ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和56年、大熊酒造さんを見学-兵庫教育大附属小の児童

2022年12月31日 05時07分27秒 | Weblog
 

   整理していた写真の中に、昭和56年(1981)に勤務していた兵庫教育大学附属小学校の4年生児童と地元の大熊酒造さんを見学したときのものが出てきました。大熊酒造さんは、当時の社町木梨(現加東市木梨)の県道西脇三田線沿いにあります。
 もう41年前のことです。当時、私は、4年生の社会科と国語科を担当していました。大熊酒造さんでは、醸造中の樽に梯子をのぼって中をのぞかせてもらいました。ぶくぶくと泡が出ており、酒のいい香りが漂っていました。「樽の中に頭を入れて匂いを吸うたらいっぺんに酔うて梯子から落ちるで」と声を掛けられたことを今もよく覚えています。また、杜氏さんが就寝する部屋も見学させてもらいました。部屋の中に置かれている長い一本の丸太が枕だと説明され、朝が早いのでこの木の端をたたけば一度に全員が起きる、ということにも驚きました。杜氏は丹波杜氏だったと思います。
 写真の子どもたちはもう50歳を超えています。大熊酒造さんの「原酒宝暦」は美味しい日本酒でした。亡くなった義父が強いので飲み過ぎると酔いがまわるといって飲んでいたことを思い出します。大熊酒造さんは宝暦年間の創立だと聞きました。
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75名の第1回体育祭ー昭和57年兵庫教育大学附属中学校

2022年12月30日 05時29分01秒 | Weblog
 

 懐かしい写真を2枚紹介します。昭和57年に第1期生を受け入れた兵庫教育大学附属中学校(※加東郡社町山国、現加東市山国)では、2学期に第1回附中体育祭を行いました。
 テーマ「限りなき前進」と書かれた入場門をくぐり、マットを持って入場するのは、第1期生1年生の75名でした。準備も演技もすべて自分達でやらねばならず、しかも出場するのも75名だけなので全演技に出ずっぱりでした。相当疲れたでしょうね。
 もう一枚は国旗、校旗、安全旗の掲揚です。まだ、校庭には植栽がなく、ケヤキの大樹もナンキンハゼの木も植わっていません。遠くに社高校の校舎が見えています。この掲揚柱はこの体育祭に間に合うように急ピッチで造られたものでした。最初の掲揚だったと記憶しています。
 今から40年前の嬉野の風景でした。一世代が経ち、この一枚もそろそろ歴史になりつつあるなと思います。
 
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とうとう椅子を机代わりに仕事-兵庫教育大学附属中学校教官室風景

2022年12月29日 05時58分15秒 | Weblog

 誰が写したものか不明ですが、兵庫教育大学附属中学校の教員時代の写真が出てきました。附属中学校には、第1期生を受け入れた昭和57年4月から平成15年3月までの22年間勤務しました。いわば、人生の約3分の1を過ごしたわけですから、さまざまな思い出があります。
 教官室(附属中では、そう呼んでいました)の机上は資料などでいっぱいになり、とうとう椅子を机代わりに仕事をしていたんですね。女子ソフトボール部の指導を終えて、明日の授業準備をしているところだったかも知れません。隣で背中が見えている先生は、鹿児島県から赴任されていた坂口先生です。学年主任、国語科を担当されていました。ということは、平成時代の初めの頃ということになります。私が30歳代半ばの頃です。
 平成時代初期の教官室風景として残しておきたい一枚です。
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精米所の前ででハクセキレイのメスが

2022年12月28日 04時28分25秒 | Weblog
 

 27日(火)の昼頃、加東市社のJAみのりの直売店に併設されている精米機で、精米をしているときのことでした。10キロだったので、精米時間は短いのですが、スマホを見ていると、目の前の地面で動くものが目に入りました。なんと、すぐ足下にハクセキレイがちょこちょこと歩き回っていました。すぐにカメラに切り替えて撮りました。それがこの写真です。
 灰色がかっていて、アスファルトの地面に溶け込んでいました。ハクセキレイのメスではと思いながら、精米所の周辺にこぼれた米粒を拾って食べているとすれば、かしこいなあと感心しました。しばらく周辺を歩き回り、飛び去っていきました。
 ハクセキレイは街の中や用水路、事務所の前など人間の生活空間にごく当たり前のようにいます。ここで出会ったのは初めてのことでした。それにしても近くで人を怖がらないのには驚きでした。
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「義経は社に来たか」をテーマに歴史学習ー平成12年兵庫教育大学附属中で

2022年12月27日 04時49分14秒 | Weblog

 この写真は、今から22年前の平成12年(2000)の秋に、兵庫教育大学附属中学校で開かれた教育研究発表会での1年生の社会科授業のようすです。
 歴史的分野の学習で、地域に残る源平合戦の伝承を調べ、「義経は社に来たか」をテーマに探究学習を行いました。写真は、地域調査をもとに課題に対して立てた仮説と験証結果の発表場面です。立体地図模型や現物、写真などを使って自分たちの考えを発表し合いました。
 加東市域には、源平合戦の前哨戦となる三草山合戦が行われ、源氏が平氏を打ち破り、敗走する平氏を追いながら、一ノ谷へと軍を進めたとされ、義経や弁慶、平家にまつわる伝承が数多く伝えられています。それらを文献などで調べ、実際に現地を訪ね、伝承、地名、実物などをもとにさらに探究していくという学習を行いました。発表会では、ゲストに堀内和男先生(郷土史家)をお招きし、清水寺に伝わる「弁慶の碁盤」を見せていただき、お話を聴くこともできました。結論は出ませんでしたが、生徒は、身近な地域に伝わる歴史について興味や関心を深めながら学習することができたと思います。
 堀内先生はすでに故人となられ、この生徒たちは30歳代半ばになっています。
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庭の向こうにヒヨドリが

2022年12月26日 04時29分07秒 | Weblog

 25日(日)、庭の向こうの電線に一羽のヒヨドリが朝日を浴びて羽繕いをしていました。カメラを取りに行っている間に、ヒヨドリは塀の向こうの木に飛び移っていました。ムラサキ色の実がたくさんついている木です。
 周囲をうかがいながら、実をついばんでいました。冬になると食べ物がなくなり大変だろうと思います。今なら、南天やマユミ、ナンキンハゼなどの実が庭にはあります。今年は柿がほとんど生らなかったので、やってくる鳥も多くありません。
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「絵画で偲ぶ播磨の三飛行場」展ー加古川市民ギャラリー(加古川駅)で

2022年12月25日 05時22分35秒 | Weblog
 

 

 

 24日(土)、JR加古川駅内の市民ギャラリーで開かれている「絵画で偲ぶ播磨の三飛行場」展に行ってきました。
 三飛行場とは、大東亜戦争の末期に陸軍が播磨地方につくった三つの飛行場で、鶉野飛行場(加西市)、三木飛行場(三木市)、加古川飛行場(加古川市)のことです。
 絵を描いたのは、服部武司さん(加東市屋度)で、これまで大海原を航海する帆船などを描いてこられたのを鑑賞させていただいていましたが、鶉野飛行場跡が整備され、紫電改の実物大復元模型が展示されたことなどを契機に、戦闘機や飛行場、特攻兵、その家族や地域の人々との別れなどの場面を描くようになったとのことでした。
 会場には、郷土史家で、鶉野飛行場をはじめ、播磨地方の飛行場、特攻兵の訓練などの歴史を発掘し、保存、発信活動を続けておられる上谷昭夫さんが居られたので、お話を伺うことができました。その中で、嬉野にあった飛行場の話に及び、終戦前にロケット推進の「秋水」の伊吹隊の滑空訓練や、訓練中の事故の話なども聞かせていただきました。
 私が社中学校の生徒だった昭和40年代前半には、運動場の南の端の山の中には、防空壕のような穴がいくつかあり、その中に入って遊んでいました。また、空襲に備えて高射砲が備えられていたなどの話も聞いていました。「社町史」には、米軍が持っていた飛行場の資料も紹介されています。
 小、中学時代には、ノートや黒板に戦闘機や軍艦の絵を描いていました。紫電改、零戦などは細部まで詳しく描いていました。あれから、半世紀余りが経っているのですが、今日は少年時代の夢や憧れが蘇ったような一時でした。
 嬉野飛行場、秋水などの絵と上谷さんの講演を、ぜひ、加東市でもやっていただきたいとお願いしてきました。
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ベランダに来たイソヒヨドリ

2022年12月24日 04時13分46秒 | Weblog
 

 23日(金)の朝、今年最後の登校見守りに立ったあと、家の東の路地を歩いて、隣の家のブロック塀の上に積もった雪を見ていると、一瞬、鳥が飛び去るのが見えました。
 わが家の庭の方に入ったので、そうっと見に行くと、2階のベランダに止まっていました。カメラを向けてズームしてみると、胸の赤い色が見えました。イソヒヨドリのオスです。見ていると、一旦ベランダに入ってしまい姿が見えなくなりましたが、次の瞬間、ベランダから半身を乗り出して周囲を見回す姿が見えました。すぐにシャッターを押しました。はっきり撮れました。
 どうしてベランダにやってきたのかと考えてみると、ベランダの前にナンキンハゼの木があり、その実というか種を食べにきたのではないかと思いました。この木の親は、兵庫教育大学附属中学校のグラウンドの周囲に植えられている木です。その実から苗木を育てた村田先生から譲り受けたものです。
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冬至の前日の夜明け-下猪ケ谷池辺りで

2022年12月23日 04時27分31秒 | Weblog
 

 21日(水)の早朝、日が昇る前に家を出て歩き始めました。社中央公園の金屋谷池の堤に上ると、南東の空低く、家並みの屋根の上の空と雲の縁が昇る前の地平の下からの光に朱く映えていました。
 その光に誘われるように、国道372号、通称外環状の方まで足を伸ばしました。東条川疏水ネットワーク博物館のため池の一つである下猪ケ谷池(しもいかがだにいけ)辺りまで歩くと、東南の空が一層明るくなり、たなびく雲が光を増していました。
 冬至の前日の朝ですから、この辺りから日が昇るのが南限ということになります。一年で一番日が短くなる日の日の出か、ため池に浮かぶ太陽光発電も晴れていても時間が短くなるんだな、などと思いながら歩きました。
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元禄十五年建立の秋津住吉神社の石鳥居 

2022年12月22日 04時47分52秒 | Weblog

 21日(水)、加東市常田の秋津こども園に加東ライオンズクラブのメンバーとクリスマス訪問に行きました。サンタクロースに扮して、園児達にクリスマスプレゼントをしたり、腹話術やマジックなどのショーをして楽しい一時を過ごしました。秋津こども園の前には、道路をはさんで大きな石鳥居が建っています。この先にある秋津住吉神社の鳥居です。
 鳥居には、「元禄十五壬午年正月吉祥日」と刻まれていました。「元禄十五年」といえば、「時は元禄十五年十二月十四日・・・・」の節を口ずさんでしまいます。赤穂義士が吉良邸に討ち入った年ではありませんか。西暦1702年ですから今から320年前のことです。
 秋津住吉神社は、近年4月29日に奉納される雨乞いの秋津百石踊りの奉納でも知られています。古い歴史を持つ住吉神社の参道に建つ石鳥居。そのそばの新築された秋津こども園の園舎や園庭で園児が元気いっぱいすくすくと育っています。
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寒風の中 ウグイス?

2022年12月21日 05時32分25秒 | Weblog
 

 18日(日)の昼頃、庭の方からチッ、チッという鳴き声が聞こえました。セキレイだろうか、などと思いながら見渡してみましたが、姿は見えません。
 ふと、見ると、隣の駐車場の桜の木の天辺に近い枝に小さな鳥の姿がありました。カメラをズームしてみると、先日、朝のウォーキングで見つけたウグイスに似ていました。しかし、どうも鳴き声が・・・。
 あっちを向いたり、こっちを向いたり動きが早く落ち着きがありません。そうしていると、さらに向こうの家の屋根のTVアンテナに飛び移りました。さらにズームしてみると、やっぱりウグイスかな・・・と思いました。鳴き声は、チッ、チッと聞こえます。ホケキョでも、ホーホケキョでもなく、チッ、チッでした。野鳥図鑑で調べてみても、やはりウグイスに似ています。ウグイスなのでしょうか。
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加東バスターミナル 交流施設halkからの夕景

2022年12月20日 05時25分05秒 | Weblog
 

 18日(日)は寒波に覆われ、冷たい風が吹きました。典型的な冬型の天気で、中国山地の南側にあたる加東市の平地部では、北部日本海側で雪を降らせ、山地を越えて吹き下ろす冷たい風が強く吹いていました。
 こんな日は乾いた空気のため、遠くまで見通しがききます。加古川左岸の河岸段丘の低位面にある加東バスターミナルから見る夕景を見に行きました。ちょうど、加古川右岸の青野原台地の地平線に夕日が沈もうとしている時でした。
 バスの待合室と店舗が入っている交流施設は「halk」と名付けられています。その広場から見える夕日は、田中地区のお堂の屋根のさらに南側(左側)に沈んでいきます。一年で一番南への振りが大きい季節です。夏至の頃には、北(右)へ降って、県民局の方角に沈みます。地球の傾きをこの地平線上に感じることができる夕日ポイントなのです。
 ターミナルの地下には、約2000年以上前の弥生時代の住居跡や土器、稲刈り用の石包丁も出土した社・大塚遺跡があり、調査後埋め戻されています。古代の人々もこうして夕日を眺めながら佇んだんでしょうね。
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ふるさと加東の歴史・文化の講演会ー加東市シルバー人材センター30周年事業の一環で

2022年12月19日 04時53分10秒 | Weblog
 

 18日(日)、午後2時から加東市上三草のやしろ国際学習塾2階中会議室で加東市シルバー人材センターが主催する30周年記念事業の講演会が開かれ、講演をする機会を得ました。
 演題は「ふるさと加東の身近な歴史や文化を守り伝えるシルバーの役割」ーブログ「ふるさと加東の歴史再発見」を通してーで、この歴史ブログの中から選んで紹介しながら、これを守り伝えていく大切な役割が私たちにはあるという内容でした。
 約50人の方が聴講されました。資料は、センタ-のご配慮で、一頁一枚のカラー刷り57頁が用意されました。歴史ブログは平成18年6月に開設し、これまで16年半、4900回を超える投稿を重ねてきました。紹介したのは、そのうち30足らずですが、一つ一つにエピソードを語りながら紹介しました。90分の間、熱心に聴いていただき、講演後に歴史遺産の保存などについての話もありました。
 これからもこの歴史ブログで、身近な郷土の歴史や文化を紹介し、発信していきたいと思います。そして、そうした歴史・文化を育んだ郷土の自然も取り上げていきたいと思います。
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小雨の中、柿の木にヒヨドリ

2022年12月18日 04時12分51秒 | Weblog
 

 17日(土)、冷たい弱い雨が降る一日でした。
 雨の庭でピーッという甲高い鳴き声がするので見てみると、柿の木の枝にヒヨドリが一羽止まっていました。
 カメラを向けましたが、手前の木の枝にピントが合ってしまい、ヒヨドリの表情が撮れません。光も弱く、諦めかけましたが、ズームしてみると、精悍な顔付きがしっかり撮れました。
 また、甲高い鳴き声、そして、ダイビングするように飛び立っていきました。
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東条の丘陵から ー沈む夕日の眺め

2022年12月17日 08時29分40秒 | Weblog

 16日(金)の夕方、加東市新定から県道144(西脇口吉川線)を上久米方面に向かって走り、坂を上りきって丘陵の上に出たところで、窓から地平線に沈もうとする夕日が目に飛び込んできました。ゴルフ場のあたりで車を止め、カメラを取り出してシャッターを押しました。
 加東市の東条地域は丘陵が広がり、地形を利用したゴルフしられています知られています。吉井地区と新定地区の境あたりで、標高は100メートルぐらいでしょうか。ここも地平線に沈む夕日が見える夕日スポットだと思いました。 
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