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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

大正13年-用水不足に対する稲作上の注意③

2012年05月31日 04時13分47秒 | Weblog
 大正13年の大旱魃の時に県立農事試験場が出した田植えの注意事項を紹介してきましたが、今日はその3回目です。ちょうど田植え時期でもあり、水の心配をしなくてもよくなった今の時代の田植え、また、機械化が進んで、当時の田植え風景とはまったく違ってしまいましたが、私が子供の頃には苗代で苗を取り、田圃まで運んで畦から適当な位置に投げたものでした。注意書きを読んでいるとそんな時代の田植えをいろいろと思い出します。

第三 本田

本田では苗代より直接に挿秧(※田植えのこと)したると仮植苗を定植したるとを問はず苗の活着を早め分蘖を促進する等初期の成育を旺盛ならしむる栽培法を講するに努めねばならなぬ
一、活着を速にする為挿秧の際は必ず速効性肥料を施用する事
 在来慣行肥料は遅効性肥料を少くし速効性肥料を稍多用する様加減する事
二、苗を抜き取りたる仮植田には仮植日数と共に其株数多かりし時は更に幾分の速効性肥料を追肥する方がよろしい
三、追肥の時期は成るべく早くする事
四、伸びすぎた苗は葉先を切断して植付くる事
五、挿秧の遅るゝ程一層密植を行ふ事
六、成るべく除草を早め肥効を速かならしむる事
七、日光の透射を十分にする様特に注意する事
八、浮塵子蝮虫の取除を励行する事
九、病害発生の徴なき時は砂糖ボルドー液(三斗式)を撒布する事

※浮塵子はコヌカムシ、蝮虫はズイムシのこと
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大正13年-用水不足に対する稲作上の注意②

2012年05月30日 04時48分43秒 | Weblog
 一昨日のつづきを掲載します。大正13年の大旱魃時に県立農事試験場から配付された注意事項です。この大旱魃がきっかけとなって、昭和池(加東市上三草)が築かれることにもなったわけですが、雨が降らず、田植え時期に水がないということの如何に大変なことだったかが分かります。


第二 仮植

若し労力其の他の都合さへつけば苗代に放置せずなるべく早く仮植する方が得策と思はれる 例年慣行の田植時機を過ぎて猶一週間以上も田植が出来ず又降雨見込みなき時は最早躊躇せずに仮植しなくてはならん。此の仮植の方法は
一、なるべく用水の便よき田地を選び本田一段歩ニ対し面積一、二畝歩の割合で仮植する事
二、仮植田には慣行施肥量の外速効性肥料を三要素各反当五百匁位宛増肥する事
三、植方は小株密とする事
  例えば坪当四十株植の慣行ある場所にては四寸角に密植すれば仮植田一反歩より本田四反歩(仮植田共五反歩となる)に植付得られる猶仮植田より本田へ移植すへき株を抜き取ったあとは別に少しの手を加へすとも普通植となつてゐる様に最初仮植の時に株間等の注意なす事
四、仮植田は本田移植用の分を抜き取った後は速に雁爪打ちを行ふ事
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高室池

2012年05月29日 05時11分33秒 | Weblog
 加東市上三草、三草山の南山麓に巨大な溜池があります。高室池です。高室池ゴルフ場の北側にあり、池畔には高室池スポーツクラブのプールややしろ会館があります。ゴルフ場を過ぎて堰堤上の道路を走ると、右手に豊かな水を湛えた高室池が、そして、左手には高室池公園と名付けられたミニ公園があります。景色は三草山を背景に緑一色の広々とした素晴らしい風景です。
 高室池公園の奥に記念碑が建てられています。門扉(公園入口)を開けて入り、記念碑の碑文を読んでみました。「高室池改修記念 兵庫県知事 金井元彦」の大きな題字が目に入ります。その下に改修経緯が刻まれています。この字は目によく馴染んだ父、藤本豊治の筆になるものです。父が社町助役だったか町長の頃に自宅の和室で大きな紙を広げて筆をとっていた姿を覚えています。碑文は次の通りです。


 此の巨大な高室池の堤塘は溜池が赤穂藩に属した正保から元禄年間の頃に地元農民の血と汗によって築かれた大偉業で今尚三草山を背に遂次開墾された耕地を潤ほし現在では三草山より集水と昭和池乃導入により四二五、〇〇〇屯を貯水し上三草は勿論千鳥川流域の豊沃な田地の用水として欠くことの出来ない役割を果たしている 蓋し築造以来三百有余年の星霜を経た立派な堤塘も漸々老朽のきざしが見え各所に漏水を来たし遂に昭和四拾年貳月拾五日中央部斜樋管石造下部に陥没を生じたので此の池の重要性に鑑み県当局並びに農林省の特別なご援助を受け大規模老朽溜池補強改修事業として之が実施乃運びとなりこゝに完工を見るに至った

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大正13年-用水不足に対する稲作上の注意

2012年05月28日 05時05分20秒 | Weblog
 今年も田植えの頃を迎えています。大正13年(1924)は大干ばつに見舞われた年ですが、ここに「大正十三年四月記 雑書綴 社町社区長」があります。この綴りの中に、「挿秧ノ用水不足ニ対する稲作上の注意」と題した文書が綴じられています。これは、大正13年6月27日付で、社町農会から区長宛に出された「用水不足による挿秧(田植えのこと)遅延に付注意」に添付されたものです。ガリ版刷りの文書で読み取りにくい箇所もありますが、当時の田植を前にした状況が伝わってきます。

 挿秧ノ用水不足ニ対する稲作上の注意

本年は梅雨期に入ってから既に十日余も殆んど降雨なく尚近く降りそうな様子も見えず最も水を多量に要する田植時になつて非常に用水の欠乏を来たし田植が出来ぬ地方の処々にある様である・・・斯様な場合ニ於て如何なる処置を採るべきかを次に叙べて見よう
 尚本年は苗代期に於て天候其の順を欠き伸長不良肥切れ其他苗の発育一般によろしからず田植憂慮して居る農家も少なくないようだから此の点をも併せて考へて以下に叙ぶる處を斟酌し夫々適当な処置を取つて貰ひたい
 第一 苗代に於ける注意
苗代を田植まで其儘継続して行く時には
一、苗代に水を張って永く置くと苗が伸び過ぎるから水を排除して伸長を抑制するに努むる事
 猶若し伸び過ぎたものあらば其葉先を切り取る事 切取った葉先を飼料又は堆肥として撒乱せしめぬ事
二、肥切れ等の為め苗の発育甚だしく不良なものには硫酸アンモニヤ(坪当五匁位)又は少量の希釈人糞尿を施すと共に過燐酸石灰及草木灰の少量を併用する事
三、苗代気管が永らく勢ひ病虫害も多くなるから特に次の事項に注意する事
イ、螟虫 螟蛉 蝗虫 浮塵子ニ対して夫々捕蛾採卵、注油駆除及薬液撒布を行ふ事
ロ、稲勢病及胡麻葉枯病発生の虞あるものは砂糖ボルドー液(三斗五升式)を撒布する事
乾田式苗代にて灌水を永く断ちたる為苗の発育著しく不良なるものには灌水の方法を講ずる事

                                       以下つづく
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昭和4年内親王誕生-社町長の通知

2012年05月27日 07時49分15秒 | Weblog
 昭和4年(1929)9月30日、昭和天皇の第三皇女、孝宮和子内親王(たかのみや かずこないしんのう)が誕生された。10月4日、社町長から各区長宛に命名式を祝って各戸で国旗を掲揚するように伝えるようとの通知が出されています。
 昭和4年の社町社の「雑書綴」にその通知が綴じられていました。


 昭和四年十月四日
              社 町 長
各 区 長 殿

去ル九月三十日御誕生遊サレ候内親王殿下ノ御命名式来ル十月六日執リ行ハセラレ候條当日ハ貴部内一般ニ国旗掲揚方御伝達相成度此段及通知候也
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佐保神社楼門と石燈籠-260年以上も

2012年05月26日 05時22分09秒 | Weblog
 佐保神社楼門の前に鐵柵で保護された一対の石燈籠があります。今から約260年以上も前の江戸時代半ば、延享年間と宝暦年間に建立された古いものです。
 楼門が修理され、次の世代に継承することができました。この文化の継承はまさに私たちの大事な使命だと思っています。石燈籠もよみがえった楼門の前で胸を張っているように見えました。
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続・佐保神社楼門朝日にまぶしく

2012年05月25日 04時51分11秒 | Weblog
 足場がはずされ、修理をほぼ終えた佐保神社(加東市社)の楼門が朝日に照らされています。本当に久し振りにその姿を見ることができました。真新しい銅板で葺かれた屋根。何か以前と少し違った感じも受けますが、秋の祭りでは、この楼門の横を太鼓屋台が宮入りする光景が目に浮かびます。心は早やそんなところまで飛んでいきました。
 写真は楼門を東側の下組太鼓倉の前から写したものです。日本五大石燈籠と境内の舞台が見えます。
 
 
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佐保神社楼門-修理工事の足場解体

2012年05月24日 03時50分18秒 | Weblog
 佐保神社の楼門の屋根葺替え工事が行われていましたが、先日から足場の上部の一部が取り払われ、赤く光る銅板の屋根が少し見えていました。23日午後、佐保神社参道を車で横切っていると、足場が解体されつつあり、楼門が全貌を見せていました。

 銅板の屋根と黄土色というのか、茶色の木部が新緑の欅の大木にくすんだ感じで堂々たる存在感を見せています。その中で、「佐保社」の額の白い文字がくっきりと浮かび上がっていました。古材は洗ってそのまま活かしてあります。こうして見ると、本当に大きな立派な楼門です。加東遺産10選の一つ、社の町のシンボルである佐保神社。その楼門に新たな命が吹き込まれました。今日はそれを伝えたくて写真を掲載します。
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愛宕さんの石燈籠-佐保神社境内

2012年05月23日 04時44分36秒 | Weblog
 5月の朝日に照らされて佐保神社境内の小宮さんもまぶしく輝いています。佐保神社の境内の西側には小宮さんが並んでいます。かつて市街地の各所に祀られていた小宮さんもこの地に遷されています。私の住む田町通りにあった御大神宮さんもその一つです。毎年7月25日には町内揃ってお参りし家内安全町内繁栄を祈ります。
 写真の石燈籠は「常燈 愛宕山」と刻まれた石燈籠です。建立年は弘化二年と刻まれていますから、西暦1845年。幕末の頃、今から167年前に建てられたものです。社のまちの移り変わりを静かに見てきたこの石燈籠。ときにはじっくり見てみるのもいいでしょう。
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緑陰の金次郎像-三草小

2012年05月22日 06時36分01秒 | Weblog
 新緑の三草小学校(加東市上三草)で出会った講和記念塔を紹介しましたが、やはり隣の二宮金次郎像を紹介しなければと思い、この歴史ブログでは2回目になりますが、新緑の金次郎像を掲載します。
 正面には「二宮尊徳先生幼時之像」の銅板がはめ込まれ、像の裏には紀元二千六百年記念と刻まれていました。昭和15年(1940)ですから、その年にはこの地に三草小学校はありません。現在のやしろ国際学習塾に三草小学校があった時代に建立されたものでしょう。建立から70年余り、新緑の三草小学校にその姿を保っています。
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道真公自画像の天満宮-上田の正覚院

2012年05月21日 05時04分48秒 | Weblog
 加東市上田の正覚院は法道仙人開基を伝える歴史の古い寺院です。この正覚院の境内に天満宮があります。この天満宮は、菅原道真公の自画像をお祀りするお宮さんです。石鳥居のそばに「御自画像天満宮」と刻まれた石柱が立っています。菅原道真公が九州太宰府に左遷されるときに書かれた自画像で、その後数奇な運命を辿ってこの上田の正覚院の境内に宮を建て祀られているということです。
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三草小学校の講和条約記念塔

2012年05月20日 04時38分01秒 | Weblog
 加東市立三草小学校(上三草)で、19日(土)伝統行事の「ふれあい茶摘み」が行われました。児童と保護者、老人会、区長会、民生委員、地域の皆さんらが総出で学校の茶畑で茶を摘む伝統の行事です。
 挨拶に立った三草小校区の代表区長さんは半世紀余り前のことを話されました。当時、三草中学校の生徒だった方々が茶畑に肥料(糞尿)をやった話などを楽しそうに話しておられました。
 さて、三草小の校庭の植え込みに立っている「二宮尊徳翁の幼少時代の像」すなわち、金次郎の像のすぐそばに、高さ1メートル余りの一本の円柱塔が立っています。最上部は丸く球面になっており、門柱にしては低く、また1本しかないので何だろうと思って、ひらどつつじの枝に隠れた本体側面を手で除けて見てみると、「講和記念塔」と刻まれていました。建立年は昭和二十六年。翌年4月28日に講和条約は発効するわけですが、一足先に祝ったものでしょう。ぐるりと側面を調べてみると、掲揚柱だったことを示すボルトの穴がありました。そしてもう一つ発見がありました。セメントで埋めてありますが、「大正」の文字がくっきりと読み取れました。その下の文字は読み取れませんでした。しかし、講和記念で国旗掲揚柱を建立する。社小学校の講和記念柱もそうでした。主権を回復し、日の丸を高々と掲げることができる喜びが伝わってくるようでした。
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昭和56年-東条ダム

2012年05月19日 04時52分55秒 | Weblog
 昭和56年(1981)、創立2年目を迎えた兵庫教育大学附属小学校の新校舎(現校舎)が嬉野の旧社中学校跡地に新築され、それまでの元公民研修所の仮校舎から真新しい校舎に移りました。それから30年余りが経ちました。私は、その年に加古川市の小学校から附属小に異動し、4年生の社会科と国語科を担当しました。
 4年生の社会科で、「嬉野台地の開発と東条ダム」という学習単元の開発に取り組みました。そのために毎日のようにダムをはじめ、水路や池などを取材してまわりましたが、50ccのスズキの単車で山の中の水路を追って走り回りまわったことを懐かしく思い出します。
 今日紹介する写真は、その一枚で、東条ダムを下流から見たものです。このダムから水路がのびて谷を水路橋で渡り、山中はトンネルで抜け、さらに向こうの谷へは巨大なサイフォンで駆け上がる。そして各所で分水され池に、田圃へと水が流れていく。そのダイナミズムに取り憑かれたように走り回りました。
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大正13年大旱魃の雨乞い祈祷

2012年05月18日 05時53分09秒 | Weblog
 大正13年の旱魃は今も歴史の中で語られる大旱魃でした。昭和池(加東市)が築造されたのもこの大旱魃が理由でした。当時の社町社区長の雑書綴に雨乞い祈祷に関する通知が綴じられていました。通知では、天理教(当時は社町社に教会があった)、持寶院、佐保神社で雨乞いの祈祷が行われています。


大正十三年八月五日
             社町長
 各区長殿

背景昨日会同ノ節御協議申上候請雨祈祷ノ件左記ノ順席ニヨリ執行可仕候間御部内多数参拝可致様御配意被下成度及通知候也

   記

一、八月八日 午前七時 天理教会所ニ於テ祭典執行(一時間位デ終了ノ見込)
一、同  日 午前八時 持寶院ニ於テ祈祷執行
一、同  日 午後七時 佐保神社ニ於テ祭典執行
        右何レモ時間励行第一番ニ天理教会所ニ参拝ノコト
一、貴職ハ勿論御部内什長ハ必ズ参拝ノコト其他有志多数参拝可致様御□計下サレ度

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240年前の石灯ろう-河高住吉神社

2012年05月16日 05時32分36秒 | Weblog
 加東市河高の加古川右岸、福田橋西詰の少し上に河高住吉神社があります。この神社には県指定文化財の古い石鳥居があり、この歴史ブログでも紹介しましたが、境内には他に古い石灯ろうなどもあります。
 川岸にそって細長くなっている境内の一番上流の参道に立っている石灯ろうの建立年を見ると、明和八年と刻まれていました。明和8年といえば、西暦1771年ですから今から241年前ということになります。表面はそんな古さを感じさせない状態なのでさらに驚きました。境内の古木や建造物、石造物の中にしばらく身を置いていると、時の流れが止まったような静かな心境になりました。
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