4月29日(日)は「昭和の日」。昭和時代は天皇誕生日でした。みどりの日から昭和の日となり、昭和時代を偲ぶ日となりました。
この日、加東市秋津の住吉神社で、昭和の日を奉祝して、秋津に伝わる雨乞いの祭りで奉納される西戸百石踊りが披露されました。去年は5月3日に行われましたが、今年から4月29日の昭和の日に行われることになったということです。神社では厳かに神事が行われ、そのあと、見学者も一緒に伊勢神宮を遙拝しました。昨年に比べると見学の人は少ないように感じましたが、日が変わった影響もあるのでしょうか。市内の観光ボランティアグループの人や地元のお年寄りの姿もありました。
さて、秋津百石踊りは、「旱魃の時には住吉神社の神前で踊って雨乞いをせよ」という神功皇后の言葉があったと伝えられている住吉神社の神事です。パンフレットの説明によれば、実際は室町末期から桃山初期の頃に雨乞い踊りとして始まったものだろうとされ、この踊りを一度催すと、百石分の経費を必要とすることから百石踊りと云われているそうです。もとは住吉神社の氏子村が参加していたそうですが、今では西戸(さいど)地区保存会だけが伝えています。
昭和47年に兵庫県の重要無形文化財に指定されています。最近では、平成6年の日照りの年に雨乞い祈願で奉納されています。私は、東条とどろき荘で披露された時に初めて見ましたが、太鼓の拍子と踊り手の問答など、その独特の踊りに感銘を受けたことを覚えています。今回で4度目ですが、今年は初めて6番全部の踊りが奉納されました。独特のリズム、軽快な動き、囃子言葉のおもしろさに引きつけられます。
まぶしい初夏の日射しの下、新緑の神社の杜の木陰は涼しげでしたが、40分余りの踊りと太鼓は大変だろうと思いました。代表の挨拶では、時代が変わり、メンバーが練習に集まるのも大変になってきたこと、後継者の問題、衣裳や道具などの維持などの経費等、伝統の祭り、踊りの継承には大変な努力が要るが、それでもこの祭りを伝えて行かねばならないという気概でやっています、ということが力強く述べられました。この加東の宝、兵庫の宝である秋津百石踊りをもっと多くの人に見てもらいたいと強く思うところでした。そして、みんなでこの踊りを守っていくことの必要性も感じました。
この日、加東市秋津の住吉神社で、昭和の日を奉祝して、秋津に伝わる雨乞いの祭りで奉納される西戸百石踊りが披露されました。去年は5月3日に行われましたが、今年から4月29日の昭和の日に行われることになったということです。神社では厳かに神事が行われ、そのあと、見学者も一緒に伊勢神宮を遙拝しました。昨年に比べると見学の人は少ないように感じましたが、日が変わった影響もあるのでしょうか。市内の観光ボランティアグループの人や地元のお年寄りの姿もありました。
さて、秋津百石踊りは、「旱魃の時には住吉神社の神前で踊って雨乞いをせよ」という神功皇后の言葉があったと伝えられている住吉神社の神事です。パンフレットの説明によれば、実際は室町末期から桃山初期の頃に雨乞い踊りとして始まったものだろうとされ、この踊りを一度催すと、百石分の経費を必要とすることから百石踊りと云われているそうです。もとは住吉神社の氏子村が参加していたそうですが、今では西戸(さいど)地区保存会だけが伝えています。
昭和47年に兵庫県の重要無形文化財に指定されています。最近では、平成6年の日照りの年に雨乞い祈願で奉納されています。私は、東条とどろき荘で披露された時に初めて見ましたが、太鼓の拍子と踊り手の問答など、その独特の踊りに感銘を受けたことを覚えています。今回で4度目ですが、今年は初めて6番全部の踊りが奉納されました。独特のリズム、軽快な動き、囃子言葉のおもしろさに引きつけられます。
まぶしい初夏の日射しの下、新緑の神社の杜の木陰は涼しげでしたが、40分余りの踊りと太鼓は大変だろうと思いました。代表の挨拶では、時代が変わり、メンバーが練習に集まるのも大変になってきたこと、後継者の問題、衣裳や道具などの維持などの経費等、伝統の祭り、踊りの継承には大変な努力が要るが、それでもこの祭りを伝えて行かねばならないという気概でやっています、ということが力強く述べられました。この加東の宝、兵庫の宝である秋津百石踊りをもっと多くの人に見てもらいたいと強く思うところでした。そして、みんなでこの踊りを守っていくことの必要性も感じました。