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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和17年-石鹸の配給で文化率考慮

2009年08月31日 06時17分27秒 | Weblog
 衆議院議員選挙は、民主党の圧勝、自民党の歴史的な大敗という結果に終わりました。「まず政権交代」は実現したわけですが、圧勝に奢ることなく、国民の真の願いに応えるべく、この国と国民の命運を背負って責任ある政治を行っていくという姿勢をもってやっていってもらいたいと思うところです。自民党は「変化」を望んだ国民の声を真摯に受け止め、保守政党の原点に立ち戻り、再起を期して出直していかなければなりません。
 この歴史ブログは政治的な立場を超越して、わがふるさと加東の歴史の再発見という作業を日々続けてきましたが、これからもふるさとの歴史、文化の再発見を通じて、そのよさを見出していきたいと思います。


 今日も昨日に続いて戦前の昭和17年(1943)当時の配給について紹介します。
 昨日は家庭用の釘も配給になっていたことを紹介しましたが、石鹸も同じく配給でした。その石鹸の配給割当の通知の中に、割当の基準として「文化率」といったものがあったということが読み取れます。
 旧社町(現在の社小学校区)の14のうち、中心であった社区(今の加東市社)は「文化率」が高いものとして高率の配給割当が指示されていた、というのです。「文化率」が何を基準としたものか、内容ははっきりしませんが、やはり、近代的、都市的といったことだったのでしょうか。
 通知は次の通りです。



 昭和十七年六月二十日
     社町長  合田常蔵

各区長殿

 六月分石鹸購入券割当通知

六月分トシテ左記ノ通リ加東郡日用品雑貨小売商業組合ヨリ通知有之候割当方法ハ社区ヲ文化率高キモノトシテ高率配給スル様指示アリタルモ今回ハ同率ヲ以テ均等割ニテ一戸ニ対シ浴用石鹸一個又ハ粉末石鹸(一袋ノ三分ノ一)ノ割合ヲ以テ割当候条可然ク交付相成度購入ニ対シテハ取マトメ右組合ヨリ購入券ニテ購入相成度


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昭和17年-釘も配給

2009年08月30日 04時38分05秒 | Weblog
 昨日に続いて、戦時中の配給について紹介します。社区(今の加東市社)の配給関係書類綴には、配給物資、配給方法、数量等が詳細に記入された書類が綴じられています。
 昭和17年(1942)、家庭用の釘の購入券送付についての通知が社町経済更生委員会長名で区長宛に出されています。


 昭和十七年二月二十五日
          社町経済更生委員会長
各区長 殿

 家庭用釘購入券送付ノ件

昭和十六年度第三回家庭用釘五拾匁購入券東播金物商業組合ヨリ割当相成候条貴部内ヘ左記ノ通リ割当致シ購入券送付候条可然御配給相成度此段及送付候也
(注意)交付ヲ受ケタル者ハ必ズ期日内ニ行使スル様周知方御配慮下サレ度特ニ申添ヘ候也
期間過ギタルハ無効トス

 割当表

名  一吋半   二吋   三吋半   計
社    一一    二二   二一   五四枚
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昭和17年-シンガポール陥落を祝い清酒の特別配給

2009年08月29日 05時24分11秒 | Weblog
 昭和17年(1942)2月、アジアにおけるイギリス軍の根拠地であるシンガポールが陥落。それを祝って、清酒が特別に配給されるという通知がありました。この通知は『購入券配給書類 第壱号 社町社区』(自昭和十五年十二月至々十八年三月)の中に綴じられていたものです。

昭和十七年二月十日
      加東郡社町長  合田常蔵
各区長 殿

 清酒配給ニ関スル件

今回酒類販売株式会社 社支店ヨリ シンガポール陥落ノ際奉祝ノ意味ヲ加フルタメ清酒一戸当リ二合ノ割合ヲ以テ特別配給相成候 就ハ貴部内ヘ別表ノ通リ送付候条シンガポール陥落奉告祭終了後山本酒店ニテ御受領配給相成度此段及送付候也

 左記別表

 名  戸数  清酒割当

 社   五四八  一石一斗
 山国  一五六  三斗一升
 松尾   三八  八升
 出水   五三  一斗一升
 田中   三六  七升
 鳥居   三四  七升
 貝原   三〇  六升
 野村   六四  一斗三升
 西垂水  二五  五升
 窪田   八六  一斗七升
 家原   七九  一斗六升
 上中   六八  一斗四升
 梶原   三九  八升
 喜田   三七  八升
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大正15年-忠魂碑の除幕式

2009年08月28日 05時15分50秒 | Weblog
 加東市社の市街地の南端に明治館(元加東郡公会堂)がありますが、その敷地に忠魂碑が建っています。この歴史ブログで何度か紹介してきましたが、その除幕式に関する案内が社区の『雑書綴』に綴じられています。

 社町分会(帝国在郷軍人会)から区長宛に出されたものですが、大正15年(1926)9月28日に忠魂碑の除幕式を兼ねて、招魂祭を執行するというもので、午後からは余興として大阪から筑前琵琶、浪花節を招いているので一般の人へも伝えてほしいという内容の案内です。

 今の忠魂碑は中央に「忠魂碑」と刻まれた大きな石碑と両脇に英霊の尊名が刻まれた碑の3本が建てられていますが、中央の忠魂碑が大正15年に建立されたもので、両脇の2本は戦後の昭和28年に建立されたものです。(写真)
 
 忠魂碑の揮毫は。川村景明陸軍大将で、大正時代のはじめ、全国的に忠魂碑建設ブームが起こるなか、多くの忠魂碑の揮毫をしています。


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昭和2年-田町大黒屋旅館で慰労会

2009年08月27日 05時51分08秒 | Weblog
 写真は現在の田町(たまち)通りです。かつて社(加東市社)で一番賑やかだったといわれる田町筋ですが、今は商店の数も数えるほどに減り、その面影はほとんどありません。
 その田町筋に「大黒屋」という名の旅館があったと聞いていましたが、今もその屋号でよばれている家があります。また、かつて田町に米穀取引所があった頃、大阪堂島の米相場の情報をいちはやく得て、田町で取引が行われていたということですが、大黒屋は米相場でも大いに賑わっていたと聞いています。
 『大正拾五年四月 雑書綴 社町社』の中に、昭和2年3月の社区長から出された慰労会の案内が綴じられています。その会場が田町の大黒屋旅館になっています。慰労会の趣旨は県立社高等女学校の負担金徴集の完了ということだったようです。社高等女学校を小野から社に移転することについて、社の先人はずいぶん負担をしていたのです。
 その案内文を紹介します。

拝啓
春寒料峭の節各位愈々御健勝賀上候
陳者当社町の重大問題たりし女学校負担金ノ徴集も漸くにして完了ヲ告ゲ候ニ就ては 来る三月八日午後四時 田町大黒屋旅館ニ於て右御報告ヲ兼ね慰労会開催仕度候条万障御繰合せの上何卒是非御光来御願度此段御案内申上候也
 昭和二年三月六日
       社町社区長  肥田仙治

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緑の水田に映える石鳥居-木梨神社

2009年08月25日 05時18分55秒 | Weblog
 秋の気配が感じられるようになった今日この頃、車を走らせていると、緑一色の中にすくっと白く光る鳥居が立っている風景が目に飛び込んできました。その透明感に思わずはっとするような神々しさを感じました。鳥居と稲。背景に竹。ちょうど赤信号で車を停止させ、カメラを手に取りシャッターを押しました。
 木梨神社(加東市藤田)の鳥居です。今日はこの美しい風景を紹介します。
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昭和17年-報国薪の供出

2009年08月23日 05時26分51秒 | Weblog
 昭和15年~18年の社町社区(現加東市社)の配給関係の書類綴の中に、昭和17年(1942)の年末の「報国薪」供出についての通知が綴じられています。
 社町長から各区長宛に出されたもので、各の農家戸数も記されています。



 昭和十七年十二月二十一日
              社町長   合田常蔵
各区長 殿

  報国薪供出ニ関スル件通知

本月十日付依頼申上候報国薪ニ関シ其ノ筋ヨリ之ガ供出如何ニ依リ重大ナル結果トナル由非常ニ供出促進ヲ命ゼラレ候本町トシテワ各区長ノ尽力ニ依リ供出準備モ出来居ル事と存ジ居リ候就ハ指定供出日本月二十五日午後一時各取纏メ社国民学校中庭ニ出荷相成ル様特ニ重ネテ御依頼申上候
二伸 各農家戸数ヲ御通知申上候

社 六九戸  山国 一四〇戸  松尾 三一戸  出水 四七戸  田中 三四戸  鳥居 三〇戸  貝原 二五戸  野村 五八戸  西垂水 二五戸  窪田 六一戸  家原 五一戸  上中 五六戸  梶原 二六戸  喜田 三四戸


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昭和17年8月-翼賛選挙回覧の裏紙に肉配給の知らせ

2009年08月22日 05時35分26秒 | Weblog
 昭和17年(1942)8月、8月分の精肉配給に関する通知が社町長から区長宛に出されています。その紙は、町村会議員選挙の回覧の裏紙が使われていました。長引く戦争で物資が不足していた当時の状況がよく伝わってきます。

 表の精肉配給に関する通知は次の通りです。

昭和十七年八月四日
          社町長  合田常蔵

各区長 殿

  八月分精肉購入券送付ノ件

八月分第一回精肉配給致ス事ニ相成候就ハ社区ニ於テハ五人以下五十匁券一枚宛六人以上ハ百匁券一枚宛其ノ他ノ各ハ三戸ニ付キ五十匁券一枚ノ割当ニテ購入券送付候条従来ノ指定販売店ニ於テ購入セシムル様指示相成度候

   記

藤本精肉店販売区域
一、社本町ヨリ上ノ町、山国、田中、窪田、家原、上中、梶原、喜田
藤野精肉店ノ販売区域
一、社東条町ヨリ下ノ町、松尾、出水、鳥居、貝原、野村、西垂水

以上ですが、2軒の精肉店は社(加東市社)の商店街にあった店で、現在、藤野精肉店は営業が続けられています。
 裏の翼賛選挙回覧ビラ(写真)に書かれている内容は次の通りです。

(上) 大政翼賛 臣道実践  (下)兵庫県
(中央)
 翼賛選挙に輝く郷土

 隣保有権者に告ぐ

愈々町村会議員の総選挙が迫りました。有権者各位は其の使命を自覚せられ、何を差し措いても必ず投票して銃後国民の重大責務を果たして下さい。
 投票は五月三十日です。

此の回覧は必ず御主人が呼んで右に捺印して下さい。
隣保代表者は全部回覧したら直ちに町内会長に送付して下さい。

 後日町村に於て棄権の理由を調査する場合がありますから決して無意味な棄権はしないで下さい。



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昭和18年12月8日-大東亜戦争開戦2周年祈願祭

2009年08月18日 04時48分41秒 | Weblog
 昨日紹介した『社町役場ヨリノ書類綴』に「至急」の朱印が押された一枚の通知が綴じられています。
 日付は昭和18年(1943)12月6日。内容は2日後の大東亜戦争開戦2周年の日の祈願祭の実施についてです。通知によれば、佐保神社で祈願祭、全戸国旗掲揚、1分間の国民祈念などを行うというものです。
 毎朝のウォーキングで佐保神社に参拝していますが、66年前の戦時には同じ場所で出征兵士の武運長久や護国の英霊への感謝が捧げられていたことにあらためて時代の変化を感じるところです。しかし、時代は変わってもそうした先人の願いや思いが積み重ねられて今があることを忘れてはならないと思うところです。
 通知は次の通りです。


至急

昭和十八年十二月六日
          社 町 長
各区長 殿

  祈願祭ノ件通知

来ル八日ハ大東亜戦争第二周年ヲ記念スル為メ全戸国旗掲ヲ為スト共ニ午前八時ヨリ佐保神社ニ於テ祈願祭ヲ挙行可致候条御部内貴職ハ勿論、各種団体長、隣保長、御多用中トハ察シ上候ヘ共御繰合セノ上御参列被下度

 尚ホ当日参列セサル一般ノ方ハ午前十一時五十九分ヨリ一分間ヲ国民祈念ノ時間トシ終日其ノ在所ニ於テ出征兵ノ武運長久ト護国ノ英霊ニ対スル感謝ノ祈念ヲ捧ゲ併セテ必勝ノ願祈ヲナス様一般ヘ洩レナク御伝達被下度此ノ段周知旁々御依頼申上候也

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昭和18年-佐保座で新聞社主催の遺家族慰安会

2009年08月17日 05時30分08秒 | Weblog
 社区(現加東市社)の『昭和十七年以降 社町役場ヨリノ書類綴』に昭和18年(1943)10月2日に開催予定の新聞社主催の遺家族慰安会への入場券配布依頼文章が綴じられています。
 会場は社の佐保座となっています。佐保座は今はもうありませんが、社の銀座街にあった劇場です。写真は書類綴の表紙です。


 昭和十八年九月三十日
            社町銃後奉公会長

各区軍事援護委員 殿

  慰安会入場券配布依頼ノ件

十月弐日左記ニ於テ新聞社主催加東郡北部五ヶ町村共同ノ下ニ遺家族慰安会ヲ開催致シマスカラ御来場下サイ
御多忙中甚ダ恐入マスガ入営応召戦病没遺家族様ヘ入場券並ニ粗菓料ノ御配布ヲ御願ヒ致シマス

    記

十月弐日  昼夜弐回   (社町ハ夜間)

社町社   佐保座

入営応召兵員数 六三   戦病没遺族 九   粗菓券 七二  招待券 二
 備考 不足分ガ出来マスレバ至急申出下サイ
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昭和10年-佐保神社で満期退営兵奉告祭

2009年08月16日 07時03分07秒 | Weblog
 昨日は、64回目の終戦記念日でした。早朝、明治館のそばにある忠魂碑の前で英霊の御霊に感謝の祈りを捧げました。忠魂碑の脇の碑には、大東亜戦争で戦死した二人の叔父の名前が刻まれています。明治館から歩いてすぐの佐保神社の境内も静寂につつまれていました。
 この佐保神社では、戦前、郷土から入営する兵士、退営し帰郷した兵士の奉告祭が数多く行われましたが、『社町社区事務所 往復文書綴 昭和九年十一月昭和十年十月迄』の中には、昭和10年4月の退営兵士の奉告祭の案内が綴じられています。
 二人の兵士の名が書かれていましたが、一人は懐かしい叔父の名前でした。私が小さい頃、叔父はよく戦地でのようすをよく話してくれていたことを覚えています。叔父の兄である父の日記を開いてみると、「弟義雄 除隊帰社 加古川迠出迎え」とだけ記されていました。写真は昭和10年代当時の佐保神社です。

 奉告祭の案内は次の通りです。


 昭和十年四月十五日

        社 町 長
町会議員
区  長   殿
各種団体長

  満期退営者奉告祭挙行ノ件

左記ノ両君此ノ度無恙軍務ヲ終ヘラレ本月二十日歩兵第七十九聯隊(朝鮮龍山)ヲ退営相成 同月二十二日帰郷セラレ候条左記要項ニ依リ奉告祭挙行可致候条御多忙中ト存ジ候得共御参列相成度此段及通知候也
 追而 御部内一般ヘモ多数参列相成様御配慮相煩度

   記

一、日時 四月二十二日午後五時

一、場所 縣社佐保神社前

一、退営兵
   
   藤本義夫(社)
   近藤末吉(社)
    (四月二十二日午後四時社駅着)
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昭和18年-勤労奉仕隊員家族の慰安映画会

2009年08月15日 05時08分46秒 | Weblog
 8月15日の終戦記念日を迎えました。毎年特別な思いをもって迎えるこの日ですが、今日は社区(現加東市社)の『社町役場ヨリノ書類綴』(昭和十七年以降)に綴じられている勤労奉仕隊員家族の慰安映画会に関する書類を紹介します。
 映画会は元郡公会堂、現在の明治館で開かれています。役場から区長宛に勤労奉仕隊員の家族への案内ならびに一般の人の希望者にも伝えるよう依頼が出されています。
 明治館のある敷地に忠魂碑が建っています。8月15日早朝は静寂そのものでした。東からまぶしい朝日が射し込み、秋を思わせる涼しい風が吹き渡ってきます。静かに英霊に感謝の気持ちを捧げる朝でした。写真は今朝の明治館です。


昭和十八年十月十九日
              社町役場
各区長殿

今般神戸市、小泉製麻株式会社より同社に勤労奉仕なされ候隊員方々の御家族慰安として左記日時場所に於て活動写真会を開催し御観覧に供し度き旨申越し候に付乍御手数左記隊員の御家庭げ御観覧下さる様御伝達□□度
 尚粗菓呈上致し度同封の菓子券御家族へ壱枚宛て御配布被下度御願ひ申上候
追って一般の方々にも観覧を規模致し居候に付御観覧下さる様御伝声下され度

         記

小泉製麻株式会社勤労奉仕隊員氏名

社 
皆元恒子 末広さかゑ 藤野信子 松本みさを 岡森喜代野 伊藤秀子 石井富美子 阿江かつ子

一、日時  昭和十八年十月二十日午後七時

一、場所  元郡公会堂
  
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昭和10年の天長節-社小学校で拝賀式と青年団競技会

2009年08月14日 05時52分56秒 | Weblog
 昭和10年(1935)の4月29日、天長節(天皇誕生日)に社尋常高等小学校講堂では拝賀式が挙行され、また校庭では社町体育後援会の発会式ならびに青年団の第十六回競技大会が開催されています。その案内が社区事務所の『往復文書綴』に綴じられています。
 講堂は今はもうありませんが、私が小学校に通っていた頃(昭和30年代後半)には木造の講堂(写真:1階は教室、2階が講堂)がありました。学芸会などもこの講堂で開かれていた記憶があります。 


○天長節拝賀式の案内

 昭和十年四月廿五日
          社尋常高等小学校長  合田常蔵

宮野太吉 殿

拝啓 陽春の候益々御多祥の段奉賀候
扨て来る本月二十九日午前十時より本校講堂
に於て  天長節拝賀式を挙行可仕候条
御参列なし下され度此の段御案内
申上げ候           敬具


○体育後援会発会式ならびに競技会の案内


謹啓
春陽の候御高堂愈々御隆昌之条奉賀候
 降而一昨年満州事変記念日を機とし当町小学校、青年団、各種団体の健全なる体育の向上及奨励を期するを以て主旨とし社町体育後援会を設立仕候処絶大なる協賛を得愈々四月二十九日天長の佳節を卜し社町青年団第十六回春季競技会を兼ね左記要項により発会式挙行可致候条御多忙の御事とは存候へ共万障御繰合の上御来光の栄を賜り度右御案内旁御依頼申上候    敬首

           社町体育後援会
               発起人一同
       殿

       記
一、日時  四月二十九日(天長節)午前十時
一、会場  社小学校庭
   但シ
    社町青年団第十六回競技大会は午前九時開始
  
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昭和10年-佐保神社で入営者の奉告祭

2009年08月12日 05時29分27秒 | Weblog
 昭和九年十一月~同十年十月の「往復文書綴」(社町社区事務所)の中に入営者の奉告祭の通知が綴じられています。町長から議員や区長に宛てたものですが、佐保神社で奉告祭を行って社駅から各部隊に向かったのです。昭和10年(1935)ですから、今から75年前のことです。写真は当時の佐保神社です。


 昭和十年一月十日
        社町長  大橋實次
町会議員
区  長 殿

  入営者奉告祭施行ニ関スル件

来ル一月十三日午前八時ヨリ社佐保神社前ニ於テ本年入営スベキ左記各位ノ奉告祭ヲ施行可致候条御多用中且厳寒ノ折柄ニハ候ヘ共萬障御繰合ノ上御参集相成度此段御案内申上候
 追而 御部内一般ヘモ伝声ノ上多数御列席相成様御配慮相煩度

  記

一月十三日 午前九時二十三分 社駅発
 朝鮮竜山野砲兵第二十六聯隊入営(一月二十日)
  社 出井芳雄   喜田 岸本義夫
一月十八日 午前八時四十分 社駅発
 広島電信兵第二聯隊入営(一月二十日)
  窪田 家永輝義
一月十九日 午前八時四十分 社駅発
 姫路歩兵第三十九聯隊入営(一月二十日)
  山国 宮野清重  家原 山本貞雄  窪田 大西史郎  上中 依藤清  家原 鈴木三次  家原 田村義信
 姫路輜重兵第十大隊ニ入営(一月二十日)
  社 亀田快隆  出水 井上信司  窪田 大田繁春
 岡山工兵第十大隊入営(一月二十日)
  出水 大橋精一

出寄留地ヨリ入営スルモノ ( )内原籍
 野砲二大 近藤貞夫(社)  電二 中西健次(貝原)  歩三九 大橋八郎(出水)

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昭和7年夏の健康週間

2009年08月10日 06時09分40秒 | Weblog
 今から80年余り前の昭和7年(1932)の夏、健康週間が実施され、無料診療などが行われています。その通知が『社町社区長 雑書綴』に綴じられています。


昭和七年八月十九日
           社町長
区長及衛生組長
各種諸団体長
  
  健康週間実施ニ関スル件通知

毎年施行セラレツツ在ル本県下ニ於ケル健康週間ヲ八月廿日ヨリ同廿六日迠七日間実施致ス可ク候毎年十一月一日ヨリ実施セラレタルガ農繁期其他ノ関係ヲ顧慮シ本年ハ特ニ同期間県下一斉ニ実施スル事ニ決定相成候又当町ニ於テモ例年ニ見ザル伝染病モ流行致シ居ル後ノ事故各位ノ御助力ヲ得本週間ヲ出来得ル限リ有意義ニ実施致シ度候条別紙衛生一日一善主義ノ実行ニ御努力相煩度候

追記

一、第三日(二十二日)無料診療デー当日ハ午後五時社元郡公会堂ニ於テ郡医師会長ノ無料健康診断ガアリマスカラ多数相談ニ応ジテ下サル様

一、第四日(二十三日)寄生虫駆除デー当日ハ向茶局ニ於テ「マクリ」ヲ原価ニテ販売シテ頂ク様交渉シテアリマスカラ各戸共全部飲用セラルル様

一、第六日(二十五日)健康デー当日ハ公会堂又ハ三階楼前ニ於テ身長及体重血圧等ノ無料測計致シマスカラ御利用下サイ

一、第七日(二十六日)午後八時ヨリ公会堂ニ於テ衛生活動写真大会ガアリマスカラ多数出席シテ下サル様御願申上マス

一、其他実施上各種団体御応援下サル様御願ヒ申上マス


父の日記にも8月26日の頁に活動写真に行ったことが書いてありました。この通知の中に出てくる元郡公会堂(写真※昭和10年代)は加東市社市街地にある現在の明治館、三階楼は料理旅館のことです。

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