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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

社中学校跡地の石碑

2007年06月18日 09時12分15秒 | Weblog
 県立社高等学校の生徒通用門から学園道路をはさんで向かい側に兵庫教育大学附属幼稚園や店舗があります。その歩道沿いに一本の石碑が立っています。石碑には「社中学校跡地」と刻まれています。
 ここは、社町立社中学校があった場所でした。社中学校は戦後、新制中学校として創設され、昭和24年に校舎が建てられました。その後も次々と校舎が建て増しされ、昭和37年には体育館兼講堂が完成しました。石碑が立っている場所は、この体育館があった場所ではないかと思います。
 昭和53年、社、福田、三草の3中学校は閉校、そして統合社中学校が開校しました。今の社中学校です。旧社中学校の跡地には、兵庫教育大学附属小学校、幼稚園、附属給食センター、そして官舎の一部などが建てられました。附属幼稚園、給食センター、そして附属小学校の運動場には、旧社中学校時代の校庭の樹木がそのまま残っています。
 時代が進み、やがて世代が代わると、記憶も消えていくのでしょう。しかし、この石碑がこの地で中学時代を過ごした幾多の卒業生の思い出を甦らせてくれるはずです。


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警戒管制発令「外灯を消せ」-昭和13年

2007年06月14日 05時57分08秒 | Weblog
 昭和13年(1938)6月2日午後7時付で、社町防護団長(大橋実次町長)名で各区長宛に防空大至急の号外文書が発出されています。その内容を紹介しましょう。

 警戒管制発令ノ件

本日只今警戒警報発令サレタルニツキ 同管制ノ一部ヲ施行スルニツキ左記ニヨリ処置相成度

 註 訓練演習ニアラザルニ付特ニ注意セラレ度

   記

管制程度
 外灯ハ全部消灯ノコト
  但シ門灯及警鐘台上ノモノハ除外ス
 室内灯ハ平常ノママニテヨシ
 本管制ハ別命アルマデ継続ノコト

時期
 本日只今ヨリ

以上の通知は、社区事務所の諸通達綴の中に綴じられていたものですが、「防空大至急」「号外」とされ、外灯は全部消せという通知ですから、緊迫感が伝わってきます。昭和13年といえば、大陸での戦争が長期化の様相を濃くし、国家総動員法が公布された年です。
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穂積八幡神社の石鳥居

2007年06月08日 05時24分38秒 | Weblog
 昨日に続いて加東市穂積の八幡神社から、境内の一画に立っている石柱を紹介しましょう。
 神社境内の一画に石柱が2本立っています。まるでギリシャかペルシャの古代神殿遺跡の写真によくある石柱のようです。途中から折れたように断面が斜めになっています。何だろうと思ってその脇にある解説を読んでみました。
 この石柱は石の鳥居の柱で、昭和40年(1965)の台風の際、倒木が当たって折れたものだと分かりました。この鳥居は文化的にも貴重な価値をもつもので、今から190年余り前の文化11年(1814)につくられています。文化文政の頃といえば滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」、杉田玄白「蘭学事始」など化政文化の時代です。古いものですね。さらに領主、代官、庄屋、年寄などの名が刻まれているのも珍しいとあります。
 
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穂積八幡神社境内の道標

2007年06月06日 11時28分51秒 | Weblog
 加東市穂積、千鳥川が加古川に合流する地点に近いところに穂積の氏神、八幡神社があります。すぐ裏(北)を中国自動車道が走っており、前面の川と後ろの高速道路によって、周辺と隔絶されたような形になっています。
 この八幡神社の境内の一画に一本の道標が立っており、その三面には写真のように文字がいっぱい刻まれています(写真)。
「すぐ 大門 高砂 明石 □ 法け山 光明寺」
「左 北野 志ん町 滝野 右 清水 京 大坂」
「すぐ 多可郡 丹波  日本一幅 善導大師」
 そして、もう一面の上部に「弘化」の文字がかろうじて読みとれます。今から約170年ほど前の「弘化」年間(1840年代)にこの道標がつくられたのではないでしょうか。元は街道筋に建てられたものでしょうが、役目を終えて今はこの境内で静かに参拝者を迎えています。

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翼賛選挙の回覧ビラ

2007年06月05日 07時04分22秒 | Weblog
 昭和17年(1942の社町社区配給関係書類綴の一枚(精肉購入券配布の通知)の裏を見ると、翼賛選挙の回覧ビラが印刷されており、通知はビラの裏紙を利用したものでした。
 政党が解散され、大政翼賛会が結成されたのは昭和15年(1940)のことでした。兵庫県では大政翼賛会兵庫県支部が設置され、知事が支部長を兼任したといいますから、まさしく官も一体となった政党でした。

 さて、翼賛選挙の回覧ビラ(写真)の文言を紹介しましょう。

(上部)大政翼賛〔日の丸〕臣道実践
(横)翼賛選挙に輝く郷土   
   後日町村に於て棄権の理由を調査する場合がありますから決して無意味な棄権はしないで下さい。
(枠内)隣保有権者に告ぐ
   愈々町村会議員の総選挙が迫りました。有権者各位は其の使命を自覚せられ、何を差し措いても必ず投票して銃後国民の重大責務を果して下さい。

投票日は五月三十日です。

此の回覧は必ず御主人が読んで右に捺印して下さい。
隣保代表者は全部回覧したら直ちに町内会長に送付して下さい。
(下部)兵庫県

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天神三叉路の道標

2007年06月04日 06時03分53秒 | Weblog
 加東市天神、市街の中心の三叉路に一本の大きな道標が立っています。古い家屋が軒を連ねる天神市街の景観にとけ込んでいます。
 高さは大人の身長ほどあり、力強い太い字が刻まれています。「右 大坂 兵庫」「左 京 きよ水」と刻まれ、この三叉路が大坂街道と京街道の分岐点であったことを示しています。
 「文政十年」(1827)と刻まれており、今から180年前に建てられたものです。調べてみると、小林一茶や伊能忠敬、杉田玄白らが活躍していた頃です。
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