ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

西戸百石踊り-新緑の秋津住吉神社で奉納

2012年04月30日 06時07分52秒 | Weblog
 4月29日(日)は「昭和の日」。昭和時代は天皇誕生日でした。みどりの日から昭和の日となり、昭和時代を偲ぶ日となりました。
 この日、加東市秋津の住吉神社で、昭和の日を奉祝して、秋津に伝わる雨乞いの祭りで奉納される西戸百石踊りが披露されました。去年は5月3日に行われましたが、今年から4月29日の昭和の日に行われることになったということです。神社では厳かに神事が行われ、そのあと、見学者も一緒に伊勢神宮を遙拝しました。昨年に比べると見学の人は少ないように感じましたが、日が変わった影響もあるのでしょうか。市内の観光ボランティアグループの人や地元のお年寄りの姿もありました。

 さて、秋津百石踊りは、「旱魃の時には住吉神社の神前で踊って雨乞いをせよ」という神功皇后の言葉があったと伝えられている住吉神社の神事です。パンフレットの説明によれば、実際は室町末期から桃山初期の頃に雨乞い踊りとして始まったものだろうとされ、この踊りを一度催すと、百石分の経費を必要とすることから百石踊りと云われているそうです。もとは住吉神社の氏子村が参加していたそうですが、今では西戸(さいど)地区保存会だけが伝えています。
 昭和47年に兵庫県の重要無形文化財に指定されています。最近では、平成6年の日照りの年に雨乞い祈願で奉納されています。私は、東条とどろき荘で披露された時に初めて見ましたが、太鼓の拍子と踊り手の問答など、その独特の踊りに感銘を受けたことを覚えています。今回で4度目ですが、今年は初めて6番全部の踊りが奉納されました。独特のリズム、軽快な動き、囃子言葉のおもしろさに引きつけられます。

 まぶしい初夏の日射しの下、新緑の神社の杜の木陰は涼しげでしたが、40分余りの踊りと太鼓は大変だろうと思いました。代表の挨拶では、時代が変わり、メンバーが練習に集まるのも大変になってきたこと、後継者の問題、衣裳や道具などの維持などの経費等、伝統の祭り、踊りの継承には大変な努力が要るが、それでもこの祭りを伝えて行かねばならないという気概でやっています、ということが力強く述べられました。この加東の宝、兵庫の宝である秋津百石踊りをもっと多くの人に見てもらいたいと強く思うところでした。そして、みんなでこの踊りを守っていくことの必要性も感じました。
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桜咲く-孝女ふさの碑

2012年04月29日 07時00分19秒 | Weblog
 加東市上三草、旧京街道の下三草との境に「孝女ふさの碑」があります。この歴史ブログでは何度も紹介してきましたが、今日はこの春、桜が咲いた頃のふさの碑を紹介します。
 この碑は、ふさの彰徳碑で、大正11年(1922)に建立されたものです。その碑文は、戦前の大評論家、ジャーナリスト徳富猪一郎の筆になるものです。

 「孝女ふさ」は戦前、修身教科書に「孝行」の模範として取り上げられていました(小学校修身書巻四の第八孝行)。『新修加東郡誌』にはその文が紹介されています。

「昔、播磨におふさという孝行な女がありました。家が貧しいため、八歳の時から、子もりなどにやとわれて、暮らしをたすけました。又父がざうりやわらぢをつくるそばで、わらを打って手つだひました。十一歳の時から、ほうこうにでましたが、主人からいただいた物は父母におくりました。又ひまがあれば主人のゆるしを受けて家にかへり、ねんごろに両親に仕へました」

 ふさは18世紀半ばに社村(現加東市社)に生まれ、6歳のときに上三草村に養女に行きました。貧しい家だったので、子守りをしたり、奉公に出て一生懸命働きました。また、奉公のひまを見ては両親の世話をしていたのです。親への孝行ぶり、仕えた家への忠節に人々が感心し、庄屋さんを通じて殿様の耳にまで届き、孝行の模範として褒美が下されました。
 
 今、親孝行ブームだそうですね。親を敬い、家族を大切にするというのは人としての基本だと思いますが、一度このふさの碑を訪れてみてはどうでしょうか。

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郷土の自由民権運動家-高瀬藤次郎の遺品

2012年04月28日 05時24分53秒 | Weblog
 4月14日(土)に行われた三草ふれあい広場のわくわく探検で、加東市吉馬の高瀬家の見学が行われました。高瀬家は吉馬村開発の祖、高瀬吉兵衛(17世紀)の子孫にあたります。 明治時代には高瀬藤次郎が政治家として活躍しました。明治12年に兵庫県議会が開設されると初代の議員となり、さらに明治23年に国会が開設されると初代の衆議院議員となって活躍しました。
 高瀬藤次郎は県会議員当時、兵庫県を代表する地方新聞である神戸又新日報(こうべゆうしんにっぽう)の発行元である五州社を創設したり、山陽鉄道会社の発起人となったりして政治経済の発展に尽くしました。明治21年ごろから活発となった大同団結運動では、自由主義者の兵庫県同志会のリーダーとして活躍し、板垣退助や植木枝盛など愛国公党派とともに民権派として活動しました。初の衆議院議員選挙では、板垣退助が高瀬藤次郎ら自由派の応援のために社の持寶院にやってきて演説をしています。
 わくわく探検では、高瀬藤次郎が衆議院に登院するときに着用したフロックコートやシルクハット、議員として帰省したときの歓迎幟、議員肖像掛軸などの高瀬家所蔵の貴重な品が展示され、参加者は郷土が生んだ初代国会議員、高瀬藤次郎に思いを馳せました。
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小山寺春爛漫-加東市藤田

2012年04月27日 04時53分34秒 | Weblog
 加東市藤田の県道西脇三田線を走っていると北側に小高い丘がせり出し、南側の千鳥川と接するところがあります。この小高い丘には小山寺とよばれる小さな庵がありますが、春には全山が桜と木蓮の花に包まれます。道を挟んで千鳥川に架かる橋のたもとにも木蓮と桜が咲きほこり、さらに東に向かって満開の桜堤が続きます。
 今年は桜の開花が遅かったのですが、桜と木蓮、さらに田圃の畦にはたんぽぽと土筆が春のまぶしい光の下で競うように咲きました。車を止めて畦からの一枚を撮りました。4月15日の写真です。
ちなみに小山寺は加東四国八十八ヶ所霊場の第二十六番霊場になっています。
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桜満開-三草川から望む三草山

2012年04月26日 07時24分27秒 | Weblog
 4月1日の加東市消防出初式ではまだ固かった桜のつぼみも2週間後の15日(日)には満開となりました。
 一斉放水の炊煙はありませんが、旧京街道、元三草藩陣屋前(現やしろ国際学習塾)の松並木の緑と桜の向こうに源平古戦場の三草山が望める風景を掲載します。写真の三草山の手前、国道372号脇に一本の標柱が立っています。日本標準時東経135度の子午線通過地点を示しています。日本列島の中心軸です。
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加東四国霊場仕上げの大師堂-桜満開

2012年04月23日 09時27分28秒 | Weblog
 4月15日(日)、加東市社の持寶院の境内の桜は満開でした。毎年、地元社一区のゆら野会(老人クラブ)の総会ののち、世代ふれあいの花見が行われます。
 今年は桜の開花が遅かったために花見が心配でした。しかし、ちょうど満開のときを迎えて、大師堂の前で花見が行われました。
 この大師堂は加東四国八十八ヶ所霊場の八十八番、仕上げの霊場で、日本最大級の木像の大師像が安置されています。大師堂は大正14年(1925)に建造されました。この歴史ブログでも何度も紹介してきましたが、桜満開の大師堂はまた格別です。
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桜橋の桜が満開-馬瀬

2012年04月17日 06時26分25秒 | Weblog
 加東市馬瀬の国道372号沿いに馬瀬公民館があります。その向かいに架かる小さな橋を跨ぐように生えている桜の古木があり、15日の日曜日にはちょうど満開でした。
 桜橋とよばれるこの橋の桜の由来はこうです。

 地元の方の話によると、幕末か明治のはじめの頃、村の人が山から山桜の幼木を抜いてきて橋のたもとに植えたそうです。しばらく経った頃、村の若者が幹を途中からきってしまったのですが、そこから枝が三本に分かれて、川をまたぐように横に伸びていったそうです。やがて幹は太くなり、大人が一抱えするほどの大木になりました。今は国道がついて根元はコンクリートで固められ、窮屈な場所になっています。そして、枝も一本だけが残っています。

 春が来る度にこの桜橋の古木が気にかかります。公民館の桜も見事です。
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嬉野への道-学園道路の朝日

2012年04月11日 05時02分06秒 | Weblog
 加東市社の市街地を取り巻くように走る環状道路の嬉野口交差点から東方にのびているのが学園道路です。社から東条につながる県道で、嬉野台には、国公立の大学、高校、小中学校、幼稚園をはじめ、県立生涯学習センター、教育研修所があることから学園道路の名が付けられたのでしょう。かつては、水のない、赤土の不毛の地と呼ばれた台地は、今では市庁舎、税務署、図書館、中央公園が集まる加東市の行政の中心となり、教育機関が集中する台地に変貌しました。
 この学園道路もかつては池の淵にそって曲がった急な坂道でした。しかし、今では嬉野台地の入口にふさわしい立派な道路に改修されています。春の早朝、真東の坂道の向こうに朝日が昇ります。
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鴨川の郷の春はもうすぐ

2012年04月10日 04時24分59秒 | Weblog
 加東市の中心部から北東へ国道372号を約20分車を走ると、鴨川地区に着きます。上鴨川の交差点を左折し、西脇方面へ坂道を走るとすぐに「鴨川の郷」の入口です。急坂を下り、再び上って池の堤まで来ると、一気に視界が開け、そこには別世界のような景色が広がります。ここがやしろ鴨川の郷です。
 8日(日)に恒例の桜まつりが開かれました。しかし、桜の蕾はまだ固く、花を楽しむことはできませんでしたが、上鴨川営農組合の豆ご飯と芋煮、社高校生活科学部の伝の助うどんなどのふるさとの味を楽しむことができました。鴨川の郷の池に面した芝生面はグラウンドゴルフ場として高い人気があります。
 桜が咲いたらまた訪れ、このブログで紹介したいと思います。
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水ぬるむ-三草山

2012年04月09日 05時26分05秒 | Weblog
 4月8日(日)、日射しは春。しかし、風はまだ冷たく、桜の蕾も固いまま。山の木々も芽吹きまでしばらくかかりそうです。しかし、三草川の水は春の陽にぬるんでいるように見えました。
 旧京街道、上三草の街並みの少し上流から望む三草山です。今から約800年の昔、この地で陣を張っていた平氏に義経率いる源氏が夜襲をかけました。敗走する平氏を追って源氏の軍勢が駆け抜けていったのでしょう。
 
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ステラパークの朝日-社中央公園

2012年04月08日 05時04分08秒 | Weblog
 加東市社の市街地の東にやしろ中央公園(ステラパーク)があります。市街地を取り巻くように走る環状線に接し、傾斜のある公園は親子連れや子ども達の遊び場として親しまれ、人気の高い公園になっています。
 かつては田圃と池だったのですが、加東市社庁舎から中央図書館、池、社交番など一帯が公園化されました。公園内には遊具や遊歩道があり、桜の木も植えられています。まだ開花は見られませんが、そろそろでしょう。
 市街地の中にあり、しかも傾斜地であるために階段やスロープがあり、ウォーキングコースとしてもよい条件を備えています。市街地から一段高い嬉野台地の西端にあたるため、池の堤に立つと、市街地はもちろん、北から西、南に広がる五峰山、青野原台地、播州平野が広々と一望できます。絶好の夕日スポットでもあります。
 その中央公園の夜明け、日の出もなかなかの絶景です。春の今頃は午前6時頃が日の出の時間です。ステラパークの向こうに朝日が輝いています。
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田町地蔵尊-道標が門柱に

2012年04月07日 05時13分35秒 | Weblog
 加東市社の市街地の中心から東に向かってのびる田町通り(たまち)。かつては商店が軒を並べる賑やかな商店街でしたが、今では一方通行となり、商店も激減、静かな住宅街に姿をかえています。 その田町通りの東の入口に田町地蔵尊が祀られています。法蓮寺(ほうれんじ)と路地をはさんで隣接し、小さな祠とブロック塀、そして門柱が立っています。今は住宅地になっていますが、かつては、この場所は道池(三ツ池ともよばれた)大きな池があり、その堤の下辺りになります。丹波から播磨へと通じる京街道が通り、西国三十三ヶ所札所の巡礼道でもありました。社の村、そして田町通りはその宿場町として賑わったとも伝えられています。
 その名残りをこの田町地蔵尊の門柱になっている道標に見ることができます。「左 きよみず」「右 大さかみち」正面には「南無阿弥陀仏」と刻まれた堂々たる道標です。
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水煙の向こうに三草山-歴史の里で

2012年04月06日 04時15分23秒 | Weblog
 4月1日、恒例の加東市消防出初式が行われました。会場は加東市上三草のやしろ国際学習塾。旧三草藩の藩庁があったところで、明治以降は三草小学校となっていました。その後、LOCホールや図書室、展示場、茶室、会議室などを備えたやしろ国際学習塾(名前は学習塾ですが、文化会館です)となり今にいたっています。
周辺には旧京街道、松並木、武家屋敷などが残っており、歴史の古さを感じます。旧街道は三草川にそって続いており、その上流には源平の古戦場で知られる三草山が遠望できます。
 出初式では三草川をまたいで消防の一斉放水が行われるのですが、三草山を遠望し、手前に三草川の清流、そして緑の松並木に桜が咲いて最高の景色なのですが、今年は残念ながら桜の蕾はまだ固く、水煙も冷えたく感じました。来年に期待です。
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佐保神社の大ケヤキにアオサギの巣

2012年04月05日 04時33分25秒 | Weblog
 佐保神社(加東市社)には樹齢数百年ともいわれる大ケヤキがあります。社町時代の町木はこれにちなんでケヤキでした。この大ケヤキの天辺近く、枝の先にアオサギがいくつも巣をつくっています。参道の老松の天辺に巣をつくっていたのですが、対策を打つと今度はケヤキを営巣場所に選んだのです。
 まだ幹と枝しかない大ケヤキの天辺近くには写真のように巣とアオサギが写っています。早朝、ぎゃーと不気味な鳴き声をあげながら、大きく翼を広げて飛んでいます。巣のある下の地面は糞で白くなっています。折角楼門修理が行われ、秋祭には美しい姿が見られるというのに。かといって、すでに出来上がっている巣を落として追い出すわけにもいかず困ったものです。
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