ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

和太鼓やマーチングなど元気に運動会

2018年09月30日 06時13分32秒 | Weblog
 

 

 29日(土)、台風の影響なのか、朝から雨が降りました。加東市内のこども園や保育園では秋の運動会が予定されていましたが、延期になったり体育館に会場変更して行われました。
 滝野総合運動公園の体育館スカイピアで行われた河高こども園のオープニングでは、園児のマーチングが披露されました。一人ひとりのきびきびした動きと全体の動きがまとまっていて驚きました。また、滝野東小体育館の加茂こども園では、恒例の加茂太鼓の和太鼓演奏が披露され、その威勢のよい子供達の動きと太鼓の音に惹き付けられました。
 滝野体育館でのたきの愛児園の運動会では、紅白の玉入れに子供達が熱中していました。結果は紅組の勝ちでしたが、子供達は玉入れが好きなんですね。滝野南小の体育館での高岡育児園では、障害物競走で、鉄棒の逆上がりを何度もくるくる回る子供達に盛大な拍手が送られていました。
 運動会は秋晴れの空の下で行われるのが最高ですが、天気だけはどうしようもありません。体育館には会場一杯になるほど家族が参観に来られています。祖父母の姿も多く見られました。家族や地域の人に見守られて子供達は元気に健やかに育っています。
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日が暮れて、浮かぶお堂の屋根と携帯の鉄塔

2018年09月29日 05時18分51秒 | Weblog
 27日(木)の夕暮れ、すでに日は暮れて、見に行った田圃もよく見えませんでした。西の地平線の上あたりがまだ光が残っていました。
 日が暮れて、影絵のように浮かんでいるのはお堂の三角の屋根と携帯電話の基地局の鉄塔でした。車を止めてしばらく眺めていましたが、一日の終わりを感じました。お堂は加東市田中の薬師堂、加東四国八十五番霊場です。時刻は午後6時30分頃でした。
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「ふるさと加東の歴史再発見シリーズⅤ-加東の人物」発刊(県政資料)150年記念

2018年09月28日 04時31分04秒 | Weblog
 

 県政資料シリーズの第Ⅴ集ができました。これまで、東条川疏水、終戦70年慰霊・忠魂碑、加東の道標・道路元標、加東四国八十八ヶ所霊場などをテーマに「ふるさと加東の歴史再発見」と、「議会改革の歩み」などの県政課題についてⅠ~Ⅳ集まで発刊してきましたが、今回は県政150周年を記念して、加東の近代を彩る人物像をテーマに歴史ブログ「ふるさと加東の歴史再発見」に掲載してきた話題をまとめました。
 山田錦と藤川禎次、釣り針製造の小寺彦兵衛、自由民権運動の高瀬藤次郎をはじめ、適塾の村上代三郎や日本運送の大橋實次、さらに少し時代を遡って江戸時代の孝女ふさ、戦前の修身教科書や国語教科書で野口英世よりも多く掲載されたといった人物まで、わが加東の人物像を取り上げました。もちろん、もっと多くの人材があるわけですが、150周年の節目に、今につながる郷土の先人のことをまとめたものです。地域創生、ふるさと意識の醸成、郷土への誇りと愛着などに参考になるのではないかと思っています。
 県議会の動きについては、昨年の本会議一般質問の質問と答弁、議会常任委員会の活動、県議団の調査活動など、広く県議会の活動を紹介し、より身近に県議会を感じていただきたいと思っています。(A5判、153頁)
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社のランドマークの化粧直し-関電タワー

2018年09月27日 05時07分26秒 | Weblog
 

 26日(水)の朝、家の近くの通学路で登校見守りに立ちました。運動会明けの爽やかな秋の朝、子供達は元気に登校していきました。
 見上げると、関西電力社営業所のビルの上に立っているタワー、遠くからも見えるこのタワーを私は社のランドマークと呼んでいますが、このタワーがすっぽりと水色の衣装をまとっていました。聞くところでは塗装、塗り直しの為ということですが、その覆いが朝日に照らされ、吹く風に揺られている姿がいかにも珍しく、美しく見えました。しかし、あの高いタワーの上まで足場を組む作業は大変だな、と思いつつ、台風24号の風も心配になりました。
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とどろき荘の句碑-梅人

2018年09月26日 06時06分36秒 | Weblog
 東条とどろき荘の中庭に句碑が建てられています。山田錦の里探訪ウォークの出発式が始まるまでの間、中庭に出て刻まれた句や裏面の碑文を読んでみました。

  梅雨晴れて 温泉乃香懐し とゞろき荘
                    梅人

 作者の梅人(梅花堂梅人・大西秀男)は、明治35年(1902)に加東市栄枝に生まれ、俳諧を学び、昭和時代に活躍した人物で、この句碑は、梅人を讃えて昭和50年に建立されたものです。東条町史には、東条湖畔の句碑「薫風や湖上遙に遊覧船」の拓本が紹介されていました。
 
 
 
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山田錦の里探訪ウォーク

2018年09月25日 05時33分55秒 | Weblog
 

 24日(月)、山田錦の里探訪ウォークが開催されました。出発地点は東条とどろき荘。めざすゴールは乾杯まつり会場の社中央公園のステラパークで約11キロの道のりです。市内外から200名余りの参加者がありましたが、市外から6割、遠くは大阪からの参加者もあり人気が広がっているようでした。
 とどろき荘の横の田圃と水路にそった畦には今年も彼岸花が咲き誇っていました。今年は加東市のマスコットキャラクターの加東伝の助くんがランナーズウェアを着て登場。ウォーキング参加者を励ましました。
 コースの途中には、屋根のない博物館、東条川疏水ネットワーク博物館の諸施設があり、中でも松沢地区には日本最長級の曽根サイフォンをくぐります。また、各所に博物館の道標も建てられています。
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今年もきれいに咲きました-鴨川の彼岸花

2018年09月24日 05時54分09秒 | Weblog
 

 23日(日)の秋分の日。加東市平木の鴨川小学校の運動会に出たあと、鴨川沿いに車を走らせていると、上鴨川住吉神社の手前、川の堤にまっ赤に咲いた彼岸花が目に飛び込んできました。
 去年もこの美しい景色を見たような気がして、車を止めてシャッターを押しました。彼岸になるとまちがいなく咲く彼岸花。川と山を背景に朱く咲くこの彼岸花が気にいっています。
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50年前-社上組屋台が行く

2018年09月22日 05時04分01秒 | Weblog
 今から50年前の昭和43年(1968)、佐保神社(現加東市社)の秋祭りでわが家の前の道を行く社上組(かみぐみ)の太鼓屋台の写真です。
 秋晴れの下、稲穂が色づき頭を垂れる実りの中を上組屋台がドンデンドンの太鼓を響かせながら優雅にその壮麗な姿を見せて通っていきます。今では田圃は宅地となり、景色はすっかり変わりました。しかし、半世紀経った今年も同じ道のりを我等が上組の太鼓が通って行きます。秋祭りは10月6日宵宮、7日本宮です。
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昭和43年の社中学校運動会-広かった

2018年09月21日 05時29分03秒 | Weblog
 

 この写真は、今から50年前の昭和43年(1968)の社町立社中学校の運動会の写真です。少しピントがぼやけていますが、運動場の広さがよく分かります。走っているのはおそらく私です。組み立て体操もありました。いつも土台でしたが、最後に一斉に崩れる見せ場は力が入りました。
 地区テントで母と弟と食べた弁当、遠くの山並み、プラタナスの木。まるで昨日のことのように蘇ってきます。今週末は加東市内の小学校の運動会が予定されています。天気が心配です。
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旧社中学校の木造校舎と運動場-とにかく広かった

2018年09月20日 05時29分39秒 | Weblog
  

 この写真は、昭和40年代末頃の社町立社中学校の校舎、野球場、運動場の風景で、帰省した時に撮したものだと思います。
 当時の社中学校は、嬉野台地に広大な校地をもっていました。現在の兵庫教育大学附属小学校、幼稚園、給食センター、職員宿舎になっている辺りで、どこまでが校地なのかよくわからないほど広かったという印象があります。
 校舎は木造平屋建てで、教室の南にはベランダがあり、南校舎からは広い運動場が見渡せました。立派な体育館もありました。運動場には、野球、サッカー、バスケット、バレー、テニス場、相撲場もあり、同時に練習ができました。私は野球部でした。一年生の時は外野の後ろでボール拾いをやるのですが、ボールを後逸するとどこまでも追いかけていかなければならず、大変だった思い出があります。
 当時の嬉野は松林とスイカ畑がどこまでも続いていました。運動場の南の端のくぼ地辺りに戦時中の防空壕の跡だといわれていた穴があり、そこに入って遊んだこともありました。今風にいえば、実にワイルドな中学生活でした。
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稚児行列-昭和30年代後半頃?の社商店街で

2018年09月18日 04時30分40秒 | Weblog
 この写真は、私が小さい頃、おそらく昭和30年代後半の頃のものではないか、と思いますが、社の町中での稚児行列風景です。
 カッターシャツ姿で、手に愛用のカメラを持った父が写っています。場所はよく分かりませんが、社の商店街だろうと思います。持寶院か善龍院の何か大きな行事で稚児行列が行われたのではないでしょうか。
 子供だったのでよく憶えていませんが、写真には私、弟、親戚の子、家の向かいの美容院の子らの顔が見えます。当時の可愛い稚児も今では還暦を過ぎたり、もうすぐ退職といった年齢になっています。まだ「敬老」という言葉は似合いませんが、今日は「敬老の日」です。わが国は世界最先端の超高齢社会をひた走っています。
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昭和40年頃の闘龍灘-阿江与助像がない

2018年09月17日 05時43分56秒 | Weblog
 今日紹介する写真は、加東市上滝野の闘龍灘の滝からの闘龍スクエアを見上げたものです。おそらく昭和40年前後のものだと思います。写真の右の岩の上に小さく写っているのが私と弟でしょう。
 滝を見下ろす展望場には水神社と阿江与助像の台座が写っているのがわかります。
 与助像は、大正9年に建立されましたが、昭和20年の春、戦争のため供出され、平成2年5月、台座を生かして再建されたものです。昭和40年頃にはなかったはずです。
 上滝野に親戚があり、小さい頃は父に連れられて遊びに行きました。今ではスクエアが整備され、与助像が闘龍灘を見下ろしています。
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社おにわ亭-上月米屋旧店舗を会場に

2018年09月16日 06時14分34秒 | Weblog
 

 15日(土)、加東市社の商店街のほぼ中心に位置する加東市商工会館の北隣にある上月米屋さんの旧店舗で「社おにわ亭inこうづき+広場」が開かれました。
 この企画は、社商店連合会が社の街のにぎわいを取り戻そうと、空き家や開き店舗を活用してイベントを行っているもの。生憎の小雨が降る中でしたが、多くの人が訪れて、上月家の庭や家の造り、店の内や外の広場に設けられた屋台を楽しみました。
 上月家には坪庭があり、苔と石が落ち着いた空間をつくりだしていました。音楽演奏もあり、小さな子供を連れた若いお母さんも目立ちました。また、この企画は兵庫県150周年の連携事業として取り組まれたものです。
 もうすぐ佐保神社の秋祭です。社の街が一年で一番賑わう日。上月家の前を神輿、屋台が揃って通っていく光景はまた一段と素晴らしいものです。
 
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懐かしい社小の木造校舎と運動会-昭和40年頃

2018年09月15日 06時02分33秒 | Weblog
 昨日に続いて、昭和40年頃の社町立社小学校の運動会の写真を紹介します。
 この写真は運動場の東側、柳の木のあった辺りから西に向かって撮った写真です。木造の本館校舎が写っています。左側の校舎は理科教室棟です。立派な特別教室でした。その間に黒々とした木がありますが、プラタナス(すずかけ)の木です。夏にはこの木にとまって鳴くガラ(アブラゼミ)やシャブ(クマゼミ)を採るのが楽しみでした。
 5,6年生の全校ダンス、両手に日の丸と校章の旗をもって「あーれは僕らの学校のしるしぞ青き校章ぞ・・・」といったような歌に合わせて踊ったことを憶えています。
 本館2階の窓が開いている左側の教室は和室で、右側は5年生の教室だったと思います。もう50年以上前の運動会風景ですが、校舎や歌など、つい昨日のことのように思い出します。
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昭和40年頃の社小運動会光景

2018年09月14日 05時26分37秒 | Weblog
 



 もうすぐ中学校や小学校の運動会が行われます。時には練習の声が風に乗って聞こえてきます。
 今から50年余り前の昭和40年頃の社町立社小学校の運動会の写真には、全校ダンスやフォークダンスでしょうか、演技が写っています。先生や男子生徒は上下白の体操服、そして女子は黒のブルーマ姿です。よく行進練習をしました。横一列が乱れないように曲がるために横目で隣を見ながら歩幅を調整するのですが、うまくいくと何だか嬉しい気分でした。
 懐かしい柳の木も見えます。あの頃は運動会は10月でした。まさに秋晴れの好天の下、参観の家族の応援を受けて、一生懸命に走ったり、演技をしたことがよみがえってきます。
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