この写真は、昭和44年(1969)の秋に撮影された社町社(現加東市社)の空中写真の一部です(上が北)。
場所は、今の社中央公園辺りで、中央の池が金屋谷池です。まだ公園、ステラパークもなく、中央図書館も、社交番も、そして学園道路も昔のままで、嬉野へ上がる坂道がおおきく曲がっています。社環状線と池の間は田圃、池の北側、東側も田圃が広がっていたことがよく分かります。
約半世紀を経て、この場所は公園となり、また、道路が改修され、市役所ができて、加東市の中心的なエリアに生まれ変わりました。
池の北側の木が茂っている場所が中ざんまいの墓地です。この墓地を通る細い道を社中学校時代に通学していました。野球部の練習を終えて真っ暗になるとこの道を通って帰るのは怖いものでした。街の変化の記録となる写真の一枚です。
場所は、今の社中央公園辺りで、中央の池が金屋谷池です。まだ公園、ステラパークもなく、中央図書館も、社交番も、そして学園道路も昔のままで、嬉野へ上がる坂道がおおきく曲がっています。社環状線と池の間は田圃、池の北側、東側も田圃が広がっていたことがよく分かります。
約半世紀を経て、この場所は公園となり、また、道路が改修され、市役所ができて、加東市の中心的なエリアに生まれ変わりました。
池の北側の木が茂っている場所が中ざんまいの墓地です。この墓地を通る細い道を社中学校時代に通学していました。野球部の練習を終えて真っ暗になるとこの道を通って帰るのは怖いものでした。街の変化の記録となる写真の一枚です。