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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

一気に桜が開き野鳥も来る

2015年03月31日 04時25分42秒 | Weblog
              

          

 30日(月)、昨日の雨とはうってかわり春の陽気に包まれて桜が一気に開き、家の裏庭に隣接する駐車場の桜も五分咲きぐらいになったでしょうか。
 午後、ちょっと家に戻った際、桜の開き具合を眺めていると、野鳥が来ていました。一羽はハトより少し小さめで、桜の木の枝にとまって花をつついているように見えます。もう一羽はスズメぐらいの大きさで庭の木の枝を飛び回りながら桜の木に移り細かく動いていました。ヒヨドリとシジュウカラでしょうか。短い時間でしたが、花も鳥も楽しむことができました。
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子どもを見つめてきた桜の古木-高岡育児園

2015年03月30日 04時34分27秒 | Weblog
 29日(日)、雨になりましたが、加東市高岡の高岡育児園で新園舎の竣工式が行われました。同園は4月から認定こども園高岡育児園として新しい出発をすることになっています。
 同園は戦後まもなく小学校の一部を譲り受けて創立され、もうすぐ70年になろうとしています。理事長さんのお話では園舎の中庭にある桜と藤の古木が昔から植わっており、おそらく80年を超えるのではないか、ということでした。園舎の改築では育児園の歴史を伝えるシンボルとして残されたそうです。
 その桜の古木の蕾も弾けんばかりに膨らみ、一部開き始めていました。今日の雨がうらめしくなりますが、高岡の子どもたちを見つめてきた桜が新しい装いになった園舎で今年も満開になる日も近いでしょう。ところで、加東市の市木は桜。一番古い桜はどこでしょうか。
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社でも桜の開花-隣の駐車場(元役場)の標準木

2015年03月29日 03時57分37秒 | Weblog
             

 各地で花見の便りが聞こえてきます。加東市社でも今日の陽気で開花を確認しました。我が家の西側の連合区の駐車場(元社町役場)には2本の桜の木があり、毎年楽しませてくれますが、今朝はもう蕾が弾けんばかりに膨らんでいました。丁度昼すぎに家に戻ったときに見てみると、白い花があちこちに見えました。もう数輪といった感じではなく、ぱあっと開いた感じでした。
 加東市の市木は桜です。各地に名所がありますが、この隣の駐車場の2本の桜が私の標準木です。今日、開花を確認しました。
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池面に映る社の関電タワー

2015年03月28日 05時22分41秒 | Weblog
 もうすぐ4月。朝はまだ寒い日もありますが、日中は気温も上がり春の明るい日差しに桜のつぼみも膨らんできました。
 朝のウォーキングで社のパワースポットを巡りますが、佐保神社から持寶院大師堂へ向かう途中、新池の堤を通ります。7時前には日もだいぶ昇っており、鏡のように静かな池面に朝日をバックにした社の市街地が映っています。社のランドマークの関電タワーがまるで天と地を貫く地軸のように屹立しています。
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東条川の桜蕾膨らむ空にブルーインパルスの飛行跡?

2015年03月27日 04時05分02秒 | Weblog
           

 26日(木)の午前10時30分頃、加東市新定の公民館に行きました。公民館は東条川沿いにあり、その駐車場に植わっている桜の木に近寄って枝を見ると、花のつぼみが大きく膨らんでいました。対岸の堤には何キロにもわたって桜が植わっており、満開の頃には桜堤の壮観な景色が望めます(写真上)。
 その桜堤の向こうの青空に奇妙な雲が浮かんでいました。飛行機雲のようですが、真ん中でくるっと盛り上がっており、飛行機がそんな航跡をを残す筈もなく、奇妙な雲だとしばらく見ていました。
 午後、ある人がその時間帯に姫路城のオープンで記念飛行したブルーインパルスの飛行機が飛行機雲を残しながら飛び去っていくのを見た、と話しておられるのを聞いて、もしかしたら私が見た奇妙な雲はそれだったか、と思いました。それが下の写真です。
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田圃の中のアオサギ

2015年03月26日 05時00分49秒 | Weblog
 25日(水)、加東市東古瀬の保育園の卒園式に出席した帰り、水が張られた田圃の中に日を浴びながら一羽のアオサギが立っているのを見つけシャッターを押しました。
 アオサギは田圃や水路などでよく見かけますが、近づいても動じることなく立っていることがあります。羽を広げると結構大きく優雅に空を飛びます。じっと見ていると、目が合ったような感じがしました。
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朝の佐保神社境内

2015年03月25日 04時21分22秒 | Weblog
              

 24日(火)の朝、空気は冷たく感じますが、昇る朝日の色は確かに濃くなりました。
 朝のウォーキングで佐保神社に参拝します。境内の清澄な空気の中に泰然として存在を示す大けやきに惹きつけられます。
 昨日も紹介したアオサギの営巣する参道の大けやき、そして、境内の拝殿の西側の大けやき。今日は拝殿での参拝のあと、南の方向の舞殿、瑞神門を望んだ景色、もう一枚は拝殿から西の大けやき、小宮、その向こうの朝日を浴びる街並みを撮しました。
 境内西の大けやきは太い幹の途中から伐られています。まるで、この大地に斜めに太木を突き刺したような姿になっています。小さい頃からこの大けやきの下で遊んだり、セミを捕ったり、ボーイスカウトの訓練をしたりしてきました。そんな一こま一こまが脳裏に浮かんできます。朝、このけやきを見ていると、元気が出てきます。
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朝日を受けて-佐保神社のアオサギ

2015年03月24日 04時59分51秒 | Weblog
 昨日、佐保神社(加東市社)の境内の大けやきの枝にアオサギが戻ってきたという話題を紹介しました。
 今朝、ウォーキングで参道を歩いていると、見上げた大けやきの樹上高く、昨日より多くのアオサギが巣にとまっていました。時折り、羽を大きく広げて巣から飛び立ち、ゆっくりと旋回して再び枝に戻ります。アオサギも朝日を受けてウォーキングならぬフライングを楽しんでいるようにも見えました。
 しかし、あの不気味な鳴き声とフン害には毎年困っています。
 
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戻ってきたアオサギ-佐保神社の大けやき

2015年03月23日 04時23分01秒 | Weblog
          

            

 22日(日)の朝、佐保神社近くのガソリンスタンドに給油のために寄りました。そこから見える佐保神社の大けやきの枝高く、いくつものアオサギの巣が見えていましたが、今日はその近くに9羽のアオサギが留まっていました。ガー、ガーというあの美しくない声で鳴いています。
 「今年も戻ってきましたねえ」「またあの声で朝から鳴いてますわ」と店主と会話を交わしました。周囲で一番高いところに営巣するようで、社の市街地では、この佐保神社の大けやきが最適?だったのでしょう。大きな羽を広げて優雅に旋回しています。あの高さから市街を見下ろすとどんな景色が広がっているのでしょうね。
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大正13年-摂政宮殿下祝賀行事

2015年03月22日 04時18分03秒 | Weblog
 大正13年(1924)の1月26日は、皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)のご成婚の日でした。当時の社区長(現加東市社)の文書綴に筆書きの文書が綴じられています。
 当時は祝賀式といえば小学校、そして神社参拝が行われ、各戸国旗を掲揚し奉祝したのですね。そして、休みになっていました。今は各家の玄関に国旗を掲げて国の慶事を祝うということがなくなりました。今日、春分の日、加東市社の商店街には日の丸の小旗が掲揚されていました。旧社町時代から続けられています。
 文書は次の通りです。
 


                   社区長

廿六日
摂政宮殿下御慶事ニ付
社町ノ祝賀左記ノ通リ町内ヘ御伝達被下度候也

  記

・廿六日午前九時社小学校ヘ参集
 午前九時半合同奉祝式挙行
・右式后佐保神社ヘ参拝スル事

・町内各戸ニ国旗掲揚ノ事
・当日一般休業ノ事
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昭和5年-社農会から小麦の病気予防の通知

2015年03月21日 05時22分34秒 | Weblog
 昭和5年(1930)の3月、当時の社町社(現加東市社)の文書綴に社農会から小麦の病気予防に関する通知が出され、綴じられています。
 栄養不足などが原因で発生する病気で、施肥を行うよう通知していますが、その中に人糞尿もあり、小さい頃の肥溜の記憶がよみがえってきました。一面の麦畑の風景も記憶の中にあります。



 社農第二二一号

  昭和五年三月六日

                加東郡社町農会

区長 殿

  小麦縞葉枯病ニ関スル件

昨年南部ノ諸ニ相当発生ヲ見タル小麦ノ縞葉枯病ニツキ本年ハ既ニ松尾ニ処々発生セルヲ見ル、本病ハ三月頃ヨリ四月ニカケテ相当ノ面積ニ亘リテ被害ヲ及ボス様デアルカラ本年モ比ガ予防ニツキ一般ヘ御通知ノ程御依頼致度ウ御座イマス

 小麦ノ縞葉枯病ハ葉及茎ニ黄褐色ノ斑点表ハレ比ヲ放置スル時ハ枯死シ収量皆無トナル、本病ハ生理的障害ニヨリ発生シ勿論伝染病ナラズ

原因、  栄養不良、早播、寒傷リ、過瀑、過乾
品種、  三原及三原系統
対策、  速効肥料ヲ施ス事(窒素質ノ)
     アムモニヤ、人糞尿ノ溶液ヲ施肥スル事
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昭和5年の社小学校卒業式案内

2015年03月20日 04時05分16秒 | Weblog
 今年も卒業式シーズン真っ最中ですが、23日には加東市内の小学校でも卒業式が行われます。
 今から85年前の昭和5年(1930)、社尋常高等小学校の卒業証書授与式の案内状が当時の社町社(現加東市社)の文書綴に綴じられています。
 式は3月26日に挙行されることになっています。当時の卒業生はご存命なら90歳代後半になっておられるはず。どんな式だったのかお聞きしたいものです。
 案内状は次の通りです。


拝啓三月二十六日午前十時卒業証書授与式挙行仕候ニ付
御参列被成下此段御案内申上候  敬 具

 昭和五年三月二十三日

    社尋常高等小学校長  田中正一

肥田仙治 殿

 追而準備ノ都合モ有之候ニ付御出席ノ有無二十五日迠ニ御一報願上候

   ( 出、欠席)
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佐保神社参道の2本の道標

2015年03月19日 04時26分32秒 | Weblog
          

          

 16日のブログで、佐保神社(加東市社)の参道に道標が復元建立されたことを紹介しましたが、以前から立っている道標と合わせて2本の道標が立っている霧の朝の風景を紹介します。

 交差点に近い方、以前から立っている道標には、「右 きよみず」「左 ほっけさん」と刻まれています。建立年は寛政9年(1797)、約220年も前に建てられた古い道標です。
 一方、奧の方の新しく復元された道標には、、「右ほつけ山」「左極楽山浄土寺」と刻まれています。
 社は、佐保神社の門前町として形成されたと言われていますが、高砂街道と京街道の交わる宿場町として栄えたという話も聞いています。西国巡礼の道筋にあたり、清水寺(加東市平木)と法華山一乗寺(加西市)の間に位置し、二つの霊場の名が刻まれている道標が街道筋に多く見られます。
 この交差点は旧国道372号と社の市街地を南北に貫く旧県道が交差する三階交差点の近接し、佐保神社の参道と交差する場所にあり、今も多くの車や人が行き交います。今では巡礼や旅の目印の役目は終えましたが、歴史を現在、未来に伝える貴重な役割を果たしてくれることでしょう。
 写真は復元建立される前、参道脇に倒れていたときのもので、4年前に撮影したものです。下の写真は参道の交差点に立つ2本の道標(現在)です。

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霧の朝の忠魂碑

2015年03月18日 04時13分58秒 | Weblog
 17日(火)の朝は霧が出て、加東市社の市街地も霧に包まれ幻想的な景色が見られました。
 朝のウォーキングで市街地南端にある明治館(元加東郡公会堂)前の広場にある忠魂碑の前に立つと、白くかすんだ林を背景に中央の忠魂碑と両側に英霊尊名碑の3本の石碑が浮かびあがっていました。
 戦前、戦中は帝国在郷軍人会によて忠魂碑の前で招魂祭が行われていました。また、占領が終わった昭和28年に尊名碑が建立され整備されました。明治維新以降、郷土から出征し戦死、戦病死した兵士の名を刻み、顕彰しています。
 しかし、終戦から70年が経ち、遺族会の会員の高齢化や減少で忠魂碑の維持管理が難しくなっています。私の母方の2人の叔父も大東亜戦争で戦死し、この忠魂碑にその名が刻まれています。遺族の一人として清掃や植え込みの剪定作業も行ってきました。 朝のウォーキングではこの忠魂碑の前で英霊に感謝を捧げ、慰霊します。今日の日本と郷土の平和と繁栄の礎には郷土出身戦没兵の尊い犠牲があったことを忘れないためにもこの忠魂碑を大切に守っていきたいと思います。
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佐保神社瑞神門から境内へ

2015年03月17日 04時53分11秒 | Weblog
 朝のウォーキングで、佐保神社を参拝します。明治館の広場の忠魂碑、そして参道をまっすぐ歩いて佐保神社の瑞神門へと向かいます。参道のけやきの大樹の天辺あたりにはアオサギの巣がいくつも見えます。
 瑞神門は3年前の平成24年8月に修復工事が完成、竣工式が行われました。門を守る矢大臣も美しく修復されています。
 その門前に立ち一礼。正面を向くと見える風景がこの写真です。正面に舞殿、その向こうに拝殿、本殿とまっすぐに建ち並んでいます。その整然とした美しさに心も引き締まります。
 
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