ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

伝統を守る-秋津百石踊り西戸保存会

2015年04月30日 05時22分59秒 | Weblog
   

 4月29日(水)、加東市秋津の住吉神社で伝統の秋津百石踊りが奉納されました。
 百石踊りの奉納に先だって、午前10時から大喜多宮司さん、氏子村代表、西戸踊り保存会の皆さんが神事に臨みました。本殿の東の一角、本殿内、そして境内の伊勢神宮遙拝所を参拝。続いて、小宮前で湯立ち神事が行われました。この神事は今年初めて行われたものです。

 この頃から境内には地元の方をはじめ、参拝、踊り見学の人が増えてきました。そして、空も東の方角に黒い雲も広がり始め、生あたたかい風まで吹いてきました。

 午前11時、山門から保存会の会長さんを先頭に踊り手さんらがかけ声と小太鼓の打ちながら入場してきました。続いて、境内の本殿と舞殿の間で百石踊りが披露されました。 太鼓の独特のリズム、踊り手の問答形式の掛け合いなど少しコミカルな動きに見ている方も思わず体が反応してしまいます。約40分ほどで6番の踊りが奉納されました。始めはゆっくりと、最後は早く強いリズムで太鼓が打たれ踊りも激しくなります。そうしたなか、雨がぽつりと落ちてきたという人もいました。雨乞い踊りの効果できめんです。

 今は五穀豊穣を願って毎年奉納されるようになりましたが、元々は雨乞い踊りです。今年91歳になる地元西戸地区の古老によれば、昭和32年に地区で寄り合いがあり、その席で当時の年寄りたちが百石踊りの地唄を歌いはじめ、大いに盛り上がったそうです。そこで、当時始まったばかりの有線放送局からテープレコーダーを持って来させて録音し、それを放送で流したところ、反響が大きく、百石踊り復元のきっかけになったということでした。旱魃のときに雨乞いの踊りとして踊られていたために、この踊りを継承していくことは難しく、今では西戸地区だけとなっています。

 現在では、東条ダム(鴨川ダム)が築かれ、用水路網を通して、加東市、小野市域のため池、田圃に水が送られています。台地にも水が送られ、土地が拓かれました。しかし、この地域は全国的にも降水量が少なく、昔から川に堰を築き、水路をつくって田に水を引く、あるいは池を築き、水を溜めて田に水を引く、そうした血のにじむような努力が積み重ねられてきた歴史があります。水争いの歴史も伝えられています。そうした地域の環境の中で生きてきた先人の生き方、すなわち文化を伝え、教えてくれているものの一つが百石踊りです。
 東条川がすぐ近くを流れています。ダムと用水路、ため池、田園、そうしたものを軸に営まれる地域の祭りや人々の生活をひっくるめて、疏水文化とよんでいますが、まさに伝統の百石踊りは東条川用水疏水文化を代表する歴史的な文化遺産です。

 人口減少、少子高齢社会が進行する中で、こうした地域の貴重な伝統芸能の維持継承はますます困難になってきます。しかし、そうした状況を乗り越えて大切に守り続けておられる保存会の皆さんに敬意と感謝の気持ちでいっぱいです。去年はあらたに10人の踊り手が紹介されましたが、針木会長は今年は立派に奉納できたと感激しながら挨拶をされました。ふるさと加東の、そして兵庫の大切な宝ものであるこの秋津百石踊りを、みんなでファンになって応援していきたいと思います。

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大型連休の見所-5月1日、加古川川開きと鮎解禁

2015年04月29日 06時45分28秒 | Weblog
           

 大型連休の間、加東市はさまざまな催しが予定されています。第一弾は昨日のブログで紹介した秋津住吉神社で奉納される百石踊り。400年の伝統をもつ雨乞い踊りです。

 そして、5月1日は加古川の川開き。全国で一番早く鮎漁が解禁されることで有名です。加東市上滝野の闘龍灘を見下ろす広場の一角にある水神社で、川開き神事が行われます。神官により祝詞があげられ、安全と豊漁を関係者とともに祈願します。

 闘龍灘の鮎漁は「筧漁」とよばれる伝統の漁です。条件がよければ鮎が飛びはねる様子をみることができるかもしれません。

 5月3日(日)には闘龍灘で鮎まつりも開催されます。どうぞお越し下さい。
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29日は伝統の雨乞い-秋津百石踊りを見に来て

2015年04月28日 05時20分53秒 | Weblog
 明日4月29日(水)は「昭和の日」です。この日、加東市秋津の住吉神社境内で、この地に古くから伝わる雨乞い踊りの百石踊が奉納されます。

 秋津百石踊は、「旱魃の時には住吉神社の神前で踊って雨乞いをせよ」という神功皇后の言葉があったと伝えられている住吉神社の神事です。パンフレットの説明によれば、実際は室町末期から桃山初期の頃に雨乞い踊りとして始まったものだろうとされ、この踊りを一度催すと、百石分の経費を必要とすることから百石踊りと云われているそうです。もとは住吉神社の氏子村が参加していたそうですが、今では西戸(さいど)地区保存会だけが伝えています。

 百石踊りは、昭和47年に兵庫県の重要無形文化財に指定されました。平成6年の日照りの年に雨乞い祈願で奉納されています。その後、平成12年から4月29日に毎年奉納されることになりました。
 太鼓の拍子と踊り手の問答など、その独特の踊りは数百年の時空を超えて見る者の心を惹き付けます。独特のリズム、軽快な動き、囃子言葉のおもしろさをぜひ楽しんでいただきたいと思います。

  保存会の皆さんは、時代が変わり、メンバーが練習に集まるのも大変になってきたことや、後継者の問題、衣裳や道具などの維持などの経費等、伝統の祭り、踊りの継承には大変な努力が要るが、それでもこの祭りを伝えて行かねばならないという気概でやっておられます。

 百石踊りの奉納は4月29日(水)、午前11時から始まります。この加東の宝、兵庫の宝である秋津百石踊りを多くの人に見てもらいたいと思います。
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早朝の忠魂碑-明治館前広場

2015年04月27日 04時55分00秒 | Weblog
 短かった桜が散ると、あっという間に新緑がまぶしい季節に衣替え。自然の生命力の勢いを実感する季節です。

 静寂に包まれた早朝の社の市街を南端にある明治館(旧加東郡公会堂)前広場の忠魂碑まで歩きます。ちょうど昇る朝日に忠魂碑と両側の英霊の尊名を刻んだ碑の上部が照らされています。
 
 今年は大東亜戦争終戦70年。首相談話にマスメディアの関心が集まっていますが、その前に近代日本の幾多の戦争において、戦陣に散った郷土出身兵の声を静かに聞くことが大事なことだと思っています。
 私達の祖父であったり、叔父であったり、近所の方だったり、本当に身近な存在である人々の名前が碑に刻まれています。祖国、郷土、愛する人を守るために出征し、戦陣に散華された多くの郷土出身兵士の名前をこの忠魂碑の前に立って読むことが供養であり感謝であり、今を生きる私達の世代の役目だと思っています。
 今日、戦争に負けた日本が今も国として存続し、平和と繁栄のうちに私達が暮らせているのは尊い命を捧げて戦ってくださった郷土出身兵の皆さんのお蔭であります。その礎の上に今の日本が、郷土が、そして私達の生活があるという感謝の念が碑の前に立つと自然に湧いてきます。台石や碑や周囲の木立の葉陰から英霊の視線さえ感じることもあります。私の母方の2人の叔父の名も刻まれています。
 
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新緑に映える白亜の加東市新庁舎

2015年04月26日 05時23分11秒 | Weblog
 新緑がまぶしい土曜日の午後、やしろ公民館に用事で行くことがあり、加東市の旧庁舎跡に整備された新しい駐車場に車を止めました。
 広々とした駐車場で、正面にはメモリアル公園と白亜の新庁舎がまぶしく光っていました。沈降式の庭園の中央には噴水があります。芝生の緑と白亜の庁舎が青空によく似合っていました。
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早朝の田町通り-三草山に朝日が昇る

2015年04月25日 06時17分07秒 | Weblog
 早朝、5時30分過ぎ、朝日が昇る頃に田町通り(加東市社)を歩いていると、東西に延びる通りの東の方に三草山の山並み、山頂がまぶしい光の中に望めました。

 写真ではよく見えませんが、通りの向こうの屋根の間に三草山の山頂が顔をのぞかせています。東京の街から富士山の山頂が見えるような構図と同じで、まるで望遠レンズで見ているように大きく見えます。周囲に比較物となる家並みがあるので錯覚で大きく見えるんでしょうね。

 かつて、社一番の賑わいを誇った商店街も今は静かな住宅地になっています。もっと古くは西国霊場の巡礼道でもあったこの道を遠くに三草山を望みながら人々は歩いたのかもしれません。そんなことを想像しながら静かな田町通りの日の出を記録しました。
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新緑の大けやきとアオサギ-佐保神社

2015年04月24日 05時22分56秒 | Weblog
             

             

 佐保神社(加東市社)の大けやきは新緑に包まれつつあります。23日、朝日に照らされて空高く張った枝の先まで新緑がまぶしく光っていました。

 その大けやきに営巣するアオサギがギャオギャオを鳴きながら旋回してとまりました。まだ芽吹き前の巣とアオサギをこのブログで紹介してきましたが、もうすぐ緑の葉に覆いつくされて巣も見えなくなるでしょう。新緑の大けやきとアオサギを写真にとどめました。サギの目もはっきり見えます。 
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三草山登山案内板

2015年04月23日 05時20分15秒 | Weblog
 やっと青空が広がり、新緑がまぶしく光っています。加東市の野山はいま生命の息吹が充満しています。おいしい空気と目にしみいる新緑。これを無料で楽しめるのはまさに贅沢そのものです。
 新緑がまぶしいのはすぐ近くの野山です。なかでも三草山は登山道や麓の駐車場が整備されており、手頃な登山が楽しめます。
 昭和池の駐車場には案内板が立てられており、5つの登山、ハイキングコースが一目で分かるようになっています。
 三草コース(2.4キロ)、三草古道コース(3.9キロ)、炭焼窯跡古道コース(1.5キロ)、鹿野コース(3キロ)、畑コース(1.3キロ)。鹿野コース、畑コースの登山口には案内板があります。
 
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兵庫教育大学と八重桜

2015年04月22日 05時11分55秒 | Weblog
 21日(火)、昼前に兵庫教育大学(加東市下久米)に立ち寄りました。昨日のラジオ放送(NHK)で、同大学附属図書館内の教育文化資料コーナーで音読教育の展示が行われていることを取り上げていたので見学しました。

 今、大学の図書館がよく話題になりますが、兵庫教育大学の図書館も素晴らしくよくなっています。その一角に教育文化資料コーナーが設けられており、大学が保存している貴重な教育資料の展示などが行われています。今回は音読教育に関する展示でした。音読だけに展示物そのものは教科書だったりする訳ですが、音読と脳活性化の関係などがわかるようになっていました。

 図書館前のゆるい傾斜の広場には八重桜が咲いていました。桜の向こうに、教育・言語や社会系の研究室がある棟があります。平成3年から2年間、ここで研究をさせてもらった懐かしい学舎でもあります。空が曇っているのが残念ですが、平成27年の春の一こまです。
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大けやきの新緑とアオサギの巣-佐保神社

2015年04月21日 04時39分48秒 | Weblog
 雨の日が続いてうっとおしい気分になりそうです。そこで、16日(木)の佐保神社の大けやきの写真を見て気分を広げていただければと思います。
 16日には、佐保神社境内で湯祭が行われ湯立神事を初めて見ることができました。青空が広がり気分も爽快な一日でした。
 参道の大けやきの枝には新緑が広がり始めています。その枝の先にアオサギの巣が黒く点々と見えます。時折り大きく翼を広げて羽ばたきを見せたりゆっくりと上空を旋回しています。
 樹齢数百年といわれる大けやきが今年も瑞々しい新緑を見せてくれることが私達を元気づけてくれます。
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社分団詰所、器具庫の面影伝える

2015年04月20日 05時22分51秒 | Weblog
 朝のウォーキングでまだ人通りのない加東市社の商店街を歩いていると、銀座街にシャッターが下りた大きな車庫があります。
 元の社区公民館(現在は作業所として使用されている)の一角にあるのですが、この建物は社町消防団社分団の詰所、器具庫だった建物です。消防自動車が2台配置され、サイレンが鳴るたびにこの詰所に全力で走ったものです。
 その名残がシャッター上の赤色灯と建物に似合わない古風な小屋根です。これはたしか団員だった建具屋さんの藤本建さん(故人)の作品だったと思います。社分団の提灯をこの小屋根の下に下げるために飾りの屋根を作って取り付けたものです。
 詰所は新築移転し、現在はこの建物は使われていません。しかし、消防団員として活動していた若い頃、出動をはじめ、年末警戒、月始めの定期訓練など常にこの建物に駆けつけていたことを懐かしく思い出しながら歩いています。その目印が赤色灯と小さな飾り屋根です。
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路地に春の光-今は人通りもなく

2015年04月19日 04時49分28秒 | Weblog
             

             

 今年の春は雨が多く、晴れて日差しがあると嬉しくなります。桜があっと言う間に散ると、新緑が広がりました。水をたっぷり吸って草も勢いよく伸びてきました。
 家の東の路地の草を惹きました。朝の30分ほどの時間の作業です。これを3日ほど続けてきれいになりました。今日は春の陽光に照らされてまぶしく映えています。
 私が小さい頃は隣は風呂屋や商店街に抜ける近道としておばさんや子供達がよく通っていました。風呂屋はなくなり、商店街もさびれて、今ではほとんど人通りはありません。時折り、犬の散歩で通るご近所さん、乗り始めたばかりの自転車で通り抜ける小さな子供達がいるばかり。日中は静寂が支配しています。その中に佇むと幼い頃の光景がよみがえってきます。
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昭和池の水がサイフォンで三草川の谷を渡る

2015年04月18日 04時57分38秒 | Weblog
            

 11日(土)に行われた県民交流広場事業、三草ふれあい広場の第6回ワクワク探検で昭和池を見学しました。やしろ国際学習塾から旧道(京街道)を歩いて行く途中、磨崖仏などを見学しましたが、その磨崖仏のそばを昭和池から西の三草川の流れる谷を渡って、西の台地に水を送るサイフォンの一部が地中から出ている部分が見えました。
 このサイフォンは昭和33年(1958)に完成し、上三草の開拓地や牧野、吉馬方面、三草川右岸の下三草、木梨方面に水が送られることになったものです。
 黒く太い送水管が岩盤の間、枯れ葉に埋もれるように一部が露出しています。この送水管が東の三草山麓の昭和池から延びる水路から枝分かれして、しかもサイフォン(逆サイフォン)で川をくぐり右岸の台地へと水を送っているとはなかなか気づきません。
 磨崖仏の彫ってある大きな岩盤のそばにあります。ここを歩かれる際には、ぜひこの壮大な水の物語の一部を占めるこのサイフォンを見て下さい。正式な名称は東条川用水加茂線サイフォンというそうです。
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佐保神社湯祭で湯立神事

2015年04月17日 04時59分54秒 | Weblog
         

         

         

    

 4月16日(木)、雨が続いた4月前半でしたが、久しぶりに空は晴れ、明るい春の日が差しました。佐保神社(加東市社)の境内には八重桜も満開に近く、空の青と濃い桃色が日に映えていました。

 今日は、佐保神社の湯祭の日。冬が終わり、春を迎えて農作業も本格的に始まるこの時期に一年の五穀豊穣、無病息災を祈る春祭が行われますが、佐保神社では湯祭と呼ばれる祭りが古式にのっとり行われました。

 午後1時少し前に境内に着くと、すでに参拝の人が境内や拝殿におられました。拝殿内では宮司さんと巫女さんが神事(神楽奉納)を斎行中でした。
 拝殿前の境内には12基の釜が横一列に配置され、釜には湯が沸かされています。神社の古札納所に納められた古いお札などで火を焚き、沸かしたものです。
 神楽奉納が終わり、いよいよ湯立神事が始まります。白装束の巫女さんが神棚に供えられたクマザサの束を両手に持ち、釜の前に進んで立つと、ササを湯の中に差し入れ、大きく腕を振ってササを振ります。すると、ササの葉について湯が周囲に飛び散ります。この動作を繰り返していきます。参拝者は前に進み出てその飛び散る湯を体に浴びようとします。この湯を浴びると、一年を無病息災で過ごせるといういう言い伝えがあからです。私も湯を浴びました。何か、心身ともに浄められていくような感じを受けました。巫女さんは12の釜を順番に移動して湯を振りまいていきました。
 釜の中を覗いてみると御供米さんと木の箸のようなものが入っていました。神事が終わると、クマザサが参拝者に配られました。宮司さんから、このササを玄関に飾っておくと家の厄除け、家族全員の無病息災が約束されると言われているということを聞きました。
さっそく持ち帰り、家の玄関に飾りました。

 産土の神である佐保神社の春祭、湯立神事に初めて参拝することができました。境内の西の小宮のところにもう一本、白い花の八重桜が咲いていました。まさに春爛漫の佐保神社でした。
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昭和池築造工事犠牲者を慰霊-堰堤下の慰霊塔

2015年04月16日 05時18分10秒 | Weblog
             

 11日(土)に行われた県民交流広場、三草ふれあい広場主催の第6回ワクワク探検で訪れた昭和池の紹介をもう一つ。堰堤下の駐車場脇に工事で亡くなった人の慰霊碑が建てられています(写真上)。

 台座の上の自然石の石碑の正面には「慰霊塔」の文字が刻まれており、裏側に「殉難者」の文字の下に7人の名前が刻まれています。その名を一つひとつ読んでみると、朝鮮人の名前があります。側面には「昭和九年三月建立」と刻まれています。

 この工事には朝鮮人労働者も働いていたのです。ワクワク探検に参加した地元の方の話では、国道372号から昭和池へ入る進入路がありますが、その入口付近に朝鮮人労働者が集団で住んでいた、ということでした。労働者の中には奥さんも一緒に暮らしていた人もいたようです。築堤工事では堤体の基盤部の岩石の発破作業などの危険な作業もあり、土砂が崩れて生き埋めになって亡くなった方もあったと聞いています。

 慰霊塔には、犠牲となった日本人と朝鮮人の殉難者の名が刻まれています。駐車場が整備され、慰霊塔の周りも木が払われていました。昭和初期の巨大堰堤築造の難工事の歴史を伝える貴重な遺蹟です。
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