってくれたのでしょう。
 台風接近前の大レインボー。わが家の西の駐車場から見上げると、二重の虹が見えました。
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夏の朝のシルエット-ハグロトンボ

2018年08月23日 05時35分01秒 | Weblog
 

 22日(水)の朝、家の東の路地を歩いていると、隣の家のキンカンの木のところを飛んでいるハグロトンボに出会いました。以前にもこの辺りでブロック塀の上に止まっている姿を紹介したことがありましたが、今日は朝日が逆光となり、キンカンの葉とハグロトンボの羽や細い体がシルエットとなり、時間が止まったように静寂な空間が生まれていました。トンボが首をこちらに向けたような気もしました。
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加東市大畑からの夕景ー極楽浄土の雲か

2018年08月22日 05時39分16秒 | Weblog
 

 21日(火)の午後7時過ぎ、神戸からの帰り道、県道神戸加東線から東垂水を通り、東条川を渡って小野藍本線の厚利に出る市道を少し上った、加東市大畑のお堂の下辺りで、西に美しい夕景を見ることができました。
 少し高いところからの眺望は広がり、日没後の残光が雲を赤に染めていました。西方浄土、極楽には、金色に輝く雲がたなびき、阿弥陀仏がその雲に乗って現れる、そんな一服の絵を見ているようで、車を脇道に止めて、しばらく眺めていました。
 
 
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今年もゴーヤの緑のカーテンが

2018年08月21日 05時28分39秒 | Weblog
  

 夏の終わりを告げるホイツク(ツクツクボウシ)が鳴く今日この頃ですが、猛暑の今夏、強い日射しを和らげてくれたゴーヤの緑のカーテンがまだ元気につるを伸ばしています。
 5月末の加東市花と緑のフェスティバルで加東エコ隊からいただいた2本の苗を育ててきました。今年はゴーヤの実はほとんど生りませんでした。今のところ、3本収穫して野菜炒めにして食べましたが、例年ですと、毎日毎日ゴーヤを食べ続けるほど生るのですが、今年は猛暑の影響なのか、花は咲いているのですが、実が生りませんでした。今は小さな実が2つついています。
 すだれの内側から透かして見る緑のカーテンが涼しさ感を増してくれます。
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雲と月-夏の空

2018年08月20日 05時43分41秒 | Weblog
 

 ここ3日ほど、朝晩は涼しく、秋のようです。日射しは強くても、陰に入ると涼しく感じます。
 19日の午後6時30分頃、空を見上げると、青い空を一文字に引いた飛行機雲の下に、白い半月がかかっていました。振り向くと、高い空に秋を感じさせるすじ雲がかかっていました。波のようにも綿菓子のようにも見えました。
 しばらく経ってから外に出てみると、もうすじ雲はなく、半月は飛行機雲の上にかかっていました。
 
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山国観音堂前で新仏供養の盆踊りと花火

2018年08月19日 07時09分08秒 | Weblog
 

 

 18日(土)、夜空に半月がかかる加東市山国地区の観音堂前の広場で伝統の盆踊りが行われました。
 高台にあり、涼風が吹くなか、子供太鼓が披露されました。腕を上げたなと思いました。山国では、櫓の上で太鼓と鉦をたたき踊りの拍子をとるのも子供達です。
 総踊りは山国音頭から始まり加東よしよし音頭、炭鉱節など次々と切れ目なく1時間たっぷり続きました。
 そして、9時前に楽しみな花火の打ち上げ。観音堂の空高く、色とりどりの花火の大輪が咲きました。今年は135発。高台で打ち上げられる花火は広く近隣の地区でもよく見えるとあって楽しみにされています。
 会場では、実行委員会の地区の皆さんによって、おでん、フライドポテト、かき氷などの接待が行われました。これがいい味で、楽しみの一つです。
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夏景色-佐保神社の大欅、17日のほぼ半月 

2018年08月18日 07時10分13秒 | Weblog
   

 17日(金)は、涼しい一日でした。空気も澄んで、夜空にはほぼ半月の月がかかっていました。デジカメで×72で写すと月面のクレーターもよく見えます。
 佐保神社の境内の真ん中にそそり立っている欅の大樹。今年の夏も私たちを見守ってくれているようで、見上げると元気が出てきます。
 庭のナンキンハゼの木は、長年勤めた兵庫教育大学附属中の校庭の木の子供です。同僚が実から育てた2本をもらい、庭に記念に植えたものですが、孫の木登りの練習や夏の木陰、秋の紅葉にと楽しませてくれていますが、夏はセミが鳴きます。今年はアブラゼミが多く、クマゼミが少ないと感じました。孫が水鉄砲でセミ打ちを楽しむという新たな遊びに興じていました。実は捕まえても自分で触ることができないという理由からです。死なないし、セミには迷惑でしょうが、いい遊び方かもしれません。
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加東市黒谷で伝統の「柱祭り」-お盆の送り火

2018年08月17日 06時52分14秒 | Weblog
 

 16日(木)の夜、加東市の旧東条町の黒谷地区の若宮八幡神社の境内で盆踊りが行われました。近年は地区グラウンドなどで盆踊りが行われるようになっていますが、この黒谷地区ではそう広くない神社境内で踊りやビンゴゲームなどが行われ、昔ながらの懐かしい雰囲気に包まれていました。
 10時を過ぎ、伝統の「柱祭り」が始まりました。神主さんと地区役員さんらが若宮八幡宮の本殿前で神事を行い、松明に火がつけられました。その火を八幡神社を少し東に下った田圃の中の一角につくられた「やま」まで列をつくって運びます。
 神主さんの指示で「やま」に点火され、しばらくするとパチパチと音がたてて炎が上がりはじめました。炎は「やま」を立ちのぼり、風にたなびきながら火の粉を舞い上げました。
 この「やま」は8月7日に当番の人々が伐り出して今日16日まで乾燥させておいたものを組んてつくったものです。軸となる松の木のてっぺんには御幣がつけられています。これは雨が降っても風が吹いても7日に伐りだし、16日に組むということが決まっているということです。今年も朝から組まれたと聞きました。
 炎が「ヤマ」を包み、軸を支える竹が割れてポンと大きな音をたて、火の粉が舞いますが、なかなか御幣に火がつきません。様子を見る人々からは、大きな炎が上がる度に「もうちょっと」と声がでますが、つきません。人々の心には、御幣に火がつき、夜空に火の玉のように舞い上がっていく光景が描かれているのでしょう。だいぶ時間が経ちましたが、帰るまでには火はつきませんでした。
 「柱祭り」については、これまでにもこの歴史ブログで紹介してきましたが、地元の方から教えていただいたことを再掲します。
 この「柱まつり」について、地元の方からいろいろ教えていただきました。全国に黒谷という名の村が四ヶ所ほどあり、このような火まつりをしているということです。京都の大文字の送り火に関わりのある地域に黒谷というところがあるらしく、東条の黒谷も鴨川の清水寺に近く、西門(さいもん)という字名があるように清水寺に関係も深く、16日の火まつりという共通点がある、といった話でした。この「柱まつり」の歴史的な由緒などはよく分からないということでしたが、お盆の精霊送りの行事の一つだろうということです。また、「柱松」とよばれる行事が各地にあるらしく、お盆の精霊送り、豊作祈願、疫病退散など人々の願いが込められた伝統行事であることに間違いがないでしょう。「小さい頃からこの「やま」の火を見て育ってきたんや」というお年寄りの言葉にあるように地域の伝統行事を大切に継承していこうという熱い思いが伝わってきました。
 この柱祭は地域の人々の誇りであり、守り続けられてきましたが、松の木の伐り出しや「やま」を組む作業などの維持が高齢化や仕事の関係などで苦労されているとのことでした。「やま」が燃え上がるのを見ていると、ラインで京都五山の送り火の写真が送られてきました。即座に「東条黒谷の柱祭」の写真を送り返しました。こうして、日本のお盆が過ぎていくのを実感する一時でした。
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