写真は中古瀬地区の薬師堂の本尊、薬師如来の周囲に安置されている四天王像の一つで増長天とよばれる天部像(天の神)です。
腰に手をあて、鎧のようなものを身につけています。口を開いてにらみつけているようです。教育委員会の藤原さんが、その口から中が見えますよ、と教えて下さったのでよく見ると、頭部の中はくり抜かれていました。この立像は一本の木から彫られた一木造だそうです。一番ダイナミックなポーズの像でした。
写真は中古瀬地区の薬師堂の本尊、薬師如来の周囲に安置されている四天王像の一つで増長天とよばれる天部像(天の神)です。
腰に手をあて、鎧のようなものを身につけています。口を開いてにらみつけているようです。教育委員会の藤原さんが、その口から中が見えますよ、と教えて下さったのでよく見ると、頭部の中はくり抜かれていました。この立像は一本の木から彫られた一木造だそうです。一番ダイナミックなポーズの像でした。
昨日に続いて、加東市滝野図書館ギャラリー「伝」で開催されている「加東の仏像展」の紹介をします。今回は市内の中古瀬地区にある薬師堂の仏像群が展示の中心ですが、この機会にと、市内の古い金銅仏2体が展示されています。
一つは加東市最古の金銅仏とされている清水寺の銅造菩薩立像です(左)。この仏像が造られたのは白鳳時代(7世紀)とされているのでずいぶん古いものです。この菩薩像は昭和5年(1930)に杉の木の株から見つかったものです。兵庫県指定文化財に指定されています。
もう一体は、重要文化財の光明寺遍照院の銅造如来坐像です(右)。年に一回花祭りの日に公開されますが、山を下りて公開されるのは今回初めてのことだと聞きました。写真で見るより実物は小さかったという印象でした。
展示会場に入ってすぐに壁にずうっと並んだ仏像群が目に飛び込んできました。さまざまなポーズの仏像、頭部の頭頂部のかけた仏像など背丈は人間と同じくらいの仏像から、だんだん小さくなるように並べられていました。西洋美術館などで、ギリシャ彫刻の女神などを見ることがありますが、そんな感じさえ受けました。
9月27日(土)から加東市と加東市教育委員会の主催で、特別展「加東の仏像」が始まりました。会場は加東市滝野図書館の2階ギャラリー「伝」。県立播磨中央公園に隣接し、滝野文化会館や北はりま消防の本部などがあるところに図書館があります。
この日、オープンの機会にやしろ歴史民俗研究会のメンバーが特別展を鑑賞し、教育委員会の藤原氏から仏像の解説を聴きました。この仏像群は、加東市中古瀬地区にある薬師堂に納められている仏像群の一部で、早稲田大学によって修理が行われ、今回特別に展示したものです。
特別展には、加東市最古と伝えられる清水寺の銅造菩薩立像(兵庫県指定文化財)や光明寺遍照院の銅造如来座像(重要文化財)も展示されています。
ぜひ、この機会に加東の仏像展にお越し下さい。
先日紹介した、加東市立米田小学校の二宮金次郎像は何度見てもイケメン金次郎です。秋の青く高い空と白い雲を背景に子供達に勤勉の大切さを教え示しているようです。台座には「昭和八年九月建之 寄贈者 米田村廻渕 赤坂柳太郎」と刻まれた銅板が埋め込まれています。この像に見守られて米田小の子供達が学びに勤しむようにと思わず願ってしまいます。
兵庫県立社高校は創立101年目。今月18日には、9月の明るく高い青空の下、体育大会が行われました。
空の青、天を衝くようなメタセコイヤの緑、白亜の校舎、そして、創立百周年を記念して旧社高等女学校時代の校門をモデルに新しく造られた校門の煉瓦色。嬉野台地の透明な光にそれぞれが輝いていました。その伸びゆく姿を記録しておきたいと思います。
昨日に続いて小学校の二宮金次郎像をもう一つ紹介します。
以前にもこの歴史ブログで紹介したことがありますが、加東市立東条西小学校(加東市吉井)の二宮金次郎像です。写真のように、この学校の金次郎は台座に据えられておらず、校門脇の植栽の中の低い石の上に置かれています。
小学生でも見下ろせるような高さです。柴を負い、本を読みながら、今にも校門に向かって歩き出しそうなポーズです。背中から金次郎を見るのもあまりないことだと思いますし、思わずどんな本を読んでいるのか覗き込んでしまいます。
加東市立米田小学校の二宮金次郎像は写真のように男前です。今風に言うとイケメン金次郎です。その端正な顔と遠く理想を見ているような目が印象的です。以前にもこのブログで照会したことがありますが、その時は松の木の枝が金次郎の頭上にかかっていたのですが、今日はありません。金次郎の印象が新鮮なのはそのせいかもしれません。文科省の「私たちの道徳」の小学校1,2年生用に二宮金次郎の話が掲載されています。子供達は校庭の金次郎像を見ながら勉強ができるわけです。
丹波と播磨を結ぶ、加東市上鴨川の国道372号と県道との交差点近くに上鴨川地区の公民館が建っています。この公民館の南側に3本の道標が立っているのが目に止まりました。地区内の街道沿いに建っていたものを移設して保存されているのでしょう。
真ん中の背の高い道標には「左 ほつけ山 やしろ 志ん町」「右 きよ水 三田 大坂」「左 京 いせ ささやま ふるいち」と深々と刻まれています。西国巡礼の街道筋に立っていたんですね。右側の少し背の低い道標には「右 三田 大坂 道」の字が刻まれているのが読み取れますが、表面が風化しており、左の方ははっきり読めませんでした。「文政」と刻まれており、江戸時代、およそ190年余り前の1820年代に建立されたものです。もう一つ左の道標は上部が破損しており、「きよ水」と刻まれた字だけが見えます。横には「左 京 いせ」と刻まれており、京街道で人々の往来を眺めてきたものだろうと思いました。
機会を見つけて、地区の方にこの道標にいわれを聞いてみたいと思います。
今年は少し開花が早いかなと思っていた彼岸花。彼岸の入りとともに加東市の田圃の畦や水路の法面、そして河川の岸にも真っ赤な花を咲かせて目をひいています。
21日(日)、鴨川小学校からの帰り道、鴨川の岸や上鴨川の公民館近くで車を止めて彼岸花を撮りました。国道372号にも車を止めてこの景色を撮影している人を見かけました。まだ紅葉には早く、山は緑に、田圃は黄色に色づきはじめたその中に、真っ赤に咲いた彼岸花。誰でも見とれてしまいます。
寒いなと感じるような朝が続いています。そして、ここ2日間、朝の空に東西に雲の帯が出ています。写真は19日(金)の朝、やしろ中央公園の金屋谷池の堤から五峰山方向すなわち北の方を向いて撮った写真ですが、厚い雲の海が西から東へと広い空に帯のように覆い、中国山地との間の僅かの空がほんのり赤く染まっている風景が見えました。天にも地が広がっているようで、地との間の僅かな空間の帯があり、まるで天地が分かれて空が開けていくような雄大さを感じさせてくれました。
実は20日(土)の朝も同じ時間帯(午前6時前)に同じような雲が東西に広がりました。大気の状態がよく似ていたためと思うのですが、雄大な空と大地の姿にしばし見とれてしまいます。
昭和3年(1928)、社小学校(現加東市立社小学校)で社町農会主催の蔬菜品評会が開催されています。大正時代から行われているもので、農家が蔬菜類、家禽類、農手芸類を出品し、販売も行われていたようです。その出品依頼が区長宛てに出されています。各每に出品点数も記されています。
社農第一八七号
昭和三年十一月二十三日 社町農会
各区長殿
蔬菜品評会出品方依頼ノ件
本年度本会主催第五回蔬菜品評会ヲ社小学校ニ於テ十二月上旬開催仕度予定ニ有之候条御繁忙中誠ニ恐縮ノ至リニ候ヘ共貴部内各戸ヘ御吹聴ノ上精々御勧誘被成下多数出品仕ル様御尽力ニ預リ度別紙申込書相添ヘ此段及御依頼候
追而甚ダ勝手ナガラ昨年ノ例ニ倣ヒ左記ノ通リ出品点数配当仕候ニ付可成出品点数ニ達スル様御配慮ニ預リ度尚出品申込書十二月二日迠ニ御提出相願申添候
記
社 四〇点 山国 四〇点 松尾 一五点 出水 二〇点 田中 二〇点 鳥居 一五点 貝原 一五点 野村 二五点 西垂水 一五点 窪田 一五点 家原 二〇点 上中 二〇点 梶原 一五点 喜田 一五点 以上
注意 出品物ハ凡テ壱点ニツキ参株トス
昨日のテレビニュースで、福島県で新米の等級検査の模様が報じられていました。今年は水分も粒揃いもよく一等米ということでした。昭和3年(1928)の社町社の雑書綴には昭和4年の社町農会主催の米の品評会についての通知が綴じられています。品評会や賞状の授与式の案内などですが、会場は県立社高等女学校の講堂でした。当時、女学校は現在の社区裁判所の敷地にありました。また、女学校は戦後、男女共学の社高校になりましたが、去年創立100周年を迎えています。綴じられている3通の通知を紹介します。(写真は社高等女学校)
昭和四年一月十六日
社 町 農 会
各 区 長 殿
本会主催刺米品評会出品物来ル十八日ヨリ二十日迠社高等女学校講堂ニ陳列シ一般ノ縦覧ニ供シ度候条御迷惑ナガラ御部内一般ヘ此旨御伝ヘノ上多数観覧方可然御取計相願度此段及御依頼候也
同日付けで次の案内も出ています。
拝啓来ル二十日午前十時ヨリ社高等女学校講堂ニ於テ本会主催刺米品評会、産米改良競進会及多収穫品評会賞状授与式挙行仕度候条斯道奨励ノ為メ御隣席ノ栄ヲ得度此段御案内申上候也
また、翌十七日付けで、入賞通知も出ています。
貴、産米入賞致候ニ就テハ来ル廿日午前十時社高等女学校講堂ニ於テ賞状授与式挙行可仕候条御出席相成度此段及御通知候
また、同日付で入賞通知書配布依頼も出ています。
入賞者通知書配布方依頼ノ件
各種品評会貴入賞者通知書一纏メトシテ御手許迠差送リ候間配布方可然御取計相願度御迷惑ヲモ省ミズ御依頼ニ及候
満100歳以上の高齢者は兵庫県には3400人余りおられるそうです。私の叔母も今年満100歳を迎えました。加東市には100歳以上の方が20人余りおられると聞いています。まさに超長寿社会に入っているんですね。
昭和3年(1928)、社町役場から各区長に対して、高齢者調査の依頼が出されています。本籍、現住所、青年月日、氏名、年齢を書き込むようになっていますが、参考として手書きで書き込まれた年齢表には、80歳以上90年未満は天保11年以降嘉永2年までの生まれであるとか、90歳以上100歳未満は天保元年から同10年までの生まれといったことが書かれています。天保とか嘉永という元号が身近だった時代なんだなと思います。今でいえば、明治、大正というところです。依頼文は次の通りです。
昭和三年四月二十七日
社 町 役 場
社区長殿
高齢者調査方照会之件
今般宮内省ニ於テ必要ノ趣ヲ以テ調査方照会有之候条貴部内現存スル本年八十年以上ニ達シタル高齢者ヲ左記要領ニ依リ無漏御取調ノ上本月末日迠ニ遅滞ナク御回報相成度此段及照会候也
追テ本年十一月末日迠ニ他町村ヨリ転入若クハ貴部内ノ本籍者ニシテ出寄留復帰セシ場合ハ遅滞ナク報告相成度申添候
年齢表
八十年以上九十年未満 天保十一年一月一日以降嘉永二年十二月末日迠
九十年以上百年未満 天保元年一月一日ヨリ天保十一年十二月末日迠
例年より彼岸花が早く咲いています。毎年決まったように彼岸の頃になると真っ赤な花をさかせるのに今年は一週間早く咲きはじめました。やはり、この一週間ほどの涼しさのせいでしょうか。朝歩いていると、社市街地の南端、明治館の近くで咲いている彼岸花が目にとまりました。もう一枚はやしろ中央公園の金屋谷池の堤で迎えた日の出直前の秋の空です。社にも秋の気配が感じられるようになりました。
9月15日(月)は敬老の日。素晴らしい秋晴れの朝でした。朝のウォーキングで佐保神社から若宮神社を通って大師殿へ向かう途中、神姫バス社営業所のりばから商店街に上る坂道にあるゲートと日の丸の小旗が朝の光に映えていました。社の市街地では、社町時代から国旗掲揚運動が展開され、今でも国民の祝日には外灯に日の丸の小旗が掲げられます。家の玄関に国旗が掲揚されている風景は本当に少なくなりましたが、社の商店街では今もこうして掲揚されています。素晴らしいことだといつも誇りに思っています。もちろん、我が家の玄関にも国旗を掲げています。