ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

奇跡のような一瞬 目の前にジョウビタキが

2021年12月31日 05時53分02秒 | Weblog
 30日(木)、今日は午前中に溝掃除と墓掃除を行いました。帰宅して、庭に立ってぼうっーとしていた、まさにその時、目の前の竹の竿先にジョウビタキが飛来し止まったのです。距離は1メートルもあったでしょうか。ポケットのカメラに手をやり、そのままスイッチを入れて、そうーっと取り出して構えました。飛ぶな、の一念で、シャッターを3度押しました。
 気づいたのかジョウビタキは竹の先から隣の家の木に飛び移りました。もう2枚撮れました。ジョウビタキの橙色の胸の毛というか羽が日に輝いて実に美しく見えました。これはジョウビタキのオスです。
 実は、ジョウビタキも時々庭にやってきますが、こんなに近いところで見たのは初めてのことでした。私に気づかなかったのでしょうか。それとも墓掃除をしてご先祖様がありがとうと、ジョウビタキを遣わして下さったのか。嬉しい奇跡のような一瞬でした。
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冬の庭 つわぶきの綿毛とすいせんの花

2021年12月30日 05時35分09秒 | Weblog
 

 冬の庭には、明るい日の光が差しています。瀬戸内気候の播磨では、空気は冷たくても空はよく晴れます。先日からの大雪の報道を見るにつけ、中国山地の北と南ではかくも天気が違うのかとあらためて思ったところです。
 つわぶきの黄色い花が散り、今では白い綿毛の球となって飛んでいくのを待っています。そして、この季節に青々とした葉が伸びて、白い花を咲かすのがすいせんです。真ん中に黄色い副花冠があります。いつの頃からか思い出せないほど以前から、庭のあちこちに自生しています。伸びた葉の先が膨らみ、そこに花がつきます。
 
 
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冬の朝の電線-朝日を浴びるヒヨドリとムクドリ

2021年12月29日 04時37分43秒 | Weblog
 

 冷たい空気で凍てつくような冬の朝、日が昇ると、高い電線に止まった鳥たちは、体温を少しでも上げようとするかのように全身で光を浴びています。
 この日は、ムクドリとヒヨドリでした。ムクドリは集団で飛び回り、邪魔者扱いですが、我が家の周辺では、数羽、多くて十数羽といったところです。三、四羽で飛び回っているのをよく見ます。一方、ヒヨドリは一羽がもう一羽を呼ぶというか、二羽で行動している姿をよく見ます。
 鳴き声と姿で種類を見分けるのも楽しみの一つです。シジュウカラやジョウビタキ、メジロなどの小さな野鳥もやってきて、素早い動きで庭の木を飛び回ります。
 
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ゆら野の雲海ー集落も田も加古川も霧の中に

2021年12月28日 05時08分18秒 | Weblog
 

 25日(土)の朝は、一帯が霧に包まれました。ウォーキングで加東市社の持寶院の大師殿にお参りしたとき、境内から西に見えた景色は、霧の海が広がっていました。
 持寶院は寺号を涌羅野山慈眼寺持寶院といいます。涌羅野はゆらのと読みます。ゆら野は、加古川の東部に広がる低地から河岸段丘の中位面の社の市街地の西半分の辺りをさします。広がる地形を「野」と呼びますが、そのゆら野が見渡せる場所に持寶院があります。
 ちなみに社の市街地の東半分からもう一段高い段丘面の嬉野台地まで広がる辺りを「広野」(ひろの)と呼んでいます。昔は、段丘の低位面も中位面も広々とした「野」だったんでしょう。さらに高位面は「嬉野」です。嬉野台地の一番東の高い部分は「依藤野」で、全部「野」が付いています。
 そのゆら野は、今朝は一面の霧の海に包まれていました。その向こうには、加古川の西岸に広がる青野原と低い山が島のように霧の中に浮かんでいました。よく見ると、朝日に光る建物が少し見え、そこに工業団地や集落があることがわかりました。もし、海面が今より数十メートル上昇すると、本当にこのような海が広がるんだろうななどと思いながらしばらく眺めていました。
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冬の朝、新池で餌をさがすハシビロガモの群れ

2021年12月27日 05時28分17秒 | Weblog
  

 

 25日(土)の朝、ウォーキングをして新池(加東市社)の堤まで来ると、池面にカモがいくつかの群れをつくって泳いでいました。
 静かにカメラを取り出し、ズームしてみると、以前にも見たハシビロガモのようでした。頭を水中に突っ込んでぐるぐると回るように泳ぎながら餌をさがしているようです。そのうち、一羽がくちばしに小魚のようなものを加えて上を向いたかと思うと飲み込みました。しばらく見ていましたが、ぐるぐると水面を回りながら、移動していきました。
 冬の朝、冷たい空気の中、カモたちは元気に朝食タイムでした。
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社の忠魂碑と昇る朝日

2021年12月26日 05時27分39秒 | Weblog
 


 25日(土)の朝、久しぶりに歩きました。加東市社の市街地の南端にある明治館(旧加東郡公会堂)の広場の忠魂碑があります。旧社町(現社小学校区)出身の戦没兵士を顕彰する忠魂碑と英霊の御尊名が刻まれた碑です。朝のウォーキングでは、この忠魂碑に祈りを捧げ佐保神社へと向かいます。
 今朝、祈りを捧げてふと見ると、南東の山国辺りの方角から真っ赤な朝日が昇り始めました。カメラでズームしてみると、本当に燃えさかる太陽そのものでした。今日は、県公館で兵庫沖縄友愛提携50周年記念事業があります。沖縄戦では、兵庫県出身戦没兵の数は3000柱余り、加東郡出身者も50名あり、のじぎくの塔にご尊名が刻まれています。そんなことを思いながら手を合わせました。

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播州清水寺登山道路開通の空中写真絵葉書

2021年12月25日 04時58分17秒 | Weblog
 

 西国第二十五番霊場は御嶽山清水寺。日本遺産「1300年つづく日本の終活の旅 西国三十三所観音巡礼」の観音霊場の一つです。
 この清水寺に登山道路が開通したのは昭和49年(1974)4月。総延長は3キロメートル。私が大学生の頃で、47年前のことでした。小学生の頃、父親に連れられて、麓の平木から山頂の寺まで古い登山道を歩いて登ったことが懐かしく思い出されます。懐中電灯の光の先に巨大なヒキガエルが浮かび上がった時の衝撃は今も忘れません。
 この絵葉書は、東条湖の絵葉書を提供していただいた故埜尻善之氏です。削られた山肌と鋪装され白線が引かれた道路が、麓から山頂に向かって緑の中を大きなカーブを描きながら延びているのが一目で分かります。その先には赤い屋根が見えます。開通直後の清水寺登山道路の空中写真。観光バスで多くの参拝者を迎えることができるようになり、その記念の絵葉書がつくられたのでしょう。
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冬の朝ー霧の中に日が昇る

2021年12月24日 04時26分47秒 | Weblog
 

 冬の朝、よく霧が出ます。加東市社やその東の嬉野台地には、霧が発生し、9時、10時頃まで霧に包まれることがあります。20年余り勤めた兵庫教育大学の附属中学校では、2時間目になっても運動場の霧が晴れなかったこともしょっちゅうでした。
 22日(水)の朝、登校見守りを終えた午前7時45分頃、南東の方角の霧の中に白い太陽が見えはじめました。社の冬の朝の景色です。
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冬の朝、電線上のヒヨドリが念入りに羽繕い

2021年12月23日 04時15分03秒 | Weblog
 

 22日(水)の朝、庭の向こうの電線に一羽のヒヨドリが止まっていました。
 羽を広げ、嘴で念入りにきれいにしています。片方が済むと、もう片方を広げて同じようにきれいにしています。そのしぐさはまるで人のようでした。羽が終わると、体をくねらせて体のあちこちをくちばしできれいにしていました。
 羽繕いが終わると、飛び去っていきました。
 
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韮山反射炉と江川英龍 そして村上代三郎

2021年12月22日 06時34分18秒 | Weblog
 

 21日(火)、上京しました。会議の前に新宿区若松町の総務省庁舎別館にある「産業遺産情報センター」を訪れました。ここには、世界遺産「明治日本の産業革命遺産ー製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」の資料が展示してあります。
 国内8エリアの23の遺産群からなる世界遺産ですが、その一つに静岡県伊豆の韮山反射炉がありました。幕末の黒船に対抗するため、大砲建造が計画され、韮山代官江川太郎左衛門英龍が建造を始め、その子英敏の代に完成しています。韮山といえば、頭に浮かんできたのわが故郷加東の人物、村上代三郎です。
 このブログでも何度も紹介してきましたが、村上代三郎は、緒方洪庵の適塾で学び、のち大鳥圭介らと江戸に出て、江川塾、韮山塾にも関係していました。
 『新修加東郡誌』人物編では、代三郎は江川太郎左衛門と深い親交を結んでいたとの記述もあります。当時最新の西洋知識で結ばれていた江川太郎左衛門と村上代三郎。この情報センターでふるさと加東の人物との関わりを知りました。なんだか、嬉しくなりました。

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今年最後の満月が東の空に(19日)

2021年12月21日 04時53分19秒 | Weblog
 
19日(日)の午後6時頃、玄関に出てみると、東の空に明るい月が出ていました。雲の端がその光に縁取られていました。
 満月のようだ。カメラを持って来てズームしてみると月面の海やクレーターがくっきりと見えました。テレビの天気予報では、今年最後の満月で、今年最小の満月だとも言っていました。地球から一番離れているということです。
 人間が月面に立ったのは昭和44年(1969)の夏でした。半世紀余り前のことです。少年の頃の想像では、半世紀後の今頃には、とっくに月面旅行が実現しているはずでした。しかし、月はやはりこうして地球上から眺めるのがいいですね。
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冬の朝 柿の木にヒヨドリ

2021年12月20日 05時21分13秒 | Weblog
 

 19日(日)の午前10時前、明るい冬の日の光が満ちる庭の柿の木の枝に、一羽のヒヨドリが止まっていました。
 すっかり葉を落とし、幹と枝だけになった柿の木に止まるとよく目立ちます。羽を下ろし、頭は左を見たり、右を向いたりしながら鳴きもせずじいっとしています。羽の重なりが模様のようにも見えます。目の周りは少し赤みがかかっているのが特徴です。冬の楽しみの一つがこの一時なのです。
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今朝は赤い南天の実に白い雪ー冬の朝

2021年12月19日 05時08分57秒 | Weblog
 

 18日(土)の早朝、雪が舞いました。明るくなる頃には、屋根も庭の木々もうっすらと白い雪化粧をしていました。
 昨日の朝は、今にも滴り落ちそうな水滴がついていた南天の赤い実に、今朝は白い綿のような雪がかぶっています。
 日が昇ると、あっという間に消えてしまいましたが、冷たい空気が肌を刺しました。冬の朝を感じます。

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南天と水滴-冬の雨の朝

2021年12月18日 04時27分49秒 | Weblog
 

 17日(金)の朝、昨夜の雨は上がっていました。子供の登校見守りに立とうと玄関に出ると、南天の赤い実に今にも落下しそうになった大きな水滴がついていました。
 南天は「難を転じる」と言われ、縁起の良い木です。庭のそこらじゅうに南天が生えて成長しています。白実南天もあります。並べて紅白南天と楽しんでいます。
 冬になると、真弓の木の赤い実と南天の実に野鳥が寄ってきます。その楽しみもあります。明日は雪が降るかもしれません。白い雪と南天の赤い実。それも楽しみです。
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早や通学路にロウバイの黄色い花が

2021年12月17日 04時20分31秒 | Weblog
 

 朝、自宅近くの交差点で登校見守りに立っています。加東市社の田町通りから社小学校まで続く、通称「学校道」です。かつて、この場所には社町役場がありました。
 午前7時30分から15分ほどの間に、社市街地の各区と、松尾、出水地区の通学班の10班が通っていきます。冬の朝には霧も出ます。そんな中を黄色い帽子をかぶった子供達の登校の列が続きます。
 その交差点の民家の庭にロウバイの木があり、日当たりがよいせいか、いつも早く花をつけます。先日から小さな黄色い花が咲き始めました。通学班が来るまでの間、花を眺めます。
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