ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

孝女ふさの話-社高校郷土散歩の資料「二つの面」

2016年03月31日 04時55分41秒 | Weblog
 昭和45年(1970)、兵庫県立社高校で「郷土散歩」が行われました。このブログでその冊子の中の伝承を紹介しましたが、今日は同じ資料のもう一つの伝承「二つの面」を紹介します。
 伝承は「フサ」の親孝行の話です。「フサ」とは考女ふさのことで、江戸時代に三草藩の殿様から孝行娘として褒美をいただいた女性です。明治以降、修身や国語の教科書にも親孝行の手本として何度も取り上げられ、上三草にはその顕彰碑もあります。この歴史ブログでもよく紹介してきました。「ふるさと加東の歴史再発見」、「孝女ふさ」で検索してみてください。ところで、この「二つの面」の伝承が「西古瀬」となっています。西古瀬は同じ社町の村ですが、ふさの上三草とは数キロも離れています。ふさの孝行を伝える話の一つです。


    二つの面
 
 むかし 三草に住んでいたフサというムスメさんの話をしましょう。
 フサはたいへん親孝行なムスメで まずしい両親のくらしをたすけるためによその村へ子守りにやとわれてゆきました。遠くへゆくのに何も仕たくしてやれないのをかなしんだ母親は オタフクの面を出してもたしてやりました。フサはやとわれ先きで毎晩その面に お父さん お母さんお休みなさい、とあいさつして両親のことを思いだしていました。
 ところが それを見ていた友だちがいたずらをして ある晩ほかの面ととりかえてしまいました。そんなことはすこしも知らないフサは いつものようにハコのフタを取ってびっくりしました。フクヨカなオタフクがいつのまにかハンニャの面になっているではありませんか。これはきっと 親にかわったことがおきたのにちがいないと思いこんだフサは やとい主へのあいさつもそこそこに夜みちのこわさもわすれ 三草村をさしていそぎました。山みちにさしかかったとき 人相のよくない四~五人の大古たちがたき火をしていました。それはおそろしいオイハギでした。
  まあここへ来てあたれ。
 フサのすがたを見たオイハギたちは これはよいえものが来たとばかりにさっそく仕事にとりかかりました。いやだと言えば 殺されるかも知れません。フサはしかたなしに火のそばへ寄ってゆきました。ところが オイハギたちは キャッ とみような声をたてていちもくさんににげてしまいました。何のことかさっぱりわからず あっけにとられていたフサがふとわれにかえりますと こわさのあまりか 知らずしらずのうちにふところにだきしめていたハンニャの面をかぶっていたのでした。
 そしてまたみちをいそぎ やっとのことで家にかえりついてみますと 両親とも元気でした。驚いた両親が夜ふけにかえってきた理由をたずねますと フサは面の話をしました。親たちはいまさらながらフサの親思いをたいへんよろこんでくれました。しかし 御主人様も心配しておられるからと言って 一晩だけとめて すぐやとわれさきへかえしたということです。(社町西古瀬)
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庭の春-桜、プラム、チューリップ

2016年03月30日 04時44分42秒 | Weblog
  

 29日(火)も朝は冷えましたが、昼間は春のまぶしい光が充満していました。
 一瞬でしたが、ウグイスの姿も見ました。しかし、まだ、庭でその鳴き声は聞いていません。地面に動くものがあり、よく見るとツグミでした。私に気付いたのか、塀に飛び移り、塀をチョンチョンとジャンプしながら移動し、柿の木にしばらく止まっていました。
 隣の旧役場跡の桜もだいぶ開いてきました。庭のプラムも小さな白い花を開いています。そして、紅一点、地面近くにチューリップの花が咲き始めていました。サクラソウも咲いています。そして、ユキヤナギ。名前が分かりませんが、白い花も。カリンの蕾が膨らんできました。本当にこの季節はいいですね。
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新定公民館で見た野鳥-ジョウビタキとツグミ

2016年03月29日 04時19分34秒 | Weblog
  

 26日(土)、加東市新定の公民館で老人クラブの総会が行われたあと、東条川沿いに植えられている桜の開花を見ようと近づいたとき、枝や地面の草の中に鳥がいるのに気付きました。
 さっそくカメラを向けてシャッターを押しました。背後の山の中からはウグイスの鳴き声も聞こえてきました。まだ上手に鳴けないようでした。
 しばらく野鳥を観察していました。家に帰り、インターネットで調べてみると、ジョウビタキとツグミだと分かりました。わが家の庭に来るのはヒヨドリ、メジロ、そして、ウグイス、スズメなどといった野鳥ですが、今年はまだメジロもウグイスも見ていませんが、これからが楽しみです。
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曽我の塩坪-地名の由来?

2016年03月28日 04時10分54秒 | Weblog
 加東市の北端、曽我地区の地名の由来について、『加東郡誌』(大正12年刊)は、曽我井(そがい)の略で、もとは清泉の意味から出た地名としています。地区に「塩坪」と呼ばれる場所があり、いわの間から湧く泉は古来、どんな日照りでも涸れたことがないといわれていました。また、伊勢参りの時には、必ずこの泉の水を汲んで身を清めてから出発することになっていたと記しています。写真は塩坪の辺りの現在の風景です。

 以前、その塩坪を探したことがありました。しかし、どこかよく分からずにそのままになっていましたが、先日、地区の方と吉馬川を見て歩いたときに、吉馬川に合流する川の岩床あたりが塩坪だと教えてもらいました。ただし、河川改修をしているので、昔とは変わっているとも聞きました。塩坪の名の通り、塩分を含む泉が湧いていたそうで、地中深く井戸を掘っても塩分のある水が出たこともあるということでした。
 曽我の地名については、古代の豪族の蘇我氏が開拓した土地から出たものとする説や地名学的には、「そが」は砂地、坂を意味し、加古川の河岸段丘の地形から出たもの(『語りつぎたいふるさと滝野』)などがあります。竹内姓が多いのも蘇我氏の祖である武内宿禰(たけうちのすくね)に由来するともいわれています。
 一つの地区に伝わる伝承や伝説は本当に奧が深く興味深いものですね。
 
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曽我のへんろ道の道標-歴史遺産として保存

2016年03月27日 04時41分29秒 | Weblog
 加東市の北端、曽我地区の八幡神社、阿弥陀堂のある一角の前の道路を車で通っていると、グラウンドのフェンスの向こうに石柱が立っているのが目に飛び込んできました。「あれっ?あんなものがあったかなあ」という感じで車を止め、バックしてもう一度見に行きました。明らかに道標のようで、傍らに解説のようなものが立てられています。
 車を降りてグラウンドに入ってみると、やはり道標でした。ちょうど地区の方が来られ、お話を伺うことができました。元は国道175号の向こうにあったのですが、グラウンドに移設して保存しようということになり、昨年夏にこの場所に移されたということでした。
 正面に「へんろ」と刻まれているのが読み取れます。また、側面に「右 多可郡」と刻まれているのも読み取れました。正面には「四國」と刻まれているようにも見えますがすが、判読が困難でした。地元の方も昭和40年代に調査したときもすでに判読が難しかった、ということを教えていただきました。
 このように地区内の旧道にあった道標を地区の貴重な歴史遺産として保存し、未来に伝えていこうとされていることが素晴らしいと思いました。
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桜開花-加東市社の旧役場跡の桜

2016年03月26日 04時18分10秒 | Weblog
 25日(金)、空気は冷たいが明るい春の日射しがまぶしい。
 庭に出てみると、隣の駐車場の桜の木の枝に白いものがぽつりぽつりとついているのに気がつきました。あれっ、もう咲いたか!?と思い、近づいてみると、数輪の花が開いていました。テレビのニュースで標準木に5,6輪花が開くと開花宣言しているのを思い出し、数を数えてみると5,6,7・・咲いているのを確認できました。よし、勝手に開花宣言、そして、シャッターを押しました。
 この桜は隣の駐車場に植わっている2本のうちの1本ですが、この地は社町役場があった場所で、今の加東市役所から2代前の役場の跡地です。標準木といってもいいでしょう。
 午後、神戸の新神戸駅前を車で走っていて気がついたのですが、社より一週間前には咲き始める神戸の桜がまだ一輪も開いていません。驚きました。今年は内陸の方が早かったんでしょうか。
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昭和45年社高校郷土散歩冊子から-かなし池伝説

2016年03月25日 05時50分37秒 | Weblog
  

 手元にガリ版刷りの薄い冊子があります。紙はざら半紙(と言っていたと思いますが)で、B4判を2つ折りにして10頁、地形図が綴じられています(写真左)。
 これは昭和45年(1970)5月10日(日)に行われた郷土散歩の冊子です。私の名前が書き込んでありますから、参加したのだと思いますが、どうもはっきりした記憶がよみがえってきません。
 午前9時に学校を出発し、木梨、三草、古墳、磨崖仏、三草山、木梨神社、藤田のコースを歩き、旧街道、道標、街並、古墳、伝説などを現地で学ぼうとする計画になっています。冊子は書き込みや見学地の説明などが印刷されており、参考になります。当時の社高校の先生(が作成されたものと思いますが)は意欲的だったんだなあとあらためて思ったりします。
 その中の一つ、懐かしい和文タイプで打たれた「カナシ池伝説」を紹介します。「悲し池」とも書きますが、源平合戦の一ノ谷の合戦の前哨戦となった三草合戦(加東市上三草の三草山)の伝説の一つです(写真右、かなし池のあった近くの田から三草山を望む)。


 カナシ池は、下三草の県道を少し左にそれた所にある小さな池です。むかしはかなり大きかったのだそうです。何のかわりもない小さな池になぜこのような名がつけられたのか、それはこういう話が伝わっています。
 源平合戦のとき、西国で勢をもりかえした平家一門はセッツの一のたににトリデをかまえ、今にも都へせめのぼるいきおいを示しました。播州の三草山にも、平資盛がジンをしいてタンバ路から都への通交をシャ断したのだそうです。ところが、ある夜明け方源九郎義経は三草山を不意におそって、簡単にこれをせめつぶしてしまいました。驚いたのは平家方です。一の谷をめざしてどんどんにげだしましたが、ハジを知るいくにんかのサムライたちはふみとどまり、百八本のハタをたてて味方をよびかえそうとしましたがだめでした。この赤ハタをたてたところを今でもヒャクハッタとよんでいます。ふみとどまったサムライたちは、いくさをするにも人数や武器もなく勝ちほこっている源氏勢の前にはどうしようもありません。カレらはわが身の不運を、平家の行く末をなげきながらこの池の水でノドをうるおしました。そして最後のいくさをして一人のこらずしんでしまいました。ふみとどまったサムライたちの中に、にげおくれたおヒメさまがまじっていましたが、味方の全メツを目の前に見て今はもうこれまでと思ったのか、池にとびこんでしまったと言うことです。
 それを知って源氏も平家もたいへんかなしみ、それ依頼、この池のことをかなし池とよんだと伝えられています。(社町下三草)

 以上がかなし池の伝説です。和文タイプで漢字が見つからなかったんでしょうか。カタカナが多く使われています。かなし池があった辺りは圃場整備が行われ、池はもうありません。また、小さな池だったと思っていましたが、昔は大きかったというように伝わっていたんですね。驚いたのは百八本の旗(幟)が立てられた百旗(立)の地名は今も残っていますが、若い人には通じないかもしれません。ただ、立てられた旗は源氏の白旗だったと聞いていましたし、そう思いこんでいました。いったいどちらだったのでしょうか。
 
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ヒヨドリの朝食-杏の蜜を吸う

2016年03月24日 05時13分39秒 | Weblog
 

          

 3月16日のこのブログに庭の杏の蕾とヒヨドリを紹介しましたが、待った甲斐があり、満開となった杏の花の蜜を吸うヒヨドリの姿が見られました。
 いつも庭に来ているあのヒヨドリがどうか判りませんが、早朝、枝を小さく揺らしながら、ヒヨドリが杏の花をつついています。下から上へ、上から下の花へと首を伸ばしたり曲げたりしながら、次々と飛び移っていきます。窓の内側から見ていると、結構長い時間そうして朝食を楽しんでいるようでした。そうしていると、周りが騒がしくなったような感じがしました。スズメが集団でやってきました。
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アオサギとシラサギ-県立考古博物館の池で

2016年03月23日 04時59分50秒 | Weblog
    

             

 21日に播磨町にある県立考古博物館に行ってきました。松帆銅鐸の特別展を見学したのですが、そのことは昨日紹介しました。
 駐車場から池を渡って博物館に行きますが、池畔にはアオサギ、シラサギ、そして亀が日光浴を楽しんでいました。亀は一箇所に群れて甲羅干しをしていました。池面に頭を伸ばして泳ぐ姿はまるで恐竜のようでもありました。
 アオサギは胸の飾羽が立派な堂々とした姿で立っていました。シラサギは純白がまぶしいくらいに光っており、池畔に舞い降りたお姫様のようでもありました。頭の後ろに冠羽が伸びて、一層気品を感じさせてくれました。くちばしは黒く、足先は黄色で履き物を履いているようでした。
 
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青空に泳ぐ鯉一家-社の百旗墓地から望む 

2016年03月22日 04時10分46秒 | Weblog
 21日(月)、よく晴れて澄み切った空気のなか、加東市社の百旗(ひゃくはた)墓地にあるわが家の墓に参りました。
 百旗墓地は社地区の4つの墓地の一つで、この地名は源平合戦の一ノ谷合戦の前哨戦となった三草合戦で平家を急襲して破った源義経軍が逃げる平氏を追って社のこの地まで来て陣を張り、目印の百本の白旗を立てたという伝承に由来するものです。百旗立(ひゃくはったい)とも呼ばれていました。
 さて、この墓地からは社の市街が一望できます。また、北西に五峰山、西に青野原台地が見渡せます。その市街の建物の上に鯉のぼりが風を含んで勢いよく泳いでいるので目に入ります。社人形会館の鯉のぼりです。加東市東条の鯉のぼり製造は伝統の地場産業です。大きな口を開けて、鯉の親子が大空高く悠々と泳ぐ光景は眺める者のこころをゆったりと広げてくれます。
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加東市満10歳の朝-新池のカモがタワーを消す

2016年03月21日 04時01分43秒 | Weblog
 3月20日(日)、加東市は満10歳の朝を迎えました。社町、滝野町、東条町が合併し加東市が誕生してちょうど10年目。やしろ国際学習塾LOCホールでは記念式典が挙行されました。(ブログ「百聞百見」をご参照下さい)
 この日の早朝、いつものようにウォーキングをし、佐保神社から大師殿へ向かう途中、新池の堤にさしかかると、池面に航跡を曳きながら2羽のカモが向こう岸へと進んでいきました。池面には関電タワー(関西電力社営業所屋上の鉄塔)が映っていましたが、カモはそのタワーを天辺から消していくように進んでいきました。
 そのようすをしばらく足を止めて見ていました。写真はその瞬間です。タワーを消すカモ。
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アンズが開花

2016年03月20日 04時34分50秒 | Weblog
  

 19日(土)、雨上がりの夕方、庭に出てみると、アンズの薄い桃色の花が開いていました。上品な淡い桃色です。夕日が沈み、まだ残っている明るさの中で、まるで小さな灯りのように咲いていました。
 カメラのシャッターを押しました。このアンズ、大玉の実がなる年もありますが、近年は花を楽しむだけとなっています。
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朝日を浴びて-アオサギとヒヨドリ

2016年03月19日 04時45分06秒 | Weblog
 

 早朝は自然が主役の時間帯です。人間活動が始まる前の市街でも空や木々や池面などに鳥の姿をよく見かけます。このブログでもそうした姿を紹介していますが、今日はいつも独りで庭にやってくるヒヨドリ(と思われる)と佐保神社のアオサギの朝の姿を掲載します。
 わが家の西側の駐車場の桜の木の枝にとまってピーと鳴くヒヨドリです。誰か、誰かと仲間を呼んでいるように聞こえます。もう一つは佐保神社境内の大ケヤキの樹上高く、巣の中でじっと朝日を浴びるアオサギです。うらやましい。きっと朝日に照らされる社の市街をじっと見渡しているのでしょう。ドローンでもなければ私達人間はあの位置から風景を見ることはできないのですから。
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サクランボの木にメジロが

2016年03月18日 08時18分34秒 | Weblog
      

 17日(木)の朝、ウォーキングでメジロを見つけました。
 いつもと逆の道順で、大師殿から新池を通って佐保神社へ出る道を歩いていると、咲き始めていたサクランボの木の枝に小鳥がたくさん止まっているのを見つけました。足を止めてじっと観察すると、目のまわりが白いメジロでした。わが家の庭にもつがいでよく飛んできますが、十数羽はいたでしょうか。そうっとカメラを取り出しているとぱあーっと飛び去っていきましたが、一羽だけ枝をちょんちょんと飛び移りながら花をつついていました。撮れた写真がこれです。
 朝からいいものと出会ったような気がしています。
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佐保神社の大ケヤキと桜

2016年03月17日 04時50分54秒 | Weblog
  

 佐保神社の参道や境内には樹齢数百年といわれる大けやきが生えています。冬の間は太い幹と枝、そして毛細血管のように伸びた小枝が見通せます。ケヤキは季節の変化をいち早く感じて芽吹き、葉を広げ、夏には緑陰を提供してくれます。そして、秋には一足先に色づきはじめ、葉を落とします。社町の町木にも指定されていました。嬉野にある兵庫教育大学の附属中学校にも校歌に謳われるケヤキの大樹があります。校舎とともにそびゆるその樹勢のように学校も生徒も育ってほしいという願いが込められています。
 瑞神門前の小さな公園から大ケヤキを見上げると、その幹や枝の太さに生命力の大きさ強さを感じます。県道に近い傍らにピンク色の桜?が咲いていました。まだ日の差していない早朝の門前の風景でした。
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