昭和45年(1970)、兵庫県立社高校で「郷土散歩」が行われました。このブログでその冊子の中の伝承を紹介しましたが、今日は同じ資料のもう一つの伝承「二つの面」を紹介します。
伝承は「フサ」の親孝行の話です。「フサ」とは考女ふさのことで、江戸時代に三草藩の殿様から孝行娘として褒美をいただいた女性です。明治以降、修身や国語の教科書にも親孝行の手本として何度も取り上げられ、上三草にはその顕彰碑もあります。この歴史ブログでもよく紹介してきました。「ふるさと加東の歴史再発見」、「孝女ふさ」で検索してみてください。ところで、この「二つの面」の伝承が「西古瀬」となっています。西古瀬は同じ社町の村ですが、ふさの上三草とは数キロも離れています。ふさの孝行を伝える話の一つです。
二つの面
むかし 三草に住んでいたフサというムスメさんの話をしましょう。
フサはたいへん親孝行なムスメで まずしい両親のくらしをたすけるためによその村へ子守りにやとわれてゆきました。遠くへゆくのに何も仕たくしてやれないのをかなしんだ母親は オタフクの面を出してもたしてやりました。フサはやとわれ先きで毎晩その面に お父さん お母さんお休みなさい、とあいさつして両親のことを思いだしていました。
ところが それを見ていた友だちがいたずらをして ある晩ほかの面ととりかえてしまいました。そんなことはすこしも知らないフサは いつものようにハコのフタを取ってびっくりしました。フクヨカなオタフクがいつのまにかハンニャの面になっているではありませんか。これはきっと 親にかわったことがおきたのにちがいないと思いこんだフサは やとい主へのあいさつもそこそこに夜みちのこわさもわすれ 三草村をさしていそぎました。山みちにさしかかったとき 人相のよくない四~五人の大古たちがたき火をしていました。それはおそろしいオイハギでした。
まあここへ来てあたれ。
フサのすがたを見たオイハギたちは これはよいえものが来たとばかりにさっそく仕事にとりかかりました。いやだと言えば 殺されるかも知れません。フサはしかたなしに火のそばへ寄ってゆきました。ところが オイハギたちは キャッ とみような声をたてていちもくさんににげてしまいました。何のことかさっぱりわからず あっけにとられていたフサがふとわれにかえりますと こわさのあまりか 知らずしらずのうちにふところにだきしめていたハンニャの面をかぶっていたのでした。
そしてまたみちをいそぎ やっとのことで家にかえりついてみますと 両親とも元気でした。驚いた両親が夜ふけにかえってきた理由をたずねますと フサは面の話をしました。親たちはいまさらながらフサの親思いをたいへんよろこんでくれました。しかし 御主人様も心配しておられるからと言って 一晩だけとめて すぐやとわれさきへかえしたということです。(社町西古瀬)
伝承は「フサ」の親孝行の話です。「フサ」とは考女ふさのことで、江戸時代に三草藩の殿様から孝行娘として褒美をいただいた女性です。明治以降、修身や国語の教科書にも親孝行の手本として何度も取り上げられ、上三草にはその顕彰碑もあります。この歴史ブログでもよく紹介してきました。「ふるさと加東の歴史再発見」、「孝女ふさ」で検索してみてください。ところで、この「二つの面」の伝承が「西古瀬」となっています。西古瀬は同じ社町の村ですが、ふさの上三草とは数キロも離れています。ふさの孝行を伝える話の一つです。
二つの面
むかし 三草に住んでいたフサというムスメさんの話をしましょう。
フサはたいへん親孝行なムスメで まずしい両親のくらしをたすけるためによその村へ子守りにやとわれてゆきました。遠くへゆくのに何も仕たくしてやれないのをかなしんだ母親は オタフクの面を出してもたしてやりました。フサはやとわれ先きで毎晩その面に お父さん お母さんお休みなさい、とあいさつして両親のことを思いだしていました。
ところが それを見ていた友だちがいたずらをして ある晩ほかの面ととりかえてしまいました。そんなことはすこしも知らないフサは いつものようにハコのフタを取ってびっくりしました。フクヨカなオタフクがいつのまにかハンニャの面になっているではありませんか。これはきっと 親にかわったことがおきたのにちがいないと思いこんだフサは やとい主へのあいさつもそこそこに夜みちのこわさもわすれ 三草村をさしていそぎました。山みちにさしかかったとき 人相のよくない四~五人の大古たちがたき火をしていました。それはおそろしいオイハギでした。
まあここへ来てあたれ。
フサのすがたを見たオイハギたちは これはよいえものが来たとばかりにさっそく仕事にとりかかりました。いやだと言えば 殺されるかも知れません。フサはしかたなしに火のそばへ寄ってゆきました。ところが オイハギたちは キャッ とみような声をたてていちもくさんににげてしまいました。何のことかさっぱりわからず あっけにとられていたフサがふとわれにかえりますと こわさのあまりか 知らずしらずのうちにふところにだきしめていたハンニャの面をかぶっていたのでした。
そしてまたみちをいそぎ やっとのことで家にかえりついてみますと 両親とも元気でした。驚いた両親が夜ふけにかえってきた理由をたずねますと フサは面の話をしました。親たちはいまさらながらフサの親思いをたいへんよろこんでくれました。しかし 御主人様も心配しておられるからと言って 一晩だけとめて すぐやとわれさきへかえしたということです。(社町西古瀬)