不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

加東市制10周年で太鼓屋台が集合

2016年10月31日 04時47分53秒 | Weblog








 加東市の誕生10周年を記念して、30日(日)、秋のフェスティバルが開催されている市役所広場(南駐車場)に市内7地区から太鼓屋台8台が集合しました。
 各地区で保存され、秋祭りなどに出る太鼓屋台が一箇所に集合するとあって、会場には多くの見物の人が詰めかけました。
 この日集合したのは、高岡、東古瀬、上滝野、新町、上中、社上組、社下組、牧野の8地区の屋台。布団太鼓とよばれる形の太鼓屋台ですが、色や形、飾りなどがそれぞれに違っており、秋晴れの青い空をバックに金や白、赤や黄色の鮮やかな色が光り輝いていました。練りの際に歌われる伊勢音頭も歌詞やリズムが少しずつ違っており、地域の特色がでていました。
 昔はもっと多くの地区に屋台があったそうですが、維持していくのが大変です。しかし、地域の大切な伝統文化、宝である太鼓屋台を保存して次の世代にしっかり継承していこうという思いが高まっています。今日の催しは滅多に見ることのない太鼓屋台の競演となり、担ぐ者も見る者もそうした思いを強く持つ機会となったのではないでしょうか。

 写真(順に) 社上組3枚、高岡、東古瀬、上滝野、新町、上中、社下組、牧野、全景
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和18年-特別指定酒配給の申請方法

2016年10月30日 05時35分39秒 | Weblog
 戦時中の昭和18年(1943)当時、酒やビールも配給になっていましたが、冠婚葬祭や入退営の際には特別に配給が行われていました。その申請方法が常会徹底事項の一項目として挙げられています。
 それまで口頭でよかったものが申請書類提出へ変わっています。また、配給量も決められていました。

配給に関する件

一、特別指定酒の申請について
 従来、応召入営冠婚葬祭用酒の申請は役場へ口頭で申告すればよろしかつたのですが九月一日より次の通り変わりました。
「申請者は指定酒購入券の交付申請書を町長宛に出すことになりましたので用紙は役場にありますから印形を必ず持参して下さい」
申請による交付量は左の通りに変わりました。
 1.入営応召             二升以内
 2.婚姻、死亡、法要(満中陰ニ限ル) 二升以内
 3.退営、帰還            一升以内
尚、入営、応召、死亡の場合は配給切符全部(衣料切符は除く)を持参せられ度 婚姻の場合は区長の証明書を持参して下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和15年-応召、現役軍人送迎の申し合わせ

2016年10月29日 05時21分26秒 | Weblog
 昭和15年(1940)年、社町長から各区長に対して、郷土から出征る兵士の見送りや帰還の際の歓迎などの方法についての申し合わせについての通知が出されています。
 町や駅で、幟や旗を立てて隊列を組んで見送る光景などをテレビや映画のシーンで見慣れていますが、そうしたことも昭和15年、大東亜戦争開戦の一年前には廃止し、佐保神社の社頭で行うこととするとなっています。


 昭和十五年十一月十八日
                   社 町 長
各区長殿

   応召、現役軍人送迎ニ関スル件

予而ヨリ標記送迎ニ関シテハ適切ナル御指導ニ依リ概ネ良好ナル状況ニ有之候ヘ共将来大動員アル場合ヲモ顧慮シ更ニ之ガ徹底的実行ノ要緊切ナルモノ有之候条爾今左記要項ニ依リ一般ニ御示達御指導相成度此段及通帳候也

   記

県下一般左ニ依リ実践スルヲ申合セリ

一、入退営者ノ門戸ニハ幟、旗、提灯ハ廃止シ国旗ヲ掲揚シセシメ慶祝ノ意ヲ表スル如キニ指導セラレ度

一、入退営兵送迎ノ旗、幟、テープ、等ハ全廃スルコト

一、入退営兵ノ送迎ハ氏神(本町ハ佐保神社)前ニ於テ盛大ニ歓送迎ヲナシ駅頭迠見送り又ハ出迎ヘザルコト

一、入営ノ際ニ於ケル附添人ハ入営者ガ疾病等ノ為己ムヲ得ザル場合ノ外附添ハ一切取止メルコト

一、入営者ハ被服還送用具ヲ携行セシメルコト

一、入営、応召家庭ニ国旗ヲ竹竿頭高ク掲揚スルハ防諜上廃止セシメラレ度
  但シ軒先ニ掲揚スルモノハ此ノ限ニアラズ

一、入営前餞ケノ饗応ハ時局柄絶対廃止スル様指導相成度
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三笠宮崇仁殿下薨去-オリエントのご本

2016年10月28日 05時14分36秒 | Weblog
 27日(木)、朝、三笠宮崇仁親王殿下が薨去されたことを知りました。百歳というご長寿でした。
 三笠宮様といえば、古代オリエントのご研究、という印象があります。中学校の社会の教師をしていた頃、歴史の授業の教材研究で、宮様の『帝王と墓と民衆-オリエントのあけぼの』を読んだことを思い出し、棚を探してみると懐かしい光文社カッパブックスを見つけました。
 この本には、「わが思い出の記」として、戦後、歴史学者への道を進まれた宮様の軍人時代のことが書かれています。
 昭和31年4月30日初版発行で5月15日には12版を重ねています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和18年-鶉野飛行場工事人夫供出要請

2016年10月27日 06時16分58秒 | Weblog
 兵庫県加西市にある旧日本海軍鶉野飛行場跡の戦争史蹟整備が進められています。
 鶉野飛行場について、このブログでも何度か取り上げてきましたが、戦時中に飛行場の工事には、社町からも割当に従い勤労動員が行われていました。

 昭和18年(1943)の8月の社町(旧社町、現加東市立社小学校校区域)常会徹底事項の項目の中に鶉野工事に関する件が記されています。
 田植え以降、工事に出る人が激減しており、このままでは軍の作戦に影響が出るので出役に協力するよう呼びかけがなされています。添付されている割当表によれば、社の13人、山国4人の他は各1~2名の割当となっています。
 徹底事項の該当項目は次の通りです。当時の通知文は漢字カタカナ文ですが、常会徹底事項は漢字ひらかな文で書かれています。


一、鶉野工事人夫供出ニ関スル件
 農繁期を境ひとして出役者が一時にどか減りして以来、今月に出役する者が極めて少ない。ために急を要する大切な工事が一向捗取らないといふことは延ひては軍の作戦に及ぼす影響も尠くないので御互に仕事を差繰つて出役につとめませう。各出役割当別紙の通り

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加東市の花-コスモスが一面に

2016年10月25日 05時23分06秒 | Weblog
 

 23日(日)、加東市河高地区では恒例のコスモスまつりが行われました。今年は地区の約1.6ヘクタールの田圃にコスモスが植えられ、見事な花を咲かせました。地区の人も今年が最高と話すほど見事なコスモス畑が広がっていました。
 踏切の音とともにJR加古川線の上り電車がやってきました。コスモスと電車を一枚。見渡す限り、という言葉は今年のコスモス畑にピッタリです。加東市の木は桜。そして、花がコスモス。赤、ピンク、白の三色のコスモスの花が秋の心地よい風に一斉に揺れていました。
 11月3日には加東市沢部地区のコスモスまつりが行われます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加東の秋-朝雲、夕焼け雲

2016年10月24日 04時12分26秒 | Weblog
             

             

 23日(日)、すっきりと晴れ渡るということがなかった一日でした。しかし、朝と夕焼け空はきれいな雲が光って美しい秋の空でした。

 雲は一瞬です。朝、歩き始めた時にはまだ白みはじめた東の空に黒く浮かんでいた雲の群れに、やがて、高い雲から順に昇る朝日の光が射して、赤みを帯び、黄金色に輝いていきました。明治館の広場の忠魂碑まで来ると、まるで日本列島の縮図のように光って見えました。

 夕方、庭の柿をとっていると、西の空が明るく輝き始めました。急いで2階のベランダに出てみると、扇状に広がるうろこ雲のような雲に沈む太陽の光が射してまるで錦の織物を空一面に広げたようでした。しばらくシャッターを押しながら眺めていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和19年-空襲警報発令下の行動を徹底

2016年10月23日 05時43分47秒 | Weblog
 今日も戦時中の地区文書を紹介します。昭和19年(1944)8月、社町長と警防団長の連名で各区長に対し、警報発令下の待避行動などについての通知が出されています。警報発令下の行動が徹底されていないというもので、隣保、家族での監視人を出して服装なども徹底するように指示しています。
 この文書の前にも空襲発令下に魚釣りをするのはもってのほか、男子は脚絆、女子はモンペを着用するように、などの通知もありました。
 先日、加東市社の市街地で古い家屋が撤去されていた折り、この辺りに防空壕があったという記憶を持っておられる方があり、探したけれども見つからなかったということでした。こうした戦時下の生活の記憶もなくなりつつありますが、文書によって当時をうかがい知ることができます。


 昭和十九年八月廿日
           社 町 長  合田常蔵
           社町警防団長 藤本綱吉
各区長 殿

   警報ニ関スル件通牒

標記ノ件八月十一日警報下令中特ニ空襲警報ノ場合ニ於ケル態度ハ当局ニ於ケル指示ニ適セズ甚ダ遺憾ナル点アリ
今発令中ハ左記ノ点ニ特ニ注意サレタリ通帳ス

   記

1.警式警報及空襲警報間ノ管制ノ徹底ヲ期ス
2.警報中ノ待避動作ニ付テ
(イ)警式警報間各隣保ハ三名以上ノ監視人ヲ出シ隣保内ノ巡視ヲナス事
(ロ)空襲ニ際シテハ各人ニ服装ヲ着用サセ待機ス
(ハ)各家庭ニ於テ一人ハ必ズ監視ヲ置ク
(ニ)表戸ハ開口シ避難ニ万全ヲ期ス様

◎以上適切ナル指導ヲナシ遺憾ナキ様実行サレ度
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和18年-佐保神社祈願祭の時刻の通知

2016年10月22日 04時34分18秒 | Weblog
 戦時中の昭和18年(1943)、郷土兵の応召や帰還には佐保神社前で奉告祭が行われていました。また、戦勝祈願をはじめ戦地の兵士の武運や戦傷平癒など、さまざまな祈願が行われていました。
 今日紹介するのは、毎月八日の定例祈願祭の時刻の通知です。佐保神社に限らず、全国の神社でこうした祈願祭が行われていたのでしょう。


 昭和十八年三月八日
           社町長  合 田 常 蔵
各区長  殿
各官公衙学校長殿
各団体長 殿

 大詔奉戴日祈願祭執行時刻ノ件

昭和十八年自四月至三月ノ各八日定例ニ依ル標記祈願祭ヲ左記時刻ニ執行致可ニ付部内一般ヘ御示達相成度此段及通知候也
 追而、爾後特ニ変更ナキ限リ通帳省略可致候

一、午前七時 於 佐保神社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和18年-9月分の牛肉の配給

2016年10月21日 05時01分45秒 | Weblog
 

 戦時中の配給についての資料を紹介します。社町社区(現加東市社)の当時の配給関係文書綴に綴じられているもので、昭和18年(1943)9月の牛肉の配給に関する通知です。人口を基礎に五〇匁包654包分が配当されています。ちなみに100匁で約375グラムですからその半分の約190グラム。この通知に添付された購入券の各組每の配給一覧を見ると、ほぼ2戸に1包の割合で配当されています。
 通知の中で、配当量が少ない、用紙節約などの文言があり、食糧、物資とも厳しい状況であったことがわかります。


 昭和十八年九月十日
                社 町 役 場
社区長 殿

  九月分牛肉購入券送附ノ件

九月分食肉(牛肉)左記ノ通リ配当シ別紙ノ通リ購入券送附候条
一括購入ノ上配当シ配分相成度此段及通知候也

   記

一、貴区割当量 一二、七〇〇匁(五〇匁包六五四包分)

一、配給基礎  人口ニ依ル(然レ共配当量少ナキタメ従来ノ慣例トスルモ可)

 註「用紙節約ノタメ一括購入券トセリ御了知相成度」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

庭の山椒を食べるキジバト

2016年10月20日 05時21分03秒 | Weblog
 朝の庭にはさまざまな鳥がやってきますが、山椒の赤くなった実を食べにやってくるのがキジバトです。
 庭には小さな鳥がよくやってくるのですが、ふと見ると大きな鳥が柿の木の下にはえている山椒の木にとまって動いているのが目に入りました。
 カメラを通して拡大するとハト、キジバトでした。山椒に実を食べに来ているんですね。いくらでもどうぞとしばらくその様子を見ていました。キジバトはなかなか端正な顔をしているなと思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和18年-乳児用石鹸購入券の配当

2016年10月19日 04時13分34秒 | Weblog
 戦時中の昭和18年(1943)、配給物資の中には石鹸もありました。浴用石鹸、洗濯石鹸などの配給についてはこのブログでも紹介してきましたが、当時の社町社区(現加東市社)の配給関係書類綴の中に乳児用の石鹸購入券の送付に関する役場からの手書きの文書が綴じられていたので紹介します。
 NHKの朝の連続ドラマ「べっぴんさん」でも戦時中や終戦直後のくらしの物資不足のようすが描かれていますが、乳幼児に必要なミルクを入手するのも大変だったようです。乳幼児の入浴に必要な石鹸も不足していたことがこの通知から伝わってきます。


 昭和拾八年拾月卅日
               社 町 役 場
社区長殿

  乳児用特別石鹸回数購入券送付ノ件

乳幼児用特別石鹸回数購入券同封送附候条
夫々名義者ニ配布相成度此段及依頼候也

 追加 九月十日分販売店ニ於テ入荷アリ
    御了知ノ上一般ニ通知相成度

        記

※11名の対象者(保護者と乳幼児)の氏名が記入されています。

    乳幼児石鹸
      特別回数購入券  十一枚
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

加東の秋の空-武家屋敷、鯉のぼり、カエデ

2016年10月18日 04時54分33秒 | Weblog
 

           

 16,17日の土日は好天に恵まれ、秋の青空が広がりました。澄み切った秋の空はどこまでも青く、高く、そして、この空をバックに加東の秋の到来を感じさせる光景が輝きました。
 まず、上三草の加東市やしろ国際学習塾の建っている場所は、江戸時代には三草藩の陣屋がありました。その名残りを今も武家屋敷が伝えています。その白壁にそろそろ色づいた柿の実が輝いていました。
 次に東条湖おもちゃ王国さ開催された「はたらくくるま大集合」では呼び物のクレーン車が秋空高くその腕を伸ばし、その先に東条特産の播州鯉のぼりが悠々と泳ぐ景色がありました。
 そして、山国にある兵庫教育大学の附属幼稚園で行われた運動会では、園庭のカエデがほんの少し色づき始めていました。これから朝晩の冷え込みで鮮やかな紅葉を見せてくれるのでしょう。
 加東では稲刈りとととも秋本番を迎えようとしていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の日の播州平野-播磨高野五峰山からの展望

2016年10月17日 04時14分12秒 | Weblog
           

           

 16日(日)の朝、9時前に加東市上滝野の体育センターで行われるバレーボールの大会に出席しようと車を走らせ、赤信号で止まったときに、ふと正面に見える五峰山の中腹の駐車場へ行ってみたくなりました。

 天気もよく、秋の日に包まれた播磨平野の景色を眺めてみたくなったのです。登山道をゆっくりと走らせ、駐車場へ上りました。眼前には東、南方向に大きく展望が広がり、三草山から遠く六甲連山が逆光で少しかすんでいましたが見通せました。また、眼下には加東市滝野の市街、その向こうには中国自動車道、国道175号、JR加古川線が見えました。大きく秋の空気を吸い込むと気持ちがぐっと膨らんで満たされました。

 駐車場にはサイクリング自転車でゆっくり回っている人がいました。播磨中央公園も近く秋の北播磨路をこれから走るのかなと思ったりしました。
 秋本番です。この駐車場からの雄大な景色、そして坂をさらに登って播磨高野と称される光明寺の紅葉をを楽しみにお越し下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほぼ満月-東の空に大きな月が光る

2016年10月16日 05時08分56秒 | Weblog
 

           

 15日(土)の夕方、庭の柿を穫って布で磨いていると、表の方で何やら賑やかな会話が聞こえてきました。「大きな月・・・」という言葉が聞こえたので、カメラを持って表に出てみました。
 東の空低く、大きな円い月が出ていました。明日が満月。見た目にはもう満月でした。わが家の前の道はほぼ東西方向に延びており、東の方を臨むと大きなお月さんが光っていました。しばらく「ええ月やなあ」などと話しながら見とれていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする