ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

熱気球降下-地区運動会が始まる前に

2017年04月30日 04時18分25秒 | Weblog
 

 29日(土)、加東市高岡地区の第52回運動会が行われました。開会式を待っている朝の時間でした。北西の空に気球が小さく飛んでいるのが見えました。
 今日は隣の加西市の市制50周年の式がある日。気球の飛ぶまち加西市だから、記念に上がった気球が風に流されているのだろうか、などと話しているうちに、どんどん近づき、しかも高度が落ちてきて、まるで落下しているように見えました。
 あっという間にグラウンドの北、中国縦貫道路の手前の民家のある辺りまで降下してきました。子供たちもその方向へ走っていきます。屋根にぶつからなければいいがと心配するほどだったのです。
 着地したように見えましたが、再び飛び上がったようにも・・・。そのうち、運動会の入場行進が始まってしまいました。
 以前、このブログで加東市の田圃の中に着地した気球を紹介しましたが、空から何かが降りてくるというのは何が胸が騒ぎます。
 
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嬉野台生涯教育センターの八重桜

2017年04月29日 08時14分05秒 | Weblog
 

 25日(火)、加東市下久米の県立嬉野台生涯教育センターで29年度のうれしの学園生涯大学の入学式、開講式が行われました。式に出席したあと、冒険の森、県道へ通じる道路の八重桜を見に車を走らせました。
 いつも4月の中旬から下旬にかけて咲きほこる八重桜。今年も見事なピンク色の花を見せてくれました。
 センターの兵庫教育大学側にはソメイヨシノ、そして、やしろの森公園へと通じる側にはこの八重桜が咲きます。
 5月4日には、春のフェスティバルが行われます。新緑と青空、各種催しや味を楽しむことができます。
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佐保神社の八重桜-薄い緑とピンク色の花びら

2017年04月28日 04時54分47秒 | Weblog
 

 佐保神社(加東市社)の境内の西側に小宮さんが並んでいます。その小宮と玉垣の間に珍しい色の八重桜が花を咲かせています。
 その色は白というより薄い緑がかった色で、花びらにピンク色のすじが入っているものがあり、白っぽくうすい緑とピンク色がさした珍しい色の八重桜です。何年か前の湯立て神事の行われた日に珍しい桜があると教えてもらい、それ以降は毎年楽しみにしています。珍しいと見に来られる人も少なくないと聞いています。
 何という名の桜でしょうか。ウコン(鬱金)桜というとも聞きましたが・・・。写真は4月25日(火)の朝の写真です。27日に桜を見た人の話では、終わりに近づいてピンク色が強くなっているということでした。
 
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新緑の五峰山や加西の峰々-社中央公園から遠望

2017年04月25日 03時42分54秒 | Weblog
 私の好きなふるさと加東の景色の一つに、社中央公園の金屋谷池の堤からの眺めがあります。
 加古川の河岸段丘面に形成された社の市街地を眼下に見ながら、遠く滝野の五峰山、そして、加西の峰々を見渡す視界、眺望の広さが大好きです。手前市街地にある関電の鉄塔もエッフェル塔にさえ見えます。
 特に朝日、夕日の頃、この堤の上に立つと、ここが地球上の狭い一角の景色であることなど忘れて、遙か地平線の向こう、そして、宇宙にまで広がる広大無辺の空間を感じることがあります。
 加西の峰の中に鎌倉の峰があります。佐保神社の神様、佐保大明神はこの鎌倉の峰に天降ってこられた神様と伝えられています。神話の世界につながるこの景色は建物や道路などの人工物がなければ古の時代と変わらないままのはず。
 
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善龍院で輪番土砂加持法会、稚児行列や秘仏のご開帳も

2017年04月24日 04時52分54秒 | Weblog
         

         

         

 これ以上はないという快晴の下、加東市社の涌羅野山慈眼寺善龍院で輪番土砂加持法会並びに本堂屋根落慶報告・退山式・晋山式が行われ、小野・加東の真言宗寺院25ヶ寺の僧侶が揃い、法会を営みました。青い空と新緑がまぶしく光るなか、その光景は壮観でもありました。
 この数十年に一度という法会に華を添えたのが稚児行列でした。子供たちが華やかな衣装を身につけ、蓮の花を手に持って、家族と一緒に歩きました。隣の持寶院を出発し、社の市街を歩いて善龍院へと行列は進みました。付き添いの家族も子や孫の晴れやかな姿に笑顔がこぼれていました。
 境内では厳かに法会が営まれ、お稚児さんと家族が本堂の御本尊秘仏青面金剛像の前でご加護を願い祈りを捧げました。ご開帳はこのような特別の大きな行事のときにだけ行われます。
 善龍院の本堂は加古川の河岸段丘面にある社市街地の北辺、西端に建っており、本堂から西には涌羅野とよばれる広い平地が広がっており、見晴らしが良い所になっています。
今日もお堂から新緑の「ゆらの」が見渡せました。

 
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加東四国八十八ヶ所霊場巡拝図

2017年04月23日 06時16分23秒 | Weblog
 写真は、加東四国八十八ヶ所霊場の巡拝図です。
 加東四国霊場とは、四国八十八か所霊場を加東郡内(旧加東郡、現在の加東市と小野市域)に写したもので、大正7年(1918)につくられました。もとは、江戸時代に行われていたようですが、明治維新の頃に消滅し、新たにつくられたものです。
 第一番は光明寺(加東市・五峰山)で、加東郡内の真言宗の寺院を中心に121か所(番外を含めて)が結ばれ、仕上げは八十八番持寶院の大師堂(加東市社)となっており、全行程は140キロメートルにもおよんでいます。
 その巡拝図の複写です。著作者は加東郡福田村上田 横山隆暢(加東郡福田村第八十九番屋敷)、発行所は正覚会、大正九年改正とあります。実価金参銭。図には一番光明寺から八十八番大師殿までおおよその地図と地名が記されています。大正時代には、こうした巡拝図を持って多くの人が霊場巡りをしたのでしょう。
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朝日を浴びて-市役所の八重桜

2017年04月22日 04時40分11秒 | Weblog
            

            

 20日(木)の朝、社中央公園から加東市役所へと歩きました。まばゆい朝日に照らされて市役所東隣の社公民館の八重桜が桃色の花を輝かせていました。
 八重桜はまさに牡丹桜の名の如く、幾重にも花びらが重なり、枝いっぱいについたその花びらは牡丹のようでした。
 そのあと、いつものように登校見守りに立っていると、消防団社分団の詰所のホース干しのコンクリート柱の天辺で鳴く鳥がいました。この鳥も朝日を全身に浴びて仲間を呼ぶかのようにきれいな声で鳴いています。カメラのズームを最大にしてシャッターを押しました。ヒヨドリでもムクドリでもありません。モズだという人もいましたが、もう少し大きいようにも見えました。下から見えるその腹は赤く見えます。アカハラでしょうか。
 
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播州清水寺の薬師堂の十二神将像

2017年04月21日 05時20分26秒 | Weblog
           

 

 16日(日)に行われた播州清水寺の鴨川桜まつりは好天に恵まれ、多くの人出で賑わいました。そのようすはこのブログでも紹介しましたが、今日は、境内の薬師堂について紹介します。
 仁王門から石垣の続く参道を行くと、薬師堂があります。このお堂は昭和59年に再建されていますが、創建は平清盛の継母の池禅尼によるものと伝えられています。
 堂内に入ると、木造薬師如来像が安置され、天井の周囲には十二神将像がぐるりと取り巻くように掲げられています。これらの神将像は干支の動物の姿をしており、ユニークな彫刻で参拝者の人気を呼んでいます。
 彫刻の制作者は「奈良県のマスコット「せんとくん」のデザインで知られる彫刻家籔内佐斗司さん(63)=東京芸術大大学院教授」(神戸新聞記事)です。うさぎや猿、鳥の姿の神将像の姿や表情に見入ってしまいました。
 清水寺は西国三十三か所霊場の第二十五番札所で知られています。御嶽山は標高500メートルを超えており、麓からは登山自動車道も整備されています。
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山田錦を育てた藤川禎治紹介の小冊子-加東市が作成

2017年04月20日 06時01分28秒 | Weblog
 

 酒米の王様といえば山田錦。昨年はその山田錦が誕生して80周年の節目にあたり、兵庫県や特産地である北播磨各地で日本酒、酒米の山田錦の素晴らしさを再認識する機会がありました。
 藤川禎治は兵庫県の酒米試験地(加東市沢部)で酒米研究の主任として、試験地と試験田のある吉川村(三木市吉川町)まで自転車で往復しながら研究に打ち込みました。そして生まれたのが山田錦でした。昭和11年(1936)のことです。
 藤川禎治の生き方は兵庫県版道徳副読本にも取り上げられ、県内の小学生は道徳の時間に学んでいます。また、この歴史ブログでも遺族の方からいただいた藤川禎治の伝記を紹介してきました。
 今回、加東市が酒米の王様と呼ばれる山田錦を育てた加東市出身の藤川禎治の生涯を分かりすく紹介する冊子を作成するとともに、加東市のケーブルテレビで特別番組「山田錦のうた」(山田錦の栽培や酒づくりの紹介)の放送を行いました。
 昨日、大阪市内で行われた香港フィルの公演レセプションでお会いした中国領事館や大阪の経済関係者に加東市を紹介するのに「山田錦」の産地ですと話すとその名をよくご存知で話が盛り上がりました。
 12頁の小冊子でカラー写真や地図なども挿入しれており、小学生でも読みやすく作られています。
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池面に咲いた桜

2017年04月19日 18時23分41秒 | Weblog
           

           
 今年の桜も先日の嵐で過ぎ去った感があります。
 その前、15日の早朝、朝のウォーキングで社中央公園で金屋谷池の堤を歩いていると、地面にちりばめられた桜の花びらと池の水面に開いた桜に見とれてしまいました。
少し前の風景ですが、今年の桜の記憶を残したいと思いました。
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播州清水寺春景色

2017年04月18日 05時02分05秒 | Weblog
            

            

            

            

 16日(日)に播州清水寺(加東市平木)で行われた鴨川桜まつりは好天に恵まれ、多くの人出で賑わいました。その清水寺の景色を紹介します。
 清水寺は標高約530メートルの御嶽山の山頂にあります。朱色が鮮やかな仁王門(昭和54年再建)、推古天皇勅願所として創建された根本中堂(大正6年再建)。西国三十三か所観音霊場第二十五番の札所の大講堂(大正6年再建)、そして、平清盛の継母である池禅尼創建と伝えられる薬師堂(昭和59年再建)。堂内には薬師如来の眷属である12神将の彫刻があります。地蔵堂(昭和57年再建)が木立の中に建っています。
 清水寺は大正2年の全山大火事で堂塔が消失し、その後再建されています。しかし、その歴史は古く、山内に残る石垣などにはかつて18もあった塔頭寺院の面影をしのぶことができます。
 桜まつりは雨のイメージが強いのですが、今年は本当にまぶしいくらいの光溢れた一日でした。
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播州清水寺-南朝忠臣赤松氏範憤死の地標柱

2017年04月17日 05時17分55秒 | Weblog
 16日(日)は、好天の下、加東市平木の播州清水寺で桜まつりが行われ、大勢の人が訪れました。
 私も10時30分頃に登山道を車で登り、山頂の駐車場に入りました。すでに多くの車が入っており、第2、第3の駐車場へと誘導されました。
 大講堂や根本中堂、薬師堂など境内の堂を巡りながら、名物のおでんや山菜おこわなどをお土産に買い求めたり、参拝の人々と話したりしました。その中には兵庫教育大学の附属中学校勤務時代の教え子も。
 さて、帰りに山頂駐車場を出て登山道を下る前に、登山道を登りきった地点の脇に立つ一本の石柱を確かめました。
 その石柱とは、「南朝忠臣赤松氏範憤死之地」の標柱です。道路脇の尾根に立つ高さ1メートルほどの石柱には、「史蹟 南朝忠臣赤松氏範父子並一族憤死・・・」と刻まれています。下部は土中に埋まっていて読めません。また、側面には「昭和六年九月二日建立 兵・・・」と刻まれています。「兵」の下は土に埋もれて見えませんが「兵庫県」と刻まれているのでしょう。
 この石柱から尾根沿いに林の中を少し歩くと、赤松氏範一族の墓地にたどりつくはずです。以前に訪れた時には、石碑は新しく建てかえられていました。

 この墓については、平成18年10月2日のこの歴史ブログで紹介しましたが、赤松氏範と清水坂の合戦について説明を再掲します。

 赤松氏範は14世紀南北朝時代の人で、播磨の豪族、赤松円心の子です。赤松円心は、はじめ南朝方についていましたが、のちに北朝の足利方につきます。兄弟4人のうち、氏範一人が南朝について忠義を尽くしました。
 足利義満が三代将軍となり、南朝の勢力はおとろえはじめました。氏範は1386年、最後の戦いに挑むべく、京の幕府を襲いましたが、幕府勢に押し返され、播磨の清水寺に立てこもりました。これを攻めたのは山名の軍勢でした。さらに山名勢が去ってからは細川勢が攻めました。
 氏範はよく戦いましたが、何せ味方は少数、幕府軍は大軍とあって、兵糧もなくなり、遂に覚悟を決めて、寺の北東の峯に一族郎党を集め、自刃をして果てたのです。氏範57歳、一族郎党合わせて137名だったそうです。これが、清水坂の合戦とよばれる戦いです。

 写真は登山道路脇の標柱です。。
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朝日を浴びる善龍院

2017年04月16日 04時28分23秒 | Weblog
 

 13日(木)の朝、濃い朝日に映える涌羅野山善龍院の庚申堂と楼門です。善龍院は加東市社市街地の北端辺りに位置しています。字名は坊ノ前。創立は慶安2年(1649)で、今から368年前のことです。御本尊は青面金剛大明王。
 この歴史ブログでは朝の善龍院を時々紹介しています。それというのも庚申堂が東向きで、朝日を正面から受けることになり、その光に照らされたお堂の姿が美しいからです。
庚申堂にはこの青面金剛大明王(しょうめんこんごうぞう)、すなわち庚申さまが安置され、開運、厄除け、五穀豊穣、無病の守り本尊として信仰を集めています。
 善龍院は涌羅野山(ゆらのさん)慈眼寺善龍院の寺号をもつ真言宗のお寺であり、庚申寺として初庚申には多くの人々が参詣します。また、赤穂の浅野氏の分家である家原浅野氏の菩提所として代々の領主の位牌が納められていることでも知られています。
 すでにこのブログでもご案内していますが、来る4月23日(日)には、輪番土砂加持法会並びに本堂屋根落慶報告・退山式・晋山式が行われる予定です。
 午前8時30分から稚児行列が行われ、9時から法会が始められることになっています。
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兵庫教育大学附属中にあった懐かしい記憶

2017年04月15日 05時44分31秒 | Weblog
 

 11日に行われた兵庫教育大学附属中学校の入学式に出席した際、20年余り勤務した懐かしい校舎を歩いてみました。
 昭和57年に第1期生を迎えてた真新しい校舎も35年余を経ました。廊下や階段の踊り場の壁に掛けられている卒業記念製作は各年代の記憶をよみがえらせてくれます。
 玄関正面の作品は、生徒と教師が描いたものを金属板にしたものですが、探してみると、私の顔がありました。他にも同僚や生徒の懐かしい顔や名前が見つかりました。30年余り前にこの学舎で学び、教えた人々の存在が懐かしさとともに確かな記憶として刻まれていました。その他にも七宝焼きのものもありました。
 職員室を訪れ、先生の机の上を探してみました。捜し物は「日番」の三角錐。創立時に作られたもので、側面に「教官打合せ司会」、底に「昭和57年」と書かれています。ありました。今も確かにありました。その字を書いたのは私です。時代は変わり、人は変わろうともこうして今も「過去」が保存されていることが嬉しく、懐かしくありました。
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桜も見納め-佐保神社桜夕景色、16日には湯立神事も

2017年04月14日 05時04分43秒 | Weblog
 

           

 今年の桜は長い間楽しむことができました。日曜から天気は崩れるとの予報です。名残は惜しいのですが、桜もそろそろ見納めです。ただ、八重桜はこれからですが。
 夕方(13日)、佐保神社の境内で夕日に染まる桜を見ました。

 佐保神社(加東市社)では16日(日)午後1時から湯祭が行われます。春祭で五穀豊穣、無病息災を祈る祭りです。この祭りでは、湯立神事が行われます。「盟神探湯」(くがたち)の型式で、巫女さんが釜に沸かされた湯を熊笹の葉の束で湯を立てます。その湯が飛び散り、浴びると無病息災で過ごすことができるというものです。
 その笹をいただき、玄関に飾ることで災難を避けるともいわれています。今年は日曜日にあたります。ぜひ多くの皆さんのご参拝を。
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